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匂宮出夢。
殺し名序列一位・匂宮雑技団、団員No.18の『殺し屋』。
第十三期イクスパーラメントの
女性の器に、男性の人格。
人間の現身に、怪物の性質。
『強さ』に振り切れ、破綻した有様。
『弱さ』を振り切り、惨憺たる無様。
畏懼と畏怖と畏敬と共に、人呼んで曰く——人喰い。
『
彼には一人の——妹がいた。
その名は、理澄。
匂宮——理澄。
一人で二人。
二人で一人。
彼らは常に、共にあった。
彼らは常に、寄り添っていた。
この世の誰よりも近く。
この世の誰よりも遠く。
裏に表に。
表に裏に。
彼と彼女は二人で一人。
彼女と彼は一人で二人。
二つの体を共有する二重人格。
それこそが、匂宮兄妹の正体だった。
匂宮出夢は匂宮理澄で。
匂宮理澄は匂宮出夢だった。
その表裏を切り分ける境界は、ただ一つ。
強さか————
————弱さか。
匂宮出夢。
第十三期イクスパーラメントの
その生まれは決して、祝福されてはいなかった。
その出自は決して、計算されてはいなかった。
彼が生まれたのは偶然で。
彼女が生まれたのも偶然だった。
匂宮出夢。
強さの極点として創造された彼は、けれど初め、明確に失敗作であった。
強いだけの人間。
そんな怪物が——この世に成立するわけがない。
それは影を作らない光を求めるようなもので——その矛盾した設計は、被造物の破綻というあまりにも順当な結末をもたらした。
ただ一点。誰もの予想の外であったのは。
その失敗作が、
匂宮出夢は、独りだった。
生まれたその瞬間からずっと。
この世の誰より強く。
この世の誰より破綻して。
この世の誰より——独りだった。
それが変わったのは。
彼に——妹が出来たからだ。
匂宮理澄。
この世の誰より愛おしい、彼の妹。
彼と言う強さの極点が、存在のバランスを取るために生み出された、
匂宮出夢が本来持ち得るすべての弱さを——匂宮理澄は背負った。
背負わされた。
それによって、匂宮出夢は安定した。
独りでは——なくなった。
一人で二人。
二人で一人。
匂宮兄妹は、この世の誰よりも近しき兄妹で。
けれどその形は、酷く歪なシルエットをしていた。
匂宮出夢が持つ歪みの全てを、匂宮理澄がカバーする。
それは二人三脚とすらも言えない二人羽織。
それは出夢が全てを、理澄に背負わせてしまったせいで。
だからこそ、匂宮理澄は、きっと誰よりも幸せにならなければいけない。
たとえそのために、匂宮出夢の幸せが犠牲になったとしても——
出夢にはその、義務があった。
弱さの全てを背負った理澄のために、出夢は強さが全てでなくてはならない。
そうでなくては、報われない。
匂宮理澄が、報われない。
だからこそ、かつて匂宮出夢は、己の中の零崎人識と繋がる絆という弱さを許せなかったし、だからこそ全てを投げ打ってでも、彼の敵として立ち塞がることを選んだ。
自分の弱さを背負わせた、匂宮理澄に報いること。
それこそが、匂宮出夢が自らに架した究極の責務であり——
今となってはもう二度と、叶うことのない——夢物語だ。
◆ ◆
「——っ!」
人識の意識が戻ったのは、瓦礫の中でだった。
仰向けに倒れた人識は起きあがろうとして——激痛。一体それがどこであるのかはわからないけれど、体の至る所を、痛めているらしい。
人識は必死になって、首だけを動かして周りを見回す。
そして——戦慄する。
「————————っ!!!」
戦慄する、戦慄する、戦慄する——
まさか、そんな、あり得ない——
人が、人間が、たった一人で
「目、覚めたかよ」
「なっ——」
その声に、人識は思わず跳ね起きる。
全身が酷く痛んだ。けれど、そんなことを気にしてはいられない。
見れば。
目の前に——匂宮出夢がいた。
「出夢——」
「いいよ、もう、お開きだ」
構える人識に対して——出夢は戦うそぶりを見せない。
「お前を掘り返してやったの、僕なんだぜ——」
なんて、困ったように笑われて。
人識もまた、何も言えなくなった。
「少し、話をしよう」
出夢は言って、瓦礫の一つに腰をかける。
「言ったよな。僕は死に損ねただけだって」
ふ、と。
何かを諦めるように、出夢は笑う。
「この世界で目覚めた時、最初は僕も、不覚にも喜んじまったんだぜ」
一度死んでも、
そんな幸運があるなんて。
そんな幸福が、許されるだなんて。
そんな風に舞い上がって、けれど。
けれど。
「この世界には、理澄がいない」
それは。
それは——零崎人識の知らない、匂宮出夢の人間関係。
彼の妹——匂宮理澄。
彼女は出夢と同じように死に果て。
けれど。
「この世界で
きっといるはずだ。
自分が続いているのなら、そこには妹もいるはずだ。
だって僕たちは——
