一面の白い雪景色がすっかり目に馴染んできた頃。冬の穏やかな陽が差しこむ、お出かけ日和の休日に、4年生はホグズミードへ行くことを許された。外出の許可自体は去年からあったが、寮内で孤立し始めていたこともあり、ヴィヴィアンは気が乗らず一歩も城から出なかった。それを話すとアリアドネが、「ホグワーツ生ならば一度は行くべし!」と力強く勧めてきたので、今年は一緒にホグズミードへ行ってみることにした。
初めての街をアリアドネと二人で歩く。街にはホグワーツ生がたくさんいたが、みんな揃って、立ち並ぶ店に夢中になっていた。ヴィヴィアンもまた彼らと同じように、きょろきょろと街を見回した。雪を被った三角屋根がこちらを覗き込むように連なっている。色んな形をした看板が、おいでおいでと好奇心を手招きする。雑貨屋に、服屋に、喫茶店に、パブ! ……パブはできれば遠慮したい。けれど、イタズラ専門店だなんて! 誰かにイタズラをする予定はなくとも、心と足が引っ張られるような怪しい魔力を帯びていた。地面が歩きづらい雪道でなければ、ひとりでに吸い込まれていたところだ。
アリアドネはハニーデュークスというお菓子屋さんに行きたいらしい。まずは、その店に入ることにした。
ショーウィンドウに挟まれたドアを開けると、期待通りの甘い匂いに包まれた。お菓子の匂いが好きなヴィヴィアンにとっては、これだけでホグズミードに来た甲斐があったと思えた。
色とりどりの丸いキャンディが、ガラスケースの中にぎゅうぎゅうになって詰まっている。大小様々な瓶の中から、ナッツやガムやチョコレートが、おいしく食べてほしそうにこちらを見ている。さすがのヴィヴィアンも、匂いだけでは満足できないかもしれない。店内に入ってから微動だにしないアリアドネもまた、この楽園の景色を堪能しているようだった。
店の中にいる客はみな、言うまでもなくホグワーツ生ばかりだ。ヴィヴィアンがアリアドネのローブの袖を引いて、現実に呼び戻そうとしたとき、
「あ……!」
店の奥にスリザリン生の集団がいるのが目に入った。見覚えのある顔だから同級生たちだ。そして、その中にレギュラスもいる。彼も同時にこちらを向き、ヴィヴィアンたちがいることに気づいたようだった。スリザリンの友人たちが百味ビーンズを吟味しているのをいいことに、誰にも気づかれることなくこそこそと近づいて来た。アリアドネの姿をちらりと見、それから「外へ」と視線で示して店の外へ出た。アリアドネがお菓子に手を伸ばす前に、ヴィヴィアンは彼女の腕を引っ張り、レギュラスのあとを追いかけて店の脇の路地へ入り込んだ。
「わわ! な、何? あっ……! もしかして、きみがスニッチの!」
いきなり楽園から引き離され、混乱していたアリアドネが、レギュラスを見て声を上げる。送り主不明のスニッチのネックレスは、アリアドネの知っている“もうひとりの友だち”に関する唯一の手がかりだ。
レギュラスが何か言いたげにヴィヴィアンをじっと見たが、
「……なんの事かな?」
不服そうに、しらばっくれた。アリアドネにプレゼントのことを知られているのが不満なのだろう。
「あたし、アリアドネ! アリアドネ・ルーベル!」
「…………レギュラス・ブラックだ」
アリアドネは元気よく言った。レギュラスは不信感を隠そうともせず、渋々といった様子で名乗った。
「あたし、きみと話したいと思ってたんだ!」
「奇遇だね。僕もだよ。どうして今まで彼女を独りにしていたんだ。今さら友だちになろうっていうのは、都合が良すぎるんじゃないか?」
「ちょっと、何言って……」
ヴィヴィアンが二人の間に割って入るも、アリアドネはレギュラスに応戦した。
「そう言うきみこそ! 教室で彼女の隣に座ったことがある? そこに座ってるのはいつもあたしなんだから!」
「寮が違うんだから、仕方がないだろう。僕からすれば君は、空いていた席に渋々座っていたようにしか見えなかったが? 最初から隣に座っていたのなら、話は別だけれどね」
ごもっともだ。ヴィヴィアンも、彼女がわざと隣に座ってくれていたとは気づかなかった。
「ぐぬぬ……」
アリアドネが唸る。
