零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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第六話『ハイドアンドシークレットサービス』

 

◆   ◆

 

「既存の事件を精査することに、おそらく意味はないでしょう」

 

 テーブルの上に資料を広げながらも、実口(みぐち)(むつ)はそう首を振った。

 

「意味はないたって、んじゃあどうやって犯人を見つけるんだよ」

 

 占いで次の犯行現場を当てるとか言い出したら俺は帰るぜ——なんて言いつつ、零崎(ぜろざき)人識(ひとしき)はパンケーキにナイフを入れた。

 

 サー・トーマス・リプトン四条店。寺町通商店街の玄関口、アーケードのアーチを挟んだ左側に聳えるその店は、リプトンの名が示す通り、紅茶ブランドとして有名なあのリプトンの直営カフェであり、看板メニューとしての紅茶はもちろんのこと、季節に応じた様々なスイーツを楽しめることでも有名だ。

 

 人識が注文したのは、ドイツ風苺のパンケーキと苺の紅茶セット。

 水谷豊似の支店長が直々に運んできた、豪華にも苺やクリームがふんだんにあしらわれる、パンケーキというよりもクレープに近いような特異な形状のそれに舌鼓を打ちつつ、人識は話を続ける。

 

「実際、何の成果も得られてねぇ俺が言えた義理じゃあねぇけどさ。既存の事件から手掛かりを見つける以外に、犯人特定への道なんてないだろ?」

「どっこい、そうでもないんですよねぇ」

 

 言いながら、六は人識の皿にスプーンを伸ばし、苺とクリームを一欠片掬って行った。平然とそれを口に放り込んで、「あ、美味しい」なんて曰う実口六を、人識は本気で殺そうかどうか悩んだ。

 

「まあまあ、そう怖い顔しないでくださいよ。ほら、私のハイセンスなパフェも一口あげますから」

 

 ピスタチオクリームと苺のコンビネーションを載せたスプーンを返礼として差し出しながら、六は話を進める。

 

「実際問題、既存の事件から犯人特定につながる情報が残っているのなら、とっくの昔に警察が捕まえていますよ。元号も変わって久しいこの時代に、名探偵の出番はない、というわけです」

 

 だからこそ、見据えるべきは。

 

()()()()()()()()()()()()()、という点ですよ」

 

 差し出されたスプーンを口で受け止めてから、人識は言った。

 

「……それがわかるなら、それこそ警察が張り込んでるだろ」

「いえいえ、こればっかりはどうやったって、警察には辿り着けないのですよ」

 

 なにせ。

 

「彼らが相手にできるのは、怪しい人物だけですからね」

 

 つまり逆説。

 

「罪もなく、怪しむ余地もない、ただひたすらの無辜の民(イノセンス)に対し、彼らは向ける目を持っていないのですよ」

 

 なぜなら警察とは、民衆の味方ではなく、犯罪者の敵でしかないのだから——と、実口六はそう結び、今し方人識に与えたパフェを今度は自分の口に運んだ。

 

「それに目を向けられるのは、民衆の味方たるハイセンスなジャーナリストだけです」

 

 自慢げに言って、六はさらに言葉を重ねた。

 

「一連の事件の共通点として、その全てが一切密室()()()()部分が挙げられます。屋外での殺人が九人。解放された商業施設内での殺人が三人。鍵のかかってない室内での殺人が二人。あからさまに、()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまりは——

 

「このコロナ禍に出歩いているようなナンセンスな愚か者や、鍵をかけずに家に居座る不用心な間抜けが殺されているということです」

「被害者に対して何て物言いだよ」

 

 民衆の味方じゃなかったのか、お前は、なんて半眼で言う人識に、六は肩を竦める。

 

「ナンセンス——私は確かに民衆の味方を志してはいますが、しかしだからこそ、その被害者正義的な考え方にはあまり、賛同できるとは言い難いのですよね」

 

 殺す人間が悪いなら——殺される人間だって悪いのだ。

 

