今回から、少し大きなクロスオーバー要素があります。
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「由比ヶ浜ぷに子を覚えているか?」
アイスコーヒーを啜りながら、西東天はそう言った。
喪服のような着流し。かつてトレードマークだった狐面は——今はなく。その端正な顔立ちが、よく見えた。
「忘れるわけねーだろクソ親父」
機嫌悪そうに足を組んで、彼女は言った。
人類最悪に対面するのは——哀川潤、ただ一人だ。
ホテルに行く、と言う言葉をどう勘違いしたのか、断固拒否した無桐伊織を説得するのも面倒で、結局彼女は一人でこのホテルオークラまでやってきた。「じゃあもう一人で行くよ」なんて言われた無桐伊織は筆舌に尽くし難い複雑な表情をしていたが——哀川潤の知ったことではない。
「由比ヶ浜ぷに子とは、都合三度も戦った——初めの一度は私の心臓まで止めてくれやがったしな。ま、あたしに比べりゃどうしようもなくポンコツだったのは確かだが——仮にもあたしの妹みてーなもんだ。忘れたくっても忘れられねぇよ」
それにいつかあいつと戦った時には——実にいい歌を聞けたもんだ。なんて、そんな思い出をわざわざこのクソ親父に話したりはしないのだけれど——
いずれにせよ。
由比ヶ浜ぷに子。
その名前を忘れることは、あり得ない。
かつて彼女がまだ、哀川潤でも人類最強でもなかった頃に戦った人造兵器——西東天を筆頭とした三人の研究者たちが作り上げた、いわゆる『ロボット』であり——彼女が人類最強となった後にも、その名残が彼女の前に立ちはだかった、因縁深い敵である。
「『仮にもあたしの妹みてーなもんだ』ね、ふん。お前の妹と呼ぶには、あれは随分と出力不足ではあったが——ま、制作目的と言う意味では正しくそうであると言える」
だからこそ——
「それが、問題になっているわけだ」
「それが?」
それがって、どれがだよ。要領の得ない、勿体ぶった言い振りに、哀川潤は眉を顰める。
「はん、そんなこともわからねぇのかよ。察しが悪いな。人類最強を名乗っておきながら、おつむの中身はそうじゃねぇってか?」
煽るように言ってから、彼は言葉を続けた。
「だからさ、つまり、制作目的だよ。お前も、由比ヶ浜ぷに子も、どちらも
世界を終わらせる——と、その言葉に、哀川潤は舌打ちをした。この男が躍起になって追い続けている目的であり、一度は愛すべき後輩たる人類最弱の戯言遣いによって完膚なきまでに打ち砕かれた野望であり、そして——最近になって、この男が
「おっと、勘違いするなよ俺の娘。俺はお前に、馬鹿正直に世界を滅ぼすのを手伝ってくれ、だなんて依頼を出そうってわけじゃない。そんなことを今更お前に言い出すのは、そりゃもう馬鹿正直じゃなくてただの馬鹿だ」
「つまりあんたのことだろ」
「言うねぇ。だがちょっとは考えてものを言えよ。お前を作り出したのも由比ヶ浜ぷに子を作り出したのも、そのただの馬鹿張本人なんだぜ」
最も、三分の一だがな、なんて言いつつ、彼は笑った。
「ともかく、だ。俺がお前に御協力願いたい依頼ってのはだな、まさしくその真逆なんだよ」
つまり。
「
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「真賀田四季って研究者を知ってるか?」
ホテルを出て、しばらく。二人は映画館にやってきていた。コロナ禍ゆえだろう、館内に人気は少なく、二人が入場したシアターには全く人がいなかった。完全な貸切状態だ。
だからこそだろう。画面の向こうで展開されている物語も無視して、マナー違反にも、西東天は隣に座る哀川潤へとそう声をかけた。
「あ? 誰だよそれは」
哀川潤はぶっきらぼうに答える。
ER3の誰かだろうか。少なくとも七愚人の中には、そんな名前の研究者はいなかったと思うが——
「なんだよお前、森博嗣も読まねぇのか。嫌だね、若者の活字離れってのは」
ま、お前も若者って歳でもねぇが、なんて失礼極まる物言いをしつつ、彼は話を続ける。
「ま、知らないなら仕方がない。わかりやすく言えば、別世界の人物さ。この世界の人間でも、元の世界の人間でもない。
いわゆる、本物の天才ってやつでね——と、彼はどこか懐かしそうに語る。
「一度だけ、喋ったことがある。つい最近な。ありゃあ——震えたね。この俺が他の研究者に心の底から敬服したのは今までヒューレットの爺さん一人きりだったわけだが——まさかそれに匹敵、あるいは凌駕さえしうる人物に出会えるとは思っていなかった」
ま、その感動は会ってもいないお前にはいくら言葉を尽くしたって伝わるもんじゃねぇだろうな、と言葉を打ち切って、彼は咳払いを一つする。
「重要なのは、真賀田四季の存在ではなく、その知性が作り出した存在のことだ」
言葉と共に、彼は指を鳴らした。
瞬間——
「『三時間と七分二十五コンマ七秒ぶりデスね、哀川潤』」
スクリーンが、切り替わって。
そこに、一人の人間の顔が、浮かび上がった。
「『顔を見せろとのご要望でしたので——今度こそ、お応えさせていただきマス』」
なんて。
男性とも女性ともつかない——彫像のような、美しい顔立ちの人間が、その艶かしい唇を動かして——言葉を、紡いでいる。
人間が。
人間の、像が。
いや。それは。
それは果たして、本当に人間なのか——?
