◆ ◆
「攻撃というのは、つまり消極的な防御なんですよ」
——それはむしろ逆なんじゃないだろうか。
四条河原町。ティーハウスリプトン四条店。本来ならば、人識がこそ口を開き、その内情を滔々と語るべく用意された席で——けれど彼は、口を噤んだまま、動けないでいる。
「——イノセンス。そちらの方が、積極的な防御なんです。守る、と言う意味では、動かない方がハイセンスです。格闘技なんかでもそうですよね。防御する側は基本、相手が動くまで動かない。だからこそ防御として価値がある。対して、攻撃は、相手に防御を強いる、と言う意味で、相手からの攻撃を避けると言う力がある。つまり、これも防御の一種なんです。あるいは、防御を強いると言うよりも、対処を強いると言った方がいいでしょうか? 用は、相手の行動を限定して、動きを拘束する。選択肢を狭めて、自分の想定の範囲に収めようとする。ある種の支配、と言ってもいいかもしれませんね。支配は、あらゆる防御の中で最も剛性が強く、そして靭性が低い。簡単に砕け散ります」
ガラスの心ほど、支配を望む。それは想定外の力が加わることが、容易に破壊に繋がってしまうからだ。
「防御としては、大きなリスクを含んでいます。つまり、
それがつまり、靭性の低さ、と言う意味なのだろう。人識は思う。それらば、積極的な防御の方は?
「後手に回ることは、実は意外と強い。現実はチェスや将棋じゃあないですからね。
これは全ての場面において同じなのだ、と彼は言う。
「私なんかはハイセンスなジャーナリストですが、いかんせん個人ですからね。社会という巨大構造物と相対するには、その力は弱すぎる。だから、積極的な攻勢を仕掛けなければいけない。そこかしこを駆けずり回って目を光らせ、ネタがあればそれを攫い、取材のために喰らいつき、兎にも角にも先手を打とうと必死です」
いつだって命懸けで攻撃を行なっているのですよ——と。
肩をすくめて、冗談のように言う彼だけれど、しかしその言葉には強い説得力がある。彼が取材に命をかけていると言う事実を、人識はすでに目の当たりにした後のことだ。
「しかしこれが、喰らい付かれる側はと言えば、これは私の方を攻撃する意味はないし、もっというと防御する意味もないんです。喰らい付いてくる私を、喰らい付いてきてからほどほどのところで引き剥がし、満足したかいと問いかける。それだけでいい。探られて痛い腹があっても、そこまで辿り着かれなければ痛くも痒くもないわけですから、防御するまでもなく、届く前に対処可能なほどその構造が強固であれば、防御という行動すらも不必要になる。向こうとしては、何が起こっても、いつだって後からどんな手段でも取れるわけです。こちらは攻撃すると言う選択肢しかないのですから、攻撃が持つ相手に対する行動の強制という効果は、彼我の力に差がある時には逆転してしまう」
これが——強さの本質的な構造なのではないか、と。
そんなふうに、実口六は語った。
「弱い犬ほどよく吠える、なんてハイセンスに言いますが、まさしくそれはその通りなんですよ。たとえばあなたが戦ったあの
その行いは、結局身を守るには足りなかったわけだが。
「兎にも角にも、攻撃というのは
それはもしかしたら、あの
恐怖を操り、恐怖を押し付ける彼女だったけれど——それは何よりも、恐怖自体の恐ろしさを知っていたからだったのではないか。
銃を手に持ち、血を撒き散らし、無情を張り詰め、強さを装い。
そんなふうにして、
今となっては確かめようもない空想が、人識の脳裏によぎる。
六は言葉を続けた。
