新学期が始まって一ヶ月が過ぎた頃。秋の穏やかな日差しが降り注ぐ日曜日。寮の自室の窓から外を覗くと、雲ひとつない青空が広がっていた。うんと遠くの山々まで見渡せる。ヴィヴィアンは両腕を上げて、うーんと伸びをした。
特別な予定は何もない。いつものホグワーツで過ごす平凡な一日。だけれど、今日はよく晴れた休みの日だから、普段とは少し違うことをしてみたくなった。
ヴィヴィアンはベッドサイドの引き出しを開けた。一番上に置いてある小さな箱を取り出す。蓋を開けると、指先サイズの小さな小さなスニッチが、丸くなって眠っている。レギュラスから貰ったスニッチのネックレス。今日はこれをつけてみよう。
チェーンを持ち上げて箱から取り出すと、スニッチが伸びをするように羽を広げた。目の前に掲げて眺めてみると、こちらに向かって羽ばたき、近づいてこようとする。しかし本物のスニッチほど羽ばたく力がないのか、途中で諦めてチェーンとともに垂れ下がった。
首の後ろにチェーンを回し、金具を留めると、スニッチは少し大人しくなった。これでよし。ヴィヴィアンは隣のベッドに声をかけた。
「アリアドネ、準備はできたかしら?」
「ちょっとまってー」
彼女のほうを見やると、ベッドに腰かけながら、首の後ろに手をやって何やらゴソゴソしていた。胸元にはヴィヴィアンのあげた……預けた、ペンダントが揺れている。よほど気に入ったのか、見せびらかすように毎日つけている。それはいいのだが……
「またやってる……いい加減諦めたら?」
「あともうちょっとなんだよー!」
彼女の手がゴソゴソしているのは、ペンダントのチェーンを留めるためだ。アリアドネはチェーンを留めるのが大の苦手だった。難しいなぞなぞを解いているかのように、やたらと真剣な顔をして、見えないところで格闘している。それが毎朝。彼女がひとりで、もがいているのを見兼ねて、ヴィヴィアンが毎朝手を貸していた。
休暇明けのホグワーツ特急でペンダントをきちんとつけられていたのは、家を出る前に家族につけてもらったかららしい。アリアドネは手先よりも魔法のほうが器用だ。魔法で留めるにしても、手元が見えないため今回ばかりは難しい。
「意地を張らなくてもいいじゃない。何度だって私がつけてあげるわよ」
「それじゃだめだよ! あたしだって、もう子どもじゃないんだから、このくらい自分でできるようにならなくちゃ!」
今日はいつにも増して頑なだ。朝食前で何度もお腹が鳴っているのに、休日だから急ぐ必要もない、と譲らない。自分でチェーンをつけられるからって大人だとは思わないけれど。自分でつけたスニッチのネックレスを触りながら、ヴィヴィアンは思いついた。
「じゃあ、少し貸して。あ……いいえ、返して」
「ん……いいけど……」
このペンダントは一応、ヴィヴィアンがアリアドネに預けている、という
ヴィヴィアンはペンダントを受け取り、隠すように自分のベッドのほうへと持っていった。背を向けた後ろから、アリアドネの不思議そうな声が聞こえてくる。
「なにするの?」
「できてからのお楽しみ。任せて、このくらいなら私でも……!」
ベッドの上にペンダントを置き、チェーンを丁寧に広げて、ヴィヴィアンはおもむろに杖を取り出した。杖先をまっすぐ向けて、やりたいことを頭の中でしっかりとイメージする。
大きくする? いや、違う。伸ばす? 少し違う。うーん、と考えて。そうだ、ここは『増やす』だ!
