湖の乙女と夢魔の祝福   作:タキヤコ

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第3話 11月 - クィディッチ初戦

 

 その日は朝から騒がしかった。新学期が始まって最初のクィディッチの試合が行われるからだ。朝食を食べに大広間へ行くと、今日の試合をするスリザリン寮とグリフィンドール寮だけでなく、レイブンクロー寮やハッフルパフ寮の生徒たちも浮ついている様子だった。

 

 彼らを横目にヴィヴィアンはひっそりと朝食を終え、何食わぬ顔で寮へと戻った。みんな残らず試合を見に行くらしく、談話室はもぬけの殻だった。今日は誰の目も気にせず過ごすことができる。ヴィヴィアンには好都合だ。

 

 読みかけの本を手に取り、一番人気のふかふかのソファにどっしりと腰を下ろした。誰もいない静かな談話室。本のページをめくる音だけが広い部屋に響いていたが、しばらくして、耳を澄ますと、外に面した窓から微かにさざ波のような音が聞こえてきた。競技場からの歓声だ。試合が始まったらしい。

 

 ヴィヴィアンは本から顔を上げた。窓を見つめてじっと考え、腰を上げた。その窓の一番そばにあるソファへと座り直した。

 

 窓からは空と山しか見えない。素晴らしい景色だが、今は少しヴィヴィアンをがっかりさせた。

 

 今日は快晴。この空の下で選手たちは、勝利を目指して必死に飛び回っているのだろうか。その中でひとりだけ、スリザリンの新人シーカーだけは皆と全く違う理由で──全くおかしな理由で──スニッチを追いかけているのだろうか。想像して、笑い出しそうになった。おかしなひと。どれだけ頑張ったって、友だちになれるかどうかなんてわからないのに。スニッチを取るだけで友だちになれるのなら、今頃、ヴィヴィアンには友だちが100人できている。

 

「その前に、箒で飛ぶのを練習しなきゃ」

 

 誰もいない談話室で独りごちて、おかしさに耐えきれずにクスクスと笑った。外からの歓声に耳を傾ける。くだらない。皆が夢中になっているスポーツも、彼との約束も。

 

 そう思いながら、本をめくる手が止まっていることに、ヴィヴィアンは気づかなかった。

 

 やがて、空が橙色に染まり始めた頃、一際大きな歓声が上がり、それからすっかり静かになった。試合が終わったのだろう。ヴィヴィアンは談話室を出た。もうすぐ寮生たちが興奮とともに帰ってくるはずだ。そんな中に巻き込まれるのはごめんなので、場所を変えることにした。図書室。そこがいい。こんな日は特に人気がないだろう。キッチンへ行くのはやめた。きっと彼は引っ張りだこで今日は来られないだろうから。

 

 

 

 ホグワーツの図書室には、魔法使いや魔女の書いた本だけでなく、マグルの手によって書かれた本もいくつか所蔵されている。主にマグル学の参考書とするためだ。彼らの書く本、とりわけ小説の中には、魔法生物の登場がしばしば確認されている。

 

 運良く、もしくは運悪く、こちらの世界の生き物を垣間見ることのできたマグルによって、その姿が伝えられたのだろう。しかし現代においては、あくまで空想上の生き物として、魔法生物のことを認識しているそうだ。

 

 ヴィヴィアンも、何冊か読んでみたことがある。マグルの本なんて、ホグワーツでしか読めない本だ。怖いもの見たさに開いた本の中では、彼らのお気に入りだという一角獣や妖精が、魔法界で語られるよりもずっと美しく描写されていた。

 

 記憶を辿り、ヴィヴィアンは本棚の間を何気なく探す。初めて読んだマグルの本。そうそう、これだ。背表紙を見つけて、誰に教えるでもなく指をさす。これは当たりだった。けれど、続けて読んだ本は、決してヴィヴィアンを楽しませるものばかりではなかった。

 

 

 

 夢魔の存在も、マグルは知っているらしい。ヴィヴィアンは大いに驚いた。夢の中に住むとされている夢魔は、魔法界においてさえ、現代ではもう長い間、目撃されていない。

 

