波乱のあったイースター休暇が終わった。休暇明けのホグワーツには、約束通りレギュラスも戻ってきていた。彼の様子は、ブラック家で会ったときとは打って変わって、休暇前と比べても違いがわからないくらい 、堂々としていた。憔悴した彼の姿を見たヴィヴィアンでさえ、あれは夢だったのではないか、と思わされるくらいの、自然な振る舞いだった。
しかし、放課後にこっそりと『必要の部屋』で二人きりになると、彼は気が抜けたようにだらりとソファにもたれ掛かるのだった。居心地のいい秘密の談話室が、まさに必要なときだった。
レギュラスは、心が変わったことを誰にも話さないだろう。ブラック家で彼は衰弱したクリーチャーのことを、アリアドネにも言うなと釘を刺した。ヴィヴィアンにも言うつもりはなかったと吐露していた。ひとりで抱えるつもりだったのだ。
『例のあの人』への不信感を抱いたまま、忠実な死喰い人のフリをし続けるなんて危険すぎる。彼もわかっているはずだ。けれど、冷静な判断ができるようになるまで、砕かれた心が回復するにはきっと時間がかかる。その間、ヴィヴィアンが代わりに冷静でいなければ。あと少しで卒業だ。ホグワーツには、すぐに居られなくなる。それまでに考えなければ。
どうすれば、レギュラスを守れるのか。どうすれば、『例のあの人』を倒せるのか。
今のレギュラスが決して選ばない道を、ヴィヴィアンは提案することにした。
「誰かを頼りましょう? 『例のあの人』は、私たちだけで敵う相手じゃないわ」
「……」
恥ずかしくても、情けなくても、ひとりで押しつぶされてしまうくらいなら、誰かに頼ってみればいい。責任感の強いレギュラスには、なかなか持てない考えだろう。強大な相手に立ち向かうには、仲間が必要だ。
レギュラスは何か言いたそうに口を開いたが、黙り込んだままだった。ヴィヴィアンは続ける。
「ダンブルドア先生でも、スラグホーン先生でもいいわ。私も一緒に行くから」
「……死喰い人だからと、魔法省に引き渡されたらどうする? 僕が卒業して生徒でなくなれば、味方になってくれる保証はない」
過去の過ちが、蛇のように巻きついて、彼を動けなくしている。ひとりにさせようとする。
「じゃあ、せめてアリアドネを……」
ヴィヴィアンと同室なのだから、アリアドネにバレるのは時間の問題だ。今はまだ、こっそりとレギュラスと会っていることを、指摘されてはいない。聡いアリアドネなら、いつかは気づく。それどころか、もう気づいていて見て見ぬふりをしているようにも思える。けれどまだレギュラスは、彼女を『必要の部屋』に呼ぶことを許してはくれない。
「わかっている……アリアドネを信用していないわけじゃない。ただ、危険なんだ。君も知ってのとおり、闇の帝王に──『例のあの人』に預けたクリーチャーが、自ら僕のところに戻ってきた。『あの人』を介さず、だ。この意味がわかるかい?」
レギュラスは焦っているかのようにまくし立てる。自分自身に問いかけているようにも思えた。ヴィヴィアンは努めてゆっくりと答えた。
「……『あの人』の命令に背いて、勝手に帰ってきた……でも、追っ手がなかったということは、『あの人』はクリーチャーが生きていることを知らない?」
「あぁ。おそらく『あの人』はクリーチャーを殺したつもりでいる。もしも、クリーチャーに命じられた仕事が『あの人』にとって重大な秘密であったなら──」
彼はそこで言葉を止め、ヴィヴィアンと目を合わせると、我に返ったかのように、大きく息を吐いた。
「……とにかく、危険なんだ」
誤魔化すようにそう結論づける。今度はヴィヴィアンがまくし立てた。
「アリアドネは闇祓いを目指しているのよ? 危険とは隣り合わせだわ。『あの人』に捕まった闇祓いがどうなるかなんて、目に見えているでしょう? 心配なんて今更よ」
レギュラスが心配するのも尤もだ。けれど、彼が死喰い人になったとき、危険を承知で抗うことを真っ先に決めたのはアリアドネだ。三人のうちの誰よりも深く覚悟をしているだろう。
迷っているのか、レギュラスの灰色の瞳が揺れる。言い返される前にヴィヴィアンは畳み掛ける。
「先生たちのことを信用できないっていうのなら、それでもいいわ。けれど、アリアドネのことを信用しているというのなら、頼るべきよ。あなたやクリーチャーを守るのに、私とメープルだけじゃ力不足だわ」
彼らの秘密を知っているのは二人だけ。ヴィヴィアンの魔法の腕前では守るのに頼りないし、メープルは戦うことが本業ではない。アリアドネに全てを話せば、きっと力になってくれる。仲間が増えれば、良いアイデアを考えられる。欠点を補い合える。
