湖の乙女と夢魔の祝福   作:タキヤコ

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第34話 夏季休暇 - 夢魔の伝承 高祖母編

 

 あっという間に6年生が終わった。レギュラスがいなかった数ヶ月間は、一日一日をとても長く感じていたのに、振り返ってみるとほんの一瞬であったかのように、淡々と過ぎ去っていた。

 

 レギュラスが戻ってきてからも、会えて嬉しかったはずなのに、素直に喜びきれず。結局、最初の日以外は、レギュラスとは当たり障りのない話をしていただけで、悶々とした気持ちを抱えたまま休暇を迎えてしまった。

 

 キングス・クロス駅で、アリアドネと手を振って別れると、図ったように誰かが隣に立った。

 

「アリアドネは相変わらず怒っているのか?」

「……ええ、そうよ」

 

 答えてから顔を見上げる。レギュラスの余裕そうな表情。少し呆れているようにも見える。

 

「まあ、新学期になったら、元に戻るだろう。子どもじゃあるまいし」

 

 ため息混じりの軽い口調でそう言った。レギュラスはきっと、アリアドネがなぜ怒っているのかをわかっていない。今すぐ説教してやりたい気分だったが、ここは駅だ。人目もあるし、アリアドネ本人も居ないので、グッと堪えた。

 

 そんな中でもヴィヴィアンは、彼が「新学期になったら」と言ったのを聞き逃しはしなかった。

 

「新学期もホグワーツに来るのね」

「あぁ、そうだよ」

 

 ホグワーツにいれば、闇祓いからも死喰い人からも守られる。その反面、ダンブルドアのお膝元であるホグワーツにいては、死喰い人としての任務なんて何もできないはずだ。レギュラスは卒業を待たず焦ったように死喰い人になったのに、これじゃ意味がなくなる。ホグワーツに来るからといって、素直に安心していいのだろうか。

 

「ではまた、ホグワーツで」

「ええ、ホグワーツで……」

 

 彼の真意を聞けないまま、人混みに消えていくまで、ヴィヴィアンは彼の背から目が離せなかった。

 

 

 

 

 去年までと変わらない、退屈なウィングス家の屋敷。けれど今年は、ホグワーツにいるときと変わらず、死喰い人のこと、闇の帝王のこと、そしてレギュラスのことを考えるばかりだった。

 

 今頃レギュラスは死喰い人として仕事をしているのだろうか。闇の帝王と相見えているのだろうか。

 

 気が重くなってくる。レギュラスが危険な目に遭うかもしれないから。それもあるけれど、それだけじゃない。彼が闇の帝王に傾倒していくのが、面白くない。レギュラスを取られてしまうのが、嫌。なんて、こんなの、駄々をこねる子どもみたい。

 

 わがままな独占欲。少し前までは、彼の心の全てを知ることなんてできないと自覚していたのに、今では、彼に私の知らない部分があることを、恐ろしいと感じる。もう17歳なのに、また怖いものが増えてしまった。こんなんじゃ、いつまでも大人になれなくて、彼に置いていかれてしまう。

 

 

 

 家族には到底話せない悩みを抱えたまま、食事の席につき、平静を取り繕っていた。そんなヴィヴィアンだったが、ふいに告げられた父の言葉に、驚きを隠せなかった。

 

「ヴィヴィアン。もうホグワーツへは、行かなくていいぞ」

「え……どうして……?」

 

 思わず食事の手が止まる。父はバツが悪そうに目を逸らした。

 

「あー……最近、ますます物騒になっているだろう」

「でも、あと一年で卒業なのよ?」

「……父さん、はっきり言わないと納得しませんよ」

 

 父に助け舟を出したのは長兄だった。ヴィヴィアンは咄嗟に彼のほうを振り向いたが、目を逸らされてしまい、その表情は窺い知れなかった。

 

 父は、うーむ、と唸って、一旦ナイフとフォークを皿に置いた。顎をジョリジョリと触りながら、ワイングラスを手に取り、うんと時間をかけてグラスに口をつけた。グラスを机に戻すのも勿体つけるようにゆっくりで、ヴィヴィアンは若干の苛立ちを覚えた。

