数年ぶりにクリスマスをウィングス家の屋敷で過ごし、特に変わったこともなく年が明けた。休暇が終わる日、ヴィヴィアンは長兄に付き添われてキングス・クロス駅まで『姿現し』をした。長兄が見送りに来たのはホグワーツに入学したとき以来だった。
ヴィヴィアンだってもう17歳なのだし、試験にも合格したのだから、ひとりで『姿現し』ができる。わざわざ仕事の時間を割いてまで見送る必要はない。そう言ったのだが、長兄は頑固であった。
いつも父から見送りを言いつけられる次兄がすっぽかしているのを知っているのか、それとも、よほど死喰い人を警戒しているのか。あるいは、メープルが不在であることが関係しているのだろう。
休暇が始まるまで、てっきり彼女も屋敷に帰るのかと思っていたのだが、実際はそうではなかった。父がメープルに命じたのは監視役だけではあるが、特例措置の条件として、ホグワーツでの家事仕事もきちんとこなさなければならない。久しぶりに、メープルの作るクリスマスケーキが食べられることを期待していたのだが、彼女も色々と忙しい身だから、こちらもわがままは言えない。
ヴィヴィアンはホグワーツ特急に乗り込み、列車が動き出すまでずっと、駅のホームに長兄が立っているのを、窓からこっそりと見届けた。恥ずかしいような、戸惑うような、ふわふわとした気持ちで列車に揺られながら、ホグワーツへと戻ってきた。城へ足を踏み入れると、すぐにメープルが出迎えてくれたので、ヴィヴィアンの気持ちは嬉しさで塗りつぶされた。
新学期も相変わらず、レギュラスの周りから人がいなくなることはなかった。しかし以前ほどベタベタと付き纏われている様子はなく、興味本位で彼にくっついていた生徒たちは、彼の動向をチラチラと気にしつつ、他寮の生徒を威嚇するのみに留まった。レギュラスのそばには、本気で死喰い人に近づく野心と覚悟のある者だけが残った。
このままでは、いずれ死喰い人としての悪巧みを躊躇わなくなってしまう。ヴィヴィアンは以前にも増して彼らの行動に目を光らせた。何度かこっそり後をつけてみたものの、レギュラスが彼らを連れてどこか人目のつかない場所へ行く様子はなかった。
安堵していたのもつかの間、さっそくメープルから報告があった。ひとりでいたレギュラスの姿が見えなくなった、と。何もないはずの廊下で突然消えたという。ヴィヴィアンはそのカラクリにすぐに思い当たった。
メープルの見ているときに、彼が『必要の部屋』に入ったことはなかったのだろう。ヴィヴィアンは、ひとりで8階の廊下へ向かった。
アリアドネには声をかけなかった。彼女がいないほうが、レギュラスは素直に言うことを聞いてくれると思ったからだ。そんな理由で黙っておくのは心苦しかった。けれど、アリアドネは相変わらず心を見透かしたように、「気をつけてね」とだけ言ってヴィヴィアンを送り出してくれた。
8階の廊下に着き、いつもと違うことを思い浮かべながら、三度、壁の前を往復する。自信はなかったが、扉は現れてくれた。思い浮かべたのは、レギュラスに会わせてほしいということだった。
扉は、ヴィヴィアンの知る秘密の談話室へ繋がるものとは、形と大きさが異なっていた。中身は別の部屋になっているのだろう。この不思議な部屋は、訪れた者が必要とした部屋に変わる。レギュラスは何を必要としたのか……。
ヴィヴィアンは大きく息を吐き、重い扉をゆっくりと押し開いた。
中は三人用の談話室よりも広々とした部屋だった。明かりは揺らめく松明だけで少し薄暗い。コツンと足音の鳴る固い大理石の床。
部屋に一歩入って見渡すと、人影のようなものが複数見えて、ヴィヴィアンはびくりとした。目を凝らしてみると、それらは人ではなかった。向かいの壁際に、魔法の練習に使うような木製の人形がずらりと並んでいる。頑丈そうな大きなものから、すばしっこそうな小さなものまで。自走させられるように足元にコマがついていた。
右側の壁には本棚があり、一番奥の棚には様々な魔道具が収められていた。あとの壁は鏡張りになっていて、その前にレギュラスがいた。
彼はヴィヴィアンの姿に気がつき、部屋を自慢するように腕を広げた。
「見てくれ。強くなりたいって願ったら、こんな部屋になったんだ」
