もうすぐ、OWL試験だというのに。
今年のクィディッチ杯も例年通り6月まで開催される。それは仕方がないとしよう。OWL試験に関係があるのは5年生だけだ。だが、いつもはアリアドネに勉強を促すはずのレギュラスが、たびたび羽根ペンを置き、または、羽根ペンでスニッチの絵を描き、クィディッチの良さを力説し始めるのだから、ヴィヴィアンにもため息くらいつかせてほしい。
ヴィヴィアンはクィディッチ好きの友人二人から、プロの選手が編み出した素晴らしい技の数々について聞かされているところだった。勉強熱心なレギュラスですら、書きかけのレポートを放り出してしまうのは何も、クィディッチが好きだから、という理由だけではない。
ヴィヴィアンに次の試合を見に行かせるためだ。
果たしてどのくらいのホグワーツ生が、一年前の出来事を覚えているだろうか。去年の試合で、アリアドネが呪いをかけられたことにより箒から落ちたところを、レギュラスが間一髪で助けるという事件があった。ホグワーツでは数日間、その話題で持ち切りだったものだが、一年も経てばさすがにその話題を口にする者はいない。
面白い話題に事欠かない、他のホグワーツ生たちはともかく、アリアドネ本人でさえも、そんなこともあったね、とまるで他人事のように思い出話にしてしまった。だが、ヴィヴィアンだけは違った。
あれ以来、ヴィヴィアンはすっかりクィディッチ恐怖症になっていた。練習ならまだしも、今年に入ってクィディッチの試合を観戦したのは、グリフィンドール対ハッフルパフ戦のみ。それ以外はダメだ。レギュラスとアリアドネの二人のうち、どちらかが必ず出場するからである。友だちの出る試合を応援したい気持ちはあったが、どうしても、また怖いことが起こるのではないか、と心配が募って見ていられないのだった。
そんなヴィヴィアンの気持ちをくんで、毎度説得を試みはするものの、無理強いはしなかった二人だが、今回だけは諦めてくれなかった。
何せ二人がかりの説得である。ホグワーツのクィディッチ杯は総当り。今年もスリザリン対レイブンクローの試合は行われるのだ。
「見ていられないっていうのなら、僕がすぐに試合を終わらせてあげるよ。シーカーにはその権利があるからね」
クィディッチに関する本日のプレゼンが終わり、それでも首を縦に振らないヴィヴィアンを見て、レギュラスが言った。
シーカーがスニッチを捕まえると、たとえゴールに1点も入っていなくとも試合は終了。スニッチを捕まえたシーカーのチームに150点が入る。つまりレギュラスの言葉は、勝利宣言だ。
「なにー!? だったらこのアリアドネさんが、先に150点入れてあげるよ!」
150点以上リードされていれば、スニッチを捕まえても逆転はできない。試合が終わってしまうから、負けているチームは点差が縮まるまでスニッチを捕まえられない。
「……じゃあ、試合が長引く……ってこと?」
ヴィヴィアンは眉根を寄せて首を傾げた。
「あぁ、ほら……アリアドネのせいだよ」
「だ、だって! いくら見に来てほしいからって、勝利を譲るわけにはいかないよ!」
「なら、君もシーカーをやればいい。適性は充分にあると思うよ」
アリアドネは、ぐぬぬ、と唸る。小柄で身軽なアリアドネがシーカーではなくチェイサーをやっているのは、プレッシャーに負けちゃうからだ、とかつて本人が言っていた。どちらのポジションであっても、二人が怪我なく楽しんでくれればヴィヴィアンは満足だ。が、強いて言うなら、シーカーは最も怪我の多いポジションだと、本に書かれていたことがずっと心に残っている。
「……二人ともシーカーになったら、怪我の確率が二倍になる……ってこと?」
ヴィヴィアンは眉根を寄せて……以下略である。
「いや、そういうわけじゃ……」
「あーあ、レギュラスのせいだぁ。安心して、ヴィヴィアン。あたしはチェイサーのほうが、しょうに合ってるからさ」
慰めるように肩をぽんぽんと叩かれる。
「チェイサーだって怪我はするだろう……って、僕らがいがみ合っていてどうする」
一時休戦した二人は顔を見合せ、ふう、と息をつくと、揃ってヴィヴィアンのほうへと向き直る。
「そうだね。ヴィヴィアン……きみがあたしたちを心配してくれるのは嬉しい。けど、本当を言うと、きみが見に来てくれるほうが嬉しいなぁ」
アリアドネは同意を求めるように小首を傾げた。レギュラスは頷く。
「君が本気でクィディッチを嫌うのなら無理強いはしない。だが、そうじゃないだろう? グリフィンドール対ハッフルパフ戦では、楽しそうに観戦していたからね」
