それは数年前のクリスマスのこと。
まだ年若い屋敷しもべ妖精は、溢れる好奇心に負け、隣の部屋から聞こえてくる会話に、長い耳を立てていた。
「本当にいいのですか、母さん。もうすぐあの子が帰って来るのですよ?」
「まだプレゼントのことを気にしているのね。大丈夫よ。ちゃんとお父さんが選んでくれたわ」
「しかし、父さんのプレゼントは……あの子が気に入るとは思えない。母さんが選んでいないことは、あの子もすぐに気がつきます」
「しつこいですよ、カイウス。母さんは決めたのです。もう、あの子を甘やかさないって」
「母親からの愛情を感じさせないことが、甘やかさないということなのですか! あの子はまだ子どもなのですよ?」
「そう思っていても、すぐに大人になるわ。カイウス、あなたが大きくなるのも、あっという間だったもの」
「そういう問題では……」
「あの子はね、お父さんが当主になったのを機に、母さんが研究の仕事をやめてしまったことを、知っていたの。ランスから聞いたのかしら。それで、母さんになんて言ったと思う? 『わたしのせいですか?』って、泣きそうな顔で言ったのよ……違うって教えても、あの子の顔は晴れなかった」
「だとしても、母さんのせいではありません。それがどうして、あの子を甘やかさないことに繋がるのですか?」
「あの子は賢い子だわ。自分が女の子に生まれたから、お父さんが当主に選ばれたのだということを、もう理解している。そんなあの子が母さんに負い目を感じてしまえば、きっといつまでも、この家に囚われてしまう。お父さんがあの子を当主にしようとするなら、母さんは、あの子がそれ以外の道を選べるようにしてあげたいの。たとえ嫌われてもね」
「……寂しがりますよ、きっと」
「それなら、母さんの代わりに、あなたが愛を示してあげて」
「いいえ、できません。母さんを差し置いてなんて」
「カイウスったら……頑固な子ね……」
「母さんに似たんです」
「もう……じゃあせめて、とびっきりのプレゼントを用意してあげなさい。お父さんのプレゼントを悪く言ったんですからね」
「それは……わかりました。では、僕──私は、とびきり暖かい靴下を贈ろうと思います。あの子の心も温めてくれることでしょう」
「気に入ってくれるといいわね」
──数年前に聞いたその会話を、屋敷しもべ妖精はまだ覚えていた。何とも不器用な家族に仕えてしまったものだと思った。
彼らの言う『あの子』にとって、彼ら自身がどれほど大切な存在か、自覚がないことに恐れ多くも憤りすら覚えた。『あの子』の心があと少しでも脆かったなら、壊れてしまっていたかもしれないのだ。しもべにとってもまた、『あの子』は生まれた頃から世話をしてきた、娘のようでもあり、妹のようでもある存在だった。
小さなしもべは知っている。『あの子』がいつも、とても分厚い靴下を、散々迷って悩んでから、結局決まってホグワーツ行きのトランクの中へ入れることを。
小さなしもべは知っている。『あの子』を想う母親が、一度贈ったのなら……と、誰に聞かせるでもない言い訳をしながら、二着目のドレスを贈ったことを。
優秀なしもべは何も言わない。いくら暖かいとはいえ、毎年色違いを贈るのは流石にどうか、と思ったこともあるが、出過ぎたことは言わない。
屋敷しもべ妖精たるもの、与えられた命令を淡々とこなすのみ。私情はグッとこらえるべし。決意を新たに、真面目なしもべは仕事へと戻った。
*
世間がクリスマスや年越しで沸き立つ頃。イギリス郊外にある、ひとつののどかな村から、一夜にして忽然と住民たちの姿が消えた。
何の変哲もない小さな村だった。変わった特産品も、目立った観光地もない。平凡な村だった。ただ──かつて魔女狩りに熱狂していたという忌まわしき過去を除いて。
昔、この村を治めていた魔女が、火炙りの刑に処された。彼女に連なる一族も同様に、ひとりも残らず、マグルたちは嬉々として火にくべた。そんなマグルたちの末裔が、今もこの村に住んでいる。過去のことなどまるで、おとぎ話であったかのように。魔法族の灰が降った地の上で、のうのうと暮らしていた。
許してはおけぬ、と闇の帝王は仰った。村をマグルの手より奪還するよう、忠実なしもべたちに命じた。と言っても、年若い死喰い人に任された仕事は、奪還したあとの村の片付けだ。
マグルの街を派手に壊すばかりでは、魔法省が必死になって隠蔽するだけである。あらゆる手を尽くしてマグルの目を誤魔化し、魔法の存在を隠すということに、彼らは心血を注いでいる。無意味な努力だ。無駄な時間だ。今を生きる魔法族は皆、それを強いられている。
闇の帝王はそんな魔法界を変えようとしておられる。今回の奪還作戦は、不本意ながら徹底して痕跡を残さないことで、魔法省に付け入る隙を与えず、無知なマグルたちに畏怖の心を抱かせるという試みだ。
