あかねさす 昼は物思ひ ぬばたまの 夜はすがらに 音のみし泣かぬ   作:ふーま

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あかねさす 昼は物思ひ ぬばたまの 夜はすがらに 音のみし泣かぬ

 茫、とした光と微かな振動を感じて目を覚ます。

 既に部屋の中は暗く、スマートフォンの明かりだけが部屋を照らしていた。

 泣きはらした腫れぼったい目で画面を確認すると、既に23時になろうとしていた。

 この時間は、昨日までの私にとって一日で一番幸せな時間だった。

 未成年が働ける限界は22時、二人とも最近は忙しくなってきてはいたが確実に空いているこの時間帯に、アクアくんと毎日のように電話していたのだ。時々寝てしまう時もあったけれど、電話の着信音が鳴れば飛び起きてその幸せを享受していた。仮に電話できない理由があっても、必ずメッセージのやり取りをしていた。

 先ほど私を起こした通知を見る。

 マネージャーからの、明日の仕事についての内容。

 既にスケジュール帳に記載済みの内容ではあるが、真面目なあの人は前日の再通知を怠らないのだ。基本的にはもっと早く送ってくるのだが、忙しい時などは私がアクアくんとのやりとりでスマートフォンを確実に見ているこの時間帯に送ってくる事もある。

 動かない頭でつらつらと文面を追っているうちに、気付けば23時を回っていた。

 アクアくんからの電話はこない。

 メッセージすらない。

 幸せだったはずの時間は永遠に過ぎ去ってしまった。

 

「二度とお前には関わらない」

 

 その言葉が頭の中を木霊する。

 私はアクアくんを救えなかった。

 生きていればチャンスはある、そんな陳腐な言葉も今回は当てはまらない。

 アクアくんはずっと追い続けていたアイさんの仇についに辿り着いてしまったのだ。もうこの先は、復讐を果たすより他の道はなく、刑法上裁けない相手に対してのそれは直接的な手段にならざるを得ない。

そしてアクアくんには、それが仇であれ直接命を奪っておいて生き続けられるような強さはない。

復讐はアクアくんの本当の願いではないのだから。

 一年前の、アクアくんと共演した東ブレの舞台を思い出す。

 東ブレの舞台の時、私はアクア君の感情演技を何度も受け止めた。

 そこで感じたのは、アイさんを失わなかったら、生き返ってくれたらという切ない願望と、その先にあったはずの温かい未来。アクア君は、役者として大成したいわけでも復讐を遂げたいわけでもなく、ただ、アイさんやルビーちゃんとの普通の幸せを送ることができればそれで良かったのだ。

 私はそれを知ってしまった。

 だから隠した。復讐相手が生きているという事を。

 アクアくんの本当の願いが無意識に目をそらさせた真実をそのままにした。

 アクアくんは少しずついい方向に向かっていたと思う。

 ルビーちゃんの言う昔のアクアくんに近い姿になっていたと思う。

 復讐から離れているうちに、徐々に明るく、表情が柔らかくなってくるアクアくんを見るのが好きだった。

 アクアくんがレギュラー番組を得た時は自分の事のようにうれしかった。

 一緒にお芝居に打ち込めた事は楽しかった。

 良い彼氏をやろうと頑張っている姿がうれしかった。

 毎日の電話が楽しみだった

 何を話そうか、考えている時間も充実していた。

 デートの時はとにかく楽しかった。

 アクアくんの声が、仕草が、優しさが愛おしかった。

 会える日が、何よりも待ち遠しくなっていた。

 いつの間にか、私の方がアクア君との間の幸せを強く欲するようになってしまっていた。

 あの日、アクアくんが好きだぞと言ってくれて本当に幸せだった。

 だから、幸せを手放したくなくて、カミキヒカルへ向かおうとした。

 好きだぞ、と言ってくれた電話で同時に、隠されていた真実にアクアくんが辿り着きそうだと知ってしまったから。

 アクアくんがそこに辿り着けば、破滅しかないと確信していたから。

 でも、それは失敗した。アクアくんに止められた。

 私の行動は、アクアくんを救えず、むしろ傷つけ、そして『一緒に』と伝えたあの日からの思い出を裏切った最悪の結果になってしまった。

 自分の愚かさに後悔ばかりが浮かぶ。

 結果として私の行動は、アクア君を復讐に突き動かすことにしかならなかった。近い日にアクアくんが失われる事が悲しくて仕方ない。

 これから私がどう行動しようとも、彼はそれを出し抜いて偽りの本懐を遂げてしまうだろう。必要なことは、身一つで得物を突き出すだけ、後先考えない一撃だけなのだから。

 私は間違えた、もうできることは何もない。

 どうすれば良かったのだろう。

 ただ、アクアくんを失いたくなかった。

 あの幸せな日々を続けたかっただけなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 トントン、というノックの音で意識が戻る。