「被害者様様、殺された人間を悪く言うことは許されない——なんて、おかしな話じゃあないですか。中世ならともかく、今は令和の時代ですよ。死なば仏なんてナンセンス。むしろ死んだ人間だからこそ、その生前の行いをイノセンスに評価するべきだと思いませんか?」

「どうかね。評価したところで、結局そいつは死んでるわけじゃねぇか。死んだ人間に評価を与えたところで、それこそナンセンスってやつなんじゃねぇの? たまたままだ生き残ってる奴らが、たまたま死んだやつの運の悪さを論ったところで、そりゃあただの精神的自慰行為でしかねぇんじゃねぇか」

 

 生きていることに理由はないし、死んでいることにも理由はない。

 被害者の何が悪かったかと言えば、それは運が悪かったのだ——と。

 殺人鬼である零崎人識の哲学は、どこまでも冷淡だった。

 

「ふむ。なかなかにハイセンスな哲学ですが、しかしあえて、ナンセンスであろうとも反論をさせていただきましょう。運が悪かった、とおっしゃいますが、しかし今回の場合、コロナ禍による外出自粛の呼びかけにも従わず、連日報道される殺人事件のニュースを気にも止めず、自分は大丈夫だろうなんて無根拠な自信に基づいて——あるいはその自信を持つことさえもなく、ただ無知で愚かゆえにリスクを認識できず、無謀な行動の末に死に至ったのが被害者たちなわけです。私が彼らの何が悪かったのかをナンセンスにも自慰的に評価するとしたら、それは弱者だったのが悪いのだ、と。あえてそう言わせてもらいましょう」

「何だよ、被害者が犯人を返り討ちにできてりゃ死ななかっただろう、ってか? 全米ライフル協会かよあんたは」

「それも一つのアンサーですね。しかし私が言いたいのは、そんな北斗の拳じみた腕力比べ以前の次元の話として——つまり彼らが、()()()()()()()()()()()、悪かったと言いたいのです」

 

 きちんと情報を手に入れていれば、防げたはずの死であった、と。

 実口六は、被害者の死をそう結論づける。

 

「情報は武器です。現代社会では特に、どんな兵器よりも強力な。その威力を知りもせず安穏と生きていた弱者が、当然のように死んだ、と。これはただそれだけの話だとは思いませんか? 腹を空かせたライオンの前で踊るウサギが喰い殺されることを悲劇とは呼ばないでしょう。それと同じですよ」

「どうかね。そのたとえは俺には適切とは思えないな。被害者たちの気持ちとしちゃ、単に普段通り野原をうろついてたってだけなんじゃねぇの? ライオンが()()()()()()()()野原をさ」

 

 つまりは、確率論だ。

 

「極論、核シェルターに篭ってたって心筋梗塞で突然死するかもしれねぇわけだろ。生きてる限り、いつ死ぬかなんてわかりゃしねぇ。病気で突然くたばるのも、車に轢かれてお陀仏するのも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、死って意味じゃあ全部同じだ。あんたは『殺人事件のニュースが連日報道されているのに』、なんてあたかもそれを大きなリスクであるかのように語ってるけどさ、その殺人鬼が殺したのはこれまででたったの十四人でしかないんだぜ」

 

 この京都市には、百万人以上の人間が住んでるってのにさ——と人識は語る。

 

「百万分の十四。確率としちゃ、四葉のクローバー見つけんのと同じくらいだ。そりゃああり得なくはないだろうけど、んなもん、交通事故で死ぬ確率だって似たようなもんだ——むしろ、そっちの方が高いくらいじゃねぇの?」

 

 だからこそ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかもしれねぇだろ。実際、百万分の九十九万九千九百八十六で勝てるギャンブルだったわけで、その()()()()()()()()()()()()()()()ってだけの話じゃないか」

 

 死は結果で、等価だ。原因が何であろうと、死ぬ時は死ぬ。突き立つ凶器に見出せるのが殺意だけであるように、訪れる死に見出せるのは不幸だけ。

 

