「はっ!!」
エイナ・チュールは目が覚める。
最初に視界に映ったのは見慣れた職場の天井、即ち冒険者と今後の方針を決める為に話し合う談話室である。自身が安全な場所にいるのをすぐさま把握し辺りを見回すと心配そうにこちらを見ている担当冒険者であるベル・クラネルであった。
良かった、まだ首は繋がっているんだね…と安堵するも彼の傍に佇んでいる自身が意識を手放す元凶であった隻狼の存在も確認した。
彼女の頭の中にインプットされているあらゆる冒険者のデータと照合させつつ身を起こすが如何なる冒険者にも、如何なる犯罪者にも該当は0、それが意味するのは『正体不明』であった。
コホン、と咳払いし紡ぐ言葉を必死に探る。
これから何を話せばいいのか、失言をしようものならこの首が繋がっている保証はどこにもない。
「取り敢えず何があったのか教えてくれる?」
事の顛末をベル・クラネルから聞き出す。今は状況を確認する為の情報が必要だ。彼は何故この男に付けられていたのか、彼が何者かを判断しなくてはいけない。
聞くにベル・クラネルはソロでダンジョンに潜る駆け出しの冒険者であるにも関わらず彼の現在の『レベル』や『経験』では危険と判断されるダンジョン5階層に潜ってしまったという。そして不運な事に5階層に出るはずがないミノタウロスに襲われ一環の終わりを確信した時に黒い装束を身に纏う狩人にその命を救われたのだと言う。
「ダメじゃないの…いきなり5階層まで潜っただなんて。パーティを組まずにソロでダンジョンに潜ってるだけでも危険なのに。いつも言ってるでしょ?冒険者は『冒険』しちゃダメだって」
「はい、すみません…」
気絶している間に身嗜みを整えたのか薄着の少年は反省の色を顔に浮かべ項垂れている。チラリと隻狼を見てその反応を窺うとドア付近にて立っておりこちらの話を聞いている。良かった、一言喋ろうものなら切り捨てられると思った、と胸を撫で下ろすエイナは隻狼に向き合う。
「先程は取り乱した所を見せてしまって申し訳ありませんでした。私はエイナ・チュール、このギルドの受付と冒険者のアドバイザーをさせて貰ってます」
自身の立場を説明しつつ自己紹介をする。これは一種の牽制であり、ギルドに所属する人間に手を出すとどうなるのかを暗喩したのだ。しかしそれが通じるのはこのオラリオの地に住まう人々であり、異邦の地からやってきた隻狼にはそんな事は何も分からない。確信めいた物を感じるなら葦名城大手門を守護していた鬼庭形部雅孝のソレであったが相手が戦を望んでいる訳でもないのは見て取れる。しかし何から話せばいいのか隻狼すら分かっていなかった。己の事を話すのは養父の教えに反するが故…『狼』と名乗るのは抵抗感を感じる。ならばあの人が呼んでくれた名を名乗るしか無いだろう、と思い口を開く。
「隻狼だ…」
あまりもの口調の少なさ、それにコミュニケーション能力が著しく欠如している彼の名前を聞いて再度記憶のデータベースと照合するがやはり該当するものは確認できない。となると彼は冒険者として登録されていない事となり、それはギルドの安全管理のルールとして大きなインシデントとなる。頭の固い上司なら即刻オラリオの保安に勤めるガネーシャ・ファミリアに通報をするだろうが彼の雰囲気から見るに大人しく捕まるとは考えられない。ここら一体が血の海と化すだろう、いや、オラリオが炎で包まれるのを容易に想像できた。
隠蔽せねば!!放っておいているベルに断りを入れて書類一式を持ってくる。そのどれもが冒険者の新規登録に関するものだ。取り敢えず隻狼を椅子に座るよう誘導し書類と向き合わせる。
「読めん…」
「それなら僕が教えますよ!」
そう、彼は異邦人。謎の力で標準語なら会話が可能だが読み書きなんて以ての外、論外である。立ちくらみにも似た症状を覚えたエイナを他所に素直かつ親切なベルは彼にとって何も不利になるような事を隠さずに書類に書かれている内容を教える。
記載についてつまづいた点を挙げるとするなら①名前、そのまま書けばいいのにずっと考えていた為次の項目へ…②出身、①同様…③④⑤etc…結果何も書けていない。
「これは所属するファミリアについてですね」
「ふぁみりあ…?」
そして何より隻狼と名乗るこの人物はオラリオにおける常識が全く無いのだ。街の名前から始まり金銭の単位、他種族について、神々について、あまつさえ自分がいたダンジョンでさえも。
「どの神様から恩恵を授かったか…ですかね?」
「神…」
同意を求めるようにベルから目線を送られ概ね間違いないとエイナは頷くが当の隻狼自身は怪訝な表情を浮かべていた。彼、ないしは彼の内に潜む彼等は1人を除き『神』と聴けば大体難色を示す。彼等の世界は神も仏もいても慈悲も寛容さもなく一つ信用出来るのは努力の積み重ねであるステータスである。もう1人啓蒙と宣うがそんなのは例外の中の例外だ。
(狼先輩、神話関連なら俺の出番ですかね?)
