零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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世界の終わりに良い夢を 2

■■

 

「って、死んでたまりますかっ!」

 

 井戸の底で、伊織は叫んだ。

 

「お、目覚めたか」

「目覚めたか、じゃないですよ! 殺す気ですか哀川のおねーさん!?」

「そうだけど?」

 

 一切悪びれることなく、哀川潤は平然と答えた。

 

「とりあえず登ろうぜ。こんな湿っぽいとこにいつまでも居たくねぇしよ」

 

 言いながら、すでに彼女は内壁に手をかけていた。

 

「ちょ、待ってください! 私、私も連れてって!」

「あー? 自分で登りゃいいだろ」

「ロッククライミングは専門外です! それに、私義手なんですよ!」

「本物より優秀な義手だろうが……。しゃーねーな、ほら、おぶされよ」

 

 ぎゃーぎゃーと泣き叫ぶ伊織を憐れんだのか、彼女が背を差し出してくれた。彼女はそれに遠慮なくしがみつく。

 

「お前重いなー、もうちょっとダイエットしろよ」

「乙女に重いとか言わないでください!」

 

 文句を垂れながら、しがみつく手足に力を込める。

 

「と言うか、哀川のおねーさんが私を道連れにしなければ背負う必要もなかったんですよ!」

 

 伊織の言葉に、彼女は小さく肩をすくめる。

 

「ま、文句言うなよ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 生き返れた——って、え?

 

 疑問を口にしようとした時、ちょうど——井戸のてっぺんへとたどり着いた。

 急な明るさに目をしぱしぱと瞬かせつつも、伊織は周囲を見渡す。

 そして——首を傾げる。

 

 伊織たちは——落ちた井戸と違う井戸から出てきていた。

 

 庭の中にあったはずの井戸ではなく、奥まった小道の突き当たりにある井戸だ。

 

「哀川のおねーさん、私が気絶してる間に運びました?」

「ああ、運んだぜ。地獄の底をな」

 

 いやー、閻魔大王は強敵だった。なんて語る彼女を、陽の光の下で見て気付く。

 彼女の体は、()()()()()()()

 

「えっと、その傷は井戸に落ちた時に私を庇って付いたんですか?」

「あ? んなわけねぇだろ。このあたしが井戸から落ちたくらいで傷付くわけがねーっつーの。これは閻魔大王にやられた傷だ」

 

 伊織は頬が引き攣るのを感じる。

 いやいや、閻魔大王て。

 吹かすにしても、もうちょっとあるだろう。

 

「またまたー、哀川のおねーさんったらお上手なんだからー」

「お前冗談だと思ってんならぶっ殺すぞ。言っとくけど閻魔大王と戦う羽目になったのって七割方お前のせいなんだからな」

 

 何が悲しくて人殺しの殺人鬼庇って戦わなきゃいけねーんだよ、なんて彼女にしては珍しくぶちぶちと文句を言いながら、彼女は門の方へと歩いていく。

 

「あっ、待ってくださいよう」

 

 伊織はその後をついて行って——またも違和感。

 来た時に止めたはずの、真っ赤なコブラがない。

 

「あれ、レッカーされちゃいましたかね?」

「元からねーんだよ。世界が違うんだからな」

 

 ……。

 伊織の背中から、冷や汗が流れ落ちる。

 

「いや、いやいやいやいや」

 

 嘘だろう。

 まさか、本当なのか?

 地獄を通って別世界に移動(いや、転生?)なんて、そんなことがあり得るのか?

 

「とりあえず、飯でも食うか。金使えんのかわかんねぇけど」

 

 彼女は言いながら、いくら持ってたかな——なんて呑気に財布を確認する。

 その間にも、伊織は周囲を見渡す。

 なんだか景色が——微妙に違う。来た時に見かけた景色とは、どこか違和感がある。

 それは——

 

「あ、人が少ないんだ」

 

 表通りではないとはいえ、東山だ。観光地らしく、大勢の人で賑わっていたそこが——不気味なほど、閑散としていた。

 

「おい、ぼーっとしてると置いてくぞ」

 

 その理由がわからず首を傾げる伊織に、哀川潤は言いながら足を進める。

 

「ねーねー哀川のおねーさん、なんでこんな人が少ないんでしょうか?」

「さあな。案外、ヤバい病気でも流行ってみんな家に閉じこもってるとかじゃねぇの?」

「いやいやゾンビ映画じゃないんですから」

 

