零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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第十一話『トゥーレイトショーダウン』1

 

◆   ◆

 

「せめて書き置きの一つでも残して行けばどうなんでしょうね」

 

 空白のベッドを見つめながら、萩原(はぎはら)子荻(しおぎ)はそう呟いた。

 

 京都大学医学部附属病院——彼女がコネと権力を駆使して確保した戸籍が存在しない人間のための病床は、今は誰もいない。

 苦労して確保した一週間の入院期間は、わずか三日目にして無駄になった。

 あるいは。

 この先の展開次第では、無駄にならないかもしれないが——

 

「——と、それでは本末転倒ですね」

 

 ともかく。

 主人の消えたベッドに、子荻は座り込む。やや硬めのスプリングが、子荻の軽い体重を吸収した。

 

 ——零崎(ぜろざき)人識(ひとしき)の健康状態は、相当に悪かった。

 

 匂宮の誇る最大兵装——『断片集(フラグメント)』との激戦。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、それを真正面から制したことは、策士・萩原子荻をして驚愕を禁じ得ないほどの、空前絶後の大偉業であったのは間違いのないことだったのだけれど、だからこそそれが零崎人識の体に残した傷跡も、またあまりにも深かった。

 

 大きかった——ではなく、深かった。

 

 たった三日では、治りきってなどいないだろう。

 

 あるいは。

 水枕(みずまくら)三味(しゃみ)の診断を信じるのならば。

 

 そもそも治るような疵ですら——ないのだろうけれど。

 

 いずれにせよ。

 そんな体の状態でありながら、それでも、それを押してでも——人識は出撃した。

 その理由は、一つしか存在しない。

 

「……そんなに大切なものですかね」

 

 もはや熱も残らない、ベッドのシーツをなぞる。

 指先が、つう、と。

 リネンの上に、一条の跡をつけていく。

 その先端を眺めながら、彼女はほう、とため息をついた。

 

「わからないわ——家族って」

 

 萩原子荻のそのつぶやきが、果たしてどんな意味を持っているのか、それを語る意味は、この物語には存在していない。

 

 だからこそ、語るべきことは一つだけだ。

 病院から抜け出した零崎人識が、どこへ向かったのか——その答えがこそ、この物語の最終地点となる。

 

 これより語る物語は、だから一つの、失敗の物語だ。

 一つの人間関係が破綻して、全てが終わるまでの物語だ。

 

 心の準備ができたのなら、視点を移そう。

 

 同時刻、某所——などと、濁す必要すらも、今更もう存在しない。

 子荻のいた京都大学医学部附属病院からは、遥か遠く、南。

 

 京都府京都市下京区東塩小路町七二一の一。

 

 それすなわち——京都の玄関口に聳え立つ、府の名を冠したランドマーク——京都タワー。

 コロナ禍ゆえに人の消え去った京都駅前にも、変わらず高々と聳え続ける、蝋燭を模したような紅白の塔の、その最上階となる展望台——その、さらに上。

 寒風吹き荒ぶ屋外。地上百三十メートルに程近い、塔の先端部にて——零崎人識は、相対していた。

 

 

 匂宮(におうのみや)出夢(いずむ)と、相対していた。

 

 

◆   ◆

 

 初めて出会った時、そいつは徹頭徹尾わけのわからないやつだった。

 

 暴走しすぎるぐらい暴走して。

 発狂しすぎるぐらい発狂して。

 絶叫しすぎるぐらい絶叫していた。

 

 異様なほど正気じゃなかったし。

 異端なほど病気のようだったし。

 異彩なほど殺気に溢れていたし。

 異形なほど強気に昂っていたし。

 異常なほど狂気に浸っていた。

 

 だから初めて出会った時からずっと、零崎人識は匂宮出夢のことが好きじゃなかった。

 

 まるで全然——好きじゃなかった。

 

 それは彼が人識に執着し、人識の人生に深く食い込むようになってからも、同じことだ。

 

 同じことだと、思っていた。

 あるいは——思おうとしていた。

 だから——結論から言えば。

 

 ()()()()()()()()()

 

