「……なんですか、これは?」
先生から急なアポイントが入ったリンは、レセプションルームで彼女から差し出された書類の束を見て首を傾げた。
「"忙しいところ申し訳ないんだけど、リンに一度見て欲しくて……"」
使い捨てのマスクごしにややかすれた声を出す先生の顔はほんのり赤い。まるで風邪でもひいたかのようだ。
ワードソフトで打たれた『それ』の見出しにはこう書かれている。
「『浸水被害に遭った『子ウサギ公園』における設備補修の提案書』ですか……」
一昨日、キヴォトス中央部を襲った記録的な豪雨。
それはD.U.各地にも様々な被害をもたらしたが、それはRABBIT小隊が居座っている子ウサギ公園も例外ではない。
ミヤコたちは陣地形成の際に排水のための十分な溝や水の逃げ道を作っておらず、ベースキャンプ内に雨水がたまりやすい状態にあった。
そして建物代わりのテントはあそこまでひどい荒天下での使用を想定していない種類であるため、四人の必死の抵抗も空しく重みであっさりと潰れてしまった。
ミヤコ以外が我に返って諦め始める中、ロクな雨具を着ずに駆け付けた先生が排水溝を掘るのを手伝い始めたことを切っ掛けとして、バラバラだった四人の心はついに一つになった。
日が沈み雨が止むころにはベースキャンプ復旧を終わらせた一行だったが、公園の施設そのものは少なくない損害を被ったままだ。
「……市民が使う公園を補修すること、それ自体には何も異論はありませんが──」
リンは心底不思議そうに先生の顔を見た。
「これは、シャーレの活動に必要なことなのですか?」
「"そうではないんだけど……"」
「ならば……SRTの生徒たちにとって必要、という事ですか?」
子供のような風貌の大人は、その一言で押し黙ってしまった。
「……カヤからお話は聞きました」
ヴァルキューレ警察学校への転入を拒んで大暴れしたSRT特殊学園の生徒たち。
彼女らが問題の公園に居座って野宿を続けており、監督責任者となった先生がそれにあれこれ便宜を図っている──
「それについて、何かを言おうという訳ではありません」
シャーレは超法規的権限だけが与えられた、活動方針のない『自由な』組織。連邦生徒会長が作ったそれに口出しする権利は自分にはない。
「ただ私の立場から言わせていただきますと、彼女たちが公園に居続けるのを是とする事はできません」
市民の憩いの場をいち集団が占拠しているから?
いや違う。あそこは利用者が少なく近々撤去予定の場所である。
リンはテーブルの上に置いておいた業務用のタブレット端末を手に取り、あるPDFを開いた。
「そもそも実のところ、近いうちに撤去する予定の公園なのです。ただ、それとは関係なく……」
タブレットの画面を先生へと向ける。
「確かにSRTは連邦生徒会長から特権を与えれた、迅速に犯罪者を制圧するための特殊な組織です」
だがその『力』は正しく適切に扱わなければ、却って混乱を招くだけの危ういものである。
そしてSRTは実際に牙を剥き、そして多くの生徒が危険性を帯びたまま姿を消してしまった。
「そんな中、彼女たちを支援するような動きをした場合……行政委員会から強い反発が挙がるでしょう」
PDFに記された文章は、ヴァルキューレへ編入された者を含めたSRT生徒の『処分』見直しを議題とした会議の内容。
全員を犯罪者予備軍と見做し、連邦矯正局ではなく刑務所へ重犯罪者として収容しろという過激な意見を唱える者までいた。
「"リンが説得してくれたりは……"」
「しません」
即答だった。
「"だよね"」
その後、先生はサンクトゥムタワーを右往左往して行政委員会に話をつけようと試みた。
しかし室長に会う前に門前払いを食らい、あるいはどこからか聞きつけたのか『先生がSRT残党を支援している』と知った行政官から銃を向けられまでした。
「SRTがどうとかは別にいいんだけどさ。厄介ごとを持ちこまないでもらえる?」
モモカはソファーに寝転がりながら、興味なさげに言い放つ。
「すみません……私じゃお役に立てそうにありません……」
アユムは深々と頭を下げ、先生に聞こえないほどの小声で『誰か助けてください』と呟いた。
今まで顔を合わせていなかった財務室長の扇喜アオイからは、『シャーレという得体のしれない組織に無駄に出す予算はない』と遂にシャーレそのものを罵られてしまった。
「("……得体の知れない? シャーレって連邦生徒会長が作ったって話だよね?")」
