湖の乙女と夢魔の祝福   作:タキヤコ

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第33話 5月,6月 - アリアドネの本音

 

 レギュラスは久しぶりの登校で、スリザリン生たちに囲まれていた。授業のときや食事のときはまだしも、放課後や休み時間にも、彼の周りには必ず誰かしら、ヴィヴィアンの知らない生徒たちがいた。同級生だけでなく、下級生やひとつ上の7年生にも慕われているようだった。

 

 久しぶりに登校したというだけで、こんなことになるはずはない。ならば、理由はひとつ。レギュラスが死喰い人になったからだ。

 

 ヴィヴィアンやアリアドネにも勿体つけていたように、レギュラスは闇の印を積極的に見せびらかしは、していないようだった。あくまで、ブラック家の次男が死喰い人になったらしい、という噂の範疇に収まっている。それでも彼に取り入ろうとしたり、興味を持つ人の波は絶えなかった。

 

 今日の大広間も、スリザリン寮のテーブルはレギュラスを中心に大いに賑わっていた。アリアドネはそれを眺めながら、相変わらず難しい顔をしている。ヴィヴィアンもヴィヴィアンで、彼を囲む人混みの中から、ときどき甘い香水のような匂いがプンと漂ってくるせいで、気が気じゃなかった。

 

 二人揃ってフォークを持つ手がなかなか進まないまま、朝食をちまちまと食べていたとき、レギュラスを囲む輪をすり抜けて、スリザリン生が三人、レイブンクロー寮の席へとやって来た。かつてレギュラスの追っかけをしていたスリザリン三人娘だ。

 

「復学されたのは良いものの、以前よりもレギュラス様の周りに人が多くて、嫌になりますわ……」

 

 ため息をつきながら、エリザベートはヴィヴィアンの向かいに座った。クララとクレアがその両側に座る。

 

「お二人は、レギュラス様ときちんとお話できまして?」

「まあ、一応ね……」

 

 アリアドネが朝食のベーコンを、フォークでめっためたに折り曲げながら答えた。『必要の部屋』で話したあの日以来、三人で過ごす機会を逃していた。アリアドネは途中で部屋を出ていってしまったから、話し足りないのではないか、とヴィヴィアンは密かに感じていた。けれど、今のレギュラスの状況では、話したいと思ってもろくに近づけない。

 

「それにしてもあの人気っぷり」

「死喰い人になられたという噂は本当なのでしょうか」

 

 クララとクレアが何気なく言った。こちらへの問いかけではなかったが、ヴィヴィアンとアリアドネは顔を見合わせた。

 

「……本当なら、どうする?」

 

 ヴィヴィアンが声を落として呟くと、三人娘は目を丸くした。そしてパッと顔を明るくした。

 

「とても名誉なことですわ!」

「お祝いをしなくては!」

「お花をお贈りします?」

「それは、お恥ずかしいですわ〜!」

 

 きゃぴきゃぴと嬉しそうにはしゃぐ。この感じは懐かしいけれど、少し羨ましくもあった。レギュラスにとっての嬉しいことが、彼女たちにとっても嬉しいことであること。レギュラスが求めていたのは、この反応なんじゃないかと思わされる。

 

 それでも、昔とは違って、彼女たちがレギュラスのことを話しても、甘い匂いがしないことにヴィヴィアンはなぜだか安心した。

 

 アリアドネは苦笑いをして、所在なさげにフォークの先でグリーンピースを突っついた。

 

「……そう言うと思ったよ」

「アリアドネさん?」

 

 彼女らしからぬ低い声に、エリザベートたちは顔を覗き込んだ。レギュラスに捨て台詞を吐いて出ていったアリアドネを知っている身からすると、彼女の反応は不思議ではなかった。アリアドネは顔を上げて、わざと声を明るくした。

 

「きみたち、あたしたちの代わりに、レギュラスの側に付いていてあげてよ」

 

 唇が不均等に弧を描くいつもの下手っぴな笑顔が、今は均等に弧を描いていた。エリザベートが不思議そうに首を傾げた。そして、当たり前のようにこう告げた。

 

「何を仰っているのです? たとえ今は、スリザリン生に囲まれていたとしても、お二人の代わりなど、誰にも務まりませんわ」

 