「しかし、相手を恐れる必要がなければ、相手を排除する必要もない。相手が恐ろしくなければ、相手を攻撃しようとも思わない。恐ろしくない相手が何をしたところで、自分には関係がない。よしんば攻撃を受けたところで、どうとでも防御のしようがある。ともすれば受けた攻撃を防御するかどうかさえ、受けてから考えればそれでいい——」
あるいは。
「
そう言われて、人識は思う。
きっと——
あの誰よりも赤き人類最強の請負人——
恐れるものがない。
恐れに負ける、心を持たない。
いつだって自信満々に——人類最強を体現している。
強いやつは——強いから強い。
それはつまり、そう言う意味なのではないか。
それは、『弱いやつは、弱いから弱い』と言う言葉の裏返しであって。
それは、つまり——
「
思考の隙間を突くように。
六はティーカップを持ち上げて言った。
一口、喉を濡らすように紅茶を飲んで、彼は続きを口にする。
「
あらゆる殺人は——恐怖によって行われる。
そんなふうに、実口六は断言した。
「相手が恐ろしいから、排除したい。その恐怖の行き着く究極が殺人で、言い換えれば殺人を語るのは、恐怖を語るのと同等の行為である、と、私はイノセンスに、そう思うのですよ」
たとえば。
「あなた方零崎一賊の殺人も、つまりそう言うことなのではないですか?」
——その言葉に。
人識は初めて——ほんのわずかに、眉を、顰めた。
「……どう言う意味なんだよ、そりゃあ」
「おっと、ナンセンス。気を悪くされたのならば申し訳ありません。これは私のイノセンスな考察でしかありませんから、外れていたのならご容赦を」
六は軽く頭を下げて、けれど——止まらない。
「しかし——あえて。あえてナンセンスにも、愚に愚を重ね言うのならば——あなたにも、多かれ少なかれ思い当たる節はあるのではありませんか?」
その言葉に、人識は何も答えない。
それが防御なのか、観念なのか、呆れなのか、無関心なのか。
その答えは、人識本人にさえもわかりはしなかった。
「あなた方零崎一賊が、なぜ一賊であるのかと言う点と、あなた方零崎一賊が、なぜ人を殺すのかと言う問いの二つは、本質的に類似しているように思えてなりません。無論、繰り返しになりますが、これはイノセンスに推論でしかないのですが——むしろ妄想でしかないのですが、いずれにせよ」
問うのならば。
「あなた方は、
と。
実口六は、そんなふうに突き詰めた。
「それはつまり、何がだよ」
「それはもちろん、
他人が、というより。
「零崎一賊、『殺人鬼』——その通り名はつまり、人の異種であることを暗に示している。異種であるのだと言う自認を示している。人ではない鬼である、と言うのは、何のことはない言葉通りの意味でしょう。異種であるから、人とは在り方が違うから、
本質的に、知性が最も恐れるのは理解できないものですからね——と六は言う。
「八十億の、あまりにも巨大すぎる敵に対して、身を寄せ合うように集うのは、それは恐怖ゆえに繋がりを求めているのではありませんか? あなた方が、家族を守るために過剰な報復を行うのが、その証拠なのではないですか? あれはつまり、あなた方殺人鬼からの、人類に対するメッセージであると、人類側からすればそう受け取れるのですよ。
しかし、的を外してはいないのではないか、と愚考します。
実口六は、揺らがなかった。
「あなた方はマイノリティだ。対象を個人に限ればあなた方は殺人鬼で、強大な捕食者側に見える。けれど対象を人類と言うステージに拡大すれば、あなた方はあまりにも卑小な弱者で、人類はあまりにも巨大な恐怖の象徴に早変わりする」
あなた方が本当に強いのなら——過剰な報復なんて、必要ない。
実口六は、そう言い切った。
「威嚇も、攻撃も、殺人も、常に弱い側が身を守るために行う極限行動である、と、私はそう結論づける。そしてその考えを真と仮定するのなら、逆説、こと攻撃というステージにおいて、最も強いのは最も脆いものと言うことになります。この世の全てを恐れる最弱の精神こそ、この世の全てを滅ぼす最強の怪物に反転しうる」
