ホグワーツに死喰い人がいる。その噂が学校外にも広がっていることを知ったからか、レギュラスはとうとうスリザリン生たちに、闇の印を見せたようだった。
レギュラスが死喰い人になったという事実は、たちまちホグワーツ中の知るところとなった。あいつを魔法省に突き出せ、という声も聞こえた。けれど、死喰い人になったからといって、何か罪を犯したという証拠はない。何より、ダンブルドアが黙りなのが大きかった。
他寮の生徒や一部の先生たちは、レギュラスのことを腫れ物に触るように扱った。スラグホーン先生でさえ、彼によそよそしくなり、スラグ・クラブへの案内がヴィヴィアンの元にも来なくなった。
その反面、スリザリンの生徒たちからは以前にも増して持ち上げられるようになっていた。レギュラスを悪く言う他寮の生徒たちから、彼を守るような素振りを見せるのである。スリザリン生の結束はいつになく高まっていた。ゆえに……レイブンクロー生であるヴィヴィアンとアリアドネは、レギュラスにますます近づけなくなっていた。
アリアドネはそれでいいと心にもないことを言う。けれどレギュラスは隙を見て、ヴィヴィアンたちと話そうとしていた。友だちになったばかりの頃に逆戻りしたかのようだった。
11月に入ると、クィディッチ杯が始まる。アリアドネは今年もチームに入り、初戦のグリフィンドール戦で大活躍をした。レギュラスもまた、スリザリン生たちの期待を一身に受け、今年もシーカーになった。そのはずだったが、初めのハッフルパフ戦には出場しなかった。
そして、迎えた12月。次の試合はスリザリン対レイブンクローである。
ある日の授業終わりのこと。アリアドネが、少し待っていて、とヴィヴィアンに告げ、誰よりも早く席を立った。その日の最後の授業は、スリザリンとの合同授業だった。
彼女は、スリザリン生たちの前に立ちはだかった。彼らの中心にいるのはレギュラスだ。死喰い人になったと知ったあの日ぶりに、アリアドネが彼に話しかけた。
「ちょっといいかな?」
その言葉を受け、レギュラスは周りのスリザリン生たちへ、「先に行ってくれ」と告げた。レイブンクローにレギュラスの友人がいると知っているスリザリンの同級生たちでも、アリアドネの鬼気迫る様子に、立ち去るのを渋った。ヴィヴィアンは急いで彼女の隣に立った。喧嘩でも売るつもりなら止めなければ。
しかし、渋るスリザリン生たちを促すように、彼らのローブの袖を引く手が見えた。ローブの合間から覗くのは、ふわふわの亜麻色。それから、お揃いの真っ直ぐなブロンド。ヴィヴィアンたちの頼れる友人。スリザリン三人娘。エリザベートとクララとクレアだ。
スリザリン生たちの背中を押しながら教室を出ていく彼女たちが、こちらを振り向いてウインクをする。ヴィヴィアンは、ありがとう、と口の動きだけで伝えて頷いた。
教室の中には、対峙したアリアドネとレギュラス、それから二人の横で成り行きを見守るヴィヴィアンだけが残った。
静まり返った教室の中で、アリアドネがレギュラスを睨みつけながら口火を切る。
「スリザリンのシーカーであるレギュラスが死喰い人だと知って、うちのシーカーが欠場を申し出てきた」
「僕に出場するなと? 言われなくとも──」
「ううん、逆だよ。きみには絶対に出場してほしい。──あたしがシーカーをやる」
ヴィヴィアンは、え? と声が漏れそうになった。慌てて口元をおさえる。アリアドネの本来のポジションはチェイサーだ。それが性に合っていると言っていた。シーカーをやればいいのに、と他でもないレギュラスに唆されてもなお、頑なに譲らなかった彼女が、シーカーをやると宣言するなんて。
仲違いしていた友人同士の直接対決。まるで宣戦布告のようだった。ヴィヴィアンは二人の顔を交互に見る。アリアドネは鋭い視線でレギュラスの返事を待っていた。レギュラスは彼女から目をそらし、考えるような素振りをしながら、ローブの上から腕をさすっていた。無意識なのだろうか。そこは闇の印があるところだ。
レギュラスの考えていることが、何となく、わかる気がした。クィディッチなんて、している暇があるのか。自分は闇の帝王のお役に立たねばならないのに。……そういったところだろうか。くだらない。そんなの、忘れてしまえばいい。クィディッチが好きなんでしょう? ホグワーツに闇の帝王はいないのだから、好きなことをすればいい。
