第25話 9月 - 監督生
前よりも少し穏やかな気持ちで残りの休暇を過ごし、暑い夏を乗り越えて9月を迎えた。ヴィヴィアンたちは6年生。ホグワーツに居られるのも、あと2年だ。
休暇の終わる数週間前には、OWL試験の成績が届いた。どの教科も『可・A』以上の合格だったことに、ヴィヴィアンはひとまず安堵した。ぎりぎりの『可・A』だった『変身術』は、来年の授業は受けられないだろう。だが、杖を振らない教科は得意である。とくに『魔法生物飼育学』、多分まぐれで『占い学』、それから『魔法薬学』の三つでは最高評価である『優・O』を取れた。
キングス・クロス駅へ向かう際、ローブの内ポケットに試験の成績が書かれた羊皮紙を忍ばせてきたのは、ヴィヴィアンだけでなくレギュラスとアリアドネもだった。汽車の中で三人は羊皮紙を見せ合った。レギュラスは半分以上が『優・O』で、それを取れなかった『薬草学』、『占い学』、『変身術』でも『良・E』の成績を収めていた。
アリアドネは……わざわざ持ってきたくせに初めは見せるのを渋っていたが、二人で彼女を挟んで座り、両側から羊皮紙を覗き込んだ。その成績は驚くほど極端だった。
彼女の得意とする杖を振る教科、『変身術』と『呪文学』と『闇の魔術に対する防衛術』では『優・O』を取っていた。『変身術』では『優・O』を取れなかったレギュラスは悔しそうにしていた。一方で、『天文学』と『占い学』は『不可・P』で不合格。『魔法史』に至っては試験中に気絶でもしたのか『落第・D』だった。
だが、三人で一緒に勉強をした甲斐もあり、苦手としていた『魔法薬学』で『良・E』を取れていたから、レギュラスとヴィヴィアンは、よくやったと褒めた。
アリアドネの胸元には、休暇中に三人で見つけた、あのペンダントが掛けられていた。
「さっそくつけているのね。照れくさいわ」
「えへへ。あたし、アクセサリーを貰うことなんて滅多にないからさ。あ! あくまで預かってるだけだけどね!」
念を押して言い添えるも、嬉しさを隠しきれていない。彼女の元に届くクリスマスプレゼントも、たいていはお菓子だ。それが一番嬉しいと自他ともにわかっているからではあるが、食べものでなくても嬉しそうでなによりだ。
「落として割らないように気をつけるんだよ。中に何が入っているかわからないんだから」
言い聞かせるレギュラスに「はーい」と緩い返事をするも、自慢げなアリアドネである。一見すると普通のペンダントだが、『おそれずに飲むこと』と刻まれた文字と、薬瓶に似た褐色のペンダントトップからして、液体が入っているのだろうと結論づけたのだった。厄介なものを押し付けた形になってしまったが、あげたものを身につけてくれるのは、思い出を共有しているようでこちらも嬉しくなってくる。
「レギュラスから貰ったスニッチのネックレス……たまにはつけてみようかしら」
友だちになったばかりの頃、クリスマスに貰ったプレゼントだ。寮の自室に置きっぱなしにしておくのも忍びないから、毎度家に持ち帰り、今もトランクの中にしまってある。失くすのが怖くて、一度もつけられていない。
「覚えていたのか……つけているところを見たことがないから、すっかり忘れているのかと」
「忘れるわけがないわ。初めてあなたから貰ったプレゼントだもの」
忘れられないのは高価そうで萎縮したせいでもあるが、友だちからクリスマスプレゼントを貰うことはとても嬉しかった。だというのに、レギュラスはどこか気を落としたように、ぼそぼそとぼやいた。
「忘れてくれてよかったのに……むしろ僕のほうこそ忘れていたかった……」
「どうして? 嬉しかったのよ?」
「……去年あげたブックカバーはよく使ってくれているだろう?」
「ええ。使いやすくて重宝しているわ」
「そういうところだよ。あのネックレスは、その……若気の至りというか……」
「
「うるさいぞアリアドネ」
レギュラスはアリアドネを睨みつけてから、ヴィヴィアンに向き直る。
「でもまぁ……君が大切にしてくれていたのなら、良かったよ」
困ったようにレギュラスが笑う。今度絶対につけてやろう、とヴィヴィアンは心に誓うのだった。
*
ホグワーツに到着して、息つく暇もなく。ヴィヴィアンは寮監のフリットウィック先生に呼び出された。新学期そうそう何かをやらかしてしまったのかしら、と冷や汗ものだったが、用件を聞いて別の意味で驚いた。
「私が……監督生?」
