それは、初戦があと数日と迫っていたころ。
突然、みほのもとに麻子から電話がかかった。麻子はまるで先ほどまで泣いていたのか少し声を枯らしていた。
「どうしたの?」
「……ああ。沙織がな……」
麻子は、言葉をかみしめているかのようにゆっくりと語った。
「そっか。やっと、なんだ」
安堵したみほの声に、麻子も安堵の声を上げる。
「……ああ。やっとだ……。それと、余計なことかもしれないが、初戦の試合は気を付けろ。相手が悪い」
「いい噂は聞かないね」
麻子の真剣な声色に、みほもそれに応え声色を変える。
「何かしかけてくるならそろそろだと思う。けど、監督をしているのが中須賀さんだから許さないはずだけど……」
「証拠を見せないらしいからな。ただでさえ、戦力のあるチームだろうに」
「ありがとう。なんとか、頑張ってみる」
「選手には伝えるのか?」
「ううん。下手をすれば、仲間を疑うことになるから伝えようとは思ってないよ。私一人でも頑張ってみる」
「そうか」と心配そうな声でつぶやいた麻子は、頑張れとみほに言い残し通話を切った。
「頑張ろう……」
もし、自分が間に合わなかったら、娘たちに何か起こってしまうと確信しているみほは、唇をぐっと噛み、失敗は許されないという恐怖を押し殺した。
夜遅く、人気がなくなった戦車倉庫にただ一人足を運ぶ者がいた。
その者は、手は震え、息はフルマラソンを走り切った直後のように荒くしている。
震える手にはぐっとスパナが握りしめられており、ぶつぶつと自分自身を洗脳しているかのように繰り返しつぶやいている。
「これは仕方のないこと。これは仕方のないこと。これは仕方のないこと—―」
重々しい倉庫の扉をゆっくりと開く。扉が開く大きな音に少しおびえた様子を見せたが、すぐに元に戻り、足音を大きく反響させながら、目的の戦車にたどり着く。
「……ここを外せば……」
戦車に手を当てがった時、ふと先ほどの会話を思いだす。
『居場所も、好きな威勢も取られて悔しいと思わないの?』
「あなたは誰? なんで私の番号を……」
突然かかってきた非通知番号からの通話に戸惑いつつも応答する。
「私には知らないことなんてないのです。例えば、あなたが親を隠れ蓑にして、大洗から、代表から逃げ出したことなど。結局は、向かう羽目になったようですけど」
電話の向こうから聞こえてくるのは、自信のほかに楽しんでいるかのような声をしている女の声。
「ああ、整備としてでしたねえ。まあ、そんなことなどどうでもよいのです。どうですか? あなたが受けた屈辱を仕返ししてやろうと思いませんか?」
その者にとって、億劫だと思っている存在は一人しかいない。かつては、仲の良かったものだが、自分に芽生えた恋心がその仲を切り裂いた。
「そんなの必要な――」
「本当にそう思っているんですか? もし、あなたが仕返しをすれば、彼を寝取ろうなどと思うものなど一人もいなくなるのです。邪魔な存在が消え失せるのですよ?」
それから、その者は幾度と提案を断った。だが、目先の欲がそれを継続させることを許さなかった。
金属がぶつかり合う音が鳴り響くと、その者は嬉しそうにニヤリと笑う。
「これで、仕返し、できる……」
そう呟いた者はうれしさのあまり、人が背後に立っていることなど気が付かなかった。
「何が出来るの? みすかさん」
みすかはバッと後ろを振り返り、背後に立っている者に対して驚愕の表情を見せる。
「え、あ、た、武田君……、ど、どうして、ここに?」
「明日、試合だからね。最後に点検しておこうかなって。で、みすかさんは?」
陽気に話しかけてくる武田に、みすかは戸惑った。
いつから見ていた? どうしよう、どうしよう。
そんな思いが頭の中を支配し、返答が遅れる。
「え、えっと……。私も……」
「そっか。明日は強敵のドイツだからね。みうさんたちにも、戦車たちにも頑張ってもらわなきゃね」
「…………うん。……そう、だね」
武田はみすかの隣に腰を下ろし、今しがた細工していた戦車に触れようとした。しかし、みすかはそれを必死に拒む。
「だ、だいじょうぶ! それ、いま、おわったから」
「え、あ、そう? わかった。じゃあ俺は奥のものからやっていくね」
武田は腰を上げ、奥のほうへと向かう。
一瞬ばれそうだと思っていたみすかの心拍数は、跳ね上がっていた状態からゆるりと戻っていく。
はぁはぁ、と再び息を荒くしていたが、ようやくそれも収まった。
これで。これで。復讐できる……。
自然と吊り上がっていく頬を抑えることはできなかった。
これを最後にしようとして作ってたんですが、長くなりそうなので分割しました。