 昔は他の魔法生物と同じように、夢ではなく現実で姿を見られたという。その時代に記された夢魔に関する資料が、魔法界にはきちんと残っている。マグルたちの間でも、連綿と語り継がれてきたのだろう。魔法使いだけでなく、マグルもまた夢魔の獲物となり得るのだから、知られていてもおかしくはない。

 

 ただ残念なことに、彼らの伝聞が滑稽なほど不正確であるというのは、魔法生物飼育学の教科書にも書いてあることだ。本の中で語られる夢魔はどれも、淫らで、卑しい、欲にまみれた化け物だった。全てマグルが勝手に考えた妄想……とも言いきれないのが、ヴィヴィアンを悩ませるところである。

 

 人間と近しい形をしているならば、人間と同じ感情を持っているだろう。と、たいていのマグルは考えてしまうらしい。純粋なのか浅慮なのか。その考えが、夢魔の血を怖がられた理由の一端を担っているのは確かだ。

 夢魔が人を誘惑するのは、堕落させるためだとか、快楽を満たすためだとか。馬鹿馬鹿しい。夢魔の目的なんてただひとつ。生きるためだ。彼らはそのための手段にも、その結果として人を殺すことにも、何の感情も持たない。──ただ一匹の夢魔、ヴィヴィアンの先祖を除いて。

 

 ウィングス家では、夢魔は偉大な先祖。守り神のようなものだ。父はその血を引くことを誇りとしていた。そして子どもたちにも、そうであれと教えた。怖がられるなんて知らなかった。ホグワーツを卒業した兄たちからは何も聞かされなかった。

 

 それはヴィヴィアンが──ウィングス家の中で初めて、レイブンクロー寮に組み分けされた魔女だからかもしれない。

 

(レギュラスは、怖がらなかった……)

 

 純血のスリザリン生だから? ヴィヴィアンが夢魔の話を聞かせた女の子たちは、()()()()()マグル出身や半純血の者だった。彼女たちの感じた恐怖が、まるでヴィヴィアン自身が夢魔であるかのような噂にまで発展した。それこそマグルの不正確な伝聞のように。

 

 あるいは、レギュラスが特別みんなと違う男の子なのだろうか。純血の名家の生まれであるにも関わらず、屋敷しもべ妖精に対して敬意をもって接する、少し変わった魔法使いだ。ヴィヴィアンも人のことを言えないが。

 

(勝ったのかしら……)

 

 本棚の間にぽつんと立つヴィヴィアンの頭の中に、勝利に湧くクィディッチ競技場の光景が思い浮かんだ。もし勝ったのなら、あのクールぶった男の子はどんな風に喜ぶのだろう。熱狂する生徒たちにもみくちゃにされて、ヴィヴィアンとの約束など忘れたりしないだろうか。

 

 そう考えて、首を横に振る。騒がしい頭の中を静かな図書室へ戻すと、物言わぬ本たち── 一部物言う本もある──が、おカタい背表紙でヴィヴィアンを見下ろしてくるのだった。見に行かなかったのは自分だ。いまさら気にしたってしょうがない。クィディッチのことを振り払うように、適当な本を手に取った。

 

 

 

 図書室でしばらく過ごしたあと、さっさと食事を取り、シャワーを浴びてから寮の自室へと戻った。いつもなら消灯時間を待たずにベッドへ入っている。同室の生徒と顔を合わせないためだ。

 

 幸い、と言うべきか。ヴィヴィアンに割り当てられた部屋にはベッドに空きがあり、入学した頃から二人部屋の状態だった。自分以外の生徒たちによる、こそこそ話を聞かずに済むのはありがたい。ベッドを囲むカーテンを閉めさえすれば、もうそこはひとりの世界だ。

 

 とはいえ見方を変えれば、二人部屋の相手が夢魔だと言われている女だなんて、同室の哀れな女の子に少しばかり同情する。かつては二人でお菓子を分け合うようなこともあったけれど、今はどうだろうか。閉め切ったカーテンの向こうで、怯えているのだろうか。それとも、ヴィヴィアンが話しかけてこないことに、ほっとしているのだろうか。せめて、後者であったらいい。自分と相手の二人きりなんて場所で、その変化を目の当たりにしたくないから、早く寝てしまうに限るのだ。

