今年のクィディッチの初戦はグリフィンドール対スリザリンだった。試合開始の合図。レギュラスは箒にまたがり、地面を蹴って空に浮かんだ。選手たちが一斉に飛び回り始める。そんな中でシーカーは別の動きをする。
雲は出ているが晴れてよかった。スニッチを探しつつレギュラスは観客席を見た。レイブンクロー寮の友人たちにとっては他寮同士の試合だ。心置きなく自分を応援してくれるだろう。
グリフィンドールとスリザリン、それぞれに向けられた声援が、ごちゃ混ぜになって競技場と鼓膜を揺らす。レギュラスの視界の外から、一際耳に障る大きな声がした。
「いけー! プロングズ! そんな奴たたき落としちまえ!」
「……あの人はクィディッチのルールを知らないんですか」
レギュラスは隣にいる人物に向かって言った。相手チームのシーカー、ジェームズ・ポッターだ。
「彼なりの激励なんだよ。僕と君へのね」
「どうだか……何と言われようと、僕は勝ちにいきますよ」
「悪いけど、僕も負けるわけにはいかないんだ。今年は彼らだけじゃなくて、可愛い恋人も応援してくれているからね」
彼は照れくさそうにグリフィンドールの観客席のほうを見た。レギュラスも釣られて目を向ける。あの中に彼の恋人がいるのだろうか。そんなどうでもいいことを考えさせられて、当たり前のようにムカついた。だからといって自分が手加減などするわけがない。
こちらにだって応援してくれている人はいるのだ。レギュラスはレイブンクロー寮のほうへ目を滑らせた。目当ての人物はすぐに見つかる。陽の光をキラキラと反射する銀色の髪。ヴィヴィアンの髪は、スニッチとはまた違った輝き方をする。スニッチのが一等まぶしい星だとすると、彼女のは色とりどりの銀河だろうか。ときどき虹色に輝いているような気さえする。本人に自覚はないのだろうが、とにかく、目に入りやすいのだ。
隣にいた栗色の髪の女の子──アリアドネが、ヴィヴィアンの肩を組んだ。こちらに向かって何かを訴えかけるように、拳を突き上げている。レギュラスはふと、彼女に言われたことを思い出した。
『きみ、ずっとヴィヴィアンのこと見てたでしょ。本番では気をつけなよー?』
本人のいる前で、アリアドネに耳打ちされたことだ。無意識だったので指摘されて驚いた。けれども、視界の端にキラキラと輝くものがあれば、目が吸い込まれるのも仕方がない。それがシーカーの定めだ。シーカーをやらない彼女に、この気持ちはわかるまい。とはいえ、スニッチ以外のものに気を取られていたことに変わりはないから、あのとき言い返すことができなかった。そう、今もだ。おっと、いけない。集中しなければ。
ふっと息を吐いて、頭を切り替える。目を凝らしてスニッチを探す。僕は浮かれたくしゃくしゃ頭とは違う。……箒に乗っているのだから、浮くのは当たり前だが。
そんなレギュラスの気も知らず、くしゃくしゃ頭のポッターは恋人の話を続けたいようだった。
「なぁ弟くん、聞いてくれよ……彼女、本当に可愛いんだ。やっと僕に振り向いてくれて──」
惚気け始めるポッターを無視し、レギュラスは彼から離れて飛んだ。
スニッチが見つからないまま試合は続く。得点が入る度に歓声が上がる。その輪の外でシーカーの二人はゆっくりと旋回する。
ときおり目に入る銀色の髪。空の色を映したような彼女の瞳は、ずっとレギュラスのことを追っている。元からクィディッチに明るくなかったのに加え、去年までのあれこれもあり、友人の動きばかり気になってしまうのだろう。まだスニッチを見つけていないシーカーなんて、特に見どころもないと思うが、試しに宙返りでもやってみようか。余計に心配させるだけだろうか。
そんなことを考えていたときだった。レギュラスと同じように空中で漂っていたポッターが、急に一方向へとまっすぐ箒を駆った。スニッチを見つけたようだ。彼の視線の先に、逃げるように飛ぶ光を見つけ、レギュラスもまた追いかけた。
観客席からのざわめきが聞こえてくる。シーカーの動きに気づいたのだろう。だが、それに耳を傾けている暇は既にない。浮かれたくしゃくしゃ頭でも、ジェームズ・ポッターは実力のあるシーカーだ。気を抜けばレギュラスが追いつく暇もなく、スニッチを取られかねない。
追いかけ回された挙句、スニッチは地面から2メートルほどのすれすれを飛ぶ。シーカー二人は揃って急降下する。少しでもバランスを崩せば地面に突っ込むことになる。箒を水平に戻す際、ポッターが少しだけ減速した。方向転換は身体が軽いほうが有利だ。レギュラスは減速せずに、地面に衝突する直前で箒の柄を持ち上げた。完璧だ。これで追いつける。
