◆ ◆
「——もしもし」
『——私です』
「あなたのような声の人間は知りません。それではさようなら」
聞き覚えのない声に電話を切ろうとした瞬間、さらなる声がかけられる。
『——待ってください! 私です! 実口六です! 零崎人識くんのハイセンスな協力者です!』
「そんな報告は受けていません。さような——」
『人識くんが死にかけています!!』
……。
その言葉に、子荻は終話ボタンを押す指を止めた。
またか。
咄嗟に脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった。
しかし——
そのように判断して、子荻は今まで書いていた論文を保存し、眼鏡を外して電話に集中することにした。
「それで、何があったんです? 自称協力者さん」
『敵は異形の改造人間。巨大、怪力、頑強、それに加えて血潮が千五百度の炎血で、人識くんは焼き殺されかけています』
「……薬やってます?」
『やってない! ラリってるのは世界の方だ!』
その切羽詰まった叫び声に、いよいよ子荻は覚悟を決めた。
「それで、連絡をしてきた目的は?」
『人識くんを生き残らせる策を教えてください』
知るかそんなもの。
そう言えれば、どんなに楽であっただろうか。
なんだよ、改造人間って。
なんだよ、千五百度の炎血って。
この世界はいつから日曜朝のヒーロー番組になったというのだ?
「諦めてダッシュで逃げる」
『それができるのならもうやっていますよ! 今はもう彼が戦っている周りを炎で囲まれて、逃げも入れもしないんです!』
「ビデオ通話に変えてください」
言うや否や、一瞬のブレの後、画面が切り替わる。遠目から映される、燃え盛る炎に閉ざされた三条大橋。砕け、焼け爛れたその中で、零崎人識は異形の魔人を前に、かろうじて生き残っていた。
上半身は、上着一枚が消え去っていた。
実口六を庇う際、彼は曲弦糸の応用によって、炎に当たった瞬間接触した上着を脱ぎ捨て、ギリギリの回避を成し遂げていた。摂氏千五百度——燃え盛る炎の血潮とはいえ——その本体は液体だ。だからこそ上着を壁にすることで飛来するそれの勢いを殺し、自分への影響を最小限にしようとしたのである。
その試みは半分成功し、半分失敗した。
零崎人識は生き残り、けれどその影響は
上着は即座に煤と消え、六を庇うように抱き止めて転がった人識の背は、炎の余波に確と
それが真実。幸運と言えるかどうかは、甚だ疑問であったけれど——
しかし、人識は戦っている。
今も戦い——続けている。
その場面を——萩原子荻は観察する。
六という足手纏いが離れたこともあって、人識は飛来する炎を、どうにかこうにか紙一重で避け続けることに成功していた。
直撃は避けている——避けられている。
これなら、戦い方はある。
子荻は思う。
さらには——
「あなた」
『はい?』
「その眼鏡は、ただの眼鏡ではありませんね?」
画面が切り替わる寸前。最初の一瞬、ビデオ通話開始時のインカメラに映った銀縁眼鏡を——子荻はめざとく見咎めた。
「道筋はつけました」
策士、萩原子荻。たとえ敵が異形の改造人間で有ろうとも——彼女の前では全席指定。
「正々堂々手段を選ばず——真っ向から不意打ってご覧に入れましょう」
彼女は足を組んだ。
その瞳はすでに、勝利を見ている。
◆ ◆
これは死ぬかもしれないな、なんて、零崎人識はどこか他人事のようにそう思った。
周囲を炎で囲まれ、すでに脱出は不可能。超高温の炎が渦巻いている都合上、曲弦糸も使用不可。頼みの綱の手に持つナイフは、相手に刺せば燃え溶かされる。
万事休す——か。人識は小さく笑った。
「ふん。『
「そうご大層に吹かす割には、まだ俺を殺せてもいないようだけどな」
「笑止。貴様とてもはや理解していよう。今の貴様は袋のネズミ。もはや放っておいても体が爛れ死にゆく身よ。ああ、全くつまらん結末だ」
わざわざトドメを刺すまでもない——重々しく言いながら、けれど余裕を見せつけるように、蘆景はその両腕を腰に置いた。
「せめてもの慈悲だ。辞世の句を読み、腹を切るが良い。さすればせめて安らかに逝けるよう、すぐさま首を落としてやろう」
「かはは。お優しくって涙がでらぁな。でもあいにくと、俺の死に場所は背の高けぇイカした女の膝の上って決めてんだよ」
この程度の窮地を前に絶望して死を選ぶくらいならば、すでに零崎人識は万回を超えて死んでいる——などと。
虚勢を張っては見るけれど。
(しかしこりゃ、詰んだか?)