楽しそうにしていた自覚はないけれど……グリフィンドールのシーカーの箒さばきが、まるでショーを見ているかのようで、圧倒されたことはよく覚えている。あれがレギュラスやアリアドネだったらと思うと、やはり心配の気持ちが勝ってしまうだろうか。
「そう、だけれど……」
言い淀むと、アリアドネがダメ押しと言わんばかりに、ヴィヴィアンの両手を取って、胸の前でぎゅっと握った。
「あたしの一番かっこいいところ、きみに一番見てほしいんだ!」
アリアドネに続いて、レギュラスが畳み掛ける。
「君は、恐れすぎている。もっと僕たちを信じて」
耳が返事をしてしまいそうな切実な声だった。彼に顔をのぞき込まれ、アリアドネに下手っぴな笑顔を向けられ、ヴィヴィアンはもう降参するしかなかった。
そうして迎えた試合当日。
宣言を形にするように、アリアドネが開始わずか一分でゴールをひとつ決めた。続けて二つ三つとクアッフルがゴールに吸い込まれていった。ブラッジャーの妨害もなんのその。パスを繋ぎアリアドネの手にクアッフルが渡ると、空を泳ぐような箒さばきでキーパーを翻弄し、すっぽりと気持ちよくゴールが決まるのだから、ヴィヴィアンもすっかり心配を忘れて歓声を上げていた。
誰もがゴール付近の攻防に、夢中になっていたときだった。観客席の目の前を、緑のユニフォームが猛スピードで通過した。あの黒髪は、レギュラスだ。彼の箒の先。昼間だというのに、星がきらりと輝いた。スニッチだ! レギュラスが、もう見つけた! 試合開始からまだ15分も経っていない。レイブンクローの得点はまだ50点。ヴィヴィアンは自分の寮も忘れて、レギュラスに声援を送った。ブラッジャーが邪魔しに来るのを、彼はひょいひょいと踊るようにかわす。アリアドネが一瞬気を取られて、クアッフルがあらぬ方向へ跳ねた。
そして、勝敗は──。
──もうちょっと試合を見ていたかった。そうぼやいたヴィヴィアンは、レギュラスに怒られるのだった。
*
クィディッチの試合が終われば、さすがのアリアドネも、OWL試験のための勉強に文句を垂れなくなった。レギュラスはすっかり勤勉さを取り戻し、将来に関わる大事な試験だ、と自分自身にもヴィヴィアンたちにも言い聞かせるように度々繰り返した。試験までの一ヶ月なんて、あっという間に過ぎた。
OWL試験は2週間にわたって行われる。一日目から最終日まで、気を抜かず、しかし気負いすぎないようにしなければ。充分に勉強をしてきたと自負しているヴィヴィアンだったが、緊張で胸の高鳴りが止まらなかった。このドキドキは、なんだか、レギュラスに抱きしめられたときみたいだ。と、肝心なときに限って妙なことを思い出し、余計に頬が熱くなるのだった。季節は初夏である。
試験会場となる大広間に呼ばれて入っていくと、朝食のときにはあったいつもの長テーブルはなくなっており、代わりに一人用の机がずらりと並べられていた。
ヴィヴィアンは息を呑んで、割り当てられた席に座った。斜め前の席に座ったアリアドネが、石像のようにカチコチになっているのが見えて、少し笑みがこぼれた。緊張しているのはみんな同じだ。
試験開始を告げる声がして、試験用紙を一斉にひっくり返す音が、さざ波のように重なり合った。
(将来に関わる……か)
ヴィヴィアンもゆっくりと用紙を表に向けながら、レギュラスの言葉を思い返した。次期当主になるという将来が決まっている彼が言うのは、少々説得力に欠ける気がする。
(あれ? でも……)
答案用紙に自分の名前を書きながら、ヴィヴィアンは気づいた。レギュラスの将来は、当主になって終わりじゃない。
ウィングス家の当主、ヴィヴィアンの父が魔法省で働いているように、当主になるのは果たすべき責任のひとつでしかない。ブラック家ほどの名家ともなれば、働かなくてもお金はあるだろうが、レギュラスの勤勉さが許さないだろう。彼には当主になった後の未来が、もう描けているのだろうか。
(私とは正反対だわ……)
羽根ペンを握りしめる。自分の将来に、何を望まれているのか、ヴィヴィアンには痛いほどわかっていた。父は娘を次期当主にしたがっている。それは前当主の部屋を自室にあてがわれたときから──ウィングス家にヴィヴィアンという娘が生まれたときから決まっていた。
当主になんてなれない。なりたくない。長兄のほうがよっぽど相応しい。お母様もお兄様もそう思っているはず。でも──決まった道を拒絶して、私はどう生きればいいの?