(頼む…褪せ人殿)
ふと隻狼が筆を置く。己の説明に何かしらの不備があったのか分からず困惑するがエイナからの指摘や補足が無かったことからそれが間違いではないのが分かる為困惑する。
刹那、隻狼の身体が桜色に包まれる。所々に赤い炎を迸らせながらそれは発光すること数秒…桜色は黄金色に輝きの色を変える。青色、黒色、灰色、錆色、黄金に混じる気味の悪い黄色。
それらが混ざりあった末にそのベールは花開く。
隻狼や狩人とは様子が違く、騎士風の甲冑、使い込まれた刀にバックラー、兜からは白髪がはみ出しており、素顔は分からない。
脳がバグるベルとエイナ。
「あっ、すみませんね?難しい話で脳がパンクしそうだったので
ベルとエイナを正気に戻しつつ話を聞く。地下へ地下へと伸びるダンジョンへと潜り素材やら魔石やらを集める事で生活している『冒険者』。その力の源は下界へと降臨した神々から『恩恵』を授かり『眷属』となる事でモンスターと戦う力を得ているという。
「エイナさん…でしたっけ?詳しい事は色々常識を身につけてから出直します。お手数お掛けしました。君もありがとね」
褪せ人は分かっていた。エイナはベルと話をしなくてはいけない。冒険の意味は違えていても彼は戦う者としての後輩にあたるのだ。頭の中の人達は9割9分先輩の為こういった後輩にはいい所を見せたくなるものだ。
書類をひったくるように懐にしまい足早にその場を後にする。
街並みは賑わっており、褪せ人としてもこんなに人を見たのは初めてである。空は澄んだ夕日色に染まっている。
平和、その一言が似合う光景だが同時にやるせないような複雑な気持ちを抱く。その感情を爆発させて彗星アズールもしくはアステールメテオをぶっぱなしたくなるがここは理性が働く。
自分達が必死こいて駆けずり回っても束の間でしかないそれがそこにあるのだ。
きっと遠くない未来に闘争が起こる。
そう、どこであれどイレギュラーは存在するのだから。
「ラニ…」
薄らと見える月に手を重ねるも返事は帰って来ない。何度でも添い遂げた女性がそばにいないのは一抹の不安を覚えるが代わりでは無い代わりなら頭の中にいる。はち切れそうな精神がやっと落ち着くのだ。
一先ずは金銭を工面しなくては、と大通りから外れるように歩くと勿論やって来るのはならず者達だ。それもそうだろう、上等な装備に身を包んでいる人間が1人で歩いていればいいカモでしかない。
双方紡がれる言葉はなかった…繰り出される一撃をバックラーによりパリィし体制を崩した強盗に致命の一撃を食らわせる。もう1人は相手がカモではなく獅子である事を確認するや否や逃げようとするも兜の隙間から漏れ出た狂い火が収束され、放たれ、敵の凡庸たる武装を溶かし肉を裂く。
「貴行…覚悟は出来ているな?」
「ちょ、待っ…」
動かざる死体から金銭の詰まった袋を頂きその場を後にする。情報すらも得ようと思ったがこういった輩は知己の仲であるパッチを除いて録な情報を教えてはくれない。
持ち物の中からゆでエビを取り出し貪る。
取り敢えずは住める場所を探す。
暫く歩くと廃教会を見つけるも既に誰かが住んでそうな雰囲気を感じた為に向かい側の廃墟を根城にする事にした。
ボロ机に書類を置き向き合う。
脳内ではあれよあれよと意見が飛び交う。
(1つの身体を共有する訳だから名前もそれに踏まえた物にするべきでは?)
(だとしたら…獣?)
(いやまぁ、闘争に明け暮れた獣ではあるけどね…)
(ギルドとやらも胡散臭いのでは?いざという時に守ってくれるとも限らないだろう)
(そもそもギルドに所属する意義を感じないね)
(モンスターを討伐してドロップアイテムを集めて日銭を稼ぐ…主旨は違えど俺達とあまり変わらないのでは?)
(それに俺達はどのルート的にも神に仕えてる立場じゃないでしょ)
(あくまでも素材欲しさの入信…)
(…それならその路線で行くか…褪せ人くーん!書類なんて火種にしちゃおう!)