 

「お兄ちゃん、お風呂空いたよ!」

 

 ルビーがドア越しに声を掛けてくる。以前は容赦なくドアを開けてきたものだが、本人も思春期になったからか、兄弟のいるMEMに言われたからなのか、最近はノックをするようになった。以前の距離感も悪くはなかったのだが、今日この日に関してはその配慮がありがたかった。

 

「今日は眠い、朝シャワー浴びるからミヤコさんに入ってもらってくれ」

 

 なんとか取り繕う。

 えー、と言いながらルビーの離れていく音がした。

 いつの間にか部屋は真っ暗になっていた。

 この部屋は、過去の自分に責められた時に有馬を跳ね除けてしまった、あの日の自分が許せなくて荒らしてしまった後に片づけはしたが、今はまたぐちゃぐちゃにしてやりたい気分だった。

 あかねと別れた。

 地獄には俺一人で行くと突き放した。

 俺自身の愚かさに腹が立って仕方ない。

 少し調べればわかった事だ。アイが引っ越した日には、上原清十郎は死んでいたという事くらい。それ自体はニュースになっているし、アイの引っ越したタイミングは俺自身が覚えていた。

 おそらくあかねの事だ。ずっと前にそのことには気づいていただろう。アイの事を詳細に調べていたのだし、姫川さんの来歴についても知っていておかしくはない。

 それでも俺のために、復讐をやりたくない俺の為に黙っていてくれたのだ。

 こんな俺を肯定してくれて、寄り添ってくれて、それだけでなくずっとずっと守ってくれていたのだ。幸せな時間をくれたのだ。

 あかねを守りたい、と宮崎で言ったが、守られていたのは俺の方だった。

 守られ続けた挙句に、俺の代りに全て終わらせようとまでさせてしまった。

 あかねにそこまでさせてしまった自分を恨む。

 あかねを、地獄に送るわけにはいかなかった。突き放すしかなかった。

 有馬を突き飛ばし、あかねを突き放した。

 もうこんな俺に幸せになる資格はない。

 ならばせめて、復讐を果たさなければならない。

 ここまで周りを傷つけてしまったのなら、最後までいかなければならない。

 計画自体は最初からある。子供の頃に作ったものが、復讐心に塗りつぶされていた時期に作ったものが。

 寄しくも復讐を忘れていたこの一年で、必要なカードが揃ってしまっていた。

 ここですぐにカミキヒカルを殺し、楽になりたい気持ちはある。

 けれども、そんな終わりは、許せるわけもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 …アクアくんが死なない。

 朝の代り映えのないニュースを流し聞きし、スマホで芸能ニュースを流し見ながら思う。

 言葉にすると酷い事を言っているが、実際私は酷い事を考えているのだろう。

 あれから何度も後悔の夜を送り、朝はカミキプロダクション社長殺人事件やアクア君の訃報のニュースがないか恐怖した。

 しかし、一向に動きが無い。深掘れワンチャンでは相変わらずアクアくんが出演していたし、B小町も問題なく活動している。カミキプロダクションも平穏そのもの。強いて言うならばルビーちゃんが突出気味で、かなちゃんとメムちゃんがおまけのように扱われる場面が見られるという、かつてのアイとB小町のメンバーの間にあったような歪みはみられるけど、これはアクアくんの件とは別だろう。

 これはこれで心配ではあるのだけど…これまでのアクアくんならば既に対処しているだろう問題ではある。B小町の歪みがそのままという事は、アクアくんが復讐に囚われて余裕がないのは間違いない。けれど、カミキヒカルに辿り着いても何もないのはどういう事なのか。