レギュラスがヴィヴィアンの顔を見て、また何か言いたそうに口を開こうとした。しかし、黙り込んで考える素振りを見せてから、答えた。
「…………わかった。君に知られてしまった以上、そうするのが最善か……」
渋々といった態度を隠そうともしなかったけれど、レギュラスはようやく説得に応じた。アリアドネに全てを話して『必要の部屋』へ呼んでいい、という約束を取り付けた。休暇が明けて二週間ほどが経った日のことだった。
*
レギュラスを説得できても、問題はまだあった。今度はアリアドネのほうをどう説得するか、だ。事情を話せばきっと味方になってくれると信じてはいるけれど、まず話を聞いてくれないことには何も始まらない。どう切り出すかが肝心なところだった。
「アリアドネ……話があるのだけれど」
ヴィヴィアンは就寝前に声をかけた。休暇が明けてから、アリアドネとはあまり話す機会が取れていなかった。放課後にひとりでレギュラスに会いに行っているせいでもある。が、最近のアリアドネは、死喰い人になったあとのレギュラスに対するのと同じような態度で、ヴィヴィアンにも接するようになり、話しかけても最低限の返事しかしてくれなかった。
「ねぇ、もしかして、手紙を返さなかったから、怒っているの?」
「……なぁんだ、覚えてたんだ」
アリアドネは吐き捨てるように言う。図星だったようだ。
イースター休暇中、アリアドネに急いで手紙を出し、メープルがホグワーツにいるかを確認してもらった。そのおかげでメープルがレギュラスのところにいると確信できたのだが、結局ヴィヴィアンはアリアドネに返事を書きそびれたままで、休暇が明けてしまった。メープルのことも話していなければ、お礼の言葉も返せていない。
「あなたがいてくれて本当に助かったの。ありがとう。それから、ごめんなさい。返事を出せなくて。心配をかけてしまったわよね……?」
「いいよ。どうせ、レギュラス絡みなんでしょ? 無理してあたしと仲良くしなくたっていいんだよ」
彼女の声が震えているように聞こえた。アリアドネはヴィヴィアンの視線を遮るように、ベッドのカーテンをピシャリと閉めてしまった。
明らかに怒っている。そして、悲しんでもいる。当然だ。かつてレギュラスがヴィヴィアンたちの手紙に返事をくれなかったとき、二人で怒りもしたし、心配もした。あのときと同じ気持ちを、アリアドネひとりにまた味わわせてしまった。
「そんなこと言わないで……無理なんてしていないわ」
居ないフリをするみたいに息を殺しているのか、カーテンの向こうからは物音すら聞こえない。それでもヴィヴィアンはカーテン越しに話しかけ続けた。
「ねぇ、アリアドネ。あなたは、レギュラスを止めるために、闇祓いになるんでしょう? でも、もし、その必要がなくなったとしたら……」
わざと興味を引くように、思わせぶりな言い方をした。何気ないふうに問いかけた言葉のうちに秘めた意味を、聡い彼女なら気づいてくれるだろうか。そんな期待を込めて投げかけたヴィヴィアンの声は、しかし、薄いカーテンに跳ね返されているかのように、静かな部屋の中で虚しく響くだけだった。
今日のところはダメかもしれない。また明日、面と向かって話そう。ヴィヴィアンは、のろのろと自分のベッドへ入り、「おやすみなさい」とだけ言っておこうと口を開いた。
けれど、声を発する直前で、向かいのベッドのカーテンが揺れるのが見えた。未だ警戒を滲ませたまま、それでも歩み寄る意志を示すように、ほんの少しだけカーテンの端が開かれた。枕の上に乗った栗色の頭だけが、そこから覗いている。こっちを向いてはくれないものの、ぽつぽつとこぼすような、アリアドネの声が聞こえてきた。
「……きっかけは確かに、レギュラスだったけど……闇祓いになりたいって夢は、あたしが選んだ道だよ。レギュラスのためじゃない。自分のために、決めたことだよ」
アリアドネがゆっくりとカーテンを開く。ヴィヴィアンはベッドから起き上がり、彼女と目を合わせた。アリアドネは少し戸惑うように、上目遣いで見つめ返してきた。
「あたしは、きみが
彼女の言う
「大丈夫、安心して。全部話すから──」
休暇中にブラック家へ行ったこと。メープルにレギュラスを監視させていたこと。ヴィヴィアンは順を追って知っていることを包み隠さず話した。
ブラック家で見た、衰弱したクリーチャーの様子。そして憔悴したレギュラスの様子。クリーチャーに何があったのかは、ヴィヴィアンもまだ聞けていない。レギュラスが心変わりしたことを、信じてもらう根拠としては乏しいかもしれない。けれど、彼の屋敷しもべ妖精への接し方を知っているアリアドネだからこそ、この出来事が彼の心にもたらした影響の大きさに、理解を示してくれた。
