湖の乙女と夢魔の祝福   作:タキヤコ

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第30話 2月 - シリウスの悪知恵

 

 一週間経っても、手紙の返事は来なかった。一ヶ月経っても、レギュラスはホグワーツに帰って来なかった。

 

 いつまで経っても音沙汰がない。このまま黙って退学してしまうつもりなのだろうか。それだけならまだしも、レギュラスの身に何かあったのだとしたら……。不安は日に日に募っていく。やがて、待っているだけではいられなくなった。ヴィヴィアンは一縷の望みに縋る気持ちで、アリアドネを連れて最後の手段に出た。

 

 

「わかっちゃいるだろうが……何も知らないぞ」

「そう、よね……」

 

 頼みの綱はレギュラスの兄、シリウス・ブラックであった。親から勘当され、家を出ていることはヴィヴィアンも知っている。彼の言うとおりダメ元でレギュラスのことを聞いてみたのだが、やはり予想通りの答えが返ってきた。

 

「あんたらのところに連絡がないのに、こっちに連絡を寄越すはずがない。それだけは信じていい」

 

「やっぱりダメかぁ」

 

 アリアドネが肩を落として落胆する。その様子に、シリウスがぴくりと眉を動かした。

 

「おい。ダメとは何だ、ダメとは」

「ヒェッ」

 

 低い声で詰め寄られ、アリアドネが怯えたように小さく悲鳴をあげた。構わずシリウスは堂々とした態度で、

 

「知らないとは言ったが、何も出来ないとは言ってないぞ。あんたらがどうしてもじっとしていられないっていうなら……あいつの動向を探る、いい手を教えてやる」

 

 ヴィヴィアンはアリアドネと顔を見合せ、二人で首を傾げる。シリウスがニヤリと口角を上げた。

 

「──校長室に忍び込むんだ」

 

 

 

 

 ヴィヴィアンとアリアドネは何も聞かされないまま、シリウスに連れられて、校長室の前までやって来た。

 

「この時間なら、校長は留守だ」

「どうして知っているの?」

「ホグワーツのことなら、なんでも知ってるさ」

 

「弟のことは知らなかったくせに……」

「おい、聞こえてるぞ」

 

 ヴィヴィアンにだけ聞こえるように耳打ちをしたアリアドネだったが、シリウスにじろりと睨まれ、びくりと肩を震わせた。獰猛な大型動物のような迫力がある。レギュラスがときどき放つ、凍てつくような威圧感とはまた違ったタイプのそれだ。アリアドネは小動物が警戒するように、ヴィヴィアンの陰に隠れて肩をすぼめた。

 

「この人、怖いよぉ……」

「大丈夫。からかわれてるだけよ」

 

 ヴィヴィアンはクスッと笑う。弟とは壊滅的に仲が悪いはずなのに、その友だちの頼みを聞いてくれているのだから、少しの小言で怒るような心の狭い人間ではないだろう。察しのいいアリアドネならわかっているはずだが、今回は小動物の本能が勝ってしまったようだ。

 

 シリウスも微かに鼻で笑って、話し始めた。

 

「いいか、校長室には歴代校長の肖像画がある。そのうちの一つが、“フィニアス・ナイジェラス・ブラック”だ」

 

「ブラック? あなたたちの先祖には、ホグワーツの校長がいるのね」

 

「あぁ、史上最悪の校長だ。だが、少しは役に立つだろう。そいつの肖像画がもうひとつ、ブラック家の屋敷にある」

 

「じゃあ、肖像画のその人に見に行ってもらえばいいんだ!」

 

 肖像画に描かれた人物は、同じ人物を描いた肖像画同士を自由に行き来できる。

 

「そうだ。まあ、校長以外の人間に従うのは渋るだろうが、腐っても元校長だ。生徒であるあんたらが必死に頼めば、動いてくれる可能性はある」

 

「やってみる価値はあるわ」

「でも、どうやって校長室に忍び込むの? 扉なんてないし」

 

 アリアドネがガーゴイルの像をきょときょととのぞき込む。シリウスが自慢げに鼻を鳴らした。

 

「聞いて驚け。それはだな、合言葉が──」

 

「ミスター・ブラック! こんなところで何をしているのです?」

 

 シリウスの言葉を遮り、よく通る声が廊下に響いた。三人は一斉に振り向く。せかせかと歩いてくるのは、マクゴナガル先生だ。

 

「げ、寮監だ」

 

 小さな声で呟き、シリウスは舌打ちをする。そんな悪態はマクゴナガル先生には間一髪で気づかれなかった。

 

「今は魔法薬学の時間でしょう? 授業をすっぽかすなんて……闇祓いになるのは諦めたのですか?」

 

「いやぁ……あの陰気な地下室はどうも苦手で……」

 

「7年生にもなって何を言うのです。言い訳をしていないで、さっさと教室に向かいなさい。ところで、あなたがたは?」

 

 マクゴナガル先生が、くるりとヴィヴィアンたちのほうを向いた。思わずピシリと背筋を伸ばす。

 