 あの電話の時、そして私を突き放した時のアクアくんの様子だと、やりたくないからずるずると引き伸ばす、という事は無いはずだ。

 やるべきと思った事は自分の身を削ってでもやりとげる。そういう人だと私は良く知っている。

 …つまり私はとんでもない思い違いをしていたという事になる。

 アクアくんは復讐に動いてはいるが少なくとも当面は直接的な行動を起こすつもりは無いのだ。

 カミキヒカルによる殺人は未成年の時で、かつ他人を唆して行っておりその相手も既に死んでいる。死んだ彼らの日記などに書かれていれば当時警察が動いているはずだけどカミキヒカルが任意同行されたという話すらない。つまり証拠はなく今になっての立件は極めて困難、だから復讐は直接命を奪う以外の方法はない、私はそう思っていた。

 アクアくんと私はこれで結構似たもの同士だ。だからアクアくんも同じ結論に至るとばかり思っていた。

 それが間違いだった。

 そもそも私のあの時のプランだって、アクアくんがやる内容とは思えないのだし、それぞれ違って当然だ。

 あの時のプランについて思いを馳せる。

 世間への発信を脅しにかけたカミキヒカルへの自首の説得、駄目なら花束に隠したナイフの一撃。これは指紋の付着防止も兼ねる。討ち果たした後はロケ先など複数個所でちまちま集めた髪の毛や吸い殻複数をばらまき、髪を仕舞って短髪のウィッグをつけ、コートと服を脱いで下に着ていたランニング用の服装でその場を去る。服を替えるのは花束で受けても返り血が服につくおそれがあるからだし、人目を避ける変装でもある。世の中では長髪と良質なコートがどれだけ圧縮できるかというのは意外と知られていない。服やコートの収納は私の小さ目のリュックで十分だ。リュックはそれなりに流行していて都内ではしばしば見かけるものなので見られても構わない。そして冬でも軽装で問題なく走っていても怪しまれないのはランニングをしている人間だ。カミキヒカルと接触する場所、私がそこに向かうルートは監視カメラの無いルートを選んでいるし、焦りが生じる退避時にはカメラに写っても変装は完了しているしランナーが走っていてもそれは普通の事だ。花束は半分をアイさんの墓前に供えて、残りをリュックにしまって手ぶらの私をお寺の入口のカメラに移しておく。アイさんの墓周辺はカメラに映らないのは確認済み。その後カミキヒカルに会う直前に取り出すようにすれば私に疑いはかかりにくい。

 …ついつい計画を練っていた時の気分になってしまった。あの時は悪くないプランだと思ってはいたのだけれど今になると穴だらけだよね。偶々目撃者が出るかもしれないし、そもそも初撃に失敗したらカミキヒカルに返り討ちにされる危険が大きいし。リュックやナイフは汎用品で花束にも偽装工作はしているけど警察ならそこから辿ってくる事もありうるし。成功した所で、全てが露見したらアクアくんも、お母さんもお父さんもララライの皆も苦しめる事になってしまうし。

 あの時はとにかく時間がなかった。アクアくんを復讐の道に進ませない為なら何でもやるつもりだったけど、最後の手段として検討していたカミキヒカルの『説得』を詰め切れないまま選んでしまう程に余裕がなかった。

 けれど、もっと余裕のないはずの今のアクアくんは、私が考えなかった直接的じゃない計画に進んでいるのだろう。けれどそれは決して穏便なものではないはずだ。それは地獄なのだ。私を置いていく必要があるものなのだ。

 それでも、私があのような行動さえしなければアクアくんと一緒に動いて、ブレーキを踏む事だってできたはずなのだ。これは私が自分の幸せを欲張った事による失敗だ。

 今からでもアクアくんの破滅を止める方法はあるだろうか。いや、見つけなければならない。もう私が隣にいる資格も理由もないとしても、アクアくんに幸せになってほしいという願いは変わらない。

 まずはアクアくんがどうするつもりなのか、考えていかなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 喫茶店に聞こえるのは、BGMの昔懐かしい音楽と、カタカタというキーボードの音だけだった。

