特殊性癖の戦国転生   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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1542年〜1543年春 第一次月山富田城の戦い 人体改造1

 長門に帰った私と円月は農作業や料理の研究、そして武器の改造に着手した。

 

 改造するのは弓であり、クロスボウの開発に勤しんだ。

 

 この時代の主な戦死理由として一番高いのが弓による戦死であり、事実流れ矢により多くの武将が戦死している。

 

 ただ和弓は弓を放てるようになるまでに訓練をせねばならず、弓の維持費もかかり、それでいて矢も一本あたりのコストは高かったのである。

 

 新品の矢が一貫で約三十本···現代の価格で四千円前後、古い矢じりは錆びていようが再利用され、再び使われるが、それを踏まえてもコスト的には千円近くになるだろう。

 

 まぁ今後出てくる火縄銃はその数倍の運用コストがかかるが···では運用コストを抑え、矢の部分を安くし、それでいて訓練時間を少なくできるような武器···それがクロスボウである。

 

 具体的には有効射程距離は和弓>クロスボウ>火縄銃

 

 連射能力も和弓>クロスボウ>火縄銃

 

 製造コストはクロスボウ>和弓>火縄銃

 

 威力は火縄銃>>>和弓>クロスボウ

 

 維持費は火縄銃>和弓>クロスボウ

 

 そして使えるようになるまでの訓練時間はクロスボウ=火縄銃>和弓

 

 といった形である。

 

 流行っても良さそうであるが、カラクリを作れる職人が少なかった事、和弓が武士の間で好まれていた事、海外との戦いが近年では元寇くらいしか無く、その元寇でも和弓で十分に戦えた為に技術的には作れるクロスボウが戦国時代でも普及しなかった。

 

「これが中華では使われているとされる弓か」

 

「弩とあちらでは呼ばれているそうだな。知識を頼りに再現してみたが、皆はどう思う?」

 

 宇治、左貫、円月、球磨に聞くが、誰も戦に出た事が無いので、憶測でしか語れないが

 

「弓を扱ったことのない自分でも柄を回すことで弦を引き、弦を止めている棒を降ろすことで簡単に発射することができる。それでいて足軽鎧は深く突き刺さる威力···連射には時間がかかりますが、それでも慣れていない和弓の使い手よりはこちらの方が早いでしょうな」

 

「獣を狩る時に使ってみてはどうです? 僻村では鹿や猪、猿が多いですからね」

 

 宇治と佐貫の提案に私はうんうんと頷き

 

「まぁそれが無難かね。そういえば、宇治と左貫は仏門に入っているわけでも無いから領主から徴兵があれば行くのかい?」

 

「そうですね。でも石見方面で大内の殿様と尼子が揉めているそうですが、我々は徴兵されなかったですから···大戦でもないと徴兵されないでしょうからな」

 

 私は大戦が迫っていることを知っているので、二人が生き残れる様に手を打つのであった。

 

 

 

 

 

 そして尼子経久が死去したことで大内は領民を大動員し、尼子討伐の軍を挙げた。

 

 それに伴って宇治と左貫も徴兵されて出陣することとなる。

 

 私は二人に足軽具足を大幅に改造した物を渡した。

 

「これは?」

 

「二人が生きて帰れるように色々と仕組ませてもらった」

 

 まず陣笠であるが、弓が貫通しないように錬金術で作った合金へと変え、それでいて鍋にもなるようにした。

 

 陣笠に取り付ける形で日除け布という布を用意し、戦の時以外は熱射病予防に布を取り付けた。

 

 寝むしろという寝具を結ぶ縄は芋がら縄という甘芋のツタを味噌に漬けて味を染み込ませた物にした。

 

 これだけで非常食になる。

 

 更に兵糧袋を首から両脇を通して背中で結ぶが、数珠の様に小袋になっており、その中に干しキノコや干し肉、干し飯、餅等を詰め込み、合計で二十食(一日二食として十日分)を詰め込ませ、それに食材を味噌味で錬金術の技術を使って兵糧丸も忍ばせた。

 

 一粒で一日活動できるが、数が用意できず、各自に五つずつになってしまった。

 

 甲冑は重さを軽減するため、軽い金属を作り出して、それを素材に一見普通の足軽鎧に見えるデザインの鎧を作った。

 

 槍や刀が通らない性能であり、防寒性も高い。

 

 靴は草鞋ではなくブーツにした。

 

 ゴムもどきで作られた革製のブーツは足を保護すると共に行軍による疲労軽減効果もある。

 

 そして刀は錬金術で作った緋緋色金を塗料で普通の刀に見えるようにした。

 