 またまたー、なんて笑う伊織だけれど、しかしそれがずばり真実を言い当てていたと知るのは、わずか数十分後のことである。

 

■■

 

「——二〇二〇年て……」

 

 無桐伊織はニット帽越しに頭を抱えた。

 

「いつまでそうしてるつもりだよお前」

 

 ピザを片手に、哀川潤は呆れたように言った。

 京都市営地下鉄東山駅近辺の、とあるピッツェリア。幸にして金が使えることはわかったので、二人はそこに入店していた。机の中央にはドイツの名宰相の名を冠したピザが乗っているが、それを食べ進めているのは哀川潤ただ一人だけだった。

 

「いやむしろ哀川のおねーさんこそこの状況で何呑気にピザ食ってんですか!? 令和ですよ!? コロナ禍ですよ!? 西尾維新ですよ!? 未来の世界に連れてこられたかと思えばその世界では疫病が流行ってて、とどのつまりに自分が小説のキャラクターだったって知らされて、もう、パンクしそうなんですけど!?」

「そりゃお前の器がちっちぇーからだろ」

 

 泰然と言って、彼女は持ち上げたピザを頬張る。

 店に辿り着くまでに一通りの情報収集を終えて、二人は大体の概略を把握していた。すなわちこの世界が今、どんな状況にあるのか、そしてその世界において、自分たちがどんな存在であるのかも。

 それを知った上で——哀川潤は、我関せずと食事を進める。

 

「別にあたしたちがどこの誰の脳みそから生み出されたキャラクターだとしたところで、それがどうしたって話じゃねぇか。もとより人間なんてのは理不尽に生まれて意味不明に死ぬもんだ。そこに神の思惑があろうが作者の思惑があろうが関係ねぇよ。あたしはあたしだしお前はお前だ。変わりゃしねぇ」

「そんなふうに割り切れるのは哀川のおねーさんだけですよう……」

 

 メソメソと顔を伏せつつも、彼女はピザに手を伸ばす。お腹が空いているのだ。仕方ない。

 

「あうー、美味しいですー」

 

 案外こいつもメンタル強者だよな、なんてそのマイペースぶりに感心しつつ、哀川潤は言う。

 

「しっかしまあ、お前のにーちゃんにも困ったもんだよな。海外逃亡ならともかく世界外逃亡ともなると、追いかけるのも一苦労じゃ済まないぜ。首尾よくこっちの世界にこれたはいいものの、今んとこは来れただけだ。手掛かりはなーんもなし。こっちの世界の警察にゃ、ツテも何にもねぇしよ」

 

 草の根掻き分けて一から探すしか無くなっちまう、なんてあっけらかんと言って、彼女はワインを呷る。一息に飲み干して——たん、とグラスを置いた。

 

「だからこそ、今回頼りになるのはお前だぜ伊織ちゃん」

 

 その時初めて——哀川潤は、彼女のことを名前で呼んだ。

 

「零崎一賊の()()()()——お互いの位置を、()()()()()()()()()()()()()()んだろう? それがありゃあ、寝っ転がっててもそのうち見つかるってもんだ」

 

 だからこそ、苦労してお前をこっちの世界に連れてきたんだぜ——と、得意げに言う彼女だったけれど。

 当の伊織は。

 

「それがですね……」

 

 額から冷や汗を垂らし——申し訳なさそうに言う。

 

「人識くんの居場所、全然わかんないんですよね」

 

 その言葉に、哀川潤は思いっきり顔を顰めた。

 

「おいおいおいおい、どう言うこったよモテカワメイク。お前らの唯一の取り柄が家族愛ってやつじゃねーのかよ。それ無くしちまったらお前、本格的にただの人殺しが趣味のブタ野郎じゃん」

「せめて女郎と言ってください!」

 

 と謎な抗議をしつつ、しかし彼女は如何ともし難く眉間に皺を寄せる。

 

「いやなんとなく、なんとなーく近くにはいるなーって言うのはわかるんですけどね? それがどこか、って言われると全然わかんないんですよ」

「せめてどっちの方向とかわかんねーのか?」

「コンパスじゃないんですから無茶言わないでくださいよ。全然です。なんて言うか、気配が薄く散っちゃってる感じで、多分京都にはいるんだろうなー、以上には一切不明って感じです」

「使えねーな」

 

