特殊性癖の戦国転生   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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1546年 大内義植の評価

 秋になり、今年は大きな台風も無かった事や、疫病も流行らなかったこと、大内領内では戦が無かった為に農作業に集中でき、農法の定着や肥料の拡散などで、石見安芸から豊後肥後までの間の国々が大豊作となり、私の広めた種籾がここまで広まったのだなぁと感じた。

 

 お陰で米価や食料相場が下落し、大内家の財力や商人連中を抱き込んで相場の買い支えを行い、大内家として購入した食料は酒類に加工したり、そのまま畿内へ売られて利益を出した。

 

 食料相場は安すぎればこちらの税収にダメージが入るが、比較的安いくらいで安定すれば庶民は食料を買いやすいし、税収もある程度確保でき、加工することで更に高値で売ることができる。

 

 今回も畿内へ食料を輸出したことで大量の銭や金銀銅が大内領内に流れ込んだ。

 

 それを再精錬(灰吹法や南蛮吹、戻し銅等)をすることで更に利益を出すことができたし、精錬した銅は黄銅貨へと変わり、九州から中国にかけての銭不足分が解消していった。

 

 金銀も私が鋳銭司の権限を使い、大判小判、銀貨を作り、混ぜ物が少ないことと、中華の銀相場を参考にし、銀本位制を大内領内では取り決めた為、金貨こと大判や小判は大型取引用になり、通常決済は銀貨か黄銅貨により行われることとなる。

 

 交換に関する法律を作り、大内家が責任を持って貨幣の交換事業(銀行業務)を行うことで、税収とは別に交換による手間賃や事業への融資を自国の判断で行えるようになったため、大内家は更に金の流れが活性化していくことになる。

 

 これにより大内四カ国(長門、周防、豊前、筑前)や大内経済圏の国々は日ノ本の経済圏から分離し、日明貿易や琉球貿易により、アジア経済圏と接続し、独自の通貨発行権も合わさり明から頼んでもないのに日本国王の位が父上に下賜された。

 

 つまり明政府は日ノ本の正統政府を大内家とすると決めたことになり、室町幕府は海外勢力からしたら正当性の無い地方政権扱いにまで下落したことを意味する。

 

 ちなみにだが明側としては正当性を担保するから蜂蜜や砂糖、蒸留酒、珍味類、椎茸や工芸品をもっと輸出してくれという催促を意味した。

 

 中華から魅力的な貿易相手と認識され、他の東南アジア各国が年に一回もしくは数年に一回の貿易であるのに対して、大内家は年二回かつ船の上限が百隻と他国の十倍まで許され、貿易品を送れば代わりに生糸や茶葉、薬の材料、紙にあちらも銀相場なので金とか唐物の茶器等が輸出の数倍から二十倍の間で返ってくるのでボロ儲けであった。

 

 特に椎茸、砂糖、蜂蜜の価値は高く、これらの商品を詰まった船を最低五隻は送ってほしいとされた。

 

 砂糖はそんなに無理だが、椎茸と蜂蜜は栽培と養蜂が軌道に乗った為になんとか揃えることができ、今年も十分な量を送り出した。

 

 貿易の規模拡大により前までは輸出は現代換算で五十億前後であったが、今では三百から五百億円分輸出しており、それが平均十倍で返ってくるので五千億近くになって返ってくる。

 

 この五千億のうち一千億は船員の給料や材料費等の諸経費で消えるが、四千億近くは大内に転がり込んでくる。

 

 純利益だけで石高計算に直すと約百二十五万石である。

 

 日明貿易で約百二十五万石、農業改革で米だけの石高も約百六十万石まで伸びており、それに椎茸、酒類、工芸品、蜂蜜、塩他換金作物や換金商品の普及で国内貿易でも七十五万石程度の利益が出ていた。

 

 これに銭を作ったりしていたため見えづらい国力を合算すると三百五十万石程度の国力を現状有していることとなる。

 

 ノッブこと信長最盛期の半分、米は三年で約2倍収穫量を上げた為にあと伸びても1.2倍程度だろう。

 

 それよりはイモ類や小麦大麦等で二毛作したほうが良い。

 

「さて、来年は検地をしますか」

 

 私は大内領内の税収と人口把握の為に検地を一年かけてやることを決め、領内統治の仕上げに取り掛かるのであった。

 

 

 

 

 

 

 大内領内において義植は仁君、神君と崇められており、大内領内で義植の能力を疑う者は居なくなっていた。

 