「きみがあたしのことを良く思っていないのはわかるよ。こう……肌にチクチク来るんだよねぇ。嫌いっていうより、警戒……かなぁ?」
「見かけによらず、察しがいいみたいだね」
「ちょっとレギュラス!」
「えへへ。勘の鋭さは、あたしの取り柄なんだぁ」
「照れるんじゃない。褒めていないよ」
「レギュラス!」
ヴィヴィアンが叱るように呼ぶと、レギュラスは少ししゅんとした。しかし、アリアドネは彼ではなく、ヴィヴィアンのほうを宥めた。
「いいんだ。レギュラスが怒るのもわかる。あたしはヴィヴィアンのすぐ近くにいたのに、独りにしちゃった」
「あなたのせいじゃないわ」
ヴィヴィアンが目を合わせて言うも、アリアドネは首を横に振って、語り始めた。
「……怖かったんだ」
そんな一言目を聞いた途端、レギュラスが眉を吊り上げた。ヴィヴィアンは自分の唇に人差し指を当てて、黙っているよう促した。
「あたしなんかが話しかけて、嫌われるんじゃないかって、怖かったんだ……」
きっとレギュラスは、アリアドネが夢魔の噂を怖がっていたのかと思ったのだろう。ほらね、とヴィヴィアンは口に出さず目配せをした。アリアドネへと向けられるレギュラスの視線から、鋭さが薄れた気がした。
ようやく和解してくれるかと思えば、アリアドネはなおも続ける。
「あたし、初めて会ったときからヴィヴィアンに憧れてたんだぁ。クールで、かっこよくて、頭も良くて……あたしと正反対だからさぁ」
これは初耳だった。
「一年前からみんながヴィヴィアンを怖がるようになって……でも、きみは変わらずクールでかっこよくて、堂々としてた。強い人なんだって思った。あたしなんか必要ないんだ……って」
そんな風に見えていたのか。本当はぜんぜん、強くなんてない。周りの目を怖がって突き放していただけ。アリアドネが気にかけてくれていたと知って、どれほど嬉しかったことか。でも、本当のヴィヴィアンを今のアリアドネはわかってくれている。
「でも、違ったんだって気づいた。ヴィヴィアンが明るくなったからだよ。きみのおかげだね! レギュラス!」
アリアドネが一歩前へ出ると、レギュラスは半歩引いて、たじろいだ。それでもまだ頑固なようで、
「理由はわかった……だが、君がそんなに怖がりなら、どうして僕には突っかかってくるんだ」
苦し紛れにぶつけたにしてはヴィヴィアンも気になる疑問だった。
レギュラスがアリアドネをどう思っているかは明らかだが、アリアドネのほうは、こんなツンケンした態度を取るレギュラスのことを怖いと思わないんだろうか。
問われたアリアドネを窺い見ると、どうしてそんなことを聞かれているのかわからない、というような顔で、ぽかんと首を傾げていた。
「そんなの……決まってるじゃん! きみはヴィヴィアンの友だちだもん! 友だちの友だちは友だち! でしょ?」
アリアドネは元気よく言って、レギュラスへ手を差し伸べた。見覚えのある光景。今度はレギュラスが握手を求められる側になっている。
彼はいつかのヴィヴィアンと全く同じように、躊躇いながらぎこちなく手を持ち上げようとした。が、その前にアリアドネの手によって強引に捕まえられ、握った手を上下にぶんぶんと振られるのだった。
「わかった、わかったから。僕はそろそろ店内に戻らないと。居なくなったことに気づかれる」
解放された手を労わるように擦りながらレギュラスが言った。
「あ、あたしも! まだお菓子買ってない!」
「行ってらっしゃい。人が多くなってきたから、私はここで待っているわ」
「うん! ありがとうヴィヴィアン! すぐ買ってくるね!」
アリアドネはぴょこぴょこと飛び跳ねるように路地を抜け出していった。それを見て呆れたようにため息をつきつつ、続いて店へ戻ろうとしたレギュラスだったが、ふと立ち止まり、ヴィヴィアンのほうを振り返った。
「ところで、彼女には名前で呼ぶのを許すんだね」
友だちになったばかりのときレギュラスには、馴れ馴れしいからダメだと、名前で呼ぶのを許さなかったのだった。特に意識して差をつけたわけではなかったけれど、強いて言うならば……
「だって、あの子は私のこと、夢魔だなんて言わなかったもの」