状況は最悪だ。
相手が遊んでいるからこそなんとか生き残れてはいるが、しかし今の人識には、相手に対する対抗手段が一切と言っていいほど存在していない。
鉄すら溶かされる高熱に対し、ナイフ使いの人識は、致命的なまでに相性が悪い。
それこそ——
(常識の爆弾魔みてーな大火力タイプか、曲識のにーちゃんみてーな搦手タイプなら、まだしもなんとかなったんだろうが——)
そのどちらもを、今の人識は持ち合わせていない。
だからこそ——
「人識くん!」
その叫び声は、間違いなく人識にとって、天啓にも似た救いの声だった。
「相手は高熱であって、無敵ではありません!」
実口六が、叫んでいる。
焼け爛れる炎の結界の向こう。三条大橋の対岸から、喉が焼けることも構わずに。
「それは、
「何を言うかと思えば、小癪な妄言——」
蘆景の言葉は、けれどその先へとは続かない。
大きく息を吸って、彼女は言った。
「
その言葉に——
「黙れ女ァ!!」
綺楽院蘆景は——反応した。
「私的巧殺——
ピストルの形に構えた指先から、炎の弾丸が発射される。音速を超えて放たれたそれは炎の結界を超えて六の元へと飛翔する。それは過たず六の体を消し飛ばし——
「
「——っ、な!」
「
手品の種を、彼は明かす。
「ハイセンスなジャーナリストというものは、時に取材対象から恨まれ、命を狙われることもあり得ます。ゆえにこそ、鮮やかなる幻惑のヴェールは、時としてハイセンスなエチケットなのですよ」
すなわち——立体映像。それこそが、先ほどまでの実口六だった。
そして——
「ハイセンスなジャーナリストの目は、情報を決して見逃さない」
——
「あなたの炎血は、文字通り血潮。それゆえに、
指を立てて、彼女は言う。
「私に炎を撃ち込まないのがその証拠。
これじゃあ大赤字もいいところだ——と、彼は笑った。
「人識くんに対して積極的な攻勢を仕掛けなくなったのもそれゆえだ。自分のパフォーマンスが落ちていることを悟られたくなかった。だからこそ、相手が同じように消耗するのを待ったのです。ナイフを溶かし、余裕を見せつけ——自分は無敵だと錯覚させるために」
さあ、舞台は大詰めだ。
「——
その言葉に——蘆景は
「人識くん!」
「おう」
「子荻さんからのプレゼントです!」
実口六は、懐から取り出したそのナイフを人識に投げ渡した。
「——合点、承知」
人識は、それを受け取った。鈍く輝く鋼の煌めき。それは炎に照らされてなおも色褪せない。
「摂氏千五百度、だったよな。あんたの体温ってやつは」
鉄すら溶かす地獄の業火。けれどそれは——ことこの刃に対しては、あまりにも
「タングステンナイフ——重すぎるからか、あいにくとおまけの中には入ってなかったが——これさえありゃ、あんたを殺して解して並べて揃えて晒してやれる」
「何を馬鹿な——」
「三千四百七度」
その言葉に——蘆景は思わず、口を噤む。
「
鉄すら溶かす炎血でさえ、決して溶かし得ぬ世界最高の耐熱金属。その融点はあらゆる金属の中で間違いなく頂点であり——炎程度には、溶かせない。
「ついでに言えば、柄は最高位の断熱素材でできています——『マグマの中でも使えるナイフ』が、コンセプトだそうですよ」
製作者曰く、エヴァンゲリオンに影響されたとか——なんて、六は笑った。
人識はそれを無視して続ける。
「大方、あんたの骨格も同素材だろう? そうでも無きゃあ、それほどの高温を体内に格納した状態で形を保っていることがまず不可能だ」
人識はナイフを逆手に構えた。
「矛盾の故事と行こうぜ、綺楽院蘆景。盾と矛はどっちが強いか、勝負しよう」
「ぐ、ぬ——」
蘆景は——一歩、後ずさる。