ヴィヴィアンはペンダントのチェーンを見つめながら、黙って杖を振った。無言呪文だ。6年生になって初めて習ったことだけれど、ヴィヴィアンは未だに成功したことがなかった。大事なのは集中力と意思力だ。ドキドキしながら、杖腕に意識を集中させる。
すると、狙い通り
「できたわよ! ほら見て!」
「何が変わったの?」
チェーンを持ってペンダントをぶら下げて見せる。一見すると何も変わらない、今まで通りのペンダントだ。ヴィヴィアンはクスクスと笑みを浮かべながら、アリアドネの目の前に立った。無言呪文に成功した喜びで、気分が上がったヴィヴィアンの心に、ついで湧き出すのは悪戯心であった。
「ふふ、動かないでね」
そう言ってヴィヴィアンは、チェーンの端を留めたままのペンダントを、えいっ! とアリアドネの頭の上にかぶせた。
「ぎゃー! 何するのー!? って、あ、あれ?」
チェーンは頭に引っかかることなく、ストンと肩で止まった。ペンダントが難なく首にかかったことに、彼女は驚いている。ヴィヴィアンは得意げに種明かしをした。
「チェーンの輪っかを増やして、長さを伸ばしたの。これなら留め具を外さなくても、直接首からかけられるでしょう?」
「ほんとだ! あったまいい〜! しかもさっき、無言呪文だったよね?」
「そうよ。初めて成功したの!」
「わーい! おめでとうー! ひとつ成長したね!」
アリアドネは自分のことのように嬉しそうに、下手っぴな笑顔を輝かせた。ヴィヴィアンは、たちまち照れくさくなった。
「成長だなんて大袈裟よ」
「そんなことない! 大きな一歩だよ! 大人への階段で言うと、10段目くらいかなぁ?」
「それって全部で何段あるの?」
「んー? わかんない! あ、でも! あたしが先に無言呪文使えるようになったんだから、あたしのほうが1段上だよ!」
「張り合わなくていいわよ……」
ヴィヴィアンは苦笑いしながら、“大人への階段”というものを想像してみた。終わりの見えない階段だ。1段上にアリアドネがいる。レギュラスはさらに数段上だろうか。
この階段を上がっていかなければ、大人にはなれない。けれど、一体どこまで上れば、大人になったと言えるのだろう。
(大人になるって、なにかしら……)
胸元の小さなスニッチがパタパタと羽を揺らす。アクセサリーをつけるのも大人への一歩なのだろうか。やっぱりちょっと気恥ずかしくて、スニッチをシャツの下へ隠した。
*
大広間へ行くと、既に生徒の数はまばらだった。ペンダントのあれこれで遅くなってしまったからである。
「レギュラスはもう行ってしまったようね」
今日の午前中いっぱいは、スリザリン寮がクィディッチの練習をする手筈になっているらしい。だとすると、朝の早い時間から競技場へ向かったはずだ。ヴィヴィアンはスコーンをかじりながら、スリザリン寮のテーブルのほうを眺め、黒髪を目印にざっと探してみた。セブルス・スネイプ(彼も黒髪だ)が難しい顔をして本を読みながら、ちまちまとスープを飲んでいるのが目に入っただけで、案の定レギュラスの姿は見当たらなかった。
そうしてヴィヴィアンがよそ見をしている間に、アリアドネは分厚いトーストを一枚食べ終わっていた。
「レギュラスがどんな反応するのか、見たかったなー」
何のことかしら。と、つかの間ポカンとしていたヴィヴィアンに対して、アリアドネが「それだよ」と、顎でしゃくってみせた。彼女の視線はヴィヴィアンの襟元に向けられている。見下ろしてみると、スニッチがシャツの襟から顔をのぞかせていた。羽ばたいて出てきてしまったようだ。ヴィヴィアンはまたシャツの下にスニッチを押し込み、落ち着かせるように上からトントンと叩いた。
「隠れていなさい。シーカーに捕まっちゃうわよ」
言い聞かせてみると、まるで言葉が通じているかのように、小さなスニッチは大人しくなった。ヴィヴィアンは自分のしたことが何だか可笑しく思えて、アリアドネと一緒にクスクス笑った。
朝食が終わったら、何をしようかしら。話し合わなくても、二人の足は同じほうを向いた。こんな天気の良い日は、クィディッチ日和だ。ヴィヴィアンとアリアドネは競技場へ行こうと決めた。レギュラスには内緒で、敵情視察をしに行くのである。
「次の試合はどこの寮なの?」
「うーんと、グリフィンドール対スリザリンだね。あたしの試合はまだ先だー」
「じゃあ、あなたも次の試合はレギュラスを応援するの?」
「そうだなぁ……今年の初戦だし、レギュラスにお願いされたら、してやってもいいかな! ふふん!」
ご機嫌そうにスキップをして、アリアドネは隣を歩くヴィヴィアンを追い越した。彼女の胸の前でペンダントがぽんぽんと跳ねていた。