 クララとクレアもうんうんと頷く。今度はヴィヴィアンたちが目を丸くする番だった。アリアドネと二人で言葉を失っていると、エリザベートがハッとした。

 

「わかります! わたくしにはわかりますわ……! レギュラス様の近くに行けないから、自信をなくしていらっしゃるのね!」

 

「ん?」

「はぁ?」

 

 ヴィヴィアンは頭に疑問符を浮かべ、アリアドネは頓狂な声を漏らした。雲行きが変わってきた。

 

「レギュラス様がお二人に会いに行けるよう、陰ながらサポートいたします! それがわたくしたちの役目なのですわ!」

 

「さっそく作戦を練らなくては!」

「失礼いたしますわ!」

 

 そうして三人は嵐のように去っていった。

 

「あ、ちょっと!」

「もう……人の話を聞かないんだから……」

 

 けれど、彼女たちを本気で止められないのは、他人を思ってやっていることだからだ。

 

「レギュラスの周りが、ああいう子たちばっかりだといいのにね」

 

 そうじゃないことが、わかっているから、そう願いたくなるのだ。レギュラスがホグワーツに帰ってきてから初めて、アリアドネは彼のために小さく笑った。ヴィヴィアンはエリザベートたちの作戦とやらに、少し期待をしてみるのだった。

 

 

 

 

 それから数週間が経って、スリザリン生たちの興味が尽きてきたのか、はたまた本当にエリザベートたちの暗躍があったのか。レギュラスと話せるタイミングが増えた。授業の終わりや、ご飯のあと、レギュラスが二人のところへ話しかけにくる。今までと何も変わらない、授業の話やクィディッチの話、家族の、クリーチャーの話。なのだが、アリアドネはレギュラスとは一切、口を聞こうとしなかった。

 

 アリアドネと二人だけであれば、寮の自室でこそこそ話はいくらでもできる。

 

「ねぇ、アリアドネ……まだレギュラスのこと、怒っているの?」

 

 二人それぞれベッドに腰掛けて、おやすみを言う前に、ヴィヴィアンは話しかけた。

 

「あたしとしては、きみがもっと怒ってないのが不思議だよ」

「私だって、怒っているわよ。でも、死喰い人になったんだ、ってことのほうが大きくて……」

 

「それだよ! あたしは、そこに怒ってるの!」

「死喰い人になったことに?」

 

 アリアドネは頷く。何も言わずホグワーツに来なくなったことや、手紙を無視されたことよりも、死喰い人になったことについて、彼女は怒っているのだ。

 

「『例のあの人』の恐ろしさを、あいつはわかってないんだ……」

 

 拗ねるように呟いて、アリアドネは布団の中に潜り込んだ。

 

 ヴィヴィアンには、闇の帝王に従うのと同じくらい、いいや、それ以上に、抗うことも恐ろしく感じる。なら、恐ろしくないほうの道を選べばいいの? それが正しい道なの? 毎夜、そんなことを考えながら、眠りにつく。

 

 ヴィヴィアンもベッドに入って目を閉じようとしたとき、

 

「あのね……あたしのおばあちゃんはね、闇祓いだったんだ」

 

 ぽつぽつとアリアドネの声がした。彼女のほうを見ると、こちらに背を向けたままで、表情は窺えない。

 

「そう……なのね」

 

 闇祓いは闇の魔法使いを捕まえる危険な仕事だ。闇の魔術の恐ろしさを誰よりも知っている。死喰い人にとって、闇祓いは天敵だ。

 

「今は田舎でゆっくりしてるんだけど、かっこいいおばあちゃんでさ……引退しても腕が鈍らないようにって、庭小人相手にいつも鍛錬してるんだ。闇祓いって、人に恨まれることもある仕事だから……」

 

 身内に闇祓いがいるのなら、普段は温厚なアリアドネが、レギュラスに怒るのも納得できる。そう思うのと同時に、ヴィヴィアンはようやく気づいた。彼女がレギュラスへの怒りを収めることはできないのではないか、と。もう二度と友だちには戻れないのではないか、と。

 

 悪い想像は一息に胸を押しつぶした。鼻の奥がつんと痛んだ。嫌だ。仲直りしてよ、って泣き叫びたくなった。アリアドネがこっちを向いていなくてよかった。彼女の顔を見れば、きっと我慢できなくて、困らせていたことだろう。