レギュラスがポッターの横にぴたりと並ぶ。このまま追いかければスニッチに届くだろう。しかし、シーカーがお互いの邪魔をし合うことになる。ポッターの様子をちらりと窺うと、彼もまたこちらを振り向いた。腹の中を探り合うように二人で顔を見合せる。すると、ポッターはニヤリと笑い、おもむろに、箒の柄を掴んでいた両手を離した。そして、代わりに足を乗せて、あろうことか箒の上で立ち上がった。
ぎょっとしたレギュラスをよそに、ポッターはスニッチに腕を伸ばす。立ち上がった分、リーチが長くなり、今にも届きそうだ。躊躇っている暇はない。レギュラスはゴクリと唾を飲み、覚悟を決めて、彼と同じように箒に足をかけ、立ち上がった。
思い切って手を伸ばす。ポッターのほうが背が高いから有利だ。もっと前へ! そう念じながら足を前に踏み出したとき、箒の重心がぐらりと傾いた。まずい! そう思った途端、レギュラスはポッターともつれ合うようにして、箒から落ちた。二人揃って地面の上に投げ出される。幸い、低い位置を飛んでいたから強い痛みはなかった。でも……彼女は心配するだろうな。またクィディッチ恐怖症にならなければいいが……。
そんなことが真っ先に頭に浮かんでいたとき、隣で寝転がったままのポッターが、空に向かって腕を掲げた。彼の手の中には金色のスニッチが輝いていた。
*
グリフィンドールの勝利を告げる声が聞こえる。レギュラスはゆっくりと上体を起こし、地面に座って投げやりに胡座をかいた。
何人かの生徒がグラウンドに降り、駆けつけてくるのが見える。グリフィンドールの女子生徒が真っ先にポッターに駆け寄った。彼女のことは知っている。スラグ・クラブのメンバーであるリリー・エバンズだ。
「大丈夫!? 怪我は?」
「大丈夫だよ。かすり傷程度だ」
彼女の腕に助けられながらポッターは上体を起こす。エバンズはレギュラスにも目を向けた。
「あなたは?」
「……大丈夫です。受け身は取れたので」
「それなら良かったわ」
短いやり取りのあと、すぐにヴィヴィアンとアリアドネがやって来るのが見えた。ついで、ポッターの周りに集まってきたグリフィンドール生たちの中に、会いたくない顔がいるのも見えた。レギュラスは目をそらしたが、その声は嫌でも耳に入ってくる。
「やったなプロングズ! あんなプレー見たことないぞ!」
そう言ってポッターの肩を叩く。その声の主がレギュラスのほうを向く前に、ちょうど良くヴィヴィアンとアリアドネが目の前にしゃがんで視界を遮った。
「すごかったよレギュラス! ナイスファイトだ!」
「怪我はない?」
アリアドネは同じくクィディッチプレイヤーとして、レギュラスの挑戦を褒めている。対してヴィヴィアンは心配そうだ。二人の正反対の反応に小さく笑った。
「大丈夫だよ。ありがとう」
二人の後ろから、エバンズとポッターの声が聞こえた。ヴィヴィアンがその声に振り向く。
「ほら掴まって、ジェームズ」
「大丈夫だって言ってるのに……」
「いいから!」
くっついて競技場をあとにするポッターとエバンズ。それを見送ってから、ヴィヴィアンがレギュラスのほうへ向き直った。
「肩を貸したほうがいいかしら?」
「……いや。僕はひとりで歩ける」
何かを見せつけられて、若干の苛立ちを感じつつ、自力で立ち上がる。おまけにスニッチも取られていることを思い出し、更にイライラが増す。しかし、
「箒から落ちたんだから、医務室へは行くわよね?」
青い瞳に覗き込まれ、当たり前のようにそう言われれば、頷くしかなかった。
*
医務室へ行くとポッターとエバンズがいた。ポッターは本当にかすり傷を受けていたようで、足や腕に手当をされた跡があった。それを見ると少しだけ申し訳なくなった。
「すみません。僕がバランスを崩したから……」
頭を下げる……とまではいかないが、心持ち目を伏せると、ポッターは視線を遮るようにひらひらと手を振った。
「謝ることはないよ。まさか、君も乗ってくるとは思わなかったが、おかげで楽しい試合ができたよ! ありがとう!」
悪意の感じられない爽やかな言葉をかけられ、レギュラスは意外に思いながら目線を上げた。彼も“同類”なのだから、どうせ嫌味なことを言われるのだろう、と身構えていたためだ。拍子抜け。いや、しかし、シーカーの腕は確かだし、案外話のわかる奴なのか? そう彼のことを見直しかけたレギュラスの思考を、ポッターは自ら声高に遮った。
