兄じゃないけど、弟でも多分行けるでしょうという
「……」
少年は自身の机に参考書や英語、ドイツ語、イタリア語、他にも数多くの言語の教本を広げ、ペンで書き込んでいる。少年、いや彼は本の虫という訳ではない。しかし、必要な事であった。
「………時間か」
夕食に並べる簡単な料理を自作し、帰って来る存在の為の料理を作る。
家事は手慣れている。
尊敬する彼の兄に仕込まれ必要な知識から道具の使い方。
味は敵わないが、まだ14の子供が作る料理にしては良いものである。
「……」
夕食を作り終えれば風呂を洗い用意する。洗濯などは既に済ませており、彼がやれることは全て終わっている。
「ただいま!」
「おかえりなさい、兄さん」
「おう、夕食は」
「出来てるよ、お風呂にも入れる」
「悪いな、ハル」
「気にしないでよ」
無気力にそう答え、彼はリビングに戻った。
2人分の夕食が完成から少し経ち、食べやすい温度で彼の兄。
織斑一夏を迎えた。
「なぁ、ハルは部活とか」
「しないよ、家にそんな余裕は無いし。僕は奨学金制度を目指してるんだ。ここなら近くに良い高校もあるし、なんとかなる」
「何時も難しい本ばっか見てるもんな」
一夏が見ている彼は常に勉強か読書をしていた。
運動よりも本の虫というイメージが強い。
「喋れないと駄目だよ、兄さん。ほら、前回みたいにドイツで迷子になるかもよ」
「あっあぁ……」
ドイツ語の教本を広げ、彼は一夏に見せた。
こと細やかに記入された日本語に彼が長い事この教本を愛用しているのが見て取れる。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした。風呂は沸いてるから入ってきてよ」
「いや俺は」
「僕が長風呂なのは知ってるでしょ、ほら早く」
彼は自身が家族の足枷であると理解している。
体は弱く、病弱であり何度も迷惑をかけてきた。
だが、勉強はできた。
頭は良かった。兄や姉の様に身体能力には優れていなかったが、誰よりも勉強は得意だと言えた。
予習、復習を怠ることはなく、また誰かに自慢をする事もない。
彼の未来は金を手に入れる事、今迄の自分が受けた恩を家族に返すこと。
「……ふぅ、ふぅ」
だからこそ、病弱な体を鍛えている。
兄に劣る肉体を、姉に劣る肉体を、護られてばかりの肉体を、捨てる為に強くあろうと、強くなろうとしている。
「ふっ…ふっ…ふっ…」
「ハル、上がったぞ」
「ゲホッゲホッゲホッ……うん、兄さん」
「ハル、無理しなくても」
「無理じゃない!僕は出来るんだ!兄さんや、姉さんみたいに!僕も…僕も出来るんだ……」
「……悪かったよ」
汗だくの体を清める為、着ていた物を洗濯機へと投げ込みそのまま熱湯のシャワー、そして冷水のシャワーを浴びる。
高温から冷水と悲鳴を上げそうになるのを我慢し、火照った身体を無理矢理冷却した。
「ふぅ……」
普段、兄である一夏はアルバイトをしながらも、彼の筋トレに付き合ってくれている。
バイト終わりで疲れている、そんな兄が無理矢理時間を作ってくれているのだ。
付き合ってくれる兄の為にも、肉体を強くする必要がある。
だが、それに集中し勉強を怠ることはしない。 常に文武両道が必要である。
「ふぅ………」
湯船に浸かりながら、自分の肉体を見ていく。
小学生であった頃に比べ、筋肉は付き、まさに少年から男への体付きに変わっている。
「……まだだ、強くなる。兄さんと姉さんを心配させない程に。そして、二人に幸せな家庭を築いて貰うんだ」
夢見るのは二人がそれぞれ、新郎、新婦となっている姿だ。
そこには重しとなる自分は既に存在せず、一人の男となった彼が祝福を述べる。
その姿を想像し、ゆっくりと瞼を閉じていく。
「ハル!」
「うっ……」
「ほら、こっちで吐くんだ。水も、氷嚢もある。吐いたら、着替えろよ」
「ごめん…兄さん」