初めから意地悪だったのはお互い様だ。
「君って……案外、根に持つんだね」
「ふふ、お褒めの言葉だと受け取っておくわ」
ヴィヴィアンはクスクスと笑って手を振る。レギュラスは何も言わず肩をすくめてから、こっそりと店内に戻った。
*
お菓子を買い終わったアリアドネと、店の前で落ち合う。満足がいったような、ほくほく顔だ。レギュラスはその少し前にスリザリン生たちとともに出てきた。ショーウィンドウの前に居たヴィヴィアンに気づくと、すれ違いざまに「彼女、どれだけ買うんだ?」という耳打ちと苦笑いだけを残し、同寮生たちを連れて街中に溶け込んでいった。
アリアドネは身軽そうにルンルンとスキップをしているが、斜めにかけたポシェットも、ローブのポケットも、パンパンに膨らんでいるのが見て取れた。百味ビーンズのパッケージが少なくとも二つはひょっこりと頭を出している。ポケットが重すぎるのか、彼女のスキップに合わせてローブが不自然な揺れ方をしていた。ヴィヴィアンは、店の中に入らなくて良かった、と安堵のため息をついた。彼女のペースに釣られて危うく買い占めていたところだ。
「次はどうするー?」
「私、買いたいものがあるの」
「おっ! なになに?」
「それが、何を買うか決まっていないの」
「へ?」
アリアドネがさっき、「スニッチの」と言ったので思い出したことがあった。
「レギュラスにお返しをしなきゃ」
貰ってから早くも二ヶ月が経とうとしている、クリスマスプレゼント。まさか貰えるとは思わず、ヴィヴィアンからは何も渡していなかったのだ。
「なるほどぉ! じゃああたしも一緒に考える!」
「ええ、そうしてくれると助かるわ」
小さな村で買えるものなど限られている。レギュラスから貰ったネックレスは、それなりに値段のするものだ。それに見合うものが買えるとは思えない。お金にかえられないような、掘り出し物があるといいのだけれど……。そんな漠然とした期待を抱きつつ雑貨屋を回ったが、案の定、めぼしいものはなかった。
途方に暮れた二人は作戦会議がてら、ひと休みすることにした。騒がしいパブやカップルだらけの喫茶店に入るのは何となくはばかられたので、店の並ぶ道をずんずんと歩き続け、街中から少し離れたところまで来た。その先は立ち入り禁止の様相で、足跡がひとつもない。遠くに不気味な屋敷が見える。そして、道端に突き出た岩の上に腰かけながら、その屋敷を眺めている先客がいた。
不気味なものに惹かれるのはスリザリン生の宿命なのだろうか。それとも彼がそうであるだけなのか。
「あの屋敷まで行きたいんじゃないでしょうね?」
「まさか。今はやめておくよ」
レギュラスは岩からストンと降りて言った。
「……また会ったね」
「レギュラス!」
「どうしてここに?」
「人混みに疲れてしまってね。少し休んでいたところだ」
君たちは? と聞かれる。
「私たちも、そんなところよ」
当たり障りのないように答えた。お返しを探していたことを、レギュラスには秘密にしておくべきだろう。アリアドネに目配せをすると、口をぎゅっと閉じ、ふんふん頷いた。察しのいい彼女のことだから、言わずとも心得ているようだが、うっかり口走らないという保証はどこにもない。
アリアドネはわざとらしく調子外れの口笛を吹きながら、誤魔化すように、積もった雪をいじり始めた。地面にしゃがみこみ、ふわふわの雪を拾い集め、両手の中で形を作る。が、すぐにブルブルと肩を震わせる。
「ヒィー冷たい! やっぱり雪遊びは杖なしじゃ無茶だね」
アリアドネは唯一お菓子が詰まっていないであろう、ローブの内ポケットから杖を取りだした。風をふきかけたり、雪を浮かせたり、雪像でも作る気なのか、本来の目的も忘れて遊び始めている。とはいえ、この場に本人が居てしまっては、作戦会議も何も、話せないのだから仕方がない。
隣でレギュラスが、ふんと鼻を鳴らす。また対抗心を燃やしたのか、岩に積もった雪をおもむろに手に取った。ヴィヴィアンも真似をしてみた。雪をかき集め、手のひらの中で丸める。手袋越しでも冷たい。アリアドネのように何かを作るのは早々に諦めた。レギュラスも同じように思ったのか、丸めたものを岩の上に置いた。ヴィヴィアンはさらにその上へ同じものを置いてみた。手の大きさの違いで、重なった雪玉の大きさは、上に乗せたほうが少しだけ小さかった。