「でも、今回は僕たちの愛の勝利だね!」
「何を言ってるのよ、もう」
エバンズがすかさずポッターを肘でこつく。これは……嫌味を言われるよりも反応に困る。むしろこれが嫌味なのだろうか。レギュラスは困惑しながらも、ひとつだけ確信した。ポッターは浮ついたくしゃくしゃ頭だ、という認識が間違っていなかったということを。
「熱々だぁ……」
「
付き添ってくれていたヴィヴィアンとアリアドネが、レギュラスの後ろでこっそりと呟く。特にヴィヴィアンは、言葉通り甘い匂いを感じているのだろう。だが、呆れたように笑っているのを見る限り、不快な匂いではなさそうだ。
で、何をしに来たんだったかな? そう思い始めていたとき、校医のマダム・ポンフリーがせかせかと近づいてきた。
「ほら、そんなところで固まっていないで。治療が済んだのならお帰りなさい。さぁ、あなたはどこを怪我したの?」
矢継ぎ早に言うので、グリフィンドールの二人はピッタリとくっつきながら、そそくさと医務室から出ていった。マダムはまるで書類に目を通すかのように、レギュラスの身体を上から下まで軽く一瞥した。
「いや、僕は……」
「彼、箒から落ちたんです。本人は怪我はないって言うんですが」
ヴィヴィアンが割って入ったのを、マダムは聞き届けた。
「そう。なら診ておきましょうか。ユニフォームを脱いで」
大袈裟だとは思いつつ、ヴィヴィアンが安心できるのなら、わざわざ断る理由もない。彼女の心配そうな視線を受けながら、レギュラスはローブに手をかけ……ふと躊躇った。何か言ったほうがいいか? と、ほんの一瞬頭をよぎったが、ちょうどアリアドネが図ったように提案した。
「あー……あたしたちは外で待っておくよ」
そうして、まだピンと来ていない様子のヴィヴィアンの腕を引きながら、医務室の外へと出ていった。レギュラスは思わずほっと息を吐き、さっさとユニフォームを脱ぎ始めた。
アリアドネの察しの良さには感心する。無意識に『開心術』を使っているのではないかと、最近になってレギュラスは、本気でそう推測している。お菓子をよく食べるのも、無意識に消費した栄養を補っているからだとすると、説得力が増す。
(僕も鍛錬しないと……)
アリアドネに心を見透かされているということは、自分の『閉心術』が未熟であるという証だ。友だちの前で『閉心術』を使うのは、あまり気が進まないが、普段から意識をしていなければ身にはつかない。『閉心術』の才だけが魔法の才というわけではないけれど、力のある魔法使いと相見えれば、真っ先にこちらの技量を見抜かれてしまう部分でもある。第一印象は大事だ。いつか、お目にかかるときに、恥をかかないようにしなければ──。
そうこう考えているうちに診療が終わった。案の定、大した怪我はなく、肘と肩にできていたらしい擦り傷の手当だけをしてもらった。
ちょうど服を着終わったとき、医務室に誰かが入ってきた。友人二人ではない。他の生徒でもない。マダム・ポンフリーがその人物に向けて軽く頭を下げる。入ってきたのは校長のダンブルドアだった。
「試合は見ておったぞ。怪我の具合はどうじゃ?」
ダンブルドアは当たり前のように、レギュラスに話しかけた。何をしに来たんだろう。少し戸惑いながら、レギュラスは答える。
「……大したことはありません。失礼します」
腰掛けていたベッドから降り、申し訳程度の小さな会釈をして、ダンブルドアとすれ違う。だが、
「あぁ、待ってくれんかの。ひとつ、聞きたいことがあるのじゃが、良いかな?」
呼び止められ、仕方なく立ち止まる。レギュラスの返事を聞く前に、ダンブルドアは威厳に満ちた声で淀みなく話し始める。
「ここ最近、図書室の禁書棚へ、頻繁に出入りしておる生徒がおるようなのじゃが、レギュラス・ブラック……君は何か、心当たりはないかの?」
彼の声が止まると、耳がキンとするほど医務室が静まり返った。レギュラスは深呼吸をして振り返る。不思議そうに小首を傾げてダンブルドアの顔を見つめ返す。
「……ありません。どうして僕に聞くんです?」
「いや、皆に聞いておる事じゃ。心当たりがないというのなら良い。引き止めて悪かったのう」
ダンブルドアは、もう行っていいと言うように、扉のほうを手で示す。しかし彼の目は、心の中を見透かそうとしているかのように、レギュラスの姿を捉え続けている。視線を振り切るように、レギュラスはダンブルドアに背を向け、何食わぬ顔で医務室を出た。