「極論、俺たちだって、次の瞬間に隕石が降ってきて地球ごとお陀仏、って可能性もあり得るわけじゃねぇか。情報があったところでどうにもならねぇだろ。隕石が落ちてくるかもしれないのにわざわざ地球に生まれてきたのが悪いってか?」

 

 人識の理論に対し、噛み締めるように頷きを返し、しかし実口六は更に踏み込む。

 

「確かに、イノセンスな確率論で言えばそうでしょう。しかし——ナンセンス。惜しむらくは、そこにある視点が欠けています」

 

 つまり、被害者たちが挑んだのが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と言う事実。

 

「人口比で語ればそうですが、しかし()()()()()()()()()と言う視点で考えれば、そのギャンブルは一気に、敗北率が跳ね上がるのですよ」

 

 それこそ——致命的なまでに。

 

「赤信号、みんなで渡れば怖くない、なんて言いますけれどね。逆に言えば、青信号でも一人で渡れば危険なんです」

 

 実際、歩行者対自動車による死亡事故の約四割は、信号無視によるものですしね——言いながら、六はティーカップに口をつけた。

 

「初めにも言った通り、今回の殺人は驚くほど謎がないんです。もちろん、犯人不明という最大の謎はありますが、しかし周到なトリックや芸術的な不可能犯罪によって捜査が難航しているわけではない。むしろ、殺人手段を度外視すれば、どこの誰にだって殺せるからこそ、捜査が難航しているわけです」

 

 そして、どこの誰にでも殺せるようなシチュエーションに自ら踏み込んだのは被害者の方だったのだ、と六は語る。

 

「そもそもこのコロナ禍ですからね。出歩いている人間自体がまず少ない。その上で、犯行の全てが()()()()()()()()()。つまり被害者は全員が、深夜に出歩き、ないし家の鍵を開放し、それでも自分が死なないなんて勘違いをしていた。そんな殺人鬼垂涎の被害者らしい被害者というものは、そうそういません」

 

 実際——

 

「この連続殺人の発生頻度は、どんどんと間延びしていっている。初めは連日連夜であったのが、二日に一回、三日に一回と減っていっている。これはどう考えたって、殺しやすい被害者が減少した結果だとしか考えられません」

 

 だからこそ。

 

「我々がやるべきなのは、犯人を押さえることではなく、()()()()()()()()()()の方でしょう」

 

 六の言葉は——ある程度には、筋が通っているように感じた。

 

「しかしだからって、この広い京都で夜中に出歩いている被害者候補全員を監視しようなんてのはそれこそ無理だろ。こちとらたった二人なんだぜ」

「ええ。そんなことはもちろん無理です。私は九尾の人柱力というわけではありませんしね。せいぜい、分身できても二人までです」

「二人まではできんのかよ」

 

 どこのカストロさんだ——なんて縁起でもないツッコミを入れつつ、人識は問う。

 

「それじゃあ、どうするんだ?」

「簡単です」

 

 その答えは——

 

「——囮捜査ですよ」

 

◆   ◆

 

「まず私が殺されかけますから、あなたはそのシーンを写真に収めてください」

「その場合、あんたはそのままおっ死んじまうわけだけれどその辺りは大丈夫なのか?」

 

 人識の問いかけに。六は「むむ、それは困りましたね……」なんて顎を抑える。もしかして、こいつはただのバカなんじゃないだろうか……なんて不安になり始めた人識に、六はパ、と笑顔を向けた。

 

「まあ、それに関しては何とかしますよ。凶器が魔法の杖とかでもない限り、一撃までなら何とかできるハイセンスな秘策がありますので」

 

 胸に手を当てて言う六のことは全く信用できなかったが、しかし人識としてはこの連続殺人の犯人が特定できればこの男が死のうがどうなろうが全く知ったことではないので、無視することにした。

 

 時刻は二十二時。コロナ禍ゆえの営業時間短縮要請により、飲食店はほぼ全てが暖簾を外し、それ以外の店舗もコンビニなどの必需的なそれ以外全てが閉店している。

 