……
「……なるほど、それでこちららへお越しになったと」
先生はとうとうRABBIT小隊の件の仕掛け人でもあるカヤのもとへやってきた。
「結論から申し上げますと……申し訳ないのですが、私の方もお手伝いはできそうにありません」
現実は非情だった。
「公的な扱いとして、SRT特殊学園はすでに
学園都市キヴォトスにおいて、連邦国家におけるひとつの自治州……国家に等しい存在である学園。
だがその規模は大小さまざまであり、シャーレの業務でよく赴くトリニティやゲヘナのような広大な土地面積を持つ学園がある一方で、小さな市町村程度の土地しかない学園だって存在する。
そういった有象無象のなかには、財政破綻や過疎化、災害によって廃校……消滅するものも日常的にある。
先生にとって全ての始まりであるアビドス高等学校からして、広大な自治区の権利がほぼ
『ハハハハ……! お前らはバカだよ。アコ行政官が言いたいのは『ここは全部カイザーの土地なんだから、アビドス高等学校の自治権を行使できない』ってこと! 現に大昔にヴァルキューレ警察学校だって引き上げているだろう? 連邦生徒会はずっと前にこんな価値のない学園なんざ見捨ててるってわけだよ!』
天雨アコが『便利屋68の捕縛』を建前とし、先生の身柄を狙ってアビドスへ侵攻したあの日。
自身の首を絞めあげながら銃を突き付けてきた、ある風紀委員の煽る声がふと思い出された。
『RABBIT小隊ではなく子ウサギ公園を~』という抜け道も考えたカヤだったが、それもまた既知であるはずの事実によって覆される。
「あの地域は元々、再開発予定区域ということもあり……。私にできることと言えば、以前お伝えした通り、彼女たちの学籍データをそのまま維持することぐらいで……」
申し訳なさそうに謝罪するカヤにお礼を告げオフィスを出ようとする先生だったが、その背中に声がかけられた。
「先生。彼女たちと過ごす日々は、楽しいですか?」
声を出しての返事はなく、ただ頷くのみ。だが返答に満足したカヤは笑いながら言う。
「では引き続き、RABBIT小隊をよろしくお願いいたしますね」
駐車場へ戻るためエレベーターホールへ向かう途中、先生は思いがけない人物と再会を果たした。
「あっ……」
「"久しぶり"」
ヴァルキューレ公安局長の尾刃カンナ。会うのはカヤがヴァルキューレ本館へ来た時以来のことだ。
「……またお会いするとは、奇遇ですね。先生も、防衛室長にご用が?」
「"さっき済ませたよ。あなたは?"」
先生にとっては特に深い意味のない世間話程度の質問。だがそれを聞かれたカンナは露骨に狼狽えた。
「私は……その、『個人的な用事』とでも言いましょうか……」
言い淀んだカンナは逃げるように去ってゆく。
「"……"」
何かあったのだろうか?
「お疲れ様です、お待ちしていましたよ」
防衛室長のオフィスに足を踏み入れたカンナを待っていたのは、ニコニコといつも通りの胡散臭い笑みを浮かべた部屋の主。
「カンナ、そんなに緊張しないでください。何もあなたを虐めたくて呼んだ訳ではありません」
どうだか、と内心で毒づく。
「それで、『子ウサギタウン』の建設についてはいかがですか?」
上質な豆で淹れたコーヒーを口に含みながら、カヤは『計画』の進捗を訪ねた。
ここでいう『子ウサギタウン』というのは、子ウサギ公園の所在地である地域のことではない。
そこから住人を全員退去させ、既存の建物を取り壊し森を切り開いて造ろうとしている『新・子ウサギタウン』のことだ。
地下鉄道網とターミナル駅を設置し、外部から多数の企業を誘致した繁華街に作り替える大規模計画。
連邦生徒会はそれを
「それが、付近で野宿している者たちが多く……。建物の撤去作業が、少々遅れており……」
「……はい?」
言い淀むカンナの報告に首をかしげたカヤは、カップを置いて席から立ち上がる。
「それはつまり、こういうことでしょうか?」
一歩、二歩とカンナへとにじり寄っていく。まるで嫌がるした幼子を押さえこもうとするかのように。
「キヴォトスの治安を担うヴァルキューレ警察学校……その精鋭である公安局が、浮浪者*1の立ち退きに苦労していると?」
困ったような表情の裏から苛立ちと『弱者』を弄る愉悦の感情を漏らしながら、目前のカンナの顔を見上げた。