今は映画の脚本に取り掛かっている。

 子供の頃に書いた復讐の筋書き。ガキの我儘みたいな身勝手で無謀で最悪の計画。

 まずは全てを白日の下に晒し、悪意を持ってカミキヒカルの地位も名誉も全て奪う。

 そのためには人の興味を引き、心を打ち、大勢が見る、そんな作品を作る必要がある。

 フォロワー100万を超えた人気アイドル、アイの物語、とはいえ15年前に死んだ人間の物語がそのままで大ヒットするはずもなし。

 監督に任せるにせよ、固定ファンはいるし実力はあっても賞を逃し続けるという今一つな立場だ。間違いなく上澄みではあるし、この作品を撮るには最適ではあるのだが、それだけでは足りない。興行収入では島監督に大きく負けている。そもそも今年の賞をとったのは島監督の方だが。

 だからこそ追加のスキャンダルで気を引かなければ勝負にならない。身勝手で悪意に満ちたシナリオは、自分たちにも向けられなけらばならない。ルビーと姫川さんを巻き込むのは気が引けるが、あかねを突き放してまで復讐に進むと決意した以上はやらなければならない。

 そしてそこまでやるからには脚本の完成度も高くなければならない。いざ動き出したら止まる事は許されない。スキャンダルが火をつけた熱が冷めきる前に映画公開までいかなければならない。脚本作成の部分で遅れが出てはいけないのだ。

 それ故に書き進める。アイの言葉を、姿を、幼少期の思い出を文章にする。集めた情報を整理しプロットを書く。アイの人生を二時間以内の映画にまとめるのに必要なシーンを抜粋していく。取材が必要な個所と取材先の相手に目星をつける。動き出す前に大枠は作っておきたい。

 悪意を込めた復讐に際し、やることと言えば文章を打ち込むだけの地味な作業だ。最も世の中にある復讐譚というものは忠臣蔵然り準備期間が長いものだと自分を納得させる。

 …本当は、脚本をある程度完成させてから、というのを言い訳に今の生活を少しでも長く続けたいだけなのかもしれない。ルビーに泣かれるのは、嫌われるのは想像するだけで辛いというのもあるし…。

 浮かんだ思いを振り払い、再びパソコンへと向かった。

 

 

忘れられない あなたのこと

忘れられない そばにいても離れていても

ずっと耳に残るラヴソングのよう

あなたのことばかり考えてしまう

こんなに誰かを思ったことはない

 

 喫茶店に、ナット・キング・コールの名曲が流れている。

 気付けば夕方になっていた。

 脚本を進め、気分転換と参考を兼ねて小説に目を通し、とやっていたら一日が終わろうとしている。

 少し表現に詰まった場所があったので、隣に向けて声をかける。

 

 「なあ、あかね、ここの文章なんだけど…」

 

 顔を向けても、もちろんそこにあかねはいない。

 はあ、とため息だけが出る。

 あかねの事を考えてしまうのは、読んでいた小説に、黒川の文字が出ていたからだろうか。

 脚本の参考にと、芸能界で大手事務所に所属するアイドルが書いたという小説を読んでいた。実際に脚本も書いた事があるらしい。内容は、一枚の絵の謎を追う中で、秋田の石油会社一族の秘密に触れることになるというもの。

 ミステリーとしても面白かったが、あと一日終戦が早ければという絶望が、アイを失った自分と重なった。父親を乗り越えるという思いと狂気に影響されて筆が進んだ。ひと段落つくと、描かれたいくつもの家族に想いを馳せた。ただ一つ、三世代揃って幸せそうな家族があった。あかねとの日々の先に、願っていたようなあり方だった。

 黒川という文字は、登場人物ではない、地名として出てきた。だからこそ油断していて頭に残ってしまった。秋田では、黒川とは石油が噴き出し、黒く染まった川を表す地名だそうだ。黒川油田という場所もあり、昭和初期まで年間94万バレルの日本有数の大油田だったとの事だ。

なるほど、黒川あかねという名前は火なのだな、と読みながら納得した。それも容易に消えない、石油の炎だ。今ガチの炎上で自殺未遂に追い込まれても消えず、演技への情熱を燃やし続け、そして俺を温め続けてくれた。最後にはカミキヒカルと共にあかね自身をも焼き尽くそうとしてしまった。だからこそ、突き放してしまうしかなかった。ただ、あかねが容易に消えない火なのなら、どこまでも立ち上がるだろう。