 

 しかし今日に限って、まだ眠る気にはなれなかった。興奮した人たちの熱気に当てられたのか。談話室でも大広間でも、生徒たちはいつも以上に賑やかだった。きっと今日の試合のことを話しているのだろう。ヴィヴィアンはできるだけ、彼らの会話の内容に耳を傾けないようにしていた。なんとなく、なんとなくだが、試合の結果は彼本人の口から言わせてあげたいと思ったからだ。

 

 スニッチを取ったのなら、彼の周りに人の波は絶えないだろう。取れなかったとしても、初試合を終えたばかりの新人だ。熱く労われているに違いない。そう思いながらも、まだ寝付けそうにないヴィヴィアンの足は、二人の秘密の場所へと向かったのだった。

 

 

 

 キッチンの扉を開けて目に飛び込んできたのは、いつもの椅子に座りながら眠りこけている男の子の姿だった。

 

「人が眠れないっていうのに、呑気なものね」

 

 小さく呟いて、彼の隣の椅子へ静かに座った。夕食の片付けも終わった頃。キッチン内の賑やかさは鳴りを潜め、他の場所の掃除へと出向いているのか、屋敷しもべ妖精たちの数も少ない。ときおり僅かな物音が鳴っているのみだ。

 

 ヴィヴィアンは背もたれにもたれ掛かり、小さく息を吐いた。いつもとはまた違った憩いの場所の心地良さの中に、すっぽりと身をうずめる。この時間に来るのも悪くないかもしれない。夕食という大仕事が控えている放課後とは違い、妖精たちも心なしか落ち着いてゆっくりと仕事をしている気がする。全くの静寂の中にいるよりも、どこか遠くでヒトの気配を感じているほうが心が安らぐ。彼が眠ってしまうのも無理はない。

 

 そう思いながら頭が傾いでいくのを自覚して、ヴィヴィアンはハッと顔を上げた。二人して眠ってしまっては大変だ。消灯時間までに帰らなければどうなることか。先生たちに叱られることよりも、余計な噂の種を再び撒いてしまうほうが怖かった。

 

「ねぇ、起きて。ブラック」

 

 遠慮するのはやめて呼びかける。レギュラスの座る椅子の肘掛を掴んで揺らした。それでも彼は目を開けない。

 

「ねぇってば! ブラック! ブラックさーん?」

 

 少し声を大きくするも、彼は寝息を立てたままである。ヴィヴィアンはため息をついた。

 

「はぁ……んもう! レギュラス!」

 

 とびきり大きな声を出すと、名前を呼ばれた彼の肩がびくりと跳ねて、灰色の瞳がパチリと現れた。ヴィヴィアンはもう一度呆れたようにため息をついた。

 

「もう、やっと起きたのね」

「っと……すまない。いつの間にか眠っていたのか……」

 

 言いながら彼は気持ちよさそうに伸びをした。

 

「それはそうと……君、ようやく僕の名前をきちんと呼んでくれたね」

 

 眠たげに目を擦りながらレギュラスはヴィヴィアンのほうを向いて笑った。

 

「あなた……もしかして、わざと……」

「いやいや、違うよ。確かに夢現に君が『ブラック』と呼ぶのを聞いていたけれど、ホグワーツにいると、そう呼ばれても返事をする気が起きなくてね」

 

 恥ずかしげにレギュラスが言うのを見て、合点がいった。

 

「あぁ……もう一人いるものね」

 

 悪名高きシリウス・ブラック。レギュラスには悪いけれど、今のホグワーツで『ブラック』と聞いて最初に思い浮かべるのは、彼の兄のほうだ。先生たちが怒号混じりに呼んでいるのを、ときどき耳にする。

 

「うん……だからこれからも、レギュラスと呼んでほしい。なにせ、友だちになるのだからね」

 

