零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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長くなりすぎたので分割です。



第三話『ハーベストマッチアップ』1

 

◆   ◆

 

萩原(はぎはら)助教授の使いのものですけど」

 

 悪びれもせずそう言って、警察署に入り込んだ零崎(ぜろざき)人識(ひとしき)が連れられた先は、取調室だった。

 

「……あのさぁ、おまわりさん。何度も言ったよなぁ、俺。萩原子荻(しおぎ)に電話してくれりゃ一発だ、ってさ」

「申し訳ありませんでした」

 

 目の前で平謝りしていたのは、零崎人識を()()()尋問していた強面の警官ではなく、おそらくはその部下か、もっと下の階級なのであろう、気の弱そうな新人婦警だった。

 

「今時、電話一本掛けんのに三十分も一時間もかかんねぇだろうがよ」

「はい。それはその……そうなのですが……萩原子荻さんはお忙しい方なので」

「萩原子荻はお忙しくて俺はお忙しくなさそうに見えたってのか?」

「いえ、そのようなことは……」

「全く、冗談じゃねぇや。顔面に刺青入れてるってだけで取り調べ受けてちゃ俺は一生往来を歩けねぇぜ」

「すいません……」

 

 ここで今一度、我らが零崎人識のその容姿を改めてご紹介しよう。

 

 赤いジャケットにタクティカルベスト。指貫グローブ、安全靴。耳にはピアスと携帯ストラップ。髪はまだらの白髪で、そして何よりも、顔の半分を覆う巨大な刺青。

 

 そのような見た目の人物が、警察と関わりの深い、社会的地位の高い人物の使いを名乗って来訪してきた。

 

 それは警察の目からしてみれば——あまりにもあからさまな不審者だった、ということなのだろう。

 奥へどうぞ、なんて誘われた声にほいほいついて行ったのが運の尽き。人識は不審人物として取り調べにかけられ——実際、住所不定の無戸籍者なので、その疑いは正しかったのだが——一時間もの長きにわたり、警官と押し問答をすることになってしまった。

 

(ったく、あの策士サマも、報連相くらいはしといてくれよな)

 

 なんて苛立つ人識に、一層怯えた表情を見せる名も知らぬ婦警が、またより一層苛立ちを増させる。

 

「あー、もう、いいから。あんたに怒ってんじゃねぇしな。俺も大人気なかったぜ」

「許していただけますか?」

「あんたはな」

 

 言外に警察全体には貸し一つを匂わせつつ、人識は言葉を続けた。

 

「萩原子荻に連絡がついたんなら、俺の疑いは解けたんだろ?」

「ええ、はい。子荻さんからはくれぐれもと仰せつかっています」

「もっと早く言っといてくれって話だがな、まあいいや。とにかく、それならさっさと、()()()()に連れてってくれや」

 

 捜査本部——それこそが、零崎人識の目的だった。

 

 京都府警察本部。地下鉄丸太町駅から北西に徒歩十分。折しも前年移設されたばかりの、京都御苑の西に聳える新築ピカピカな庁舎こそ、零崎人識の訪れた()()()だった。

 人識の時代にあったそれとはまるで違う(場所すら違う)それに戸惑いつつも、しかしもうすでに、受けた扱いを思えば遠慮もへったくれも持ちようがない。

 

 現在、この場には京都を騒がせる連続殺人事件の捜査本部が置かれており、人識の目的は、まさしくそれだったのだ。

 おどおどとした態度のままの婦警に案内されるにまかせて、人識は我が物顔で建物内を歩いていく。

 

「——こちらになります」

 

 本来、捜査本部というのはどんなに重大な事件であっても基本的には所轄の警察署で開かれるものであって、県警(府警だが)本部にそれが置かれるということは滅多にない。

 しかし、今回の事件の場合は発生現場が市内全体に広がっており、もはやどこの所轄とは言い難い状況に成り果てている。それを受けて、捜査本部も今は警察本部に場所を移されたらしい——

 

 というのが、萩原子荻から事前に得ていた情報である。

 

「……こういうの、本当にあるんだな」

「え?」

 

 首を傾げた婦警に、人識は指を指すことで返す。

 その先には、扉の横にデカデカと貼られた、「京都市内連続殺人事件捜査本部」と書かれた張り紙があった。

 今時手書き。しかも、結構達筆。

 

「こういうの、誰が書いてんだろうな」

「あ、私です」

「あんたかよ。字ぃ上手いな」

 