 失敗、したのだ。

 人間関係に、失敗をした。

 

『なあ、人識——』

 

 いつも通りのことだ、と思っていた。

 どこかで、俺のことを理解してくれているんじゃないか、なんて甘えがあった。

 

 ともすれば、通じ合っているんじゃないか、なんて。

 

 そんな妄想さえ、抱いていた。

 

 だから。

 だから、人識は気が付かなかった。

 

『お前、僕のこと、好きか——?』

 

 砕け散るような夕暮れ。

 逆光に翳る顔の向こう。

 その言葉に含まれていたSOSに。

 人識はまるで、気が付かなかった。

 

 だから——

 だから。

 

『何言ってんだ、気持ち悪い』

 

 人識は、いつも通りに。

 

『お前のことなんて、大嫌いに決まってるだろうが』

 

 そんな憎まれ口を、返したのだ。

 

◆   ◆

 

「よう、出夢」

 

 春というには、まだ肌寒い。

 あるいはそれは、この場所の高さゆえのことかもしれないけれど、それでも。

 

 花が咲くには、まだ遠い。

 

 零崎人識はそんなことを思いながら、その背に語りかけた。

 

 その背に。

 

 匂宮出夢の——背に。

 

 京都タワーの先端部。その淵。安全用に置かれた朱色の柵に、外向きに腰掛けて。

 長い髪が、風にたなびいている。

 

 彼は、人識のその声に、振り向いた。

 

「は、久しぶりだな——人識」

 

 にへら、と。

 困ったように、笑う。

 匂宮出夢は——ボロボロだった。

 

 傷ついて——

 瑕ついて——

 疵ついて——

 痍ついて——

 創ついていた。

 

 今にも死にそうなくらい——傷だらけで、壊れかけだった。

 やさぐれたように、虚しさを堪えるように、儚く、笑う。

 その笑顔は——匂宮出夢には、一つだって似合わない表情で。

 ただ、酷く。

 魂が締め付けられるように、痛ましかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ぎゃは——」

 

 ぎゃはは——と。

 無理やりに、笑って見せる。

 

「こんな情けない姿、見せるつもりじゃなかったんだけどな——」

 

 かっこ悪りぃ、なんて、言い訳のように。

 

「べっつに、気にしやしねぇよ」

 

 その姿を。

 人識は見下すでなく、嘲るでなく、哀れむでなく、いたわるでなく——ただ何事もないかのように、平然と見つめる。

 

「俺も似たようなもんだ」

 

 包帯は、まだ取れていない。閉じかけた傷口から滲み出た血が、包帯をうっすらと染めている。

 ポケットに手を突っ込んだまま、誤魔化すように肩をすくめた。

 

 本当は——

 

 もっと動揺すると思っていた。

 もっと同情すると思っていた。

 もっと激情すると思っていた。

 もっと敵愾すると思っていた。

 きっと憎み合うと思っていた。

 きっと恨み合うと思っていた。

 きっと殺し合うと思っていた。

 きっと果し合うと思っていた。

 

 それなのに——どうしてだろう。

 こんなにも——胸が締め付けられるようで。

 そればかりが、心を責め立て続けるのは。

 

 愕然とするほどに、理解不能で。

 人識は必死に、それを隠していた。

 

「ははは、お前は変わんねーな」

 

 しゃがれた声で、出夢は言った。

 カチューシャのように使っていたサングラスも、どこかへ消えて。

 革のパンツに、革のジャケット。身につけているのはそれくらいのもので。

 靴をさえ、履いてはいない。

 傷だらけの足が——赤黒く、染まっている。

 

「お前、僕を殺しにきたのか?」

 

 (あばら)が浮くような、痩せた体。

 泣きそうな顔で、出夢は問うた。

 

「……わかんねぇよ」

 

 わからない。

 わからない。

 わからない——

 零崎人識は、わからない。

 匂宮出夢のために、何をしてやればいいのか。

 何をしてやれるのか。

 何をしてやる、べきなのか。

 

「はは——そうだよな」

 

 出夢は、項垂れるように、俯く。

 