 

「うむ……そうだな。お前が怖がるといけないから、黙っているつもりだったんだが……。ちょっとした噂を耳にしたんだ。──ホグワーツに、死喰い人がいる、とな」

 

「……!」

 

 苛立ちが一気に冷や汗に変わった。あわやフォークを取り落としかけ、カチリと皿を鳴らしてしまった。

 

 間違いなくレギュラスのことだ。ヴィヴィアンは動揺を悟られないように食器を置き、机の下に両手を隠した。父はそんな娘の様子を、怖がっていると思ったのか、優しく言い聞かせるように続けた。

 

「そういうわけだから、わかってくれるな?」

 

 父は純粋に娘を心配してくれている。純血主義の父ですら、死喰い人には良い顔をしない。魔法省に勤めているから、野蛮で浅慮な死喰い人たちをたくさん見てきたのだろう。純血主義という理念に共感はできても、闇の帝王に与しない理由はそこにある。死喰い人というのは、ともすれば『例のあの人』本人よりも、娘のそばに居てほしくない存在なのかもしれない。

 

 ……否定はできない。ヴィヴィアンだって、何も知らずに死喰い人のことを聞いていれば、きっと何の迷いもなく父の言うことに従っていた。死喰い人がいると聞いてなお、ホグワーツに行きたいと思う理由は、それが大切な友のことだと知っているからだ。ヴィヴィアンは膝の上でスカートをぎゅっと握りしめた。

 

「……嫌よ。私はホグワーツに行くわ」

 

 これだけは、どうしても譲れない。理由は話せない。父からすると、なぜ娘が反抗するのか、不思議で仕方がないだろう。今まで父の言いつけを破ったことなど滅多になかった。思い出すのは、友だち二人を勝手に家にあげたことくらいだ。今回もまた、友だちのために……いいや、自分のために、友だちが勇気をくれている。

 

 案の定、父は面を食らったように、机に手をつき食器をガタンと揺らした。

 

「だ、だがヴィヴィアン……危険な目に遭うかもしれないんだぞ!?」

 

「どこにいたって危険よ。ホグワーツはまだマシなほうだわ。ダンブルドアがいるもの」

 

 珍しく反抗する妹に、兄たちは興味を持ったようだった。隣から、いつもはオドオドしている次兄の、好奇心を隠しきれない視線を感じる。

 

 そして、いつもは図ったように目の合わない長兄が、ヴィヴィアンのほうをしっかりと見て言った。

 

「確かに……彼女の言う通りです。まだ噂程度ですし、死喰い人の数でいえば、ホグワーツの中のほうが少ないでしょう」

 

「む……カイウス、お前まで……」

「お父様に何と言われようと、私は行くわ!」

 

 ヴィヴィアンは、ここぞとばかりに大袈裟に机を叩いた。死喰い人が友だちだと、バレてはいけないからだ。しかし、少々やりすぎたのか、フォークが跳ねて床に落ちた。カーンと嫌な音が耳に響く。メープルがすぐさま拾いにくる。ヴィヴィアンは小さく、ごめんなさい、と呟いた。

 

 食事の場が、しんと静まり返る。家族の誰もが食事の手を止め、兄も父も母さえも、ヴィヴィアンのほうへ視線を向けている。居たたまれなくて、正面に座る母の表情をちらと窺った。こんなに娘の行儀が悪くても、いつもと変わらない、どこ吹く風という顔で……いや、ヴィヴィアンを見つめる瞳が微かに揺れている。動揺している? それとも、心配、してくれている?

 

 しばらくして父が、威厳で空気を震わせるような本物の咳払いをした。

 

「……わかった。その代わり、メープルを連れて行きなさい。監視役だ」

 

 ヴィヴィアンを監視させるつもりだろうか。それとも、死喰い人を?