彼は嬉しそうに言う。勝手に入ってきたことを咎められなかったことに、ヴィヴィアンは少しだけ安堵した。ここで何か死喰い人としての悪巧みをしようとしていたわけではないらしい。とはいえ、強くなりたいと願うのも、ひいては同じことに繋がるだろう。
「どうしてそんなに、強くなりたいの? 闇の帝王のため?」
「君のためって言ったら?」
レギュラスはおもむろにヴィヴィアンのほうへと近寄り、腰をかがめてエスコートするみたいに片手を取ろうとする。前にヴィヴィアンをからかったのと同じ手口だ。
「冗談はやめて」
それをさっと避け、呆れながらため息をつく。良い訓練場を見つけたからか、レギュラスはどこか上機嫌だった。
「いいじゃないか。せっかく今は、アリアドネの邪魔が入らないんだから」
「……彼女のことを悪く言わないで」
ヴィヴィアンは語気を強めて窘めた。彼は少しシュンとして、声を落とした。
「君はいつも、アリアドネには優しいんだ。僕のほうが先に友だちになったのに……」
拗ねるようにぼやき、唇を尖らせてムスッとする。まるで子どもみたいな言葉と仕草だった。急にそんなこと、やめてほしい。こうすればヴィヴィアンが絆されるとでも思っているのだろうか。計算の上だとすれば末恐ろしい。天然だとすると、もっと恐ろしい。
ヴィヴィアンが口を閉ざしたのを見て、レギュラスは、そういえば、と続けた。
「知っているかい? アリアドネの祖母は元闇祓いなんだ」
知っている。アリアドネ本人から聞いた。けれど、どうして彼がそれを知っているんだろう。闇祓いは、いわば死喰い人の天敵だ。恨まれる仕事だと語っていた彼女が、死喰い人であるレギュラスに教えるわけがない。
「どうしてそんなこと、知っているの?」
大した答えは聞けないだろうとわかっていながら、思わず尋ねた。レギュラスは何の気もなしにさらりと答えた。
「アリアドネが、らしくないことを言うから、調べたんだ。祖母の影響を受けたんだろう。だから、闇祓いになるなんて言うんだ。臆病なアリアドネには向いていないよ」
呆れたように肩をすくめた。まるで、悪い冗談だろうとでも揶揄うみたいに、軽い口調で。どんな思いで彼女が、闇祓いを目指すと言ったのかも知らずに。
ヴィヴィアンは拳を握りしめた。ふつふつと湧き上がってくる気持ち……友だちに対して、こんなに怒りを感じたのは初めてだった。震える手をローブの中に隠しながら、レギュラスに問いかけた。
「じゃあレギュラス、あなたはどうなの? 死喰い人になることが、自分に向いているって言えるの?」
「そうなれるよう、ここで努力をするんだ。もっと強くなって、闇の帝王のお役に立つんだ」
彼は誇らしげな遠い目をした。右の手が、左の腕を包んでいる。その下にあるのは、彼が闇の帝王のしもべであるという証だ。レギュラスの手は、それが自分にとって最も大切なものであるかのように、優しく腕を撫でていた。
ヴィヴィアンは自分の口から出る声に、トゲトゲしさが増すのがわかった。
「そうやって強くなって、闇祓いを殺したいわけ?」
「殺すことが目的じゃない。戦わずに済むならそれが一番だ。彼らが邪魔をしなければ、無駄な血を流さなくて済む」
「彼らは大切なものを守るために戦っているの。邪魔をしているのはあなたたち死喰い人のほうよ!」
怒りをぶつけるように言い切ると、レギュラスは驚いたように目を見開いた。けれど、それもつかの間で、ヴィヴィアンを諭すように微笑み、声を優しくした。
「……アリアドネから何を吹き込まれたのかは知らないが、僕らは魔法族の味方だ。魔法界をマグルの手から守り、より良くしたいと願っている。闇の帝王の元で魔法界の秩序を整えるためには、まず無知なマグル出身者を排除する必要がある。なのに、闇祓いはいつもマグルの味方をする」
「それは、死喰い人が人の命を奪うからよ」
人を殺してはいけない。子どもでも知っていること。そんなことも守れない死喰い人たちが、何人も捕まっている。彼らの独断なのか、それとも『例のあの人』の指示なのかはわからない。どちらにしたって、恐ろしいことには変わりなかった。レギュラスはそんな人たちの中に身を置いているのだ。
「言っただろう? 戦わずに済めば一番だ。抗わなければ、命までをも奪う必要はない」
ヴィヴィアンは胸を押えながら、震える声を吐き出した。
「だったら──抗う者は、たとえアリアドネであっても、あなたは殺すの?」
言葉にしてしまったら、現実になってしまいそうで怖かった。けれど、彼の心を聞かずにはいられなかった。