「チェーンが長くなったんだから、落として割らないように気をつけるのよ。中に何が入っているかわからないんだから」
「んん……? レギュラスとおんなじこと言ってる! 仲良しだねぇ〜」
アリアドネが振り返り、ニヤニヤと目を細める。
「もう、何よその顔……」
ヴィヴィアンも小走りになって、アリアドネを追いかけた。
競技場ではスリザリン生同士が試合形式で練習をしている真っ最中だった。練習中の選手たち──主にレギュラス──の気が散らないように、と二人はコソコソと観客席までやってきた。適当なところで足を止めて、座席に腰を下ろす。だが、
「おわ! もうバレちゃった」
息つく暇もないまま、アリアドネが驚きの声を上げた。彼女の視線の先を見てみると、箒に乗ったレギュラスが文字通り飛んできた。シーカーは単独で行動するポジションだから、少しくらい練習を中断しても大丈夫なのだと思いたい。
ヴィヴィアンは立ち上がって、観客席の柵の前まで近寄った。アリアドネもぴょこんと隣に立つ。レギュラスがゆっくりと箒を操って、話しやすい位置まで下がってくる。
「君たち、見に来ていたのか……それ、つけてきたんだね」
レギュラスはヴィヴィアンの襟元を控えめに指さした。
「え? あぁ、また……。シャツの中にしまったのに、出てきちゃうのよ。この子、ときどき羽ばたいてるから」
知らないうちにまたもや脱出していたスニッチを、もう一度シャツの中に押し込もうとして、ヴィヴィアンはふと手を止めた。その隙にスニッチが、嫌がるように指の間から抜け出すと、金色の胴体がキラキラと光を反射した。なぜレギュラスがすぐこちらに気づいて、真っ先に飛んできたのか。その謎が解けた気がした。
「……ごめんなさい、紛らわしかったんじゃない?」
半ば確信しながらヴィヴィアンが問うと、レギュラスはバツが悪そうに頭をかいた。取り繕おうとしているのか、少し目を泳がせてから、しかし諦めたように肩をすくめた。
「まぁ、ね……だが、よくあることさ。腕時計とかメガネとか。光を反射するものは、つい見間違えてしまう」
「シーカーにはシーカーの苦労があるんだねぇ」
チェイサーをやっているアリアドネが、腕を組みながらしみじみと頷いた。晴れた日の競技場では、スニッチは一際まぶしく輝く。襟元の小さなスニッチも、輝きは本物に劣らない。
「でもやっぱり、陽の光を浴びていると、スニッチって綺麗ね」
襟元を見下ろしながらヴィヴィアンは呟いた。とはいえ、シーカーは競技としてスニッチを追わなければならない。彼らのすばしっこさには散々振り回されているだろうから、綺麗だなんて今さら考えないのだろうか。
疑問に思いながら、ヴィヴィアンはレギュラスを見上げた。彼は、まぶしさに目を細めるように、柔らかく微笑んだ。
「あぁ……綺麗だ」
こちらを見つめながら、ため息混じりに呟く。襟元のスニッチを見ているはずなのに、目が合っているように感じてしまって、なんだか照れくさかった。ヴィヴィアンがたまらず目を伏せたところで、アリアドネがわざとらしく咳払いをする。
「コホン。レギュラスくん、そろそろ練習に戻ったほうが、いいのではないかね?」
レギュラスはハッとしたように顔を上げて、箒を方向転換させた。ヴィヴィアンは彼が行ってしまう前に、と柵から少し身を乗り出した。
「安心して。本番の試合のときには、つけてこないようにするから」
「悪いが、そうしてくれると助かるよ」
「色んな意味でねー」
「何だい、アリアドネ?」
「なんでもないよー。さ、集中集中!」
敵チームなのにも関わらず、アリアドネは指揮を高めるように手を叩いて、レギュラスが練習へ戻るのを促した。
それからヴィヴィアンは、ネックレスのスニッチが出てこないように、ずっと襟元を押えていた。しかし、それでもレギュラスは何度もちらちらと、こちらに気を取られているようだった。
やっぱり邪魔をしてしまったかしら……。レギュラスの練習が終わったあと、三人で城へ戻る途中に、本人に尋ねてみた。しかし彼は、何のことを言われているのか本気でわからない、というふうにキョトンと首を傾げるのみだった。それを見ていたアリアドネは、どこか達観したように無言で肩を叩くと、レギュラスに何やら耳打ちをした。
アリアドネに何かを言われて、レギュラスは驚いたような顔をした。それから珍しく顔を赤くするほど怒っているようだった。言い返そうと口をパクパクさせていたが、言葉が出ないまま二人を置いてさっさと城のほうへ歩いていってしまった。
クィディッチをやる者にしかわからない苦労があるのだろう。ヴィヴィアンは仕方なく、そう結論づけるほかなかった。