 

 新しいフォークを渡してくれたメープルは、そのまま父のそばに控えた。

 

「メープル、頼めるな?」

「承知いたしました。旦那様」

「あぁ、あとヴィヴィアン。次はクリスマスとイースターにも帰ってくるように。いいな?」

「……はい」

 

 いつになく真剣な表情で凄む父に、これ以上言い返す事はできなかった。

 

 

 

 

 食事の時間が終わり、父が席を立った。母が次に続き、長兄と次兄が隣合ったそれぞれの自室へと入っていった。誰もいなくなった広間で少し心を落ち着けてから、ヴィヴィアンもまた自分の部屋へ戻ろうとしたとき、扉のひとつが再びひっそりと開いた。

 

「め、珍しいじゃないか、君が感情的になるなんて」

「ランスお兄様……?」

 

 開いた扉の隙間から、顔だけを出して話しかけてくる。ヴィヴィアンは扉の前を横切ろうとしていた足を止めた。待ってましたと言わんばかりに、次兄が部屋から出てきた。

 

「夢魔になるんじゃないかって、ドキドキしたよ」

「え?」

 

 次兄は目をきらきらさせて一歩近づく。自分の世界に入り込みすぎて、とうとう夢と現実の区別がつかなくなってしまったのだろうか。ヴィヴィアンは思わず半歩下がった。そんな仕草も気にしない様子で、次兄はオドオドするのも忘れたかのように、妹の前では数年ぶりに見せる楽しそうな笑みを浮かべた。

 

「君も知らないのか。ふふ、じゃあ、知ってるのは僕だけだ……」

「な、なんのこと?」

 

 圧倒されながら聞き返す。ヴィヴィアンが聞き返さずとも、話し始める準備ができていたようだった。次兄はなにやら、片手に古びた手帳を持っていた。

 

「日記を見つけたんだ。僕の部屋でね……元は、前当主様の長男にあたる人が使っていた部屋だよ。といっても、後継者争いが始まる前に亡くなった人だけれどね……」

 

 手帳の表紙を撫でつけながら饒舌になる。ヴィヴィアンはなんだか嫌な予感がして、ゴクリと息を呑んだ。

 

「ふふ……ここにはね、『母が夢魔になるのを見た』と書かれていたんだ……」

 

「──何ですって?」

 

 聞かないほうがいい。無視してしまえ。このまま次兄を放っておいて部屋へ戻っても、臆病な彼は追ってはこない。嫌われたってどうってことはない。けれど──

 

 本当に臆病なのは、誰だ?

 いつまでも、逃げているつもりか?

 

 心の中に浮かんだ言葉が、自らの胸を突き刺した。凍てつくような言葉は、なぜだか……レギュラスの声になって、聞こえた。こんなこと、彼に、言われたことはない。優しいレギュラスは、こんなこと言わない……ううん、優しいから、言えないんだ。夢魔の血を怖がるたびに、私は彼の元から逃げた。今ここで再び、夢魔の血から逃げてしまうのは、レギュラスから逃げた過去の繰り返しだ。

 

 ヴィヴィアンは足を踏ん張って、その場から動かないようにした。次兄は満足そうに声を弾ませた。

 

「気になるかい? 聞かせてあげるよ……」

 

 顔も知らないご先祖さまの日記を、彼は慣れた手つきで開いた。

 

 

─────

 

 

 これは高祖母の長男が子どもの頃の話だ。今のウィングス家の屋敷が建てられる前。裏の森はまだ充分に整地されておらず、木々が生い茂っていたそうだ。この日記を書いた彼は、ホグワーツ入学前にも関わらず、無断で杖を持ち出し、その森でひっそりと魔法の練習をしていた。

 

 しかし、ある日、うっかり火の魔法の扱いに失敗してしまい、近くにあった木の葉を燃やしてしまった。火はみるみるうちに燃え広がり、木を丸ごと一本、続いて二本、と赤く包み込んでいく。彼の父──僕らにとっては高祖父だね──が事態に気づき、助けに来たものの、火に囲まれ逃げ場を失ってしまった。高祖父は大して魔法が得意ではなかったんだ。

 

 彼らがもうおしまいかと思ったとき、頭上に何かの影がよぎった。突然、空から大きな翼を持つ生き物が降りてきた。彼は初め、その生き物が何なのかわからなかった。

 