レギュラスは数人の死喰い人たちとともに、箒に乗って村まで向かった。『姿現し』でも来られる自信があったが、団体行動を命じられたのだから仕方がない。同行した数人の死喰い人は皆、レギュラスよりも歳上で、パッとしない印象の魔法使いたちだった。
村に降り立つ。村人を追い出すという工程は既に終わっていた。人の気配はおろか、死体すらもなかった。凄惨な光景を想像していた分、拍子抜けしたような思いだった。
レギュラスはまだ実物の死体を見たことがなかった。好き好んで見たかったわけではないが、早いうちに慣れておかなければと覚悟していたのである。
たしかに、村の奪還という名目であれば、住民は殺さずにどこかへ飛ばすか、少し記憶をいじってやればいい。魔法使いらしい無駄のないスマートなやり方。
この作戦の指揮を任されたルシウス・マルフォイへの評価を、少し改めるべきだろう。マルフォイ家というと、財力にものを言わせるだけの一族だという印象が強かった。ルシウスはブラックの姓を持つ娘を妻に迎え、闇の帝王からの覚えもめでたい。ひとかどの人物なのかもしれない。ホグワーツでの在学期間がほとんど被らなかったので、彼のことはあまり覚えていなかった。
レギュラスは村の中を散策し、ところどころ壊れた建物を修復していった。ともに村へやって来た死喰い人は、金目のものがないか漁っているようだった。強盗まがいのことをしに来たわけじゃないのに。こんな奴らと一緒にされるのは癪だったが、不貞腐れてなどいられない。む。これもルシウスの采配であるなら、ブラック家の次期当主に対してなかなかの仕打ちではないか。
自分がもっと早く生まれていれば、もっと早く死喰い人になれていれば、こんなところでレパロを連打せずに済んだのに。とはいえ、こればっかりはしょうがない。ないものねだりをしても時間の無駄だ。今の僕でなければ、得られなかったものもあるのだから。
村の奥へ進むにつれ、壊れた建物が増えてきた。あぁ、ここなんてひどい有様だ。素朴な一軒家の、屋根も壁も吹き飛んでしまっている。
これは十中八九、補佐として同行を命じられていた、ベラトリックス・レストレンジの仕業だ。彼女の旧姓はブラック。レギュラスの従姉である。
昔から気性の荒いひとだった。村人をちまちま探すのに嫌気がさして、暴れたのだろう。ルシウス・マルフォイでも彼女を止められなかったようだ。
ここを修復するのは骨が折れるぞ。レギュラスは家だった物の中に足を踏み入れた。瓦礫を浮かせ、組み立てながら少しずつ直していく。そうして家の一番奥まで進み、キッチンがあったであろう場所に、被さっていた屋根の残骸を除けた。
すると、その下に何か、動く生き物がいた。
──小さなマグルだ。
レギュラスがそれを見たのと同時に、うずくまっている子どもの腕の中から、黒い猫がひょこりと顔を出した。猫は威嚇するように荒々しい鳴き声をレギュラスに浴びせる。
その声に反応して、マグルの子どもがびくりと顔を上げた。青い瞳をした少女だ。レギュラスが一歩近づくと、少女は黒猫を腕に抱え直して背中を向けた。
「やめて……この子だけは助けて……」
小さな子どもが、か細い声でそんなことを言っている。
レギュラスは、伝えられた任務の内容を思い返した。
『奪還した村の片付け。生き残りがいればそれも片付けろ』
なら、僕が取るべき行動は──。
レギュラスは杖を少女に向け……るのではなく、ずっとシャーシャーと鳴き声を上げ続ける黒猫へと向けた。
「……シレンシオ 黙れ」
猫の鳴き声がプツンと不自然に途切れる。少女が狼狽え、泣き喚こうとしたので、同じ呪文をかけた。この効果は一時的なものだ。隣の村に着く頃には元に戻っているだろう。
レギュラスは直したばかりの勝手口に向かって杖を振り、扉を開け放ってみせた。
「さっさと行け」
少女は青い目を見開いて驚き、それから黒猫とともに駆けていった。
……命令に背いたわけじゃない。片付けろという指示は曖昧であったから、マグルに魔法の存在を恐れさせるという大義を優先したまでだ。
あの少女を見逃す価値はある。声が出るようになれば、当然誰かに魔法の存在を話す。幼い子どもの言うことだから、頭の固いマグルの大人たちはそう簡単には信じないだろう。
しかし、いずれマグルは住民たちの消えた村を目の当たりにする。そのとき少女の証言が真実味を増し、彼らに恐怖を植え付ける。
少女の姿が完全に見えなくなり、レギュラスは勝手口を閉めた。後ろから物音がする。
「何か居たか?」
「いえ……猫に逃げられただけです」
様子を見にきた死喰い人にそう答えて、家を出る。修復し終えた村には、何事もなかったかのように穏やかな風が吹いていた。
この選択はきっと正しかった。自分にそう言い聞かせる。僕は
殺すことは容易かった。手段としても、気持ちとしても。小さいマグルひとり殺すのに、躊躇なんてなかった。
ただ、少女の青い瞳が、『あの子』を思い出させたから。彼女が知ったらどう思うか。頭をよぎった。それだけが、レギュラスを引き止めたのだった。