 どの道俺にはあかねの温かさを受け取る資格はもうない。アイを、ルビーを、姫川さんを好奇と誹謗中傷に晒し、物語をもって多くの人間の悪意を集める、あかねを救った時とは真逆の事をやろうとしているのだから。地獄に落ちるべき所業だ。小説に出ていたあの男のように、焼き尽くされて死ぬべきなのは俺だろう。

 そう考えていたら、外は暗くなり始めていた。

 夕食前には帰らなければ、荷物をまとめる。

 最後に本を手に取ると、そのタイトルを見て自嘲する。

 

「俺の『なれのはて』はどうなるんだろうな」

 

 事務所に戻ると、MEMに有馬に向き合うように言われた。あのまっすぐな視線に、明るい笑顔に、向き合う資格は俺にはないというのに。

 次にミヤコさんのところへいくと、苦悩した顔で有馬のスキャンダル疑惑について告げられた。

あくまで疑惑、それでも走り回ってあの時キャッチボールをした公園に辿り着き、有馬を見つけた。有馬は自分を鼓舞し、折れずに立ち上がっていた。やはり俺は必要ないようだ。この様子ではスキャンダルとはいえ実際にやったわけではないのも確かだろう。安心する。

 それでも、スキャンダルとして報じられれば影響は避けられない。ルビー達の活動に水を差す事にもなるし、何よりも有馬がアイの二の舞になる可能性だけは絶対に避けなければならない。

 もはややることは一つしかなかった。やらなければならない事を、ほんの少しだけ早めるだけだ。幸い今日一日で脚本の大枠は大分固まった。元々地獄に行くつもりだが、俺に光を見せてくれた人を、そのまま光の場所に置いておく事ができるのならこれ以上ない行き掛けの駄賃だ。ルビーも有馬を救いたいと言っていた。この問題を経ても、ルビーと有馬の絆は変わっていない。これで俺が軽蔑し絶縁されたところで、有馬がルビーを助けてくれるだろう。

 これで踏ん切りはついた。ここからはもう止まる必要はない。

 昼に夢想した幸せを振り払う。あの小説の登場人物の誰かが俺としても、俺は父親を超えようと石油を一人で掘り続け、狂気の中死ぬ方の役周りだ。

 週刊誌の記者に連絡をとる。

 多くの人の心と尊厳を傷つけ、人々の醜悪な好奇心を掻き立てる、星野アイの隠し子についての話を暴露するために。

 

 

 

 

 

 

 

 星野アイの隠し子報道がテレビで流れている。

 苺プロの当事者以外は、私しか知らなかった情報が、万人の目に晒される事になった。

 アクアくんがこうくるとは、私は想像していなかった。アクアくんは優しく、周囲の人たちが本当に大好きで大切にしていたから。

 ルビーちゃんをどれだけ大好きなのか知っていたから。

 姫川さんと兄弟だと知った事を話す顔が柔らかかったのも見ていたから。

 アイさんの事を、苦しみながらも復讐を果たさなければと思う程想っているのを、ずっと一緒に幸せに暮らしたかった事を知っているから。アイさんの思い出が本当に大切な宝物だと知っていたから。

 だからこそ、その大切な人達を傷つけ、苦しめる方法だけはアクアくんは選ばないと思っていた。

 

「アクアくんはもう止まらないんだね」

 

 テレビを眺めながら、悲しくなって呟く。

 しかし、これでアクアくんのプランがおぼろげに見えてきた。

 アクアくん自身も傷つき、大勢の関係者を傷つけ、ファンの幻想を打ち砕き、悪意を集めてカミキヒカルを追い詰める。その先に直接的な行動があるとしても、それは古典的な悲劇の復讐譚、悪を知らしめ復讐者が破滅する脚本が出来上がってからの話となる。

 アクアくんは止まらない、それは変わらない。

 しかもその道は私が思っていたものよりも遥かに長い茨の道だった。

 だけど、だからこそ希望が見えてきた。

 人が一歩踏み出すのを止めるのは困難だ。しかし、マラソンを走る選手をゴールさせない方法ならいくつもある。

 アクアくんが苦しみながら進むとしても、それが致命的になる前に止めてみせる。

 私が隣にいられないとしても、アクアくんには生きて、幸せになってほしいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