 そんな私の今できる技術をふんだんに盛り込んだ武具を宇治と左貫に渡して

 

「頼むから無事に帰ってきてくれ」

 

 と願うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一次月山富田城の戦い

 

 約一年四ヶ月にも及ぶ長期戦であり、大内義隆は本気でこの戦いで尼子を滅亡に追いやろうと大内主力四万五千名もの兵を動員。

 

 尼子方の砦や城を次々に陥落させ、出雲の月山富田城へと迫った。

 

 尼子方も天空の城と呼ばれる尼子の本拠地であり、弱点なき堅城とも言われる月山富田城にて毛利に敗退したことで求心力が衰えてもなお一万名もの兵力を集結させて防衛の構えを見せた。

 

 ただ大内も順風満帆とはいかない。

 

 まず出雲は尼子の本拠地ということもあり、民が尼子支持で固まっていた為に村々は尼子の為にとゲリラ戦を展開。

 

 大内家は金持ちということで多くの兵糧や武具を運んでいたのだが、それが村人達からしたら十人で挑み、一人が生き残る計算でも黒字になるというボーナスゲームであり、補給部隊に雑兵が殺到。

 

 お陰で兵糧が大内軍に届かずに部隊内で兵糧不足が相次いだ。

 

 そして大内は大動員したことで各国国衆等といった指揮系統の違う兵を内包しており、それを操ることや利害関係を調節できる人物が数年前の九州方面の戦いや世代交代で不足していた。

 

 そんな状態でも一年以上包囲を続けられたのが大内の底力であるが、包囲が一年を過ぎた頃、元尼子に属していた寝返り組の国衆が一斉に再度尼子に寝返りという生前尼子経久が描いていた自らの死をも利用した策に大内が見事にハマり、形勢が逆転。

 

 大内は敗走し、そして数多くの将兵が落武者狩りにあい命を落とした。

 

 その命を落とした中に大内の後継者である大内晴持も含まれていたのであった。

 

 大内の敗退と尼子の逆転勝利により大内は拡張する戦力を失い、尼子は石見銀山をも奪取し、最盛期を築き上げることに繋がっていく。

 

 ···これが第一次月山富田城の戦いの全容である。

 

 

 

 

 

 

 この城攻めの最中私は何をしていたかと言うと、男手が減ってしまった農地で女や子供でも田畑を維持する方法を実践していた。

 

 1542年の年明けから出陣したため、田植え、草刈り、稲刈りに脱穀と農作業のほぼ全てを男手が減少した状態でやらなければならず、田植えは今まで通り乱植え(こんな時に正条植えはできないため)にし、鯉を放流。

 

 芋や野菜類は規模を縮小させたりもした。

 

 各村にできる限りの手立てを行ったが、全体的に減収傾向であり、山口の町に行ったときも町の活気が平時とは違い、静かになっていた。

 

 また僻村にて放牧していた馬や牛、僻村の住民の改造を続けたりしていた。

 

 そして成果が確認できたところで、自らにも人体改造を行い始めた。

 

 元々体を頑丈にしたり、身長が伸びやすくとかの健康の延長線上の改造はしていたが、自身の血を抜き取り、それを素材に生殖能力の向上、栄養を筋肉へと変化させやすくし、視力、聴力を上げた。

 

 毎日の成長痛に苦しんだが、一年間で二十五センチ近く身長が伸び、腕は以前の太ももよりも太く、足の筋肉等は競輪選手の丸太の様な極太の筋肉を手に入れた。

 

 言ってしまえばドーピングであるが、それを定着させるために鍛錬を欠かさず行い、薬の副作用を打ち消す薬や料理を食べ飲むことを行った。

 

 お陰で私自身の武器は緋緋色金で作られた淡い緋色に輝く太刀であり、一メートルの大太刀であった。

 

 切れ味も素晴らしいが、ギミックとして薄く水気が付き、いくら斬っても錆びないし切れ味が落ちないかつ、普通の刀が刃負けして折れるほど頑強であった。

 

 徳源から坊主が持つべき武器ではないと言われたが、私は愛用することとなる。

 

 人体実験を繰り返したことでデータの蓄積が進み、僻村では大男や大女が多くなり、平均身長が七尺(二メートル十センチ)になっていた。

 

 流石にこれ以上は骨密度や臓器関係に影響するからと成長を止めたが、筋肉を付ける薬などで彼ら彼女らは怪力自慢になっていた。

 

 お陰で開墾が僻村では人が減っても進んだと言っておこう。

 

 そんな事をしていると大内敗退の報が私のところにも届くのであった。

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