強さはある一定を過ぎれば弱さに変わる——そんな言葉を、いつかどこかで語られたことを、零崎人識は思い出す。
「二律背反。あるいは二者択一と言った方がハイセンスかもしれませんね。つまり、刃を鋭くすればするほど、その刀身を薄くせねばならないのと同じような理屈です。恐れるものこそ攻撃性を強め、行き過ぎた攻撃性を持つものは本質に必ず絶大な恐怖を抱えている。強さは弱さ、弱さは強さ。その理から外れる『最もたる強さ』を手にしているのは、それこそ赤き人類最強や、あるいは橙なる人類最終くらいのものでしょう。つまり彼らも、また人の異種なのです。我々が虫を恐れないように、彼らも人を恐れない。ゆえにこそ——彼女らはある意味で、孤独なのでしょうが」
彼は言って、カップを干した。空の器がソーサーに戻り、小さな音が立つ。
「話が随分と遠回りしましたが——」
結局のところ——言いたいのは。
「——
◆ ◆
それは彼と初めて出会った、十四歳の零崎人識にとっても。
それは彼と蜜月の時を過ごした、十五歳の零崎人識にとっても。
それは彼と致命的な別れを果たし終えた、十六歳の零崎人識にとっても。
それは全てが破綻していた、十七歳の零崎人識にとっても。
それは何もかもが壊れ果てていた、十八歳の零崎人識にとっても。
それは彼との死別を迎えた、十九歳の零崎人識にとっても。
あるいは、今の零崎人識にとっても、なお。
まだ、わからないままだ。
『言っちまえば、家族みてーなもんだ』
そんな言葉を、いつかどこかで誰かに言った。
その言葉がまるで何かの引き金であったかのように、あるいは全ては崩れ去って。
それでもなお、彼のことを、永久に忘れられないまま。
その姿を、思い出さずにはいられない。
少女のようにあどけなく、悪魔のように凄惨なその有り様が。
戯れるように殺し合い、血に塗れた夜の艶姿が。
かきあげる姿さえ煌めくような、その揺れる長い髪が。
触れ合うように握りしめた、その細らかな手の指が。
未だ残影のように、焼きついたまま。
砕け散った横腹が。
撒き散らされた血の痕が。
白く凍りつくようなその死に顔が。
もう二度と、笑うことも、怒ることもない、その褪せた瞳が。
胸の奥の深くに、食い込んだまま。
もしかすれば。
何か一つ、ボタンが違えば。
零崎人識と、匂宮出夢は、
そんな空想さえも、捨てられないまま。
零崎人識は——
◆ ◆
零崎人識と実口六は、鴨川の
「まさか鴨川から等間隔が消える日が来るとは思いませんでしたねぇ」
人っこ一人いない土手を眺めながら、六はしみじみと言った。
「どうです。せっかくですし、我々がその一つの代わりをやると言うのは」
「男同士でか?」
「差別発言ですよ、いつの世でも」
六は言って、にこりと微笑む。
「しかしまあ、とんでもない話もあったものですね」
革靴の踵で土を踏みながら、彼は人識から視線を外し、流れゆく鴨川の景色を見つめる。
「まさかあなたが——
薄く笑みを浮かべて言われた言葉に、けれど嘲りの意図は含まれていない。ただ淡々と、事実を改めて確かめた、と言うふうな、そんな気配だけを感じた。
「……信じてんのか、その話」
「おや、信じない方が良かったですか?」
そう言うわけではもちろんないが——
「実際のところ、頭のおかしい奴の妄想に聞こえたって、当然の範疇だぜ」
「もしもこれが、出会ったその日に言われていたことなら、
むしろ、おかしくなったことを疑うなら自分の頭の方です、なんて言われて、苦笑。炎の血を持つ改造人間に比べれば、何のことはない。物語の世界からやってきた殺人鬼など、『そうなんだ』で済んでしまう。