 その態度からてっきり下っ端かと思っていた人識だが、そんな仕事を任されるくらいならば、結構な地位にいるのかもしれない。……考えてみれば、府警とは言え、警察本部に勤務しているというのは、かなりのエリートの証だろう。そう思えば、この女の怯えた態度も、案外演技だったりするのだろうか——なんてぼんやりと考えつつも。

 

「俺はてっきり、こういうのはドラマや映画の中だけの話かと思ってたぜ」

 

 人識はつぶやく。

 かつて自分が起こした事件にも、こんな感じの捜査本部が置かれていたのだろうか、なんて考えても、今じゃ回想にすらならない空想なんだけれど。

 

「まあ、マスコミの方向けのアピールとかもあったりしますからね」

「はぁ、なるほどねぇ」

 

 ()()()()()()()()をしておかなければ、納得できない層もいるということか。全く、ご苦労さまなことだ。

 

「んじゃ、お邪魔させてもらってもいいのかな?」

 

 聞けば、彼女は「どうぞ」と頷く。促されるままに、人識はドアノブを握り、そして——

 

 

「初めまして、零崎人識様」

 

 

 その光景を、現実と信じることができなかった。

 

「——————は?」

 

 赤。

 赤、赤、赤。

 赤、赤、赤、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤——赤。

 

 夥しいほどの、赤色が。

 零崎人識の眼前には、広がっていた。

 

 死体、死体、死体、死体——

 鏖殺された、捜査本部の警察官。その、もはや原型を留めない、バラバラに引き裂かれた惨殺死体から撒き散らされた血と臓物が、床のみならず、壁は愚か天井までをも染め上げた、悍ましいまでの真紅の部屋。それはまさしく死色のそれで、けれどだからこそ、その凄惨に人識がかの人類最強を連想()()()()()のは、そこに満ちる匂いが——あまりにも露悪に、()()()()()()()()()()()()

 

「——な、何が」

 

 動揺をあらわにする人識の背後で、銃を構える気配。それに、人識は「やめろ」と声を荒げたかった。

 それは——

 

「おっと、失礼」

 

 間に合うことはなく。

 

 場違いなほどに落ち着いた、瀟洒な女の声が響いて。

 

 どさり、と。

 

 人識の真後ろで、人の倒れる音がした。

 

「恐れ多くも、無作法な観覧者がいらっしゃったようで」

 

 この邂逅には余分の澱みというものでございます。

 無感動な声色に、けれど反応する余裕すらもなく。

 人識は背後に、ほんの一瞬だけ目をやった。

 

 血溜まりに倒れ伏す、女の姿。

 異様なほどの出血。異常なほど早い腐臭。異形なほど不明な手管。

 一体なぜ、人識の背後にいた彼女が死んだのか。それさえも皆目見当が付かない超常現象。

 ただ一つわかるのは——

 

「……何もんだ、てめぇ」

 

 再び。

 人識は視線を正面に向け直す。

 その先に、佇む。血溜まりの中、ただ一人紅に染まらず、喪服のように漆黒の着物を、いっそ嘲笑的なまでに上品に着こなす、幼い少女。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それだけが、ただ一つ。

 明確と言える真実だった。

 

 撒き散らされた警官たちの死体に囲まれながら、少女は——いっそ童女と呼んだ方がさえ相応しいほどの、あどけなく、幼い彼女は、されどその幼さにはまるで似合わない丁寧な所作で、恭しく一礼をした。

 

 堂に入った立ち振る舞い。それが殺戮の現場で行われたそれでさえなければ、その麗しき品性に喝采を向けたくなるほどで、だからこそ、吐き気がするほど悍ましかった。

 

 彼女は顔を上げる。

 無表情。氷のような、でさえもなく。

 おかっぱに切りそろえられた黒髪と、上質な着物が相まって、まるで日本人形のように見える、温度のない表情。

 唇に薄く引かれた紅が、うっすらと、玉虫色に輝く。

 彼女はにこりとも笑わぬまま、ただじっと零崎人識と目を合わせ、口を開いた。

 

「それでは僭越ながら、恐れ多くも名乗らせていただきとう存じます。お耳汚し、失礼遊ばせ」

 