レギュラスがちらりとヴィヴィアンのほうを見た。目が合って、びくりとした。考えていることが伝わってしまったかと思った。
やがてレギュラスはアリアドネに向き直り、にこりともせずに答えた。
「……いいだろう。出場する。僕にとって、最後の試合となるだろう」
「わかった。話はそれだけだから。行こう、ヴィヴィアン」
アリアドネもまた、険しい表情のまま言ってのけ、ヴィヴィアンの返事も待たず、さっさと教室を出ていった。
「待ってアリアドネ! もう……どういうつもりかしら」
盛大にため息をつく。追いかけて教室を出ようとしたヴィヴィアンだったが、引き止めるように後ろから声が飛んできた。
「君はどっちを応援してくれる?」
その声に振り向くと、レギュラスはさっきまでとは打って変わって、子どものように純粋な表情をしていた。クィディッチが大好きな少年の顔だ。そんな顔ができるなら、アリアドネの前でもしていればよかったのに。
「そんなの……わかっているでしょう? どちらも怪我なく終われるよう、祈るだけよ」
「あぁ……君はそういう人だったね」
困ったように笑って、レギュラスは肩をすくめた。
*
スリザリン対レイブンクローの試合当日。この日は今にも降り出しそうな雨雲が立ち込めていた。
試合開始直後から、アリアドネは猛スピードで競技場を飛び回っていた。スニッチを見つけたのかと思えばそうではないようで、レギュラスは空中でじっとしていた。アリアドネは彼を煽っているのだ。やがて、レギュラスがひゅっと地上に向かって急降下した。アリアドネは煽るのをやめて追いかけた。が、スニッチの姿は見当たらない。レギュラスが煽り返したのだ。
二人はスニッチよりも互いの動向を目で追っていた。まるで箒に乗りながら決闘でもしているかのようだった。シーカー二人のピリピリとした空気感に、ヴィヴィアンだけでなく、他の観客も釘付けになっていた。下級生たちの興奮しながら話す声が聞こえてくる。
「やっぱり7年生は迫力が違うね!」
「死喰い人を煽るなんて、アリアドネ先輩は勇気があるなぁ」
……違う。あの子にとって、彼は、死喰い人である前に友だちなの。二人とも、私の友だちなの。そう言ってやりたかった。けれど、なぜだか出てくるのは、声ではなくて涙だった。
アリアドネがこちらを向いた気がした。ヴィヴィアンは咄嗟に目元を拭った。
そのうちレギュラスが本当にスニッチを見つけたようで、彼の動きが変わり、アリアドネもすぐに気がついた。二人はぴったりと横につけて、けれど視線はスニッチを追いかけたまま、互いにぶつかることなく箒を走らせた。すごいスピードだった。観客だけでなく選手もしばしば目を奪われて、試合が疎かになってしまうほど、白熱していた。
スニッチを取ったのは──レギュラスだった。スリザリン生から歓声があがった。だが、両者の健闘をたたえて、会場全体から拍手が鳴り響いていた。
ヴィヴィアンはすぐに観客席から出て、選手控え室に向かった。自分のローブの色を考えて、レイブンクローのほうを覗いた。
「お疲れさま」
「へへ、負けちゃったよ……」
アリアドネは足を投げ出しながら地面に座り、チームメイトに労われていた。悔しそうな、でもどこか満足そうな顔をしている。
そのとき、ヴィヴィアンの肩を、誰かが後ろから、ぽんと叩いた。振り返ってみると、
「あ……レギュラス……」
肩を叩いたのはレギュラスだった。どうしてこっちに? 今はひとりなの? と真っ先に疑問が湧いてきて、お疲れさま、と言いそびれてしまった。
レギュラスの姿を見て、レイブンクローの選手たちが何やらブツブツと囁き合う。彼らはアリアドネの目配せを受けて、控え室から出ていった。
何の感慨もなさそうにレギュラスはそれを見送り、ヴィヴィアンの隣に立ってアリアドネを見下ろした。
「僕のプレーは、君のお眼鏡にかなったのかな? アリアドネ」
彼の手の中からスニッチが飛び出した。逃げようとするスニッチを、すんでのところで捕まえて弄ぶ。
「煽るような真似ばかりして、僕を試していたんだろう?」
レギュラスは表情を変えずに小首を傾げる。ヴィヴィアンもアリアドネを見つめて、答えるのを待った。レギュラスの咎めるような視線とは裏腹に、アリアドネが彼を見上げる視線には、心做しか前よりも鋭さが薄れている気がした。