『人気カップル破局』

 

 ネット記事のタイトルが目に入り、心に冷たいものが差し込まれた気分になった。

 あかねと別れたのはしばらく前の話となる。

 しかし、あかねが賞を取った明るい話題に水を差す事になってしまう為、あかねの事務所側の意向で発表を遅らせていたのだ。そんなところにアイの隠し子暴露なんてしたものだから、今度は苺プロ側がそれどころではなくなってしまった。

 元々俺自身がSNSをやっていない事や、俺とあかねの関係の投稿もデートの時くらいだった事、あかねの賞や隠し子報道後の対応でお互い忙しく、デートどころではない状況だったことからファンの方も投稿が無い事を怪しむ程ではなかったのが幸いだった。

 それでもまだ付き合い続けていると認識されていたから、俺についての下世話な勘ぐりがあかねにも行っていた筈だ。それについては迷惑をかけてしまった事を心苦しく思う。本来ならもっと早く破局宣言を出すべきだった。

 遅すぎる破局宣言ではあったが、いざそれが報じられるのを目にすると、あかねとの縁が完全に切れた事を実感し苦しくなってしまう。自分から二度と関わらないと言ったにもかかわらずだ。自分の弱さが嫌になる。

 さりなちゃんの時に実感した。俺は大切な人と離れるのが辛い。たまらなく怖い。さりなちゃんを失った時、心に大きな穴が開いていた。いつまでも待ち受けに彼女の顔を置き、彼女から貰ったアイのストラップを死ぬ時まで肌身離さず持ち続けた。

 有馬の時もそうだった。有馬と距離を置くと決めた後も、罪悪感は強く、楽しかった会話もできなくなったのは辛かった。MEMにその事を詰められた時にはつい抱えていたものをぶちまけてしまった。それでも距離を置き続けたのは、失う事の方が余程怖かったからだ。前世の母、さりなちゃん、アイ。俺は関わる人達を失い続けた。

 あかねまで失いたくはない。これでよかったのだ。

 本当は、あかねが隣にいてくれる日々をこそ、失いたくはなかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 …すごいものができてしまった。

 机に伏せながらぼーっと視線を向けた先には手慰みで作ったコインタワーがある。マグカップの上から数段重ね、さらにワイングラスまで乗せるという我ながら神掛かった出来栄えである。

 なぜこんな事をしているかというと、時間が余っているのだ。

 私の時間はアクア君と別れる前までは演技の仕事、学校、アクアくんのほぼ三つでできていた。アクアくんと別れ、学校が卒業間近になってうち二つに割く時間が無くなると、稽古や休養に充ててもまだ残る。

 本当ならその時間をアクアくんを救う為の調査に充てたいところだけど、既に五反田監督、鏑木P、アクアくんが動いている事は掴んでしまっている。この三人が揃っているという事は映画を作るつもりだろう。アイさんの生涯を描きカミキヒカルを断罪する、そういったところかな。姫川さんを通じてアクアくんがララライにも取材をしにきていた事は聞いているし。私がいないタイミングで来ていたようだし、姫川さんや金田一さんも口を割らなかったけれど、誰にも見られずに劇場に出入りしたり近場で会合するというのはそもそも不可能だ。めいちゃんとかアクアくんと共演した人たちも何人もいるから変装してもすぐ気付かれちゃうよ。

 映画を作ると分かれば、鏑木Pが私にオファーをしないわけがない。不自然に空いたスケジュール、既に話自体は来ていて事務所の方も調整を始めているようだ。映画は一般的に撮影から公開まで一年以上かかる。アクアくんの目的としても公開後ある程度の期間が過ぎるまでは直接的な行動には出ないはず。あとは映画に参加して情報を得つつ、あの日の私のように思い余った行動に出ないよう監視していこう。加えてアイさん周りについてまた調べていこう。情報は多い方がいい。

 とはいえ調べられるのも日中くらいなんだよね。夜には時間がいくらか余る。この時間を仕事が忙しい時期やアクアくんを止める為に貯金できればと思うけれど、それを持ち掛けるセールスマンも預けた時間を葉巻にして浪費する時間泥棒もこの世界にはいない。