 

 ヴィヴィアンもまたベッドの上で背を向けて、唇をぎゅっと結んだ。そんなヴィヴィアンを慰めるように、アリアドネは優しい声で続けた。

 

「おばあちゃんは、あたしたち家族を守るために戦っていたんだ。あたしも、そんなふうに大切な人たちを守りたい。きみや、レギュラスをね」

 

「アリアドネ……」

 

 ヴィヴィアンは寝返りを打って振り向いた。彼女は、レギュラスのことも守るべき相手として思っている。だからこそ、こんなに怒っているんだ。

 

 こっちを振り向くことなくアリアドネは、照れくさそうに、おやすみ、と言った。ヴィヴィアンも笑みをこぼしながら、おやすみなさい、と言い返した。この日はいつもより少しだけ寝つきが良かった。

 

 

 

 

 レギュラスが死喰い人になってから変わったことがもうひとつある。あの勉強嫌いのアリアドネが新聞を取るようになったのだ。

 

 朝食の時間、ふくろうが運んできた新聞を受け取り、ヴィヴィアンにも見えるように広げてくれる。

 

 マグルの一家が行方不明。今週に入って死亡が確認された魔法使いの名前一覧。指名手配の写真が増えた。どれも死喰い人だ。こんなの、どちらにつくのが悪いのか、明らかだ。

 

 しかし、レギュラスに言われたことを思い出す。新聞の言うことは全部正しいの? 何を信じればいい? 私自身はどう思う? 魔法省が、お父様が駄目だと言ったらダメなの? 考えすぎて頭がこんがらがってくる。ヴィヴィアンは考えを吹き飛ばすように首を横に振った。

 

 ヴィヴィアンの中にも、はっきりしていることがある。誰かを傷つけたり命を奪うことは、間違いなく悪いことだ。

 

「また嫌な記事ばっかりだよ。どれもこれも、『例のあの人』が裏で糸を引いてるんだ」

 

「アリアドネ。あなたには、何が正しいかが、はっきりとわかっているの?」

 

 勘が鋭く、察しの良いアリアドネなら、ヴィヴィアンには見えない道が見えているのだろうか。しかし、彼女は首を横に振った。

 

「それがわかれば、苦労しないよ……でも、何が正しくないかは、わかる。『例のあの人』は、絶対に正しくない」

 

「お祖母様や魔法省がそう言っているから?」

 

「違うよ。あたしが、そう思ってるからだよ。誰かの言うことを盲目に信じちゃいけない。きみは、魔法省や、お父さんが言ったことには全て従うの?」

 

 アリアドネの言葉に驚いた。どこかの誰かさんから似たような台詞を聞いたことがある。

 

「ふふ。レギュラスと同じこと言ってる」

 

 思わず笑みがこぼれた。アリアドネは、ぐぅ、と唸った。

 

「レギュラスの言うことも、全部真に受けちゃだめだよ」

「わかっているわ……でも、あなたは、関わるなとは言わないのね」

 

 彼の兄も、ご先祖さまの肖像画も、関わらないほうがいいと忠告していたのに。

 

 アリアドネは新聞を読むふりをして黙り込む。彼女の本音、死喰い人になってもレギュラスのことを大切に思っているということを、ヴィヴィアンには打ち明けてくれたのに、まだレギュラスへの厳しい態度を変えようとはしなかった。

 

「あなたも心配しているんでしょう? このまま私たちがレギュラスから離れたら、彼はどんどん闇に飲まれていく。いつか、取り返しのつかないことになる……」

 

 死喰い人になってしまえば、簡単に闇へ引きずり込まれる。シリウスが言っていたことは、重く受け止めなければならない。その危惧を現実にさせないために、自分たちがいる。ヴィヴィアンの願い。アリアドネの語った守りたいという想いもきっと同じだ。

 

 アリアドネが新聞から顔を上げて、わざとらしく明るい声を出した。

 

「死喰い人になったからって、学生なんかにできることは少ないんだ。どうせ、仕事がなくて暇だから、ホグワーツに帰ってきたんでしょ!」

 

 そう言いながら新聞を握りしめ、くしゃくしゃとシワがつく。指名手配写真の死喰い人が、威嚇するように歯をむき出しにした。

 

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