「で、ですがその、どうやら普通では有り得ないな銃火器で武装しておりまして……! こちらの武器では、なかなか対応しきれず……」
SRTの装備品強奪事件発生から今日で一〇日目。
住民の退去が進む子ウサギタウンにはRABBIT小隊と噂の『所活幸』のほか、住所不定のチンピラや不審者が多数居ついてしまっていた。
最初のうちは不法占拠の罪で警備局が対応を行っていたが、ある日を境にそういった社会のゴミがその経済状況では考えられないような高性能の武器を持つようになった。
警備局は数週間前に起きたRABBIT小隊との交戦の損害から完全には立ち直っておらず、また虎の子のWOLF小隊もお上に責任を押し付けられ謹慎状態にあり、警備局長はもはや自分たちでは対応不能と判断。
公安局がそれを引き継いで『不法占拠者』の排除を開始したのだが、武器の流通経路の捜査をする余裕もなく彼女たちもまたジリ貧へと追いこまれていた。
「それに加えて、あのSRTの生徒たちも公園に残り続けているため……」
「あら、つまり私のせいだと?」
心外だなぁと目つきがわずかに鋭くなった。
「し、失礼しました! そのような事は決して……!」
たじろぐカンナから一歩距離を置き、カヤはまじめくさった顔で弁舌を始める。
「カンナ、私は責任感のある方が好きです。私は私の、あなたはあなたの責任をそれぞれ果たしましょう」
コツ、コツと大きく足音を立てて室内を歩く。
「万が一、その責任を放棄されてしまうと……」
足を止め、再び困った顔をカンナへ向ける。
「SRTみたいになってしまったとしても私からは何も言えませんよ? ……ましてや、今の公安局には『仮想敵』がいるではないですか?」
それが何ものであるかは、言うまでもない。
「誰の仕業かは知りませんが、今のヴァルキューレには仕事のできない金食い虫を養うだけの余裕はありません。これを機に公安局を潰してその後釜に座ろうとしているかもしれませんよ?」
これは相手が『元SRT』であることを利用した脅迫だ。
しかしカンナはその見え透いた魂胆にだけは屈しなかった。*2
全体で見れば短い付き合いではあるが、ハルキたちがそのような政治的野心を持つような人間ではない事ぐらいわかっている。
「ふふっ、では私からひとつアドバイスを差し上げましょう」
緊張した面持ちで黙ったカンナを見て脅しに屈したと思いこんだカヤは、上機嫌である『提案』を行う。
「カンナは『三本の矢』についてご存じですか? 一本の矢では簡単に折れてしまいます。しかしそれが複数集まれば、そうそう簡単には折れません──」
まさか。とカンナの頬を一筋の冷や汗が伝った。
「公安局だけで難しいのであれば、『利害関係が合う人たち』を呼んではいかがですか?」
カイザーインダストリーが
「それは、つまり……」
「あら、そういうのは最後まで言わない方が『粋』ですよ」
音声記録、監視カメラの映像に『汚職の強要』の証拠を残さず、現場の人間が勝手にやったと全責任を押し付ける。
不知火カヤに限らず、これまでの防衛室がやってきたはしっこい手口だった。
「……はい」
「それでは、次回はもっと良いお知らせを期待していますね」
カヤはいやらしい笑みを浮かべて『話は終わりだ』と退室を促した。
いますぐこいつに手錠をかけてやりたい。そんな衝動を必死に押し殺しながら、カンナは敬礼と共にその場を後にした。
「はぁ……。まったく、しっかり動いてくれる人が少なくて寂しいです。どうにも人に恵まれませんねぇ……」
まるで自分は被害者だと言わんばかりに大げさな素振りでため息をつくカヤ。
その言葉に反応するように、物陰から一人の武装兵が姿を現した。
「……役に立てていなかったら申し訳ない」
「いえいえ、あなたの事ではありません」
頭を下げようとする武装兵を手で制し、営業スマイルを相手に向ける。
「むしろあなたは、私にとって最高のパートナーですよ♡」
武装兵が何者があるかは、まだ語るべきことではない。
ただ、ここで起きたやり取りがキヴォトスそのものを揺るがすような大事件へと繋がっていくというのは確実だった。
WOLF小隊の謹慎が解けるまで、あと二日──。
Ep.10「前兆」(終)
カルバノグの兎編1章後半、スタートです。
まあ原作どおりヴァルキューレはRABBIT小隊に滅茶苦茶に蹴散らされるんですが!!(キチゲ解放)
オリジナルパート以外救いなどない。
●追記
お前カルバノグ編で何やってたんだよコノカ!?