一人で二人。
二人で一人。
決して分たれることのない——
世界に一つの、兄妹なのだから。
だけど。
だけど——
「ここに理澄は、いなかった」
匂宮出夢は。
笑っていた。
今にも泣きそうな笑顔で——歯を食いしばっていた。
「僕だけが、続いたんだ。きっと、
行けるはずだった。
理澄と同じ場所に、行けるはずだった。
彼の代わりに死に果てた、全てを背負わせてしまった妹に、今度こそもう一度、出逢えるはずだった。
なのにどうしてか——こんな世界で。
こんな——
「探したんだよ。日本全国、世界全土。一年以上かけて、探して、探して、探して——あるいは向こうから、見つけてもらうことだって、できるように」
痕跡を残して。
振り撒いて。
撒き散らして。
節操もなく、ただ一人を求めて彷徨い続けて——
それでも。
「それでも、あいつはどこにもいなかった」
笑えるよな。
なんて。
匂宮出夢は。
まるで音のない悲鳴のように、涙をこぼす。
「最後の、一週間。実は理澄を、探してたんだ」
もしかしたら。
もしかしたら、何かの手違いで、見つけられていないだけで。
彼女もこちらにいるんじゃないか。
そんな夢物語が捨てられなくて。
出夢は再び、旅に出た。
「でもやっぱり——見つからなかった」
匂宮理澄は。
彼の妹は。
もうこの世には、いないのだ——
「だから、もういいんだ」
もういい。
もう、いらない。
こんな生は——いらない。
こんな
「僕はダメになっちまったんだ」
笑ってくれよ、人識。
その名を呼ばれるのは。
きっと、殺意と共にだけだと思っていて。
だから。
そんなすがるような。
か細い声で言われたその時——
人識はどうしていいのか、わからなくなった。
「僕を殺してくれ、人識」
僕のことが好きだっていうなら。
僕のことを——殺してくれ。
匂宮出夢は。
なんの屈託もなく、そう言った。
「殺されるなら、お前がいいんだ」
今度こそ。
今度こそ人識は、全てを諦めた。
「わかった」
彼は刃を、構える。
『
そして——
「でも」
人識は——
「その願いは、ここじゃ聞けない」
「——っ、はぁ!?」
嘘だろ、お前——
この流れで、逃げるのかよ——!
激情に駆られ、出夢は逃げ出した人識を追う。
「ふざけんな、待てよ人識——」
痛む体を押して駆け出した人識が向かったのは——今はなき京都駅烏丸中央口の真正面に立つ、京都の新たなランドマーク。
奇しくもこの世界において、匂宮出夢と最初に出会った場所——すなわち、京都タワーだった。
「くっ、この、お前はスパイダーマンかよっ!」
まるで出会ったばかりの頃を思い出すような追いかけっこ。曲弦糸の技術を利用して、人識は空中を踏むように歩き、タワー下部のビルをぴょんぴょんと飛び越していく。糸を見極めて出夢も追うが、どうしても、それを捕らえきれない。
「待て——」
声を上げるが、人識は止まらない。
そのままタワー部にまで辿り着き、そこをもまた、どんどんと、外壁を足場に登っていく。
出夢が後を追い、そしてようやくその背に追いついたのは——一週間前、二人が出会ったタワー先端部の、少し下。タワー最上部の展望台の真上に辿り着いて、ようやくだった。
「なんなんだよ、お前! 急に逃げ出しやがって! 僕の話聞いてたか!? 今真面目なシーンなんだぞ——」
「わかってるよ」
わかってる。
全部——わかってる。
零崎人識は——振り向いた。
吹き荒ぶ風が、人識の髪を揺らす。
その瞳はあまりにも——優しく見えた。
「だから今から、お前のことを」
殺して解して並べて揃えて——晒してやる。
その言葉が示す通り、人識の指が動くと、出夢の体に、糸が巻き付く。そして抵抗する間もなく、その糸は引かれ、出夢は空を舞った。
「ただし」
人識は。
展望台の端から——
「——死ぬのは、俺も一緒だ」
ぱ、と。
自らのために打たれた『
人識はタワー頂上から——落下した。
「——っ、馬鹿野郎!!」
エレベーターの原理ですらない、単純な物理法則。人識一人分の体重が、猛烈な勢いで匂宮出夢を引きずるけれど——駅一つをも粉砕した匂宮出夢に、そんなものは通用しない。
だからこそ、
あるいは糸を切れば——人識だけを、殺すことができる。
すべての選択は、委ねられている。
「クソッ——」
だから出夢は、展望台の淵から落下する寸前、人識の落とした『
そして——
「うわぁあああああっ——!!!!」
それを
二本の捻れ刃が、巨大な鉄骨を深々と貫通して突き刺さり、匂宮出夢と——それに糸一本で繋がる零崎人識の命を、繋ぎ止めた。
『
「馬鹿野郎、何やってんだ、人識っ!」
そんなことをしたら——
「
片腕で『
決して離すまいと、必死になって。
「なあ、出夢」
人識は。
宙吊りになりながら、匂宮出夢に語りかける。
「俺は多分、すげー残酷なことを言っていたんだろうと思う」