「えぇっと……私たちは、授業がないので、これから図書室へ行こうかと」

 

「ええ、それがいいでしょう。さぁ、ブラック! 逃げようとしているのはバレていますよ! 教室まで連れて行って差し上げましょう」

 

「それは、ありがたいことで……」

 

 ホグワーツで一二を争う厳しさを誇るマクゴナガル先生である。さすがの悪童も、面と向かって睨まれれば、なすすべがないようだった。加えて最悪なことに、先生の前で校長室の合言葉を言うことなどできない。シリウスはヴィヴィアンたちのほうをちらりと見て、あとは頑張れと言わんばかりに悪戯顔で目配せをすると、先生の前を歩かされながら去っていった。

 

 ヴィヴィアンはアリアドネと顔を見合わせる。

 

「……どうする?」

 

「片っ端から試すしかないよ! 校長先生も、いつ帰ってくるかわからないんだし」

 

「ええ、そうね」

 

 合言葉を言えばいいということは辛うじてわかっている。二人は、四寮の名前や象徴する動物、ホグワーツにまつわる単語などを、思いつく限り叫んでみた。

 

「『眠れるドラゴンをくすぐるべからず』!」

「えぇっと……『組み分け帽子』!」

「『アルバス・ダンブルドア』!」

「もう思いつかないよー……」

「さすがに、自分の名前を合言葉にする人はいないわよね」

 

 ヴィヴィアンはため息をつきながら、石像の隣の壁に寄りかかった。アリアドネが気晴らしに、とローブのポケットから一口サイズのチョコレートを取り出して食べる。ヴィヴィアンにもひとつ投げて寄こした。

 

「あたしなら、『かぼちゃパイ』とか『大鍋ケーキ』とか、『チョコがけ焼きマシュマロ』とかにするんだけどなぁ」

 

 ガーゴイルの石像の前で仁王立ちしながら、アリアドネが呟いた。そのとき、地鳴りのような振動が足の裏から伝わってきた。まさかと思ってアリアドネの隣に立つと、ガーゴイルが横へぴょんと跳び、硬そうな壁が左右に開き始めていた。その奥の床から階段がせり上がってきているのが見える。校長室への入口だ。

 

「やったわね! アリアドネ!」

「えぇ……? どれだったの……?」

「さ、行くわよ!」

 

 二人は階段に飛び乗った。螺旋を描きながら伸びていく階段は、ひとつの扉の目の前まできて止まった。ヴィヴィアンは扉を静かに開く。そっと中を覗いたが、シリウスの言っていた通り、ダンブルドアの姿はない。頷くアリアドネとともに、覚悟を決めて校長室の中へと足を踏み入れた。

 

 丸い形をした部屋だ。校長の部屋という割には、あまり広くはない。棚やテーブルの上には様々な魔道具が置いてあり、ときおり小さな物音を立てている。円形に曲がった壁には確かに、歴代校長とおぼしき肖像画がずらりと並んでいた。絵の中の校長たちは皆、目をつむり、寝息を立てながら眠っている。

 

「見て、ヴィヴィアン……!」

 

 アリアドネが声を潜めて指をさしたのは、目当てである肖像画ではなかった。誰もいないかと思われた校長室で、二人を出迎える者が居た。侵入者が現れたにも関わらず、大人しく止まり木に止まっている、赤と金の羽を持つ美しい鳥だった。

 

「まさか、不死鳥……? 本物だわ……」

「きれいだねぇ……」

 

 不死鳥は、穏やかな性格であるにも関わらず、飼い慣らすことが極めて難しいとされている動物である。ヴィヴィアンも図鑑や教科書を見て知っているだけで、実物を見るのは初めてだ。

 

 ヴィヴィアンが近づくと、不死鳥は首を傾げながら、ビー玉みたいに澄んだ目をぱちくりとさせた。できることなら、このまましばらく観察していたかったが、侵入者の立場でそんな悠長なことをしている暇はない。

 

「ごめんなさい。あなたの主には内緒にしていてね」

 

 ヴィヴィアンが口元に人差し指をあて、不死鳥に向かって言うと、彼──もしくは彼女、雌雄の区別はさすがにわからない──は、まるい目を閉じ、首をすぼめて眠るような姿勢を取った。見逃してくれるのだろうか。不死鳥は寿命の長い生き物だから、もしかすると、人の言葉もわかるのかもしれない。

 

 彼の気が変わらないうちに、目的を済ませてしまおう。

 

「ブラックさん……いますか?」

「ブラックさーん」

 

 侵入者らしく小声で問いかける。しかし、どの肖像画も起きてはくれない。こうなったら……。

 

 ヴィヴィアンは咳払いをし、大きく息を吸い込んだ。

 

「ブラックさん! 私たちはレギュラス・ブラックの友だちです! お力をお借りしたいんです!」

 

 その大声に、何人かの肖像画が起きた。そのうちの一人が話し出す。

 

「私がブラックだが……生徒がなぜここに?」

 

 ヴィヴィアンは声の発信源を探して見回す。アリアドネが「あそこだ!」と指をさし、肖像画に近づいた。

 