 そこで手慰みにメムちゃんが以前に見せてくれた動画にあったコインタワーに挑戦したというわけだ。 

 それなりの時間を費やしたものではあるけど、目の前の物を見ると自分の才能が恐ろしくなる。演技しか取り柄が無いとかつては言っていたものだが、アクアくんとの日々と、演技の仕事で認められた事で私の自己肯定感も上がってはいるのだ。

 さて、この傑作をどうしようか。写真に撮ってSNSにアップしようか。

 けれど今ガチマグカップを土台にした絶妙なバランスのコインタワー、これをSNSにアップしたらアクアくんとの関係の比喩ととられかねない気がする。確かに私たちの関係は不安定なところに積み重ね続けた結果崩れてしまった部分はあるけれど、このタワーに関しては純粋な趣味の産物なんだけどね。

 とりあえず写真を撮ろうかとそっと体を起こそうとした際、スマートフォンが通知を告げた。

 急な通知に体が動き、机に伝わった振動でコインタワーが崩れてしまった。

 忌々しげに通知を眺めると、不知火フリルからのもの。

 個人間オーディションの誘いとの事。

 不知火フリルも鏑木Pの息のかかったタレントだ。おそらくアクアくんの映画の件だろう。とはいえわざわざ役者同士でオーディションなど何を考えているのやら。

 本文を読み進めるとルビーちゃんも呼ぶとのこと。これはアクアくんの案ではないね。五反田監督の意向とフリルちゃんの拘りかな。

 時間は次のオフ。休日が無くなる事を考えたらやはり時間の貯金がしたいなと思う。

 スマホを置き、散らばった硬貨とグラスを片づける。

 次に使いやすいように硬貨は同じ金額同士を重ねていく。

 横にした硬貨は崩れる事なく重なっていく。設地面積が広いと基礎がしっかりしているからだ。基礎を飛ばして応用からやっていた私たちは、どうしても崩れる運命にあったのかもしれない、と未練がましく思ってしまう。

 もう一度少しずつ安定させて積み上げていく、そんな思いが浮かんだけど、首を振って振り払う。

 今の私がやるべきなのは、借りたものに利子をつけて返す事なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 アイの遺したDVDを見て、アイの関係者に取材をし、脚本を書いていく中で分かってきた事がある。

 アイの本当の願いは、『人を愛せるようになりたい、愛とは何かを知りたい』というものなのではないだろうか。

 それではアイは人を愛せていなかったのか?息子のお前はアイが生きているとき、アイに愛されていなかったのか?と問われればアイは人を愛せていた、僕たちは愛されていたと言い返せる。

 けれどアイはそれを確かめるのが怖かったのだろう。

 アイは『自分が人を愛する事ができないと知る事』、自分の願いが永久に叶わないと気づく事が怖かったのだと思う。

 それはカミキヒカルという、本質が異常で愛する事ができない男を愛そうとしてしまった失敗が故に子供たちやファンにも踏み込めなくなってしまったところもあるのだろう。

 結果としてアイは、その先が無い死に際にならなければその恐怖を乗り越える事はできず、あの瞬間、確かにアイの願いは叶っていたかもしれない。

 それでも、アイは僕たちと一緒にいる未来を夢見てくれていた、ドームライブや映画などその先への意欲もあった、その願いはあの先でもいずれ叶うものでもあったはずだ。

 何よりあの日々は僕にとっても幸せだった。

 転生者という異物ではあったが、あの日々は確かに僕がずっと求めていたものだったのだ。

 …だからこそカミキヒカルを許してはならないのだ。

 

 完成した脚本の第一稿を見直しながら、つらつらと考え事をしていた。

 監督に確認してもらい、手直しされた後のものだ。

 小説も、映画の脚本も多く読み込んだ身ではあるけど、やはり素人では限界がある。大手のアイドルをやりながら小説も脚本も書くようなこの間読んだ小説の作者のようにはいかない。

 想像で書くしかなかったがドラマ的には外すわけにはいかないアイとカミキヒカルの恋愛の詳細部分はここから大きく手を加える必要もあるだろう。子供部屋おじさんで恋愛経験の無さそうな監督にそこは厳しい部分だ。