 人気の失せた東山三条の街並みの中で、二人のみが足音を響かせている。

 

「しかし、これほど人気のない京都というのも、もう一生見れないんじゃないですかねぇ。かの有名な仮面ライダー龍騎のハイセンスなオープニング映像は、人のいない渋谷を撮るためにわざわざ正月に撮影したという話ですけれど、今の時代、正月ですら渋谷から人が消えることはありませんし、ましてやそれが京都ともなれば、一年三百六十五日どの日を選んだとしても人気が消える日はないでしょう」

 

 創作者にとっては、垂涎の取材日和なのかもしれませんね——なんて、出歩く人間を愚か者と罵っていた人間とは思えない手のひらの返しようを見せつつも、妙にテンションの高い六は人識を引き連れてずんずんと歩いていく。

 

「あんたなんでそんな元気なんだよ」

「え? そりゃあ元気にもなりますよ。なにせ、これから殺人鬼を誘き寄せるわけですからね。ワンチャン死ぬかもしれないって時にしんみりしてたら、なんか本当に死にに行くみたいじゃないですか」

 

 だからと言って逆にハイテンションになるというのも、なかなか極端な話だとは思うが——しかしこれでいて意外と、あるいはしっかりと、恐怖を感じてはいるらしい。

 

「ま、私だって命は惜しいですからね。無論、ハイセンスなジャーナリストとして、ジャーナリズムにはイノセンスに命をかけていますけれど、しかしだからと言って軽々に命を捨てたいというわけではありません」

 

 命をかけることと、命を捨てることは違いますから——なんて語りながら、彼は()()()()()()()()()()()()()()

 

「もっとも、命ではなくプライドならば、いくらでも捨てられますけれどね」

 

 なんて——見事なまでの()()姿()を披露する実口六は、こともなげにそう言った。

 比較的、男性としても高めの背丈な実口六であるけれど、こうして衣服を整えれば、なかなかどうして、どう見ても女性にしか見えなかった。何をどんなカラクリでか、胸にリアルな膨らみまで用意した、完璧すぎるほどに完璧な女装姿だ。

 

「五対九。被害者の比率としては、なかなかの女性率ですね。男女平等の観点から見ればナンセンスですが、しかしここは私が六人目となることでバランスの改善を図るとしましょう」

「図っちゃダメだろ」

 

 やっぱりこいつ、ただの自殺志願なんじゃねぇか——なんて、変態という意味でもダブルミーニングになってしまいそうなことを考えつつ、人識は深々とため息をついた。

 

 実口六の計画は、なかなかに単純明快な力押しだった。

 まず、六が囮として連夜街を出歩いて殺人犯を誘い、現れた犯人を人識がとらえる。

 なるほど完璧な作戦っスね——とサザエさん似の男子高校生のセリフがその続きごと脳裏に浮かんでくるが、ともかく。

 

「不思議なのは——」

 

 人識は六に言う。

 

「なんであんたが、そんなにも俺のことを信じられるのか、ってところだぜ」

 

 警察が犯人を捕まえられないのであれば、我々でそれを捕まえてしまえ、なんて六が言い出した時には、自分がそれをするつもりであったと言うことも忘れて「どうやって?」と聞き返してしまった人識だ。まさかその答えが「人識に全てを任せる」と言う策とも言えないストロングな全委任とは思わなかったが。

 

「あんたからみりゃ、俺はただの頭のイかれたコスプレイヤーだろ。俺のどこに、現れた殺人鬼を捕まえられるほどのポテンシャルを見出したんだよ」

「おやおや、ナンセンス。あなたともあろう人がお忘れですか。()()()()()()()()()()()()。情報を扱うものとして当然——()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も、しっかりと調査済みです」

 

 その言葉に——人識は咄嗟に、彼の首にナイフを添えた。

 

