今年初めての雪が降り、下級生たちが犬のように中庭を駆け回る。そんな中、ヴィヴィアンはキッチンの暖炉の前で背中を丸めていた。
冬の訪れを実感したのは、レギュラスが教えてくれた場所のうち、外気に晒される船着場や天文台から自然と足が遠のいたことだった。室内であるトロフィールームや空き教室はまだマシだったが、やはり火を扱うキッチンには敵わない。大きな暖炉も完備し、ともすれば談話室にも負けない暖かさだ。冬の間はますます離れがたくなる。屋敷しもべ妖精たちが用意してくれたホットミルクを片手に、新しく借りてきた本──クィディッチの歴史について書かれた本だ──を読んだり、レギュラスと妖精たちとのチェスの対戦を眺めたりした。
そんな冬の日々にも、ヴィヴィアンの心を曇らせる行事がある。クリスマス休暇だ。
たいていの生徒がそうするように、レギュラスも家に帰るらしい。休暇前最後の日、「メリークリスマス」と言葉を交わした。
ヴィヴィアンは去年と同じく寮に残った。特段やりたいことがあるわけではないが、家に帰るのは気が進まなかった。去年初めてクリスマスをこちらで過ごすと伝えたとき、父は一言目こそ反対していたが、最終的には「クリスマスにひとりで平気だなんて、大人になったものだ」と分かったようなことを言って、納得したようだった。
家の食卓に並ぶケーキを食べられないのは少し寂しいが、ホグワーツの屋敷しもべ妖精たちはそれに負けないくらいの美味しいケーキを作ってくれるだろう。
休暇中は人が少ないのだから、いくらか過ごしやすい。だが、嫌でも思い出されるのは、去年のこの時期のことだ。夢魔の伝承を話してからちょうど一年が経つ。
ヴィヴィアンは自室のベッドに閉じこもり、カーテンをピシャリと閉めた。
いつもはできるだけ考えないようにしているけれど、今日はダメみたいだ。夢でも見せられているかのように、一年前の出来事が思い浮かんでくる。気が弱っているのだろうか。やっぱり、クリスマスにひとりなんて、まだ子どもの自分には強がりでしかなかった。頭の中が否応なくあの日の記憶に吸い込まれていく。
何がいけなかったんだろう……。恋の話で盛り上がる女の子たち。反芻する。夢魔の伝承は、ヴィヴィアンが唯一知っている恋の物語だった。後悔はしていない。ヒト以外の血を引くなんてそう珍しい話でもない。ヴィーラや巨人との混血は、どこにでもいるほど多くはないが、出会えないほど少なくもない。それと何が違う? 何も変わらない。そう言い聞かせて。でも……やっぱり、夢魔は、ちがう。人の命を糧にするいきもの。人と愛を育むなんて、本来はできるはずがなかった。一匹の夢魔が、恋をするなんて──。
ヴィヴィアンは身体の寒気で目が覚めた。毛布を蹴飛ばしてしまっている。いつの間にか眠っていたようだ。
カーテンをそっと開けると、窓から冬の青空が見えた。そして、ベッド脇の足元に、見慣れないものが置いてある。
今日はクリスマス。ささやかなプレゼントボックスが4つ重なっていた。ヴィヴィアンは寝ぼけ眼でベッドボードから杖を取り、ひとまずまとめてベッドの上に引き上げた。
可愛らしいピンク色の箱は、遠くに住む祖父母から。中身も可愛らしいマグカップ。キッチンに置かせてもらおうかしら。
一番重たい箱は両親から。銀色の古めかしい装飾の入った卓上時計。父が選んだものであることは明らかだった。ヴィヴィアンの持ち物と並べると、とても似合わない。昔は母が綺麗なお洋服を選んでくれたのに。
気を取り直して、次の包みに手を伸ばした。二人の兄から連名で、去年と色違いの靴下。分厚すぎて靴が履けなくなるため、自室にいるときにしか履けない靴下だ。
ここまでは予想通り。しかし、プレゼントボックスはあとひとつ。差出人の名前は書かれていない。
(誰からかしら?)