 いっそプロに頼るのもいいかもしれない。

 アビ子先生には頼ってほしいとも言われているし、刀鞘含め恋愛模様も描くことはできているようだし。

 今日あま筆頭に恋愛ストーリーの大家である吉祥寺先生の力も借りられればなおいい。

 取材を通じて固めたアイとカミキヒカルのキャラクターを彼女に伝えれば、当たらずとも遠からず、なおかつ映画として見所のある場面に仕上がるのではないだろうか。

 何より売れっ子漫画家二人の協力は、映画の話題作りにも丁度いい。

 良い案が浮かび、ふうと一息を入れてベッドに横になる。

 部屋はすっかり暗くなっていた。

 活発になっていた思考は、そのまま寝かせてくれる事はなく、漫画家先生へ向いた意識から過去の今日あまの撮影や東ブレの舞台を思い出させる。

 やるべき事が進展した充足感は、あの幸せだった日々の充足感の記憶に繋がっていった。

 復讐が終わったと思っていた東ブレ舞台の後の時期、有馬の、MEMの、ルビーの活躍を見守り、そして隣にはあかねがいてくれた。

 あかねとの日々は、本当に幸せだった。

 だから、あかねが俺の為を思って無茶をして自分を危険に晒した時本当に怖かった。

 アイにとっての恐怖と僕にとっての恐怖は違う。失い続けた僕にとって、大切な誰かを失う事が一番辛い。あかねは、いつの間にか僕にとって大切な人になっていた。

 だから、これ以上関わらせて危険に晒したくはなかった。映画を作る時点であかねも出演するだろうというのを失念していた自分には腹が立つ。突き放しておいて関わらせるのには申し訳なく思う。

映画にあかねが出演する事自体は鏑木Pや監督の意向もあるので仕方ない。共演する以上の事は関わらないように釘を刺しにいかなければならない。

 盗み見たルビーのスケジュールによると、明日ルビーは不知火フリルやあかねと会う予定のようだ。面子的にこの映画についてだろう。本当は避けたかったルビーを主演にという意思を監督が出しているところにこの主演候補二人との会合。心配だけど見守るしかないだろう。

あかねに釘を刺した後、ルビーの状態についても聞いておくべきだろうか。

 …改めて決別を告げるとはいえ、話せるのが楽しみになってしまう自分が嫌になる。

 

 

 

 

 

 

 

あかねさす 昼は物思ひ ぬばたまの 夜はすがらに 音のみし泣かぬ

 

 家を出る前に、以前二人で見た和歌を思い出した。

 お互いの名前が入ったものを検索するという恋人らしい戯れだった。

 当然アクアマリンの入ったものは古い歌にはないけれど、あかねという文字はそこそこあった。

 あかねさす、茜色に照り映える意から,「日」「昼」「照る」にかかる枕言葉だ。

 恋の歌もそれなりにあったのだが、今思い出したのはこの歌だった。

 

明るい昼は昼で物思いにふけり、暗い夜は夜通し声を上げて泣けてくるばかり

 

 そんな意味のものだった。

 新婚早々に配流されてしまった朝廷の役人が読んだ歌。

 恋人とは作者からは40首、相手からは23首という膨大な数の恋歌をやり取りしていたらしい。1年8か月ばかりを経て許され、昇進して都に戻ってきたという。

 

 アクアは思う。

 ずっとこの歌のような気持だった。

 この作者は1年8か月後には許され、都に戻って恋人と一緒になった。

 俺は1年8か月後には…復讐を果たしていなくなっているだろう。

 やるべきことをやらなければならない。

 まずはあかねをこれ以上関わらせないように釘を刺しにいかないと…

 あかねには、俺と関わらず幸せになってほしい。

 

 あかねは思う。

 アクアくんと別れてからしばらくこの歌のような気持ちだった。

 私たちは離れてしまったし、メッセージのやり取りすらしていない。

 それでもこの歌の作者と恋人のように関われない距離にいるわけじゃない。

 女性が待ち続ける時代でもない。

 私から歩き出そう。

 アクアくんは1年8か月後には全て片付けて消えてしまうつもりかもしれない。

 そうはさせない。

 アクアくんの企みは、私が止める。

 隣に私がいなくても、アクアくんを幸せにしたいんだ。

 

 

 二人が数か月ぶりに顔を合わせる、その日の朝の事だった。

 




※作中でアクアが読んでいる小説は加藤シゲアキ著の「なれのはて」というものです。
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