「おっと、誤解なきよう(イノセンス)。非合法な調査はしていませんよ。と言うより、できていませんよ、というべきでしょうかね。彼の御仁には私も常々興味津々なのですが、なにぶんガードが固くて固くて……だからこそあなたの件を私が知り及んでいるのは、イノセンスに萩原准教授自身が政界に対してそれを仄めかしていらっしゃるからですよ」

 

 あの女——そんなことをしていやがったのか。人識は眉を顰めるが、珍しくそれに気付かぬまま——あるいは気付いていながら、それが自分に向けられたそれではないとわかっていてか、六はそのまま話を続ける。

 

「大陸系のマフィア組織と京都府警の超大規模な全面抗争——それにけりをつけたのが萩原准教授の私兵だ、と言うのは今や公然の秘密ですよ。もっとも、その私兵の正体があなたである、と言うことにまでハイセンスに至っているのは、京都広しと言えど私だけでしょうがね」

 

 ……あの事件は、外部ではそのようにして処理されたのか。何をどうやってかはわからないが、それを為したのはおそらく、萩原子荻だろう。あるいは、その政界とやらもグルなのかもしれない。なにせ、あの虐殺がまさかたった一人の人間によってなされたそれであるなんて馬鹿げた話は、誰が話したところで信じてなんてもらえないだろう。カバーストーリーが必要なのは、誰にとっても同じことだ。

 

「だからその部分に関しても期待していますよ。ネゴシエーターさん」

「勘違いされてるようだが、俺の専門は口先じゃなくて切先でね」

 

 そっちは欠陥製品の方さ、なんて戯言を口ずさみつつ、人識はナイフを懐にしまった。

 

「しかし、運命的ですよね」

「あ? 何がだよ」

「だって、萩原子荻に零崎人識ですよ? 萩原准教授は天才だし、あなたはナイフ使いだし、まるで運命に導かれたかのような、作為性すら感じるハイセンスな組み合わせじゃあないですか」

 

 こんな偶然、ありえないですよねぇ、なんて興奮したように語る六。人識は何かが面倒くさくなって、後ろ頭を掻いた。

 

「あー、実はそうなんだ」

「え? どういうことです?」

「だから、全部作為だってことだよ。あんたの言う通り、これは意図的なんだ。偶然天才の萩原子荻とナイフ使いの零崎人識が組んでるわけじゃない。実を言うと、うちのボスは病的な西尾維新マニアでね。俺も望んでこんなかっちょいいコスプレをしてるってわけじゃあねぇんだよ。ボスに強要されてるんだ」

「ええ!? 本当ですか!?」

「ああ、本当本当。ついでに言うと、ボスの本名が萩原子荻ってのも大嘘で、実はマニアが興じて改名までしちまったってのが真実だ」

「で、でも以前のインタビューだと生まれた時から本名だ、と」

「んなもん嘘に決まってんだろ。どこの親が子荻だなんてわけわかんねー名前つけるんだよ。戸籍だの何だのはどうせ本人しか見れねぇし、バレねぇとでも思ったんだろう。確か本名は早川伝治だか利根川開次だか、そんな名前らしいぜ」

「いや両方男の名前じゃないですか!?」

「自己の解放ってやつだよ。察してやってくれ」

 

 めちゃくちゃな出鱈目を本人不在のまま撒き散らしつつ、人識は夜の街を歩く。

 ……こんなので、本当に殺人鬼が寄ってくるのだろうか?

 

「つーかよ、六くん。あんたのプロファイリングに乗っ取るなら犯人は夜中に一人でぶらついてるやつをメインターゲットにしてるわけだろ。俺と仲良しこよしで歩いてたら一生たっても寄ってこねぇってことなんじゃねぇの?」

「あ、バレましたか。実は私が殺人鬼に襲われるのが怖くて作戦決行をのらりくらりと先延ばしにしていることが」

 

 いやそこまではバレていなかったが——と言うか言うほどのらりくらりとも先延ばせてはいなかったが。

 ともかくとして。

 