「今の僕じゃあ——お前の敵としてさえ、不適格だ」

 

 こんなんじゃ。

 こんな様じゃあ——

 びゅう、と。

 凍てつくような、風が吹く。

 

「ごめんな」

「ああ?」

「お前を呼んじまったの、僕なんだろ」

 

 視線を逸らしたまま、出夢は言った。

 

「狐さんから、聞いたよ」

 

 今はもう、狐さんですらないんだっけ——

 なんて、たわいもない雑談のように。

 

「お前がこの世界に来たのは、僕のせいだ。僕が呼んだから、お前が来た。強烈な因果関係の結びつきだけが、世界を超えて引き寄せ合う。そういう仕組みで、そういう因果なんだとよ。物語の枠組みを越えるってのは——」

 

 それは人識にはまるで理解の及ばない概念であったし、出夢にさえ理解しきれている理論ではなかったけど、いずれにせよただ一つ確かな事実は、零崎人識がこの世界に迷い込んだのは、間違いなく目の前の匂宮出夢がこそ原因であるということだった。

 

「だから、ごめん」

 

 まだ生きているお前を。

 死んだ僕に巻き込んで——ごめん。

 

「お前も——」

 

 人識は思わず、口を挟む。

 

「お前もまだ、生きてるだろ」

「生きてねーよ」

 

 死んでないだけだ。

 死に損ねた——だけだ。

 匂宮出夢は語る。

 

「僕はあの時、死んだはずだったんだ」

 

 それがなんの因果か——この世界で続いちまった。

 

「だけど今にして思えば、それも案外、悪くなかったのかも知んねーよ。少なくとも、今度は。今度こそは——」

 

 お前に殺されて、終われる。

 

「僕が死ねば、お前はちゃんと、元の世界に戻れるらしい」

 

 それも——狐さんから聞いたのか、なんて、問う意味もない言葉。

 出夢は人識を見る。

 伽藍堂の瞳。

 深々と刻まれた隈。

 

「ありがとうな」

 

 突然投げかけられた礼に、人識は訝しむように首を傾げる。

 

「……何がだよ」

「僕を京都に囚えてた『断片集(フラグメント)』の連中を殺ってくれたの、お前だろ?」

 

 他にそんなことできるやつ、いねーもんな、なんて、それは信頼ゆえか、敵対の裏返しか。

 いずれにせよ。

 

「そのおかげで、僕は京都から出れる」

 

 一週間。

 

「一週間だけ、時間が欲しい」

 

 ちょっと、やっておきたいことがあってさ。

 出夢は言って。人識の方を向く。

 

「それが済んだら今度こそ——」

 

 今度こそ。

 

「殺し合おう」

 

 花開くような、笑顔に。

 人識は、出かかった言葉を飲み込んだ。

 必死になって。

 決死の思いで——飲み下した。

 

「わかった」

 

 頷く。

 それが——

 

「それがお前の願いなら」

 

 叶えてやるよ。

 かつてした約束を、思い出す。

 

『お前にできること——全部してやる』

 

 だから、それが出夢の願いだというのなら——

 人識は、それを叶えるべきだ。

 

「お前のことを——今度こそ」

 

 殺して解して並べて揃えて晒してやんよ。

 その言葉に。

 初めて。

 この世界に来てから、初めて——本当の意味で。心の底から。

 匂宮出夢は、微笑んだ。

 

「ありがとう」

 

 ありがとう——人識。

 そんな言葉は。

 きっと、別の形で聞きたかった言葉だったけれど。

 

 それでも人識は、微笑みを返した。

 

 それは匂宮出夢のそれとはまるで鏡写しに対照的な、何かを堪えるように苦しげな笑顔ではあったけれど。

 それは一つの、無垢なる愛の形だった。

 






感想、評価など、ありがとうございます。
励みになります。

追記
沃懸濾過様(@loka_ikaku)からまたまた最高のファンアートをいただきました。
許可を得て、本文中に挿絵として追加させてもらっています。
沃懸濾過様、本当にありがとうございます!
元イラスト↓
https://x.com/loka_ikaku/status/1854535416483131469
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