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「——しかし、驚いたぜ」
人識は足を組んで言った。
鴨川の辺りのベンチに、二人。向かい合って腰掛ける。初めて出会った場所が対岸に見えて、あの時見えていた尖塔は、なるほど結婚式場であったのか、なんて今更の気付き。
人識は向かい合う相手の顔をまじまじと見つめながら口を開く。
「まさかあんたが——女だったとはな」
「いやいちばんに注目するポイントそこですか?」
そんなツッコミが入るが、しかし人識としては極めて順当な驚きだった。
「そりゃあまず一番注目するのはどうやったってそこになっちまうだろうがよ。今の今まで男だと信じてやまなかった相手が、実は女だったと来たらさ」
初めて見た実口六の顔は——驚くほどの美女だった。雪の降る朝のように、淑やかな佳人。そんな表現がよく似合う。
「まあ、人識さんが同じ男だと思って私に対してあけすけに話してきた猥談の数々が、実は異性間で行われていたセクハラ行為だったと発覚したわけですからその驚きようもわかりますけれど……」
「存在しない記憶を捏造するのはやめろ」
セクハラなんて一度もしていない。
されたことならあるが。
「それにしてももあんた、どうやってたんだ? 女装なんかはしてたけどさ、あれはあくまでも女装として成立してたじゃねぇか。さっきまで、声も男だったし」
一体どんなカラクリなのか。
人識が問えば、彼女は先ほど外したマスクの内側を見せる。そこには、何らかの機械部品の組み込まれた痕があった。
「
罪口無辜——武器職人。
その謂れの体現の一つが、それか。
そういえば。
彼女は口を酸っぱくして——
「己の性別と言う情報すらも——武器、か」
「まさしく」
真に恐るべきは懐のうちのナイフ、と言うことなのだろう。情報の武器としての鋭さを知るからこそ——鞘に伏していた。そういうことだ。
あるいは己の性別だけでなく——その
「『
正確にはその反転体、だけれど——
「それを今明かしたってことは——つまり弔い合戦がお望みってわけかい?」
人識は笑う。今更だ。一人増えたくらいなら、どうってことない。
人識は構えようとするが——
「ナンセンス」
無辜は首を振る。
「それこそまさか、です。むしろ、彼らを——私の
そう言って、彼女は続きを語った。
まだ少し冷たい春風が、彼女の髪の毛を揺らす。
「私は闇口滅裂の
真の、あるいは裏の。
ともすれば——最後の。
最終防衛ラインを超えた、セーフティネット。何の皮肉か、真っ先にそれが起動したと言うのは、大きく狙いからズレたことだったけれど——
「あるいはだからこそ、自分が起動した時、まず初め、イノセンスに思ったことは、
個人ではない、集合として。
断片の一つを担っていた彼女が——
そのくびきから解き放たれ、まず最初に考えたのはそれだった。
「六つで一つ、一つで六つ。しかし私は、反転したことによって彼らとは
だからこそ、それが今更元に戻るのは。
無辜にとっては——今の自分が死ぬも同然だった。
「
彼女は深々と、悔いるように言った。
罪口無辜は——
零崎人識を、利用していた。
「あなたに意図的に限られた情報を与え、匂宮入皆と敵対するように仕向けました。それが——私の罪なのです」
騙していて、ごめんなさい——と。
罪口無辜は——頭を下げた。
人識は、深呼吸を一つする。
「——よし、頭上げろ」
素直に頭を上げた無辜を——人識は思い切りぶん殴った。
「いっ——た! え、嘘でしょ? 女の顔を本気で殴りますか?」
「おいおい冗談はよしてくれよ。令和のスタンダードは男女平等だぜ」
殴り抜いた拳を、今度は広げて——人識は言う。
「今回はこれで、許してやるよ」
——友達だからな。
人識は言って、そっぽを向いた。
罪口無辜は——そんな人識の、手を握った。
「ありがとうございます、人識さん」
パシリと、握られた手も。
きっと一つの、人間関係だった。