「いいや、そいつは人間じゃあねぇよ」
その違和感を肯定するように、西東天は言った。
「
「と——」
トランスファ?
それは——
それは、
哀川潤の疑問に、人類最悪は笑みを返す。
「人工的に生み出された知性——いわゆるAIってやつ。だが、それが通常のAIと違うのは、そのソフトウェア的な
いわば、ネットワーク上に偏在するプログラムコード、とでも表すべき存在。人工知能でありながら、同時にネットワーク上を自由に駆け巡る電子信号でもある。信号を受信できるそれであれば、
「な——」
いかな人類最強といえど——それには驚きを隠せない。
かつて彼女の友人たる玖渚友が、ネット上で
人類がどれだけ電子機器に頼っているか——スマートフォンの普及率だけを考えたとしても、その比率は計り知れない。それらが全て——たった一つの兵器の、射程圏内なのだ。
「とは言っても、こいつについては、そこまで便利な存在ってわけでもないんだがな」
彼は言って、肩をすくめた。
「
だからこそ、こいつもこの程度の演出しかできないのさと画面を指差す。
「ま、仕方ない。少なくともこの世界には、真賀田四季という天才はいなかった。それはまさしく悲劇だったわけだ。あらゆる意味でな」
ここからが本題だ、とばかりに、彼は哀川潤の方を向く。
「先の質問を振り返ろう。——
その言葉に、哀川潤は顔色を変える。
「まさか——」
「流石に察したか。そう、
くく——と喉を鳴らして、彼は言う。
「インスピレーションが沸いてね。
その結果——
「暴走した」
と。
まるで恥じることもなく、ただひたすらにあっけらかんと、両手を上げて彼は言った。
「ぼ、暴走、って——」
「正確には暴走、と言うか、コンセプトに対して頑なに動き出した、とでも言うべきなんだろうがな。そもそもが自律系なんだよ。外部からのコントロールを受け付けるようなシステムでは元からない。ないんだが——」
問題なのは。
その方向性だった。
「トランスファ・由比ヶ浜ぷに子は——
と。
彼は悪びれもせず——淡々と、そう言った。
「要は、最初に作り上げられた時の設計思想そのままに動いてるってわけだ。創造者としては褒め上げたいところだが、今は不味いんだよ」
俺はまだ——
「あいつが認識してる世界ってのは狭くてね、つまり、この世界だけなんだ。半端な滅びじゃ、それこそ困る。それは物語の終わりとはいえない。読み切らないまま本を燃やしちまうようなもんさ。それじゃあ
世界を終わらせるのには——まだ早い。
だから——
「呉越同舟と行こうぜ、俺の娘。
そう言って、なんの気負いもなく平然と差し出された手を——哀川潤は思いっきり握り潰した。
「いっ——てててててっ! おい何するんだお前、どんな力で握ってやがる!」
「何するんだはこっちのセリフだよ! マジで何してくれてんだこのクソ親父!」
哀川潤は絶叫する。せざるを得ない。こんな話を聞かされたら。
「あんた、だいたいそのパターンじゃねぇか! 自分が作り出したもんに毎回毎回暴走されて、恥ずかしくないのかよ!」
「ない」
彼はあっさりと答えた。
人類最悪に、羞恥心などありはしない。
「別に、お前が断るならそれでもいいんだぜ。ま、ちょっとばかし勿体なくはあるが、これも一つの世界の終わりだ。寿司でも食いながらゆっくり眺めるとするさ」
「ふざけんな! 真面目に対策しろクソ親父!」
あんた元凶だろ! なんて叫びながらも——哀川潤は頭を抱えたくなった。
本当に、なんでこんなことになるんだ。自分はただ、零崎人識を迎えに来ただけのはずだった。その過程で閻魔大王と戦ったりもしたけれど——それでも普段の仕事に比べれば、まだしも簡単なそれであると言える範疇のはずだった。それがどうして——世界が滅ぶ滅ばないの話になっているのか。
全部全部——
「お前のせいじゃねぇか!」
「おいおいやめようぜ戦犯探しは。世界がもうすぐ滅ぶって時に、そんな生産性がないことをやっている場合じゃないだろう」
それはまさしく正論なのだが、同時に決してその戦犯張本人が語っていい理屈でもないはずだった。
更なる怒りを燃やそうとする哀川潤に——スクリーンから、絶対零度の冷や水がかかる。
「『現在、由比ヶ浜ぷに子はアメリカ合衆国国防総省の核兵器発射システムへのクラックを仕掛けている真っ最中です』」
「めちゃくちゃやべぇじゃねぇか!」
流石の人類最強といえど、核兵器相手に真正面から生き残れる自信はない。最強とはいえ、人類なのだ。生きているなら、死にもする。
「お、お前、どうするんだよ!」
「それを考えるのがお前の仕事だ」
「人に丸投げすんなぁあああああ!」
絶叫しながら、哀川潤は今度こそ頭を抱えた。
かくして、人類最強は挑むことになる。
あるいは、世界の終わりそのものに。
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