いつもは早くに寝てしまうヴィヴィアンだったが、日付が変わったことにも気づかないまま話し続けた。アリアドネと二人でする久しぶりの夜更かしだった。
*
次の日の放課後。誰かに見られるのを警戒し、ヴィヴィアンとアリアドネは別々の道を通って、『必要の部屋』がある8階の廊下までやってきた。誰もいないことを確認し、何もない壁の前でうろうろと歩く。扉はちゃんと現れた。中にいるレギュラスが、入ることを拒否していない証拠だ。
扉を開くと、三人が必要とした小さな談話室が用意されていた。定位置だったひとりがけのソファから立ち上がり、レギュラスが二人を出迎えた。
「……久しぶりだね。三人で会うのは」
部屋に足を踏み入れ、閉まった扉の前で立ちつくしたまま、三人でぎこちなく顔を見合せた。
卒業までもう少しというところで、ホグワーツにいるうちに、もう一度三人で過ごすことができるとは思わなかった。良いことばかりではないけれど、やっぱり嬉しさを感じてしまう。
初めはアリアドネを巻き込むことに乗り気ではなかったレギュラスだったが、彼女を拒絶するような素振りを見せることはなく、困ったように眉を下げて少し不安げな表情をしていた。
一方でアリアドネは、部屋へ入ったときから……いや、朝起きたときからずっと、唇をムッと結んで難しい顔をしていた。レギュラスに何を言おうか考えていたのだろう。
ヴィヴィアンは、アリアドネが話し始めるまで待った。レギュラスもまた、最初に出迎えたとき以来、声を発さず、ぽつんと立ち尽くしていた。
ふかふかのソファに誰も座ろうとしないまま、1分にも10分にも思える沈黙ののち、アリアドネが真剣な眼差しでレギュラスに向かい合った。
「……事情はヴィヴィアンから聞いた。けど、いくつか質問させて。きみの口から聞きたい。レギュラス、きみは──『例のあの人』をどう思ってる?」
ようやく口を開いたアリアドネの声音は固く、彼女がレギュラスを尋問するつもりなのだとわかった。レギュラスは小さく息を吸って、目を逸らさずに答えた。
「──恐ろしいよ。『あの人』のことも、『あの人』についていこうとしていた自分のことも」
「じゃあ、マグルやマグル出身者のことは?」
アリアドネは間髪入れずに聞いた。レギュラスはじっと目を閉じて、少し考える時間を取ってから話し始めた。
「……以前の僕は、魔法界を守るためなら、彼らの犠牲は仕方の無いことだと思っていた。だがその考えは、『あの人』がクリーチャーの──ひとりの屋敷しもべ妖精の命を蔑ろにしたことと、何も変わらないんだ。価値のないものだと決めつけて、一人一人の命の重さを知ろうともしなかった……君にはさぞ、僕が愚かな人間に見えていることだろう」
最後の言葉は、自虐するかのように言い放った。ヴィヴィアンは彼が、こうなるまで間違いに気づけなかった、と嘆いていたことを思い出した。アリアドネは目を閉じて、レギュラスの言葉を噛み締めるように聞いていた。彼女は彼の返答に意見を述べることはなく、尋問を続けた。
「次……きみは死喰い人になってから何をしていた?」
「……襲った村の隠蔽工作……ホグワーツでは、優秀な生徒を勧誘すること。それから──ダンブルドアの監視だ」
「え?」
ヴィヴィアンは短く驚きの声を上げた。ホグワーツにいる間も仕事を、それもダンブルドアの監視をしていたなんて、知らなかった。レギュラスがヴィヴィアンにも向けて説明する。
「僕みたいな若造には、外での仕事はほとんど任されなかった。代わりに、僕にしかできない仕事を任された。警戒されずにホグワーツに入れるのは僕だけだから。ダンブルドアは、『例のあの人』が唯一恐れる魔法使いだ」
アリアドネが小さく頷く。
「じゃあ、最後の質問。きみは──誰かを殺した?」
「いいや、決して。誰の命も奪っていない。だが、『あの人』に与していたのだから同罪だ。その罪は『あの人』に仇なすことで償いたい……命を賭けても」
レギュラスは淀みなくハッキリと答えた。アリアドネは今度こそ満足そうに、ゆっくりと大きく頷いた。
「……わかった。きみを信じる。あたしは喜んできみの力になるよ」
そう言うとアリアドネは、硬くしていた表情をほころばせ、ようやく下手っぴな笑顔を見せた。レギュラスのほうへ手を差し出して、握手を求める。彼が握り返すと、アリアドネはその手をぐいっと引き寄せてハグをした。レギュラスは驚いて少しよろけながらも、眉を下げて目を細める様子は、涙をこらえているように見えた。アリアドネは彼を励ますように、背中をバシバシと叩いた。
困ったような顔で視線を寄越すレギュラスに、ヴィヴィアンもまた、目頭が熱くなるのを感じながら微笑みかけた。