「……レギュラスを見定めるために、あたしにできるのは、この方法しか無かった……正々堂々クィディッチを楽しめる心が、きみにまだ残っているのか」
「答えは?」
ヴィヴィアンが急かすように聞いた。アリアドネが苦笑いをする。
「レギュラスは、レギュラスのままだった。心からクィディッチを楽しむ純粋な少年のままだった。もしそうじゃなかったら、もう友だちではいられないと思ってた。ヴィヴィアンにもレギュラスのことは諦めろって言うつもりだった。けど、きみはその純粋な心のまま……死喰い人になったんだね」
彼女は寂しそうな笑顔でレギュラスを見ていた。その意味を彼はきっと、わかっていない。
「なんだ、そんなことか。死喰い人になったのは、僕の意思だ。誰にも指図は受けていない。服従の呪文でも、かけられていると思ったか?」
「ううん、違うよ。やっぱり、レギュラスはレギュラスだね」
彼女の言いたいことが、少しわかる気がする。やがて、スリザリンのチームメイトに呼ばれ、レギュラスが去っていった。
ヴィヴィアンは、アリアドネに手を差し伸べ、立ち上がるのを手伝った。
「そういうつもりだったのなら、言ってくれれば良かったのに。安心したわ……また三人で、前みたいに過ごせるのかしら」
明るい声で言って笑顔を作った。けれど、アリアドネはそれに釣られてはくれなかった。
「ごめん、ヴィヴィアン……それは、できない」
真剣な眼差しが、まっすぐに注がれる。彼女は何も悪くないのに、ヴィヴィアンは胸が軋むのを感じた。彼女の言葉の真意を理解するのを、心が拒んでいた。
「でも、さっきは友だちだって……」
「そうだね、友だちだと思ってる。放ってはおけない。でも、一度死喰い人になってしまったら……あたしたちも覚悟を決めなきゃいけない」
「覚悟……」
「レギュラスの味方になるか、敵になるか、だよ。もし、友だちが間違った道を選んでしまったら、嫌われてでも、止めてあげることが必要なんだ……」
彼女はまるでもう、どちらを選ぶか、決めているかのような口ぶりだった。
いつも三人には、お決まりの流れがあった。二対一には敵わない。一人が迷ったら、二人が導いてきた。二人が羽目を外そうとしたら、一人が呆れながらついてきた。それと同じこと。自分は一体、どちらにつけばいいのだろうか。
*
クィディッチの試合で散々レギュラスを煽り倒した結果、アリアドネは要注意人物としてスリザリン生たちから警戒されるようになった。彼女といつも一緒にいるヴィヴィアンも、レギュラスに近づくことはおろか、顔を見ることさえ遮られた。彼の四方八方を固めるように常にスリザリン生が付き纏い、彼の通った後には尾を引くように、緑のローブの列がぞろぞろと続いていた。
まるで王様ごっこだ。と、アリアドネは揶揄した。ヴィヴィアンも苦笑いするしかなかったが、今のレギュラスの状況には良い点もあった。周りはスリザリン生だらけとはいえ、彼は常に多くの人の目に晒されている。迂闊には動けないはず。ゆえに、死喰い人の悪巧みなんて、到底できそうもない。監視はほどほどで良いと、メープルに言い含めておこうかしら。
そう考えていたとき、ちょうど、アリアドネがキッチンへ行きたいというので、今日はそこで過ごすことにした。
もうすぐクリスマス休暇だ。今年は父の言いつけでヴィヴィアンも家に帰らなければならないから、一足先に二人でクリスマス気分を味わおうと企んだのである。
キッチンへ入ると、あいにく、メープルはいなかった。他のところで仕事をしているのだろう。せっかくなら顔を見たかったと思う反面、ヴィヴィアンは少しほっとした。レギュラスを監視させているということを、アリアドネには知られたくなかった。二人の溝をさらに広げてしまうと思ったからだ。
三つある椅子のひとつが空いていることを、気にしない振りをしながら、屋敷しもべ妖精たちが持ってきてくれたお菓子をサイドテーブルに並べた。彼らはクリスマス用の新しいレシピを試してみたかったのだと、二人の訪問を喜んでくれた。
ツリーの形をしたワッフルに、雪を被ったみたいなチョコレートムース。切り株みたいなケーキに、トナカイの鼻をつけたスコーン。どれも、6つずつ用意されていた。2でも3でも割り切れる数だ。
屋敷しもべ妖精たちは何も言わないし何も聞いてこない。それがありがたくもあり、寂しくもあった。