匂宮出夢と、匂宮理澄の関係を——人識は、知らない。
だからそこにどれだけ強固な絆があるのかも、どれだけ分かち難い
人識の言葉は、何を言っても無責任だ。
「だからこそ」
だからこそ。
人識が言えるのは、一つだけだ。
「お前が殺されたいってんなら、殺してやるよ」
そんで——
「俺も一緒に、死んでやる」
それが。
零崎人識の出した、最後の答えだった。
「はぁ!?」
「やっと気づいたんだけどさ——俺はどうやら、お前がいないと、生きていけないみたいらしい」
匂宮出夢が、もうこれ以上の生はいらないというのなら。
零崎人識もまた、これ以上の生は、いらない。
だから。
だからせめて——一緒に死にたい。
「一緒に生きてくれなんて、口が裂けても言えないけどさ、そんならせめて——一緒に死のうぜ、出夢」
その笑顔が、どこまでも憎らしくて、だから——
「
出夢は歯を食いしばって、人識を繋ぎ止めていた。
ビシリ、ビシリと、音が聞こえる。
それは物理的なものでなく——出夢の内側から、響く音。
「
必死になって——ズダボロの腕で。
人識の命を——繋ぎ止める。
思い浮かぶのは——妹のこと。
この世の誰より愛おしくて、この世の誰より報いるべきで、この世の誰より報われるべきだった、死んでしまった少女のこと。
「
声を上げる。声を上げる。声を上げる。
彼女はもう、この世にいない。この世のどこにも、存在しない。
報いることも、報われることも、愛することも、愛されることも——もう二度と、できない。
「
叫んで、
叫んで、
叫んで——
匂宮出夢は——
——零崎人識を、引っ張り上げた。
出夢の掌から滲んだ血で、真っ赤に染まった糸一本。
それは二人を、繋ぎ止めていた。
「——なんなんだよ、お前」
鉄骨の上で、二人は並んで腰を下ろす。
足元は空。滑らせれば死に果てる場所で——二人はまだ、赤い糸に繋がれたまま。
運命を、共有していた。
「なんで死のうとするんだよ」
「言っただろ——お前がいない世界じゃ、生きていけない」
「馬鹿じゃねぇの」
お前には、ちゃんといるだろ。
「まだ生きてる、妹が」
「ま、伊織ちゃんなら大丈夫だろ」
頼りになる大将もいるしな——なんて、人識は笑う。
「だから俺が我儘を言っても、大丈夫だ」
我儘——
匂宮出夢と一緒に死にたい、と言う——我儘。
「……なんで、僕なんだよ」
拗ねたように、出夢は言った。
人識は後ろ頭をかく。
「わかんねえよ。好きになったから——好きになっちまったんだ」
その答えに——出夢は今度こそ、ため息をついた。
「——馬鹿」
出夢は人識の胸ぐらを掴み上げた。
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿野郎!」
「出夢——」
匂宮出夢は——
泣いていた。
「この、人識の、大馬鹿野郎!」
そんなんだから。
「僕は、死ねなくなっちまっただろ!」
恥も外聞もなく。
泣き叫ぶように、出夢は言った。
顔を真っ赤に、泣き腫らして——
この世の全てを、恨むように。
「死にたかったのに」
理澄と同じところに、行きたかったのに。
「お前のせいで——台無しだ」
だから。
だから——
「責任」
「え?」
「責任——取れよ」
僕から理澄を奪った、責任を。
理澄から僕を奪った、責任を。
「死ぬ時は、一緒なんだろ?」
だったら——
「一生掛けて——責任を取れ」
この罪を。
この許されざる罪を——背負え。
そうして。
零崎人識は、生きていく。
匂宮出夢と、生きていく。
それは幾千幾万幾億の後悔と、幾千幾万幾億の罪に塗れた、決して許されない人生で、ともすれば破滅にも似た文字通りの破綻ではあったけれど。
それでも。
それでもそれは、最悪ではなかった。
だから二人の物語は、きっと一つの、愛と別れの物語だ。
一人の生者が、死者との別れを告げ。
一人の生者が、死者を再び蘇らせた。
それは取るに足らないありふれた、どうしようもなくありきたりな、誰にでも訪れる当たり前の、苦い寂寞と後悔に満ちた、甘く切ない——愛と別れの物語。
断たれた絆は、かくして結び直された。
それは運命と呼ぶにはひどく不格好で、傷跡だらけのそれだったけれど。
それでも結ばれた二人はきっと、誰よりも不幸でありながら、誰よりも幸せだった。
それは一つの人間関係の成就。
それに名前をつけるなら、だから答えは一つだけ。
それではみなさま、拍手と花束のご準備を。
閉じた幕は再び開かれ。
ディングエピローグの、鐘が鳴る。
(匂宮出夢——家族関係)
(関係継続)
人識くんの物語はこれにてエンディングとなります。
感想、評価などなど全てが励みになっておりました。
ありがとうございました。
カーテンコールがございますので、もう一話だけ、お付き合いください。