「あぁ、頼めるかい? ウィングスくん」
監督生だった生徒が、急遽イギリスを離れることになり、ホグワーツを自主退学したらしい。今の魔法界の情勢を考えれば、国を出るのも珍しいことではない。
フリットウィック先生は懇願するようにヴィヴィアンを見上げた。ここで自分が断れば、また別の生徒に声をかけなければならないのだろう。監督生なんて面倒そうだけれど、新しいことから逃げてばかりじゃいけない。
「わかりました。お引き受けします」
そうしてヴィヴィアンは、監督生の『P』のバッジを貰った。遅れて大広間に入り、心配そうな顔をしていたアリアドネの隣に座って、バッジを見せると、みるみるうちに下手っぴな笑顔に変わった。
ローブにバッジをつけたら、さっそく最初の仕事があった。
「1年生! ついてきて。はぐれないように」
大広間での食事が終わったあと、1年生たちの前に立って先導する。急に決まった監督生としての初仕事。緊張するが、自分以上に緊張している1年生の手前、下手な動きは見せられない。
動く階段や絵画に夢中になっている初々しい生徒たち。中にはホグワーツで初めて魔法を見た者もいるだろう。何人かの生徒が、絵画の人物が動くことに驚いていたが、同級生たちからこういうものだと説明されて笑い合っていた。なんとも微笑ましい光景だった。
寮の入口に着く直前で、ゴーストのヘレナに出会した。新学期だからか少しご機嫌だ。ゴーストを初めて見る1年生たちが揃って息を呑んだ。そんな反応を気にすることなく、ヘレナはヴィヴィアンをからかうように話しかける。
「あら、たくさん引き連れて。ふふ」
「1年生よ。仲良くしてあげてね」
ヘレナを見上げながら言い、1年生たちのほうへ振り返る。
「みんな! 彼女は寮憑きのゴースト、ヘレナよ」
ヘレナはヴィヴィアンの脇をすり抜け、1年生たちの間をさっと往復した。背筋にゴースト特有の冷気が走る。生徒のひとりが尻もちをついた。
「ひっ! おばけ!?」
「怖がらないで。何もしないから大丈夫よ。ね、ヘレナ?」
「それは、あなたたち次第ね」
彼女は一通りからかって満足したのか、クスクスと笑って壁の向こうに消えた。周りの生徒たちが、大丈夫だよと言いながら、尻もちをついた男の子を助け起こした。
ヴィヴィアンは彼の前にしゃがんで、視線を合わせる。1年生の背の高さはこんなにも低い。
「あなた、魔法を見るのは初めて?」
努めて穏やかな口調になるように、小首を傾げて聞いた。男の子はこくんと頷く。ヴィヴィアンは微笑んだ。
「これからあなたは、このホグワーツで、知らないことにたくさん出会うでしょう。でも、どうか、知ることを拒まないで。怖く見えるものでも、知っていけばきっと怖くなくなるわ」
「……うん」
男の子は舌っ足らずな返事をした。ヴィヴィアンは立ち上がって、1年生たちの前で声を張り上げる。
「みんなも、お互いの知っていることを教え合うのよ。古き賢きレイブンクロー寮に選ばれたのだから!」
「はい!」と元気の良い返事が口々に返ってくる。慣れないことでも、案外、様になるものだ。なんだか先生になったみたいで照れくさかった。
早くも仲良くなり始めている1年生たちを見て思う。ヴィヴィアンの夢魔の血を怖がった同級生たちにも、こうして教えられていたら。理解してもらうことを諦めなかったら。仲違いすることもなかったのだろうか。
「……さぁ、みんないらっしゃい。寮への入り方を教えてあげる」
今更彼女たちと話す勇気はない。偉そうに語っておいて、と己を蔑む心の声を押し留める。ヴィヴィアンはせめて、この子たちの学生生活が楽しいものであるようにと願った。
*
監督生の普段の仕事は、困っている同僚生を助けること。校則違反者を見つけること。それから、消灯時間前の夜の見回り。毎日ではないけれど、いつもは消灯時間よりずっと早く寝るヴィヴィアンからすると、少し厄介な仕事だ。
ひと気の少ない夜の廊下を、欠伸をしながら歩く。さっさと済ませて早く寮に帰ろう。そう思ったときに限って、邪魔が入るのである。
大きな欠伸で息を吐き、反動で深く息を吸ったときだった。欠伸のあとの口を半開きにしたまま、ヴィヴィアンはぎゅっと眉をひそめた。
──甘い匂いがする。
過去にもこんなことがあった。もう慣れたものだ。ヴィヴィアンの鼻は愛の匂い……もとい、色恋の匂いを嗅いでしまう。ろくなことにならないとわかっていながら、ヴィヴィアンの足は自然と匂いをたどって歩いていた。だってしょうがない。見回りをしなくちゃならないのだもの……。