 しかし……

 

『もう心配いらないわ』

 

 と、頭の中を直接揺らすような声が、その生き物から発せられた。それは確かに彼の母──僕らの高祖母の声だった。

 

 彼女は彼らの身体を抱えて空を飛び、火から逃がした。そして上空から水をかけ、あっという間に火を消し止めた。

 

 後日、そのことを彼女に聞くと、夢でも見ていたのでしょう、とはぐらかされたという。

 

 ──ほら、ここ。拙いながら、絵が描かれている。コウモリのような翼と、山羊のような角、そして悪魔のような尻尾。図鑑で語られる夢魔そのもの。恐ろしいはずの姿が、まるでヒーローのようだったと彼は記している。

 

 

─────

 

 

 興奮した様子で次兄は話し終えた。いつものようにオドオドとどもる様子もなく。そして、俯くヴィヴィアンの肩に手を置き、詰め寄った。

 

「ねぇ、もしかしたら君も──」

「何をしている」

 

 もうひとつの部屋の扉が開き、長兄の声が聞こえた。二人がいたのは彼の部屋の真ん前だ。蛇に睨まれた蛙のように、次兄は肩をびくつかせた。

 

「は、話してただけだよ、兄さん」

「ヴィヴィアンは疲れているんだ。早く休ませてやれ」

「わ、わかったよ、兄さん……」

 

 さっきまでの調子の良さはたちまち消え去り、次兄はとぼとぼと自室に戻っていった。ヴィヴィアンはその足取りをただ眺めているのみだった。

 

「……ヴィヴィアン、大丈夫か……?」

 

 残された長兄が腰を屈めて、ぎこちなく控えめに妹の顔を覗き込む。目が合って、ヴィヴィアンはハッと顔を上げた。

 

「え、あ……ごめんなさい、ぼうっとしちゃって……ありがとう、カイウスお兄様」

 

 次兄から聞かされた話と、長兄の介入。本人にそのつもりがあったのかはわからないが、ヴィヴィアンを助けてくれたようにも思えた。続けざまに起きた慣れない出来事に戸惑いながらも、ヴィヴィアンは兄に負けず劣らずぎこちない仕草で微笑んだ。

 

 長兄は何事もなかったかのように、屈めていた腰をすんと伸ばした。くるりとヴィヴィアンに背を向けて、自室へ戻ろうとする。

 

(あ……)

 

 その背中が、ヴィヴィアンの目には、とても懐かしいもののように映った。ずっとわからないと思っていた長兄の感情が、垣間見えた気がした。ヴィヴィアンが小さかった頃も、背の高い彼は、よく腰を屈めて視線を合わせてくれた。箒から落ちそうになったところを助けてくれたときも、本の読み聞かせをしてくれたときも、ヴィヴィアンがお礼を言うと、長兄は決まって照れくさそうに背を向けてしまうのだった。

 

「あの……! カイウスお兄様!」

 

 呼びかけると、彼は扉の手前で立ち止まる。思わず引き止めてしまったけれど、何も言うことが思い浮かばない。いや、むしろ言いたいことがありすぎて、何から言えばいいのかわからない。

 

 お兄様は私のこと、嫌いになったんじゃなかったの? 私のことを恨んでいるんじゃなかったの? もしかして、お母様も……? そんなことを聞いたって、素直に答えてくれるわけがない。バレないように小さく首を横に振った。

 

 ヴィヴィアンの決心がつくまで、長兄は何も言わなかったが、部屋へ入らずに待っていてくれた。

 

「私……当主になるつもりはないから、安心して」

 

 辛うじて口から出た言葉は、ちゃんと届いたのだろうか。不安になってくるくらい、少しの間があって、長兄がヴィヴィアンのほうへと振り返った。

 

「次期当主を決めるのは、お前でも私でもない」

 

 厳粛な声で言い放ち、もう一度背を向ける。ドアノブに手をかけながら、

 

「……だが、お前がそう思っていることは、言われなくともわかっている」

 

 ヴィヴィアンの顔を見ずにそう告げると、長兄は自室へと戻っていった。

 

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