 バッサリと切り捨てて、哀川潤は足を組んだ。

 

「いやいやいやいや、まるで私が悪いみたいに言ってくれちゃったりしてますけどね、哀川のおねーさん! そんな詳細にわかるんだったらそもそも哀川のおねーさんに依頼を出したりしてないですよう!」

 

 ある種当たり前の話ではある。自分で見つけ出せないからこそ、彼女は哀川潤に依頼を出したのだ。そんな自分をレーダー代わりに使おうと期待されたって、それは誤用の方での役不足というものである。

 

「えー、じゃああたしなんのためにお前庇って閻魔大王と戦ったんだよ。しくじったな、普通に地獄に置いてくりゃよかった」

「よかないですよ、まず地獄に連れ込まないでください!」

 

 仮にも依頼者だぞ、こっちは。もう少し丁寧に扱って欲しい。

 

「しゃーねー、ここは初心に帰って、ゼロから足で稼ぐとするか」

 

 彼女は言って、立ち上がる。いつのまにかピザは無くなっていた。伊織は一切れしか食べていないのに。不公平だ。

 

「どこ行くんです?」

「とりあえず——」

 

 せっかく東山に来たんだし。

 

「まずは清水寺から巡っていこうぜ」

 

■■

 

「おーおー、新鮮だねぇ、全然人がいねー清水寺ってのは」

 

 行儀悪くも欄干に肘をかけて、哀川潤は景色を見つめた。

 

「こうして改めて見ると、普段の京都がいかに人で溢れてるかってのがよくわかるぜ。オーバーツーリズム、っつーんだっけ? 京都は観光業で成り立ってるって話だが、それが住民の生活を圧迫してりゃあ世話ないよな」

 

 ある種の自家中毒だ、なんて言いながら、無人と成り果てた清水の舞台を我が物顔で歩く。元の世界では彼女自身と匂宮出夢の戦いによって、一度は粉々に破壊されてしまった——あるいは、粉々に破壊してしまった清水の舞台だけれど、こちらの世界ではそんなこともなく、至って安穏に現存している。それを少しだけ感慨深く思いつつも、哀川潤は無桐伊織に目を向けた。

 

「んで、近くにいそうかい? 人識くんはよ」

「だからわかんないんですって……」

 

 項垂れて言う。

 

「もっと本気出して頑張れよモテカワメイク。こう、髪の毛逆立ててゆんゆんやれねーのかよ」

「鬼太郎じゃないんですからレーダー検知なんてできませんよう」

 

 できたとしてもそれで見つけられるのは妖怪だ。

 

「て言うか、哀川のおねーさんこそもっと本気で探してくださいよ! どっちかって言うと、あなたの方が頼りなんですから!」

「あたしは今も必死こいて探してるぜ? とりあえず京都駅の周辺には今はいねーっぽいな」

「まさかの景色の中の方を探していたっ!?」

 

 二キロ以上離れた場所から一人の人間を見つけ出そうだなんてマサイ族でも不可能な話だが、そこは人類最強。視力もまたその最強ぶりの例外ではないと言うことか。

 

「お前が近場を、あたしが遠くを探せば効率的だろ? ほらもっと集中してアンテナ立てろって、バリ三で」

「ううー、バリ三なんて令和じゃ死語ですよう……」

 

 両手を頭の横に添えて必死に集中しようとする伊織だったけれど、成果は芳しくはない。気配の毛の字も感じ取れず、お手上げだった。

 

「かー、情けねぇな。あたしはこんなに頑張って探してるってのに……お、あそこのクレープ屋美味そうだな」

「なんか違うものまで探してませんか!?」

 

 あとで行こう、なんて呑気に呟く哀川潤に、伊織は叫ぶ。叫んだところで、意にも介されないが。

 

「んー、このまま日が暮れるまで探しててもいいけど、結局建物内に潜まれてたらわかんねーからな。窓が空いてたらともかく、カーテン閉められてたら透視まではできねーし」

 

 カーテンが空いていれば見つけられると言う時点で異次元の視力であると思うのだが、突っ込んでいてはキリがない。

 

「それじゃあ、移動しますか?」

「ああ、そうしよう。幸い、手掛かりになりそうなきな臭い事件は、色々と起きてるみてーだしな——」

 

 なんて言いつつも。

 彼女は清水の舞台を立ち去ろうとして——

 

()()()()()()?」

 