匂いはひとつの教室の中へと、ヴィヴィアンを導こうとしていた。扉が少し開いている。大きくため息をついて、そっと中を覗いた。
予想は裏切られることなく……男女が仲睦まじい様子で見つめ合っている。ヴィヴィアンの知っている生徒ではないようだが、片方はレイブンクロー生だ。ホグワーツに、男女交際を禁じる校則などはないから、普段であれば見なかったことにして立ち去るに限る。けれど、もうすぐ消灯時間だ。まだ外に出ている生徒たちに、寮へ戻るよう促すのが、今のヴィヴィアンの役目である。仲睦まじい恋人たちも例外ではない。どうしたものか──。
(……! 勘弁してよ……)
ヴィヴィアンは頭を抱えて目を逸らした。カップルがあろう事かキスをし始めたのである。悪いと思いつつ、顔を覆った手の隙間から、ちらりと覗き見る。情熱的なキスだ。ヴィヴィアンは無意識に唇をぎゅっと結んだ。見ているこっちの顔が熱くなってくる。なかなか離れようとしないが、これ以上は困る。いつまでも待っているわけにはいかない。
そう考えていた矢先──、
「どうしたんだい?」
危うく悲鳴が出るところだった。部屋とは反対の背中のほうから、聞き慣れた声がした。ヴィヴィアンはすぐに振り向いた。
「レギュラス……!」
「この中になにか──んむ」
「しっ!」
レギュラスの口をとっさに手で塞ぐ。彼はムームー言いながら、視線は部屋の中を覗こうとするので、ヴィヴィアンはもう片方の手で彼の目も塞いだ。しかし、口のほうの手を外されてしまった。
「何するんだ」
「きゃっ近い!」
目を塞いでいるせいで距離をつかめないからか、ぐいっと顔を近づけられ、今度こそ声を上げてしまった。途端に、部屋の中から物音がした。気づかれた! しかし、女の子の高い声で、「大変」「時間」という単語が、途切れ途切れに聞こえてきた。どうやら消灯時間が迫っていることにも気づいてくれたらしい。
ヴィヴィアンはレギュラスの手を引いて、急いで柱の影に隠れた。すぐに男女が部屋から出てきて、足早に廊下の向こうへと消えていった。ヴィヴィアンたちがいることには、気づかれなかったようだ。ほっと息をついた。
「何があったんだ?」
「……あなたにはまだ早いわ」
訝しげにレギュラスが問いかけてきたが、説明するのは諦めた。子ども扱いを嫌う彼は拗ねるかと思ったが、ふむ、と相槌を打っただけで、意外にも言い返してはこなかった。
「寮まで送ろうか?」
「その必要はないわ。監督生の見回り中なの。あなたも早く帰らないと減点するわよ」
「そうかい。気をつけてね」
それで別れるのかと思いきや、レギュラスはおもむろにヴィヴィアンの片手を取った。口や目を塞いだ仕返しでもされるのかと、身構えたのだが……。
「おやすみ。いい夢を」
彼は貴族がするみたいに指の甲にキスを落とした。ヴィヴィアンが驚きに目を見開くと、澄ました顔に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「……! もう! そういうことするから、まだ早いって言ったんじゃない!」
負けず嫌いで、やられっぱなしじゃいられない性分。どんなに大人びた行動をしたって、彼の子どもっぽい部分は、そう簡単には治らない。ヴィヴィアンもまたムキになって言い募ったが、レギュラスは余裕そうに後ろ手を振って去っていった。
すっかり眠気が覚めたヴィヴィアンは、ねずみ一匹も見逃してなるものか、と見回りに専念するのだった。
***
──その夜、私は夢を見た。
私は教室にいる。だけど、席じゃなくてみんなの前に立っている。黒板の前で、これは……先生になっている。生徒たちが興味津々でこちらを見ている。しっかりしなくちゃ。さぁ、今日の授業は! 明るい声で言って、黒板を指さす。
黒板には夢魔の絵が描かれている。コウモリのような翼と、山羊のような角、悪魔のような尻尾を持つ、ヒトに似た姿の動物。生徒のうちの誰かが言った。
そんな絵なんてなくても、先生を見ればわかるよ!
え? 私は自分を見る。視界の端で翼が揺れる。頭を触ると角がある。おしりを触ると尻尾がある。黒板に描かれた絵と同じだ。
あら? 気がつかなかったわ! おどけて言うと、教室に笑い声が広がった。私の姿を怖がる人など誰もいなかった。
あぁ、ありえない夢……。