彼はどうやら浴槽で眠っていたらしく、上がってこない一夏が様子を見に来た事で一命を取り留めた。
このままでは溺死か、まさしく茹蛸になっていた事だろう。
「まったく……良く出来てるんだか、抜けてるんだか」
「……ごめんなさい」
一夏特製のシャーベットを食べながら、リビングで身体を冷ます。
また、家族に迷惑をかけた自分を恨みつつも、それ以上に兄への感謝の心が溢れてくる。
彼にとって家族との時間は大切な物だ。
「……頑張らないと」
彼が学生生活を送って間もなく、兄一夏の受験日が訪れた。
「受験票は?勉強道具は?お昼は?受験会場までの」
「大丈夫だ、ハル。俺がそこまで馬鹿に見えるか?」
「…見えない、でも何かあると不味い」
兄の未来に関わる事なのだ。高校生活が送れないとなれば、姉は死んでしまうかもしれない。
「滑り止めも無いし、頑張るさ」
一夏が出たのを見送り、彼は家の掃除を開始した。
隅々まで行いながら、昼食を食べる。
彼はハウスダストアレルギーと花粉症を所持している為に、人一倍掃除には敏感だ。
埃と花粉のない生活こそ、全員が送るべき素晴らしい物だと思っている。
「……ふぅ、掃除する場所がない。なら、布団だ」
兄、姉、彼自身の布団カバーを外し、布団用の掃除機をかける。
ベランダに天日干しを行いカバー等の洗濯を行う。
洗濯か終わればカバーを20分程乾燥機にかけ、庭の物干し竿に干す。
その日は快晴であり、降水確率は0である。
とても良い布団干し日和だった。
「……何あれ」
彼が布団を干し終わり、取り込もうとした矢先だ。
黒塗りのセダンが近づくのがベランダから見えた。
だが、彼自身には興味がない。
着々とベランダの布団を取り込み、庭の物干し竿に干したカバーを回収しようとした。
「……うわ」
黒塗りのセダンは家の前に駐車している。
気分が悪くなるが、彼は取り込む作業を続けた。
「……」
各部屋に運び入れ、準備をしようとした矢先だ。
ピンポンと呼び鈴が鳴る。
彼は自宅のカメラから外を確認すれば敬愛する姉が黒のサングラスと黒のスーツという服装で立っていた。
彼は扉を開け、笑顔で微笑む。
「おかえりなさい、姉さん」
「あぁ、ガレージがどうして開かないかわかるか?」
「多分、電源落としてるから。姉さんが戻って来る時は基本徒歩だし、車があるなんて知らなかったし。持ってて、今電源いれる」
彼はガレージドアの電源をいれると、姉千冬は黒塗りのセダンをバックで駐車した。
「……随分と綺麗だな」
「定期的に掃除してるから。そうだ、姉さんは何か食べたいものはある?」
「兄さんがあと2時間したら戻って来るから、今のうちに」
「……ハル、最初に言う。テレビは見ていたか?」
「ううん、掃除してたんだもの」
彼は正直に答える。
「なら、今すぐ見るんだ」
「…わかった」
姉に促され、テレビを点ける。
映し出されるのは何処も同じニュースがトップだった。
『ブリュンヒルデの弟 ISを起動!!』
彼はそのニュースを見て理解した。
「そっか……兄さんも、居なくなるんだね」
「ハル」
「ちょっと……寂しいかな」
彼は何処か暗い顔をしながら立ち上がる。
「ハル、明日お前のIS適正検査を行う。見たろう、世界中で男性の検査が行われる」
「姉さん、ISが欠陥機だって昔話したよね。僕、ロボットとか好きだから漫画とか、色々と読んだって」
「ハル?」
「……束お姉さんの事、僕ね。今なら判るよ、天才過ぎて周りが追い付けない。でも、世界は一握りの天才から動き出した。ねぇ、姉さん、姉さんはこの世界をどう思う」
彼は姉、千冬にそう問う。
「お前がいる、一夏がいる。束、箒、鈴、弾や……」
「……姉さん、姉さんは満足かい?…こんな、こんな間違った世界で。
俺は……嫌だね」
「ハル?」
それは彼が枷を解き放った日、甘えを捨てハルと言う織斑家の末の弟から、彼が真に織斑十春❲オリムラ・トウシュン❳と言う一人の男になった瞬間だ。