白紙の答案用紙が、未来を暗示しているかのようだった。
(いけない、集中しないと)
迷いを追いやるように、ヴィヴィアンは一心不乱に羽根ペンを走らせた。
午前の試験が終わり、まずまずの出来かしら、と自らに頷く。前の方の席にいたレギュラスが、試験の余韻に浸ることなくすっと立ち上がるのが見えた。彼もまた満足のいく解答ができたのだろう。ヴィヴィアンは彼に続いて大広間を出て、緊張の糸が切れて机につっぷすアリアドネが、やおら立ち上がるのを二人で待った。
「あなたたちは将来、何の職業につきたい?」
ヴィヴィアンは試験中に考えていたことを口にした。玄関ホールを抜けて、三人はあてもなく校庭を歩く。アリアドネが気を紛らわせたいとねだったからである。
「
「え? あたしはてっきり、レギュラスは魔法省とかで働くのかなって思ってたけど」
「そうかい? まあ確かに、選択肢としては考えられるが、今の魔法省は──」
続く言葉に悪い予感がして、ヴィヴィアンはレギュラスの前に立ち、口を塞ぐ振りをした。
「あぁ、ちょっと待って! 魔法省の批判なら、私がいないところでやってちょうだい。お父様とお兄様が働いているの。黙っていられないかも」
「あぁ、そうか。すまない……あ、決して批判しようとしていたわけでは……」
「いいのよ、私だって別に魔法省が大好きってわけじゃないもの」
当然、父と兄が大好き、というわけでもない。ただ、家族の職場の悪口を聞くのは、ちょっと居心地が悪いと思っただけだ。気を取り直すように、レギュラスはアリアドネに話題を振った。
「君はやっぱり、クィディッチ選手かい?」
「えへへ……そう言いたいけど、あたしになれるかなぁ」
「あなたになれなかったら誰にもなれないわ」
「友だちがクィディッチ選手なんて、誇らしいだろうな」
「気が早いってば! じゃあじゃあ、ヴィヴィアンはどうなの? 将来は何がしたい?」
聞いた本人に問いかけが戻ってきた。答えが見つからないから聞いたのだけれど……。今の自分の心の中に、はっきりと描かれているのは、ただこれだけだ。
「そうね、私は……あなたたちとずっと友だちでいられるのなら、何だっていいわ」
胸がムズムズするのを我慢して、ヴィヴィアンは言いきった。二人は目を丸くし、アリアドネはへへへと照れるように笑ったが、レギュラスは不満げに言い募る。
「それはずるいよ……! 最初に職業って聞いたのは君じゃないか」
「なーんだ、照れちゃってぇー」
アリアドネが肘でこつく。レギュラスは反論できずに唇をムスッと引き結んだ。彼の白い頬が少し赤らんでいた。
暖かな青空の下に、笑い声がこだまする。穏やかな風が吹き、校庭の芝生が初夏の日差しをきらきらと反射しながら揺れる。この時間が、終わらなければいいのに。将来なんて、うんと遠くて、ずっと先のことのように思えた。