「人識さん。あなたは今から、最後の戦いに出向かれる」
ならば。
「どうかこれを、受け取ってください」
彼女は持っていたアタッシェケースを差し出した。
「私の本業は——武器職人」
ガチャリガチャリとロックを解除し——その箱を、開く。
「——作品ナンバー・零零零」
クッションの中央に横たえられていたのは——
一本の、
「あなたのために、打った武器です」
それはまさしく、矛盾の体現のような武器だった。
形状としては、ツイストダガーに似ている。
ちょうど一回転するように捻れた刀身はまさしくそれのようで、けれどその刃は——絡み合うように二本、配置されている。
捻れるように二重の螺旋を描く、二本の刃。
一本の柄から分かれ、絡み合う二つの刃がこそ——あるいは二つの刃が、一つの根に束ねられるそのナイフこそ、彼女が人識のためにあつらえた、究極の武器だった。
人識は——思わず。
その刃に、目を奪われる。
「——いいナイフだな」
「自信作です」
どうぞ、と促されて、人識はその刃を手に取る。ずっしりと重く、されどこの上なく手に馴染む。
「これの銘は?」
聞けば、無辜は薄く笑う。
「僭越ながら、私はこれに——『
その銘を聞いた瞬間、その輝きは、一層増したように思う。
それは零崎双識の『
人識はそれを、軽く素振りする。
心地よい重さと、静かな鋭さ。そこに灯る——炎のような殺意。
「人間失格——じゃあないんだな」
「ええ。あなたのことを、この数週間、すぐ側で見せていただいて——あなたに相応しい銘は、これであると確信しました」
——
「傑作だよ」
気に入ったぜ。
言って——彼はそれを専用の鞘に納める。
「代償は?」
人識は問う。
彼はかつて、無辜以外の罪口の一族とも接触しており、だからこそ知っている。
罪口商会——武器職人。
その異常性は、使い手たる人間よりも武器の方を明確に上と置いていることにあり——その武器を他者が求める際には、代価ではなく
かつて彼の新たなる妹、無桐伊織——零崎舞織のために義手を用立てた際には、その代償として体を捧げ——妙な意味ではなく——試作武器の被験体として、数時間にわたり全身を殴打され続けた。
ならばこの武器を受け取ることで求められる代償は——果たして。
「代償は」
無辜は慈しむように微笑む。
「あなたが帰ってきた時——私のインタビューに答えてください」
その言葉に——人識は目を丸くする。
「それでいいのかよ」
「ええ。もちろん」
あなたにはまだまだ、聞きたいことがたくさんありますから——
「だから、帰ってきてください」
きっと。
それが罪口無辜に許された、最後の一線だったのだろう。
生きてくれとは言えずとも。
帰ってきてくれとだけなら、せめて。
「私はね、人識さん。罪口としては、実は落第なんですよ」
罪口商会——その異常性は、使い手である人間よりも武器の方を上位と置く精神性にある。
「それがどうしても、馴染まない」
だって、武器よりも。
「だからずっと、私はまともな武器を作っては来ませんでした」
情報は武器。
それには二つの意味がある。
単純に、情報と言うものが、現代社会においては極めて強力な武器として成立しうると言う現実と、もう一つ。
その二つの矛盾が、彼女に武器を作らせなかった。
「けれどだからこそ」
だからこそ。
「私はあなたに惚れ込んだ」
あなたという——武器の使い手を。
「人識さん、どうか私に、
零崎人識の人間関係。
その物語の、結末を。
「期待していますよ、あなたには」
差し出された手を、やれやれとばかりに笑って——人識は、取った。
「——傑作だぜ」
かくして、全ての準備は整った。
零崎人識は挑む。
最後の戦いに——挑む。
その結末がどこへ辿り着くのか。そんなことは、今やこの世の誰にもわからないまま。
最終戦。
零崎人識VS匂宮出夢。
全てに決着をつけるための戦いが、今、始まる。
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