 そう言うと彼は目の前に金色のスニッチを掲げて見せた。スニッチはレギュラスの指に挟まれながら白い羽を生やし、パタパタと羽ばたかせた。ヴィヴィアンは素直に祝福の言葉を贈った。

 

「勝ったのね。おめでとう」

「ありがとう。ちょっと危なかったんだ。僕がスニッチを取るまでスリザリンは劣勢だったんだけれど、グリフィンドールのシーカーよりもほんの数秒早く、僕が先にスニッチを見つけてね。僅差で勝てたんだ」

 

 レギュラスは目を輝かせて嬉しそうに話した。喜ぶと彼は饒舌になるのだろうか。興奮を隠そうとして隠しきれていないのが微笑ましい。が、彼のテンションに呑まれないよう眉をひそめて聞いた。

 

「なら、試合の立役者じゃない。いいの? こんなところにいて」

「君に見せるって約束だったからね。それに、友だちに会いに行くのを止める人はいないよ」

「そう……」

 

 もはや彼は、試合に勝ったことを喜んでいるのか、約束を果たせたことを喜んでいるのか、ヴィヴィアンにはわからなかった。ただ、手元でスニッチを飛ばしたり捕まえたりを繰り返し、とにかく上機嫌であることはわかった。彼はスニッチで遊びながら言った。

 

「ねえ、僕も君のこと、名前で呼んでいいかな?」

 

 スニッチの羽ばたく音が止み、レギュラスがこちらを向く。ヴィヴィアンはわざと目を逸らして言った。

 

「ダメよ。馴れ馴れしいわ」

「そうか……残念だ」

 

 今日のホグワーツでおそらく最も絶好調である彼が、今日一番の沈んだ声を出して項垂れた。

 

 意地悪だったかしら? と、思ってはみるものの、これがヴィヴィアン・ウィングスという人間だ。お前は夢魔の血を引く尊き娘なのだから、侮られるような真似はするな。と、口酸っぱく言い聞かせられてきた。男の子に対しては特に。

 

「いい加減わかったでしょ? 私、優しい女の子じゃないの。それでも友だちになってくれるって言うの?」

 

 レギュラスが顔を上げる。驚いたような表情が、何故だか期待に満ちていくのを見て、ヴィヴィアンは自分が言葉選びを誤ったことに気づいた。

 

 何を言っているのかしら私は。これじゃまるで、友だちになってほしいと言っているみたい。

 

 自分から友だちになりたいと言ってきた彼が、ここでNoと言うわけがない。それは根拠のない信頼だ。ヴィヴィアンの願望だ。人は、信じたいことを信じるようにできている。友だちになりたいと言われて、本当は嬉しかったのかもしれない。レギュラスの返答を聞くまでがやけに長く感じた。

 

「……もちろんだよ。約束通り、友だちになってくれるね?」

 

 ほしい言葉をくれたレギュラスは、スニッチを握っていた手を開くと、こちらに向かってその手を差し伸べた。彼の手を離れたスニッチがまた、チリチリと羽を動かして、二人の周りを小さく飛び回った。ヴィヴィアンの頭の中には、今度こそ、握手を拒む言葉が何も思い浮かばなかった。

 

 ぎこちなく腕を持ち上げ、レギュラスの手を取る。自分の手よりも骨ばっていて、少し冷たかった。手を握り合えば、もう友だち。男の子たちの間ではこれが普通なのだろうか。改まって握手をすると何とも照れくさい。さらには、いつから見守っていたのか、何人かの屋敷しもべ妖精たちが拍手をし出すのだから、照れくささに拍車がかかる。視界の端でうろちょろするスニッチまでもが、右から左から顔を覗き込み、からかっているかのように感じられた。ヴィヴィアンは握手をしていないもう片方の手で、目の前を横切ろうとしたスニッチを捕まえた。

 

「なぁんだ、簡単に捕まえられるじゃない」

「あぁ、君の勝ちだ」

 

 どちらからともなく笑って、握手を解いた。スニッチをレギュラスに返すと、落ち着きのなかった友情の証は、彼の手のひらの上で大人しく羽を引っ込めた。

 

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