 なんて——背後から声をかけられる。

 

「お? おー? おーおーおー。いやあ、嬉しいねぇ。まさかこのあたしを哀川潤だと知った上で声を掛けてくれるような跳ねっ返りが、いきなり現れてくれるだなんてさ」

 

 振り返りながら、哀川潤はシニカルに笑った。

 人類最強、哀川潤。その称号はあまりにも広く知れ渡り過ぎており、ゆえにこそ向かうところ敵なしとされる彼女の抱える悩みとは、実のところ向かうところに敵が現れぬことそれそのものであったりするのだけれど——そんな現実を覆して現れた、新進気鋭のチャレンジャーに、彼女の口角は否応なしに釣り上がった。

 しかし——振り返ったその先には。

 

「——あ?」

 

 ()()()()()()()

 

「——勘違いしないでくださいよ、人類最強。わたくしは別に、あなたと敵対したくて声を掛けたわけではないのデス」

 

 哀川潤は再び振り向く。

 そこには当然——誰もいない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「どこのどいつだか知らねーが、いけすかねぇやつだな。あたしとお話ししたいっつーなら、まずは顔を見せろよ」

「お断りいたしマス。わたくし、対人恐怖症のケがありまして、面と向かって他人と話すと舌が縺れてしまうのデス」

「うるせえ知るか。出てこねぇと舌引っこ抜いて恐怖を与えるぞ」

「傍若無人すぎませんか……?」

 

 声が困惑する。だが、哀川潤を相手にすると言うのはそう言うことなのだ。

 

「では顔をお見せできない代わりに、せめて名乗りましょう。わたくし、千契(ちちぎ)死益(ですます)と申しマス、しがない『通信士』デス。この度はあなたに——伝言を託かっておりマス」

「伝言だぁ?」

 

 そりゃ誰からだ——と問おうとして。

 

 

「——『西東(さいとう)(たかし)』様からの、御伝言デス」

 

 

 と。

 千契死益は、平然とその名を口にした。

 

「————」

 

 思わず沈黙する哀川潤へ——死益は、言葉を告げる。

 

「『よう、俺の娘』」

 

 それはまるで人類最悪そのもののような声だった。

 あのいけすかないにやけ面が、目に浮かぶほどの。

 

「『どうせお前のことだから、零崎人識への手掛かりなんて一つも得られちゃいねぇんだろ? おおかた今頃は、どこぞの高いところにでも登って、目視で探そうなんて頓珍漢なことをやっている真っ最中ってところじゃねぇか』」

 

 馬鹿と煙はなんとやらってな——なんて腹の立つ言葉を言いながらも、彼は言葉を続ける。

 

「『京都で起こった事件から探って奴を見つけ出そうって腹なら、それは不可能だと言っておこう。あいつは今ちょっとばかり——厄介な事態に巻き込まれている。まあそれが、俺がお前に連絡を取った理由でもあるんだがな——』」

 

 そう言うわけで。

 

「『取引をしないか、俺の娘』」

 

 あっけらかんと。

 まるで気負うところもなしに、彼は言った。

 

「『零崎人識についての情報を、知っている限り全てくれてやる』」

 

 その代わりに——

 

「『お前に一つ、()()()()()()()()()()()()()』」

 

 受ける気があるなら——ホテルオークラのラウンジで待ってるぜ、なんて言って——伝言は、そこで終わったようだった。

 

「あのー、哀川のおねーさん? 一体誰とお話ししてたんで?」

 

 なんて——顔を青くした伊織が問いかける。どうやら死益の通信は、哀川潤にだけなされていたそれだったらしい。

 

「なんでもねぇ。ただの悪戯電話だよ」

 

 哀川潤は言って、ポケットに手を突っ込んだ。

 

「あ、左様でございますか」

 

 全ての突っ込みを投げ捨てて、無桐伊織は頷いた。今の哀川潤には、そうさせるだけの迫力があったのだ。一言で言えば——哀川潤は、苛ついていた。

 

「じゃ、じゃあ改めて——次はどこに行きますか?」

 

 だから伊織のその問いに、哀川潤がそう答えたのは、きっと当たり前のことだったのだろう。

 

「おう、ちょっとばかし——ホテル行こうぜ、伊織ちゃん」

 

 そしてその言葉を貞操の危機と捉えた無桐伊織が、一目散に逃げ出すこともまた、あまりにも当然の結末であった。

 




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