「ねぇ、アリアドネ……チェスして遊ばない? 魔法使いのチェス」
「うん。いいよ」
キッチンに置くには似つかわしくないチェスセット。傷も汚れもひとつもなく、食器棚の隅にこっそりと保管されていた。
ヴィヴィアンとアリアドネの勝負は、はっきり言って泥仕合だった。アリアドネのがむしゃらな猛攻ではヴィヴィアンの鉄壁の守りを崩せず、かといってヴィヴィアンもアリアドネの強襲を防ぐのに手一杯で攻めに転じられず。喋る駒に翻弄されながら、なんとかヴィヴィアンが勝利を掴んだ。
「ねぇ、この中でいちばん強い子は誰だったかしら?」
屋敷しもべ妖精たちにそう問いかけたときだった。
視界の端に、暗いローブが揺らめいた。秘密の扉から姿を現したそれに、ヴィヴィアンは、あ、と声を漏らした。ローブの正体は──。
「……レギュラス」
アリアドネが隣で小さく呟いた。空気が張り詰めた気がした。レギュラスが来てくれて嬉しいはずなのに、ヴィヴィアンはふいに笑顔の作り方を忘れてしまった。
人の気も知らず、レギュラスは爽やかに声をかけてくる。
「やぁ。こっちにいたんだね。探したよ」
彼の視線は、ヴィヴィアンだけに向けられていた。アリアドネもいる場での、その言動は、決して喜ばしいものではなかった。胸のつかえを感じながら、ヴィヴィアンは疑問を投げかける。
「どうしてここに? あの数の生徒たちを、撒いたの?」
「いいや。さすがに鬱陶しくてね……ひとりにしてくれ、と“こう”しながら言ってみたら、すぐに聞いてくれたよ。初めからそうすれば良かった」
レギュラスは軽い口調で説明しながら、ローブの上から左の腕を撫でる仕草をしてみせた。闇の印を。自信に満ち溢れた、余裕そうな顔で、何の憂いもなく。あぁ……レギュラス、それは……。
「──それって、脅しじゃん。死喰い人らしくなってきたね」
突き刺すような声でアリアドネが口を挟んだ。レギュラスはそこでやっと、彼女に視線を移した。
「喧嘩を売っているのか?」
「そうだよ。でも、今はだめだ」
そう言ってアリアドネは椅子から腰を上げ、お菓子の山を背にし、レギュラスの前に立った。顔を伏せている。影がかかって表情は見えない。レギュラスが、ふっ、と乾いた笑みをこぼした。
「場所を変えるか?」
「やめ──」
「そういうことじゃない。あたしがまだ、その立場にないからだよ」
ヴィヴィアンが止めようとするのを遮って、アリアドネは顔を上げた。
「──あたしは決めた。友だちとして、きみを止めるために、闇祓いを目指す」
祖母が元闇祓いだと彼女は言っていた。闇祓いは死喰い人を捕まえる。闇の魔術と最前線で対峙する危険な仕事だ。祖母のように大切な人たちを守りたいと言っていた。ヴィヴィアンや、レギュラスを。
彼は怪訝そうに眉をひそめた。
「君にできるのか? 命を懸けて戦うことが」
「できるよ。大切な親友のためなら」
真摯な視線が己にも向けられているということに、彼は気づいただろう。レギュラスが僅かにたじろいだ。それでも言い返す。
「……君が死んだら、悲しむ人がいる」
「きみだって同じだよ。きみはいつか、ヴィヴィアンを悲しませる」
レギュラスはヴィヴィアンにちらりと目を向けて、悔しげに唇を噛んだ。自分は今どんな顔をしているんだろう。
「……話は終わったな」
「レギュラス……!」
分かり合うのを諦めるみたいに彼は冷たく言い放ち、踵を返してキッチンを出ようとする。ヴィヴィアンが咄嗟に名前を呼ぶと、扉に手をかける直前で俯きながら、
「……邪魔をしてしまったね」
顔を合わせずそう呟くと、お菓子のひとつも貰わないままキッチンを出ていった。
待って、と言えなかった。屋敷しもべ妖精たちも、誰もレギュラスを引き止められなかった。喧嘩をふっかけた張本人であるアリアドネが、この場にいる誰よりも暗い顔をしていた。
「……メリークリスマスって、言えば良かったかな?」
冗談めかすようにアリアドネは力なく笑う。ヴィヴィアンは彼女の隣に立ち、レギュラスが出ていったばかりの扉を見つめた。
「メリークリスマス」
届かない声が小さくこぼれる。それから、アリアドネに笑いかけ、彼女の手を握った。
ホグワーツ最後のクリスマス。三人、別々のところで過ごすことになる。今年の冬はとても寒く、握り合った手の温もりが骨身にしみる思いだった。