「むしろ、恐ろしいですよ。それこそ、きっとこの後も、喰らいつく先が増えるのだろうなと思うくらいにはね。いつ何時、あんな超常の魔人が現れるかわからない世界になってしまったと言うことなんですから」
「
「むしろ件の
六は言って、ポケットに腕を突っ込んだ。
「零崎人識、
そして何よりも——
「
その名前に——人識は口をつぐむ。
——匂宮出夢。
石凪、天吹、墓森、薄野、零崎、闇口——そして、匂宮。
『殺し名』七名、序列第一位・匂宮雑技団の次期エース。団員No.18を背負う『殺し屋』にして、元『十三階段』の十段目たる『
マッドサイエンティスト、喜連川茂連が作り出した、第十三期イクスパーラメントの
妹・匂宮
肉体は二つとも女性であるが、精神的には男性。
その能力は『強さ』に特化しており——こと戦闘における強さに関して言えば、かの人類最強、哀川潤すらも遥かに上回る。
体付きに釣り合わない長い腕から繰り出される必殺技——『
当然。
あるいは必然。
ともすれば自然——その人格も同じく、『強さ』に振り切れており。
控えめに言って、宇宙の果てまで
過去形——だ。
今となっては、もう、全てが。
「あいつは——死んだよ」
人識が言えば、六は眉尻を下げる。
「一度は、なんでしょう?」
「あの最悪男を信じるならな」
それは信じられない、という意味なのか、それとも信じたくない、という意味なのか。
分からないままに曖昧に言って、人識は遠くを見る。
あの出夢が。
あの人類最終によって幕を引かれたはずの、匂宮出夢が。
この事件の犯人だ、というのなら。
匂宮出夢は、殺人鬼ではない。
彼は依頼によって人を殺す殺し屋で、彼の殺人には理由がある。
殺しは一日一時間——だったか。
人識は思い出す。
躁的な人格の彼であったから、迂闊に人を殺してしまうことはあっても——狙い済まして人を殺すとなれば、話が違ってくる。
それはあり得ない。
人識の知る匂宮出夢には——ありえない。
「……なんていうか、それって殺しという概念をナイーブに捉えすぎじゃないですか?」
「お前がそれを言うのかよ」
冒頭で散々ご高説を垂れてくれやがったくせに。
人識は思いつつも、しかし続きを促した。
「つまりですね、私が思うところによれば、これに意味なんてないんですよ。イノセンスに、たまたま出会ったから殺してる。ただそれだけのことなんじゃないですか?」
「んなめちゃくちゃで無軌道な理由で——」
「めちゃくちゃで無軌道な理由くらいでしか、人が人をなんて殺せませんよ」
彼は言って、肩をすくめた。
「先も言いましたけど、
被害者があまりにも無作為すぎる。
無作為という作為すらないほどに、本当の意味でランダムである。
半端に共通項があったり、人間のタイプとしてダブりがあったり、本当の意味での無作為抽出の結果としか思えない被害者の数々は、もはや、本当にそうであると考える以外に結論を導けない——それが、実口六の推理だった。
「それこそ、
実際——それは現場を見て回った人識も抱いた感想だった。揉めた形跡どころか、
ただ、殺した、という結果だけが残っている——そんな感覚。
「しかし、その説が仮に正しいとしてよ、六くん。
京都市内連続殺人事件——現在、被害者十四人のうち、室内で死んでいたのは、二人。
「ばったり出会うには、おかしな場所だろうよ」
「そこなんですよねぇ」
実口六は少しズレたマスクを直しながら言った。
「どうも、その二つだけは辻褄が合わない。あるいは、噛み合わない。どうも食い合わせが悪いんですよ」
「そりゃああんたの推理が間違ってるって証拠だろう」
「んー、ま、そうなのかもしれませんが」
しかし、と。
彼は続ける。
「もう一度、その現場に行ってみませんか?」