アリアドネは、よし! と呟き、手のひらに何かを乗せて立ち上がった。それをこちらに見せつける。
「見てー! カエルチョコ!」
「まあ! 上手ね」
雪でカエルの形を作っている。雪像と呼ぶには小さすぎる本物サイズだが、それゆえに緻密で器用な杖さばきだ。
「それを言うならチョコじゃなくて、ただのカエルだろう」
レギュラスの言葉を無視し、アリアドネはもうひとつ作品を持ち上げた。
「こっちは百味ビーンズ! えぇっと、雪味!」
「それはただの雪だ」
ヴィヴィアンは思わず笑ってしまった。レギュラスが間髪を入れず口を出すからだ。アリアドネも、えへへ、と片方の口端をキュッと上げて下手っぴな笑顔を見せる。当のレギュラスだけはムスッとしている。
「あ!」と何かに気づいた様子で、アリアドネがまた地面に蹲った。今度は雪遊びではなく、探し物でもしているみたいに、積もった雪を払っては、ぴょこんと移動する、というのを繰り返していた。まるで雪の中を跳ねる野うさぎのようだった。
「……あった!」
アリアドネが顔を上げ、朗らかに叫ぶ。手には小さな枝が二本。こちらへ戻ってくると、レギュラスとヴィヴィアンの作った即席の雪だるまの胴へ、枝を慎重に差し込んだ。
ひと仕事を終えたみたいに、両手を腰にあて、アリアドネは満足げに眺めた。レギュラスはまたチクチク言うのだろうか。そう思いながら顔をのぞき込んでみれば、意外にも満更でもなさそうな表情をしていた。目が合って、ヴィヴィアンが笑いかけると、ツンとそっぽを向いた。
「冷えてきたね。僕はそろそろ帰るよ。君たちは?」
「私たちはまだ買いたいものがあるの」
そうかい、と深くは詮索せずに、レギュラスは街の中へと戻っていった。彼が最初に腰かけていた場所には、奇しくも入れ替わるように、手のひらサイズの雪だるまが鎮座しているのだった。
「このお菓子、持って帰りたいなぁ……」
アリアドネが雪で作ったカエルチョコや百味ビーンズを、物欲しそうに見ながら呟く。彼女の重たいポケットの中には、ハニーデュークスで買った本物がたんまりと詰まっているのを忘れてはいけない。
「持って帰っても食べられないわよ」
「わかってるよぉ……そうだ!」
彼女は再び杖を構える。
「ここに、こうしてぇ……こうだ!」
杖を振ると、お菓子たちの上にもくもくと白いモヤが集まってきた。それらは次第に小さな雲を形作った。雲はやがて、ちらちらと魔法の雪を降らせ始めた。
ヴィヴィアンは目を擦った。雪に降られた白いお菓子たちが、一瞬、まるで色までもが本物そっくりになったかのように錯覚させられたのだ。かと思えば、真っ白なカエルが雪の上を跳ねている。本物のカエルチョコのように──つまり本物のカエルのように──力強く地面を蹴っても、その細い足が崩れる気配はない。『変身術』の一種だろうか。難しい分野の魔法であるから、レギュラスが見ていれば彼女のことを見直したかもしれない。一足遅かった。だが、それを悔やむよりも、ヴィヴィアンの頭の中には引っかかるものがあった。この魔法を使えば、何かが、解決するような……。
「よぉし! これで溶けないよ!」
アリアドネは嬉しそうに雪のお菓子を拾い上げた。雪雲も一緒に持ち上がる。足元に跳んできたカエルの上にも、雪雲から雪が降っている。これのおかげで溶けずにいられるのだろう。雪のカエルをつかまえ、手のひらに染みる冷たさにハッとした瞬間、ヴィヴィアンはひらめいた。これならぴったりだわ!
「それよ! すごいわアリアドネ!」
なんていいアイデア! ヴィヴィアンは柄にもなく興奮し、カエルに逃げられるのも構わず、アリアドネを抱きしめた。
「えぇ! あたし褒められてるぅ!? なになに!? どうしたの?」
「レギュラスへのお返しが見つかったわ!」
思いついたことを伝えると、アリアドネはカエルと一緒に跳ねながら賛同した。雪が溶けてしまう前に、アリアドネの助けを借りてプレゼントを用意した。