 各村では安慈時代や義植として農法や多くの作物を栽培したことや鶏やその卵を食べるようになったことで慢性的な食料不足と栄養状態が改善し、村々でも商人が村の特産品を買い取ったり、交易をするため、貨幣経済が浸透。

 

 不足しがちな銭は黄銅銭と足りない分は宋銭を流すことで流通量を確保し、村でも他の村と貨幣を使ったやり取りや交流が増えた。

 

 しかも水争い等は義植が水を湧き出させまくった為、武器を持って争うという事が無くなり、他国では深刻な問題となる流民も米が作れない、作りづらい場所に村を作らせ、換金性の高い作物や芋類を作らせること、焼き物や養蜂、牧場等を広めたことで食っていける下地を作り上げたり、兵士や娼館で働かせることで流民を吸収していった。

 

 村人達からの評価はこれで固まり、俺たちの殿様とか農神扱いであった。

 

 町民達の評価は農民ほどまでいかないが、商人は新造硬貨の安定供給と日明貿易の拡大や街道整備で物流が改善されたことで大いに感謝しており、職人達も新しい技術を書物にして普及させたり、金払いが良いので支持されていた。

 

 公家からは官位は低いが、大宰府の復興や書庫の管理や技術書の整備、文化物の製作等の仕事を与えてくれた人物として扱われ、パトロン(金蔓)として評価が高かった。

 

 武士達は文治派は内政重視かつ税収が約束の一年前倒しで二倍を達成したし、日明貿易の貿易額を大幅に増やし、石見銀山を失ってなお最盛期以上の収益を出していたので大喜びだし、文化人が多いので特注の茶器や武具を与え、土地から銭払いに給料形態を変えたが、文治派は兵士を扱うのが上手くないので、土地よりも銭で給料を支払われた方が給料が高いとなったら、最低限の土地を残して手放してくれたし、大宰府の官位を与えたことで、今まで官位を持てなかった人達にも箔が付いた。

 

 それに空前の茶道ブームにより茶器を褒美としてねだる人が多く、文治派のみならず中立派や残った穏健的武断派もこの流れに乗っかった。

 

 武断派の残りは名声が一揆鎮圧失敗で地に落ちているので発言力は少なく、土地も大半が没収されたので、中立派が育てている常備兵の士官レベルになっており、年配が粛清されたので、私と年が近い若輩者ばかりになっていた。

 

 しかも家督的に本来ならばスペア扱いだったり分家筋だった者なので、私の意見に反発せずに素直に従ってくれている。

 

 中立派は武断派粛清で発言力が向上し、常備兵をある程度抱えることで武断派が担ってきた武力面を支えた。

 

 現状石見付近で親尼子の国人衆との小競り合い程度で大規模な戦が無い為に活躍は控えめであるが、牧場が各地に増えたことで大型馬が供給されつつあり、弩による馬上から弓を放てる騎馬民族的な騎馬弓兵や大型馬により重装備を身に着けても馬が潰れないので重装騎兵も誕生しつつあった。

 

 農民、商人、職人、公家、武士と全ての階層から高い評価を受けている義植は増益した税収を道の整備や川の氾濫対策等の公共事業に投資し、更に民衆の支持を高めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 こうした動きから父親である大内義隆は大宰府復興の功績で、朝廷より従二位の官位を下賜され、いよいよ武家の上限を突破した。

 

 室町幕府の将軍に今年から就任した足利義輝は幕府の枠組みから外れ、更に幕府が与えたはずの日明貿易の権利が明側により大内との独占契約に変わったこと、何より銭を勝手に発行したり、守護代や名門が多かった武断派を勝手に粛清したことに大激怒。

 

 義輝は就任最初の命令として尼子に大内討伐を命令しようとしたが、これは幕臣達が大内は名門中の名門かつ畿内の食糧事情を支えているため食糧の輸入が滞れば一揆が発生する可能性が高いと宥められた。

 

 なので矛先を変えて公家の一部領土を幕府復興の為にと横領するという暴挙にでる。

 

 朝廷や公家から元々低くなっていた名声は今回の暴挙により失墜し、朝廷は山口遷都計画は潰したが、京を復興するには大内かそれに準ずる安定した政権が必要と、室町幕府の将軍職の剥奪も真剣に検討されることになるのだった。

 

 というか鎌倉幕府のように他の武家が次の幕府を創るように願われるようになる。

 

 あと京を守護する将軍がこのザマなので、更に山口や大宰府に下野する公家が増えることになるのだった。

 

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