「ブラックさん! あたしたち、お願いがあるんです!」

 

「君たち、レギュラスの友と言ったな」

 

「はい。レギュラスが、ホグワーツに来なくて心配で、手紙を書いても返事がなくて……」

 

「だから、レギュラスの家にある肖像画まで、様子を見に行ってほしいんです!」

 

「お願いします」

「お願いします!」

 

 二人で頭を下げた。

 

「あぁ……頭を上げてくれないか」

 

 フィニアス・ナイジェラス・ブラックの肖像画は、困ったように言う。しかし、良い返事が聞こえるまで二人とも頭をあげなかった。

 

「わかった! わかったから、頭を上げなさい。これは特例だぞ」

 

 その言葉に顔を上げると、肖像画の中のフィニアスは椅子から立ち上がり、額縁の外の見えないところに消えてしまった。からになった肖像画をじっと眺めながら、しばらく待つ。その間、ダンブルドアが帰ってこないか冷や冷やしたが、肖像画の主が帰ってくるのが先だった。

 

「あっ! 帰ってきた!」

「どうでした? レギュラスは居ましたか!?」

 

 壁の高いところに掛けられた肖像画を、もっと近づいて見ようと、アリアドネはぴょんと飛び跳ね、ヴィヴィアンはうんと背伸びをした。

 

「落ち着きなさい。ああ、居たとも。荷造りをしているようだった」

「荷造り! じゃあホグワーツに帰ってくるのかな?」

 

 アリアドネが嬉しそうにヴィヴィアンの肩を叩く。しかし、フィニアスが遮る。

 

「だが、そうとも限らん……学校に持ってくるにはいささか……相応しくない、物騒なものを家中からかき集めているようだった」

 

「う〜ん……どこかへ行こうとしてる? あたしたちに、言えないような……?」

 

 アリアドネが首をひねって考える。ヴィヴィアンはアリアドネの肩を借りて背伸びを続けた。

 

「私たちが心配してるって、レギュラスに伝えてもらえませんか──」

 

「それは、賢明な判断とは言えんのう」

 

 不意に、肖像画とは別のほうから声がした。先に振り向いたアリアドネが息を呑む。

 

「ダンブルドア……先生……」

 

 言い訳、誤魔化し、弁明。一瞬にしてヴィヴィアンの頭の中を色々な考えが巡ったが、

 

「……すみません。罰は受けます」

 

 微かに震える唇から絞り出せたのは、謝罪の言葉だけであった。あの悪童がさらっと提案するものだから、藁にもすがる思いで策に乗っかってしまったものの、校長室への不法侵入は一体、どのくらいの罪に問われるのだろうか。10点減点? 50点減点? 6年生にもなってそれはなかなか手痛い。しかもヴィヴィアンは監督生である。下手すると、退学……?

 

「そう構えんでも良い。この部屋に入れたのなら、わしの客人じゃ。キャンディはどうかね?」

 

 ダンブルドアが眼鏡の下の目を和らげた。彼の示した机の上には、ボウルいっぱいのキャンディが置いてあった。

 

「では遠慮なくいただきます……」

 

 アリアドネが腰を低くしながらキャンディを手に取る。ヴィヴィアンは構わず、ダンブルドアに聞き返した。

 

「あの、賢明な判断ではないというのは、どういう?」

 

 ダンブルドアは小さく頷いて、肖像画を見上げた。

 

「今はまだ、気づいておらんのかもしれんが、このフィニアスの肖像画が、ホグワーツと彼の家とを繋いでおると知れば、彼はどうすると思うかの? 君たちに知られたくない秘密があるのなら、尚更じゃ」

 

「そう……ですね」

 

 肖像画を外して、あちらの家の様子を見ることも聞くこともできなくしてしまうだろう。

 

「君たちの友人から、休学や退学についての連絡は、来ておらん。じゃが、理由なく休学する生徒がおることは、ここ数年において、珍しい話ではない」

 

 ヴィヴィアンは目を伏せて落胆する。『例のあの人』の台頭で、魔法界は過渡期を迎えている。校長とて、一人一人の生徒に構っている暇はないのだ。

 

「じゃがフィニアスも、子孫のことが心配じゃろう。度々見に行くことを止めはできん」

「では……!」

 

 ヴィヴィアンが顔を上げると、フィニアスの肖像画が答えた。

 

「何かあれば、君たちに伝えるようにする。だが、肖像画にできることなど限られている。あまり期待はしないように」

 

「ありがとうございます!」

 

 結局、忍び込んだお咎めはなし。それどころか、協力の約束を取りつけることができた。ヒヤッとしたが、まずまずの結果だ。校長室を出る前に、アリアドネがダンブルドアからキャンディをもうひとつ貰った。

 

「合言葉は変えてしまうから、そのつもりでの」

「はい。二度と忍び込みません」

「お菓子まで、ありがとうございます」

 

 二人は頭が膝につくくらい深々とお辞儀をして、そそくさと校長室を出た。

 

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