「盾と矛など、馬鹿馬鹿しい——使い手を殺せば、どちらも同じよ!」
「ああ全く、その通りだぜ」
人識は身捌きによってすり抜けるようにして火球を避け、そのまま蘆景へと接近していく。刹那の世界。粘つく時すらも置き去りにして、人識は駆ける。
「私的巧殺——」
「遅ぇよ」
振り抜かれる爪を避け、人識はスライディングをするように股下を潜り抜けた。
通り抜けた直後、人識は体を跳ね上げてコマのように回転し——蘆景の背、肋骨下部の背骨の脇——すなわち人体の急所が一つ、腎臓の位置を、過たず穿った。
◆ ◆
「——やりましたか?」
電話の向こうへと、子荻は問いかける。
『ええ、見事に。確かにナイフは腎臓の位置に刺さりました』
「——腎臓の位置?」
その言葉に、子荻は思わず息を呑む。
「ちょっと待ってください、人識くんは
『え? ええ、はい。そりゃあもう見事に——』
「今すぐ人識くんに退避を促してください」
『な、なぜ——』
「相手は改造人間でしょう」
子荻は椅子から立ち上がって叫んだ。
「
◆ ◆
「——愚かなり、零崎人識」
綺楽院蘆景の背からは、一滴の血も流れなかった。
「出血を狙うまでは良かっただろう。だが——見誤ったな」
私の臓腑は、そこにはない。
蘆景の体が——ぐるりと反転する。
「私的巧殺——
振りかぶられた右手が、まるでそれをぶつけられるものの末期を示すかのように、赤く、どこまでも赤く輝いて——
——その銃声は。
——現象に遅れて追いついた。
ターン、と。
乾いた音色が、どこか遠くから響く。
見れば。
綺楽院蘆景は——その頭蓋を喪失していた。
人識はただただ、呆然とそれを見つめる。
まるで柘榴が弾け飛ぶように——でさえもなく。
その理由は——
「——この始末は高くつきますよ、人識くん」
三条大橋から約一・五キロ。
鴨川を橋を二本超えて北に遡った丸太町橋の上。欄干の隙間から突き出た銃口とスコープの向こう側で——萩原子荻は呟いた。
——アンチマテリアルライフル。
旧大戦期には対戦車砲とも呼ばれた超大型ライフル。もはや狙撃銃の域を超えて、砲とさえ呼ばれうるべき超大口径の超遠距離武器。
その有効射程は一マイル——
炎熱の血も、怪力の体も、鋼の骨格も関係なく、超超遠距離から一方的に、有無を言わさず一撃にて全てを葬り去る、絶対の対物破壊攻撃。
つまりそれこそが——萩原子荻の用意した、必勝の詰手だった。
「改造人間、ということで、脳の位置まで弄っていたのなら二発目が必要だったところですが——そういうわけでもなさそうです」
宿主が死したからであろう。温度の下がった血が、倒れ伏した体からどうどうとこぼれていくのをスコープ越しに見つめ、子荻は独りごちる。
萩原子荻——策士。
それは決して、本人の戦闘能力の低さを確約する称号ではなく——彼女の狙撃技術は、人類の最高位に位置している。それこそ——狙撃銃の有効射程範囲内であれば、どこであろうと必ず命中させて見せる程度には。
「まったく——私の見ていないところで死にかけるなんて、犬としての作法がなっていない」
死を見届けるのは飼い主の義務だというのに——と、ひとしきり理不尽な文句を言い終えてから、子荻は立ち上がった。
「さて、それじゃあ人識くんを迎えに行って——ラーメンでも食べて帰りましょうか」
かくして、戦いは決着する。
第二戦。
『殺人鬼』・零崎人識VS『殺人鬼』・綺楽院蘆景。
奇しくも同じ称号を持ちながらも限りなく異色の二人による対決ではあったけれど——その決着は、勝者なし。
殺人鬼の末期など、つまりは相場が知れている。
取るに足らない一般人の、銀の弾丸に撃ち抜かれるのだ。
明日は20時05分ごろ投稿します。