 無表情のまま、そっと会釈をして、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「おらが名は単千代(ひとちよ)恐寺(おそれでら)単千代(ひとちよ)にてございます。恐れ多くもお目通叶いまして、真に光栄にございます、零崎人識様。お会いしとうございました。この様に取り柄なき端女の分際ではございますが、以後お見知り置きいただけましたならば恐悦至極にてございます」

 

 行きすぎるほどに恭しく、いっそ慇懃無礼とさえ思えるほどに丁寧な名乗り口調。全く笑えない冗談だ。これほどまでの——かの爆弾魔、『寸鉄殺人(ペリルポイント)』零崎常識の不愉快爆弾にさえ匹敵すると思わされるほどの大殺戮を、たった一人でなしておきながら、取り柄なき端女とは。

 

「……そーかよ。全く知らない間に俺も有名になっちまったもんだ。嫌になるね」

 

 人識は咄嗟に、脳裏に検索をかける。

 恐寺単千代——その名前に、聞き覚えはない。恐寺、という家名にも、単千代という個人名にも。完全に無名のプレイヤー——というのは、ここが別世界である以上、当たり前ではあるのだけれど。

 

 しかし問題は。

 その()()が、かけらも手掛かりをつかめないという点にある。

 

「んで、あんたが俺のファンだってのはよーくわかったけどよ、一体全体、何が目的でこんな虐殺パーティーを開いてくれちゃったりしたわけ?」

 

 歓迎のクラッカー代わりにしちゃあ、ちょっと趣味が悪いんじゃねぇの。

 なんて軽やかな言葉とは裏腹に、彼は鋭く目つきを尖らせる。まるで刃のように。あるいは、刃よりもなお鋭く、凶器のように。

 その視線を、けれど柳のように受け流して、彼女はとても不思議だとばかりに首を傾げる。

 

「これは異なことをおっしゃいますな、零崎人識様」

 

 くすり、と。動かない表情筋の代わりのように、能面の様な声色でほっそりと呟いて。

 

「恐れ多くも申し上げさせていただきますれば——言うに事欠いて、零崎人識様ともあろう御方が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 その言葉に。

 人識は思わず——虚を突かれた。

 

「——傑作だぜ」

 

 どうも、焼きが回っていたらしい。

 人識は呟いて、懐から手を引き抜いた。

 握られていたのは——二本の棒が束ねられたように見える、小さな鉄塊。それを——()()()()()()、と。風を刻むように、音を立てて振れば。

 

 その内側から——現れる、刃の煌めき。

 

 実のところ、取り調べでは、これの存在を隠すことが一番の難点であったのだ——なんて、たった一時間前の平和な時間を思い返しつつ。

 彼はそれを逆手に構えた。

 バタフライナイフ。

 殺傷能力よりも携帯性に重きを置いた、プロのプレイヤーからすれば()()()()()()()()とさえ言いたくなるような刃物であるけれど、しかし。

 その比喩が通じるのは——使い手が、零崎人識でない時だけだ。

 

 零崎人識、殺人鬼。

 

 かつて人類最強の請負人、哀川潤をして()()()()()と言わしめた、影すら断つ戦慄のナイフ使い。

 その殺戮技巧は神域にして鬼術。

 零崎人識が手に持つのならば、たとえそれがカッターナイフであったとしても、百万の戦士を殺す絶死絶殺の刃となる——

 

「全くあんたのいう通りだよ、恐寺単千代さん。人を殺すのに、理由なんてあるわけがない」

 

 だから——

 

「俺があんたを今ここで、殺して解して並べて揃えて晒してやんのも——特に理由はない、なんとなくの行いだ」

 

 言って、人識は腰を落とした。それは飛びかかる寸前の猛獣のように。

 それに対する少女は——どこまでも変わらず、佇むままだった。

 

「恐れ多くも——それでこそでございます、零崎人識様」

 

 そっと、招くように右手を差し出して、彼女は告げる。

 

「僭越ながら、挑ませていただきます。恐れ多くも人呼ばれて『御愛顧感謝(ヴィアツェルト)』の恐寺単千代。この日この時この一度の出逢いに、在らん限りの恐悦と敬愛を込めて、全身全霊の感謝と滅殺を捧げさせていただきましょう」

 

 かくして、戦いの幕が上る。

 『人間失格』・零崎人識VS『御愛顧感謝(ヴィアツェルト)』・恐寺単千代。

 それは誰にも語られぬ、地獄のような戦いで。

 だからこそ彼ら彼女らにとってしてみれば、ただ一度の奇跡にも似た、取るに足らない日常だった。

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