「怖気付いたってんなら俺はもう帰るぜ」

「いえいえ、そんなことはありませんとも。ただちょっと、心の準備に時間がかかっていただけです」

 

 言って、実口六は人識の手をとった。

 

「危なくなったら助けてくださいね」

「あんたが生きてる限りはな」

 

 言って、二人は別れる。念の為、いざという時に介入できるギリギリまで距離を離した上に、なるべく周囲に悟られないように身を隠しながら、人識は六についていく。彼が履きこなすハイヒールの音が無人の往来に響く。

 

(ま、とは言え——)

 

 一人になった人識は、いつでも戦闘が行えるように、服の内側に仕込んだ刃物の位置を動かしていく。

 

(一日目でいきなり釣れるってこともありえないだろうが)

 

 なんて楽観は、きっとそれまでの空振り続きゆえだろう。

 しかし得てしてホームランバッターというものは、打率の高い名打手よりも、むしろ空振りの多いパワーヒッターの方がそうなりがちで——つまりこれは、人識の完全な油断だったのだ。

 

「やあ、()()()()

 

 その男は、あまりにも突然に現れた。

 場所は奇しくも、東山を出て河原町に入ろうと言う、三条大橋の半ば。

 

 車道の中央。普段ならば、そんな場所に立てば即座に撥ねられて終わるだろう場所にも、けれど車通りはない。

 

 これがコロナ禍ゆえなのか、はたまた眼前の男が身に纏う()()()()()()()()()()()()()、実口六には全く判断が付かなかった。

 

 二メートルを越すだろう背丈。体を覆う、拘束具のような重たいコート。袖から突き出た長い両腕は枯れ木のようで、その巨躯からはあまりにも不釣り合いに細く、そして長い。

 軍帽、軍靴、目にはゴーグル、口元には鬼を模したかのような、牙を向く真紅の面頬。

 それは例えるのなら、()()()()()()()()()()()()()、そんな異質な存在だった。

 

「私の名は、綺楽院(きらくいん)蘆景(あしかげ)。——()()()()

 

 あまりにも簡潔で、あまりにも間欠で、()()()()()()()()()その自己紹介に、実口六は、完全に呆気に取られた。

 だからこそ、いつのまにか眼前にまで迫っていた男のその一撃を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、奇しくも彼が礼賛した、情報という武器の諸刃ゆえだったのだろう。

 

 ず、と。その、猿のそれのように細長い指を五本、携える巨きな手のひらが、宣誓をするかのように掲げられる。

 

「私的巧殺——狂想奔放(ヘルメス・トリスメギトス)

 

 ごう、と唸りをあげて、その手のひらは振り下ろされる。それはあたかも、空間そのものを叩き潰すような——

 

 実口六は動けない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、ですらない。まるで世界全ての時から取り残されてしまったように、まるで一切の行動を許されないままに、ただその絶対的な破壊の奔流をその身に叩きつけられ——

 

「う、お、お、おおおぉ———!!!!」

 

 寸前。

 

 飛び込んできたのは、奇しくも同じく()()()。ただしその行動は対照的で、六をその存在ごと爆散せしめんと振るわれた殺意の結晶に対し、飛び込んできたもう一人は、それから六を逃すべくに現れた。

 

 零崎人識は動けぬ六に半ばタックルを仕掛けるかのように飛びかかり、自分ごと強引にその場から退避させる。

 

 迎撃しよう、などと考えることはできなかった。()()()()()()。人識だからこそ、わかる。少なくともこと屋外において、あの手の技に対する対抗手段は()()()()()()()()()()()()()()

 

 抱き合うようにしてもつれあい、ゴロゴロと無様に転がった二人であったけれど——それこそが最適解であったのだ、とすぐに気付くことになる。

 

 ガァアアアアアアアン——————と、落雷に似た音色が響いた。

 

 見れば——三条大橋を覆うアスファルト。ひびなく丁寧に舗装されたそれの中央が——()()()()()()()()()()

 