ヴィヴィアンの目を見て、レギュラスは一度深く目を閉じた。呆れたようにも苦しむようにも聞こえる息を吐いてから、ゆっくりとまぶたを開き、灰色の瞳を見せた。
「……君を、悲しませはしない」
クリスマス前に聞いたアリアドネの言葉を思い出す。レギュラスはいつかヴィヴィアンを悲しませるだろう、と。あのとき彼は言い返せないまま、アリアドネに背を向けてしまった。
「約束できる?」
一歩近づいて顔を覗き込むと、レギュラスが目をそらした。
「私の目を見て」
ヴィヴィアンは両手を伸ばし、彼の頬を挟んで、無理やりにこちらを向かせた。困ったような目をしている。叱られた子どもみたいだ。
「──約束する」
彼の声音、仕草、視線。灰色の瞳から、内心が手に取るようにわかる。
いつの間に、わかるようになっていたんだろう。初めて相対したときは、何も窺い知れないと感じていたのに。その瞳の奥に純粋さが溢れていることを、今のヴィヴィアンは知っている。それは、死喰い人になった今も。
誰かを傷つけることを好まない人。だけれど、綺麗事ばかりじゃいられないことも、心のどこかでわかっている。闇の帝王に命じられれば、どうしようもないと理解している。私も。彼も。
「……ダメ。もっと信じさせて」
その言葉にレギュラスは眉をひそめて目を伏せたあと、顔を挟むヴィヴィアンの両手を取った。それを自分の両手の中に包み込み、祈るような形を作りながら、目を合わせた。
「わかった……なら、こうしよう。アリアドネがもし本当に闇祓いになっても、僕は、彼女を殺さない。それだけじゃない。ほかの死喰い人の手から、彼女を守ると誓うよ」
え? と声が漏れかけた。予想以上の答えだった。
「そんなことが……許されるの?」
「許される立場まで、上り詰めてみせる」
決意に満ち溢れる芯の通った声だった。彼は今度こそ目をそらさなかった。しかし──、
「……わかったわ」
ヴィヴィアンはそう答えながら、彼と目を合わせ続けることができなかった。
レギュラスの純粋な心は、本気でそれができると信じている。その思いが、胸を痛ませるほど強く伝わってきた。無理やりにでも信じたかった。けれどヴィヴィアンには、彼と同じように闇の帝王を信じることが、できなかった。
これまで数々の死者と行方不明者を出し、魔法戦争を始めた張本人は、闇の帝王だ。人を人とも思わない死喰い人たち。その頂点にいるのが闇の帝王だ。
名前を呼ぶことも恐れられた最強の闇の魔法使いが、レギュラスの願いを理解し尊重してくれるとは、どうしても思えなかった。
***
──その夜、私は夢を見た。
クィディッチの試合を観ている夢だった。あぁ、この光景は見覚えがある。過去に観た試合そのもの。
どうして、今になって、あのときの夢を見るの?
スリザリン対レイブンクロー。選手のひとりにブラッジャーが当たり、一時中断となった。試合再開後、そう、ここから、アリアドネの箒が暴れ始めた。彼女がレイブンクローの観客席のほうを見て、私の名前を叫んだ。
知っている。そのあと、箒から放り出されたアリアドネを、レギュラスが受け止めるの。
記憶の通り、夢の中でもレギュラスが助けに入った。けれど、夢の中だから、記憶にないことが起きた。
アリアドネを受け止めたレギュラスだったが、バランスを崩して箒から落ちてしまった。二人して落下していく。頭から落ちたらひとたまりもない。
たいへん! そう思うのと同時に、私は観客席の柵を乗り越えていた。夢の中の自分は、時として無謀なことをするものだ。
何してるの私!? 落ちちゃう! 足がすくむのを覚悟したけれど、私の身体は空中に留まっていた。あ、そうか。夢の中の私には、翼が生えているんだった。
私は空を飛んで、落ちる二人の身体を受け止めた。ゆっくりと着地して、二人を抱きしめる。二人も抱きしめ返してくれる。勢い余って倒れ込み、グラウンドに寝転んで、三人して笑った。最後にこんなふうに三人で笑えたのは、いつだったかしら……。
夢から覚めてしまうのが惜しくなるほど、幸せな夢。温かな夢。なのに、今はちょっぴり涙が出てくる。
もし、私にこの夢を見せている者がいて、私が元気になると思っているのなら、とんでもない見当違いだ。誰でもいいから文句を言ってやりたい気分だった。
あぁ、なんて夢を、見せるのよ……。