そうなると思ってたと言わんばかりに書類を纏めて暖炉に放り込む。祈祷の『火付け』を用いて暖を確保しベッドに転がる。
寝床に伏せるのは何時ぶりだろうか…眠るのは何時ぶりだろうか…これからの不安は自分や先輩達とたった1人の後輩と共に頑張るしかないのだろう。こうも混沌としたあの地に懐かしさを覚える日が来るなど正気を疑ってしまう。
そう思いつつ褪せ人は泥に沈むように眠った。
ーLOST GRACE DISCOVEREDー
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「結局狩人さんって何者なんだろう…」
エイナからのお小言を有難く頂戴したベルはギルドから姿を現す。
あの時の光景を何度も思い出しては破顔して自身の顔をもみくちゃにする。迷いのない滑らかな太刀筋、かと思えばパワフルなモツ抜き。命の危機、アドレナリンが大量に放出されるベルの脳に焼き付いた情景は忘れることは出来ないだろう。それに祖父から聞いた英雄譚から出てきたかのような『隻狼』と『褪せ人』もきっと只者では無いのだろう。
「どれだけ頑張ればいいんだろう…」
ナイフ1本となけなしの金で購入した防具。
装備に乏しくても狩人の纏うオーラは『それでも彼なら狩るだろう』と思わせる何かがあった。
たった一人の家族を失ったベルは出会いを求めてこの迷宮都市オラリオにやってきた。初めは盲目的であり命を危険に晒す冒険者となって生計を立てるようになると流石に夢見がちかと顧みる思考が生まれていた。
『生きる』って難しい。それが今日死にかけてようやく分かった気が生まれた。
大通りから外れた路地に入り暫くすると賑やかな声は聞こえなくなる。廃墟めいた建物が並ぶこの通りの深く、そこに鎮座するのはうらぶれた教会だった。崩れかけているそれはかつて神を崇めるために築かれていたが神が地上に降り立ってからは無用の長物と化していた。
崩れたそこにどう寝泊まりするスペースがあるのかと思えば地下へと伸びる階段があり、先の扉に付く小窓から光が漏れているのを確認した。
「神様、帰ってきましたー!ただいまー!」
「みゅーーー!!おかえりっ!ベル君!」
ベルの存在と声を確認するや否や飛びついてきたそれは小さかった。少年と称される彼より小柄なツインテールの幼女はベルからダンジョンで死にかけた事を伝えられると安否を確認する為体のあちこちをまさぐる。
「大丈夫ですって、神様。僕はヘスティア・ファミリア唯一のメンバーですよ。神様を路頭に迷わせるようなことはしませんから」
「ようし!言ったなー?なら大船に乗ったつもりでいるから、覚悟しておいてくれよ?」
他愛のない話を繰り広げつつ神ヘスティアの調達した『じゃが丸くん』を共に頬張る。
じゃが丸くんとはオラリオにおいて一定の人気を博している、その名の通りジャガイモを加工して作られている。
それを食べると微かに胸に込み上げるものがある。それは哀愁か、はたまた罪悪感か。
食後はステータスの更新である。
服を脱ぎ上裸になったベルはベッドに横たわりその作業が終わるのを待つ。
神の恩恵はこうしなくては力が伸びない、経験を貯めた所でそれがどう『ステイタス』に反映しどこが引き伸ばされるのかは本人の行動や意思次第となる。神の扱う『
「死にかけたって話を詳しく聞かせてくれないかい?」
時間のかかる作業故にヘスティアは軽くでは無いが聞き流していた事象を聞く。ベルはポツリポツリと事の顛末を話し出す。
「出会いを求めて下の階層って…君もほとほとダンジョンに夢を抱いてるよなぁ。あんな物騒な場所に君が思っているような真っ白サラサラの生娘みたいな娘、いるわけないじゃないか。現に君の前に現れたのは身元、所属、本名、全てが謎の『狩人くん』だったじゃないか」
「…ううっ」
「ふんっ。いいかい、ベル君?そんな一時の気の迷いなんて捨てて、もっと身の回りを注意してよく確かめてみるんだ。君を優しく包み込んでくれる、包容力に富んだ素晴らしい相手がそばに居るかもよ?いや!いるね!」
恩恵の更新が終わり神聖文字から共用語に書き換えて『ステイタス』の詳細を羊皮紙にて教える。
ベル・クラネル
Lv1
力:I77→I86
耐久:I13
器用:I93→I98
敏捷:H148→H188
魔力:I0
魔法【 】
スキル【 】
「力と器用がそれなりに上がって…敏捷が40も!?」
あのたった数刻で自身のステイタスが伸びたのに感嘆の声を漏らす。その様子を微笑みながら見るヘスティアは新たに発言していたスキルについて考察する。
(憧憬一途…早熟する、想いが続く限り効果持続、想いの丈により効果上昇。【狩人】…得体の知れない人物に憧れちゃったかぁ…癪だけどこれなら【剣姫】辺りにでも憧れてくれた方がよかったかな…)
ヘスティアの後悔も虚しく運命の歯車は回り出してしまったのだ。歯車が刻むのはオラリオの崩壊か…変革か…
褪せ人が喋りまくるのはコミカライズ版の褪せ夫が関係してます。
うーむ、ビジュアルの無い主人公はどうしようか…うーむ、悩み所さんですねぇ。