中身を確かめようとしたとき、
「め、メリークリスマス!!」
向かいのベッドから、大きな声が聞こえた。顔を上げると、同室の女の子が緊張した面持ちでこちらを見ていた。二人部屋だから彼女と自分以外には誰もいない。ヴィヴィアンに言っているのだろう。どうやら彼女もクリスマス休暇に家へ帰らなかったようだ。
「……メリークリスマス」
少し圧倒されながら、小さくぼそっと応えた。彼女はそれでもパッと顔を明るくした。
ここで顔を合わせるのは久しぶりだった。一年前からずっと、彼女が部屋に帰ってくる前に就寝し、彼女が寝息を立てている間に起きていたからだ。けれど、見覚えはある。それどころか、よく見ている。
(そういえば、この子……)
ピンクがかった栗色のツンツン元気なショートカット。活発そうな顔立ちに小柄で細身な女の子。授業のとき、一番最後に教室へ入ってくるせいで、ひとつだけ空いているヴィヴィアンの隣に座ることになる哀れな子。それは
「あ、あたし、アリアドネ!」
「えぇ、知っているわ」
授業で隣になると一緒に実習をすることもある。この一年間、ろくに話さなかったとしても、さすがに同室相手の名前くらいは覚えている。
「だよねぇー……えへへ」
アリアドネは照れくさそうに頭をかいた。
「ヴィヴィアンちゃん、お菓子たべる?」
照れ隠しなのかお菓子を差し出してきた。プレゼントボックスから空けたばかりの様子だ。断られるとは微塵も思っていなさそうなので、とりあえず貰っておいた。元気のいい子だ。
ヴィヴィアンは単刀直入に聞いた。
「あなた、どうして私に話しかけるの?」
「ヘッ!? あ、ごめん……邪魔だった?」
「いいえ、そんなことはないわ。ただ、急だったから不思議で」
「あたしにとっては急じゃないんだ。ずっと話しかけたいと思ってたんだけど……」
ちらりとヴィヴィアンのほうを見て、視線を迷わせてから、覚悟を決めたように声のトーンを下げた。
「──あたしね、いつも、わざと遅めに教室へ行くんだ。そうしたら、きみの隣の席しか空いていないから……」
「それって……」
アリアドネは不安げな表情で上目遣いにこちらを見る。彼女の言葉を咀嚼する。「遅めに」、「わざと」。ヴィヴィアンの隣の席しか空いていないのをわかっていながら──。頭が理解しても、心が追いつかない。自分の都合の良いように考えようとしているのではないか。急かすような心臓を深呼吸して鎮めつつ、冷静になろうと努めた。
つまり、アリアドネはわざとヴィヴィアンの隣の席に座っていたということになる。貧乏くじを引く哀れな女の子だと思っていた彼女は、恥ずかしがり屋なだけの優しい女の子だった──?
「そんなの……言ってくれないと、わからないわ!」
「そうだよね……ごめんね。傷ついたよね」
彼女は自分の事のように、しょぼくれた。この子は嘘を言っていない。いや、嘘をつくことなどできなさそうな子だ。
──レギュラスのときと同じように、また、信じたいことを、信じているだけかもしれない。それでもヴィヴィアンは、自分の直感を信じることにした。
「違うの。怒っているんじゃないの。少し驚いたけれど……嬉しいわ。私を気にかけてくれて、ありがとう」
戸惑いと不安を隠したくて、精一杯、微笑んでみせた。うまく隠せたのか、あるいは、その気持ちだけでも受け取ってもらえたのか、アリアドネは緊張を少し解いたように顔を明るくした。
「やっぱり。ヴィヴィアンちゃん、変わったね」
「え?」
ヴィヴィアンが首を傾げると、彼女もまた鏡映しのように首を傾げ、「うーんとねぇ……」と言葉を探しているようだった。
「前までのヴィヴィアンちゃんは、いつも『話しかけるな〜』っていうオーラが出てたんだ。あと、授業終わりの『早く出てけ〜』っていうオーラも」
アリアドネはそう言いながら、両手を頭の上まで持ち上げ、バラバラと指を動かした。“『早く出てけ〜』っていうオーラ”というものを表現しているらしい。ヴィヴィアンが怪訝そうに見ると、彼女は恥ずかしそうに手を引っ込めた。