 ただの、平手打ち。

 ただの平手打ちが——地形をさえ破壊する。

 それは、かつて人識が見たそれと、あまりにもよく似ていて——

 だからこそ。

 

「何者だ、お前」

「おや、名乗りが聞こえてはいなかったかな、坊主」

「俺は仏教徒じゃねぇよ」

「ほおう、では修道士くん」

 

 クリスチャンでもない人識だが——殺人鬼に信奉されるなど神も迷惑だろう——もはや訂正するのも面倒だった。

 

「聞こえちゃいるさ。だが、それだけじゃあまるで足らないね。何より()()()()()()を前にして、自称殺人鬼とは随分吹かすじゃねぇの」

 

 人識は服の内側から引き抜いたナイフを構えながら言う。刃渡三十センチ。人間相手に使うそれとは思えない、対猛獣用にさえ思える大型のダガーナイフ。それは、萩原子荻が人識のために用意した()()()のうちの一つだった。

 

(癪だが、あの女には感謝しねぇとな——)

 

 このクラスのプレイヤー相手に、あのおもちゃのようなバタフライナイフで挑むなど、自殺行為にすらならない。まだしも自分から刃を喉に突き立てる方が、綺麗なまま死ねるだろう。

 

「ふ、本物の殺人鬼か。それこそ吹かしと言うものだな、零崎人識。()()()()()()()()()()()()()()()()()、笑わせるにも程がある」

 

 その言葉に、人識は反応する。

 せざるを得ない。

 

「我が主人、だと——」

「貴様には、知ることすらも許されぬ高貴なお方だよ」

 

 一体何者だ——なんて陳腐な問いかけを人識がする寸前、男はニヤリと笑って言った。

 

「私とて名は知らず、ただ『狐の君』とのみお呼びしているほどだ」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……そいつ、娘が赤くて人類最強だったりしねぇか?」

「な、バカな! それは我ら十三階段のうちでも秘中の秘のはず——」

 

 やばい。

 こいつ、面白キャラだ。

 人識は頭を抱えたくなった。

 

 知ってる。

 ものすごく知っている。

 顔も見たことがあるし、喋ったこともある。何なら本名も知っている。

 

 薄々そうじゃないかとは思っていたけど。

 思っていたけども。

 

「全部あいつの差金かよ畜生が!」

 

 人識が叫べば、綺楽院蘆景は額から冷や汗を垂らす。

 

「ぬうう……まさか貴様が『狐の君』についてまで知り及んでいるとは。これが彼の御方の敵……! 侮っていたのは私の方であったか!」

 

 ギャグとしか思えない言葉を叫びつつ、しかし蘆景はより一層その異様な妖気を増して()()()()()

 

「礼を失したな。幼き神の従僕よ! 我が名は綺楽院蘆景! 十三階段が十二段目! 狐の君に忠誠を誓いし万象鏖殺の殺人鬼! 人呼んで『殺戮王(ボヘミアン)』の蘆景! 授かりし(めい)を果たすがため、今ここに汝の(いのち)を貰い受ける!」

 

 暑苦しい叫びをあげて、蘆景は人識へと襲いかかる。

 

「ああ、畜生! もうどうにでもなりやがれ——ボンボンだかボローニャだかしらねぇが、殺して解して並べて揃えて晒してやんよ!」

 

 かくして、やけくその如くの叫びと共に、その戦いは始まった。

 それはまるで予定調和で、けれどあまりにも予想の外にあった遭遇戦。ゆえにこそその結末は誰にとってもまだ見ぬもので、これを乗り越えられるかどうかがこそ、あるいは零崎人識の生涯の中で、最大の峠であるのかも知れなかった。

 

 目撃者は約一名。

 人気ない深夜の三条大橋にて、戦いは始まる。

 

 第二戦。

 『殺人鬼』・零崎人識VS『殺人鬼』・綺楽院蘆景。

 

 奇しくも同じ称号を持つ両者は、けれど対照的な姿形で。

 ゆえにこそ生き残ることを許される本物は、どちらか片方、ただ一人だけだった。

 

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