けれど、当たっているかもしれない。夢魔だなんだと怖がっているくせに、機嫌を取るように話しかけられたくはなかったし、こそこそ話なんてせずにさっさと出ていってほしいと思っていた。態度に出しているつもりはなかったけれど、アリアドネは──ちょっぴり拙い言動に反して、意外と聡い子なのかもしれない。
アリアドネは声を高くして続けた。
「でも! 最近は違う! なんだか、明るくなったというか……だから今日は勇気を出して話しかけてみたの! だって今日はクリスマスなんだもん!」
喋るうちにまたテンションが高くなっている。ヴィヴィアンにはまだ気がかりがあった。
「あなた、私が怖くないの?」
夢魔の話を知っている前提で聞いた。あのとき彼女もあの場にいた。何度も思い出しているからわかる。あのときの彼女はどんな反応をしていたか。目を瞑って思い浮かべる。ヴィヴィアンが話し、静まり返る談話室。凍りついたような空気。そこで彼女は──。ヴィヴィアンは目を開けた。そのときの彼女と目の前の彼女が重なる。
「怖くないよ。だってすごいじゃん! 夢魔の血が入ってるなんて! 夢魔と人間が結婚するなんて……どんなロマンスがあったんだろ!」
目を輝かせていた。
彼女は一年前も「へぇーすごいね!」と一番最初に声を上げた。その声が、凍りついた空気を断ち切った。皆がぎこちない笑みを浮かべている中で、彼女はどんな顔をしていたか。覚えている。左上がりに口端をつり上げ、
ヴィヴィアンは思わず吹き出した。
「ふふ。あなた、笑顔が下手なのね」
「いやん! 見ないでぇ! コンプレックスなのぉ」
「そう? 可愛らしくて、私は好きよ……」
言いながら、泣きそうになっていた。目を細めて笑うふりをして、こぼれ落ちる前の涙を拭った。夢魔の血を引くことを、受け入れてくれる人がこんなに近くにいたんだ。見て見ぬふりをして、ちゃんと向き合うことを怖がって、遠ざけていたのは自分のほうだった。
アリアドネは笑顔を褒められ、頬を赤らめながら言う。
「えへへ。ありがとう……お菓子もう一個あげるぅ」
ヴィヴィアンはお菓子を貰って頬張った。起きたばかりの空腹に染み渡る、優しい蜂蜜の味がした。
手に抱えていたお菓子の箱が空になると、アリアドネは彼女のベッドの脇に置かれた、他のプレゼントボックスを漁り始めた。次の箱にもお菓子が入っていたらしい。また食べ始めた。よく食べる子だ。その小柄な身体の中には、胃袋を大きくする魔法でもかけられているのだろうか。
ヴィヴィアンも最後に残った差出人不明のプレゼントボックスを手に取った。一番小さな箱だ。ヴィヴィアンの瞳の色とよく似た青いリボンを解いて、少しドキドキしながら蓋に手をかける。危険なものじゃ、ないといいけれど……。最大限の悪い予想をしつつ、そっと蓋を開けた。
中身はネックレスだった。悪い予想が外れたことは、ひと目でわかった。金色のチェーンを持ち上げると、朝の光がキラキラと反射した。チェーンの先には、実物よりもうんと小さく、しかし精巧に形作られた、スニッチがついていた。今にも羽ばたきそう──ちょっと羽ばたいている。
「わぁ! スニッチだ! クィディッチ好きなの?」
お菓子を食べる手を止め、アリアドネがキラキラした目でヴィヴィアンの手元を眺めた。
「いいえ、私は別に……クィディッチ好きの友だちからのプレゼントよ」
誰からのプレゼントか分かり、ヴィヴィアンはふっと笑った。それを見たアリアドネは、何を思ったのか背筋を伸ばし、決意したように、
「……あ、あたしも! ヴィヴィアンちゃんと、友だちになりたい!」
そう言って唇を引き結び、緊張したようにギュッと手を握った。少し前にも聞いたセリフ。
「いいわよ。でも、その呼び方……」
「あ……ヴィヴィアンちゃんって呼んじゃダメかな……?」
ヴィヴィアンは少し考え、
「……呼び捨てでいいわ。『ちゃん』は要らない」
「やったぁ! もう一個お菓子あげる! ヴィヴィアン!」
再びお菓子を受け取り咀嚼しながら、ヴィヴィアンはアリアドネの下手っぴな笑顔をしばらく眺めていた。