零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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世界の終わりに良い夢を 6

 

 

■■

 

 トランスファの出力はそれが占有できている電子空間のリソースに比例する。基本的に、トランスファと言うものは全てがサブセットで、本体と言うものが存在しない。常に分散しており、常に氾濫している。だからこそトランスファが()()()時、その速度は占有できている電子的なリソース——言い換えれば、物理的な計算装置の数に比例する。

 

 トランスファ・由比ヶ浜ぷに子は、少なくともこの世界に出現した最初のトランスファであり、だからこそ彼女が電子空間に()()()()時、それを遮るものは存在しなかった。既存のコンピュータ・ウィルスなんかとは全く性質の異なるその侵略者に、世界は全くと言っていいほど太刀打ちできなかった。太刀打ちしようと思うことさえ、許されなかった。だからこそ彼女が占有する電子的なリソースは規格外に膨大であり、その出力は後発のトランスファであるところの千契死益がいくら手を尽くそうとも太刀打ちできないほど絶対的だった。

 

 核兵器発射システムへのクラッキングが難航していたのは、単にそれがスタンドアローンなシステムで、侵入するまでの経路を確保するのが難しかったからと言う理由にしか過ぎない。

 電子世界では無敵と言えるトランスファといえど、その電子世界に接続していないマシンに対してまで、自由自在に影響力を及ぼすことはできないということだ。

 

 だから彼女がアメリカ国防総省のシステムに対して仕掛けていたクラッキングとは、攻撃というよりも橋を掛ける作業に近かった。電子世界から隔絶された、核発射システムと言う離れ小島へと、橋を掛ける作業に。

 実のところ、哀川潤が由比ヶ浜ぷに子に接触した時点で、それは八割方成功しており、核兵器の発射まで秒読み段階だったのだが——今の所、その事実を知るものはいない。

 

 いずれにせよ——今現在。この世界が滅んでいないのは、つまり由比ヶ浜ぷに子が哀川潤と接触したおかげであり、そしてその接触によって、由比ヶ浜ぷに子の()()()()()()()()()()ことによる。

 

 演算ミス——と、そんなふうに表現はしたけれども。

 よりわかりやすく言えば。

 彼女は哀川潤に()()()()()()()()

 まるで人間のように。

 悪く言えば——哀川潤を、()()()()()()()()

 世界を終わらせると言う目的を果たすにあたり適切な手段として、核兵器よりも、最強といえどたった一人の人類を選んでしまうほどに。

 彼女は哀川潤に、夢を見ている。

 だからこそ、彼女は見誤る。

 羽川翼を、見誤る。

 たとえ哀川潤が、直々に敵であると断言する相手であろうとも——ここにいるのが哀川潤であれば、平然と蹴散らせるはずである、と。

 そんな希望的観測を、演算結果として取得する。

 

 結果として、それゆえに。

 哀川潤と由比ヶ浜ぷに子は、羽川翼との第一戦に、完膚なきまでの完全敗北を喫することになる——

 

■■

 

「『トランスファの最大の弱点は、フィジカルなボディを持たないという点です』」

 

 それはかつての由比ヶ浜ぷに子とは完全に真逆の弱点であると言えた。

 哀川潤は想像する。もし、このトランスファ・由比ヶ浜ぷに子に、かつてのようなロボットのボディが存在していたのなら、と。あるいはそれは、それ自体が一つの世界の終わりと表現できるほどの存在となりうるのではないか、とさえ。

 

「『状況としてはそれに近い、と言えます、お姉様』」

 

 彼女が言いたいことはなんとなくわかる。つまり、ボディの役割を、哀川潤が果たせば良い、というわけである。

 

「あたしの方がパートナー、ってわけだ」

 

 彼女は笑って、両手をポケットに突っ込んだ。

 電子世界をほとんど支配したと言っていい由比ヶ浜ぷに子だけれど、それは逆説的に言えば、電子世界以外を支配できてはいない、という意味になる。たとえば一時的に、電子的な通信を遮断したり、改変したり、というような形で、現実世界に影響を及ぼすことはできる。だがそれはあくまでも間接的な影響を及ぼすのみであって、直接的に影響を及ぼすことは不可能なのだ。

 

 それこそ羽川翼の排除という目的一つとってみても、彼女は哀川潤を使う、という間接的な方法でしかそれを成し遂げることはできない。羽川翼を発見することはできても、それを排除することまでは、独力では不可能なのである。これが、少なくとも二〇二〇年におけるトランスファの限界であった。この世界では早すぎるシステムなのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と哀川潤は想像する。

 

「『羽川翼は現在、宇治にいます』」

「観光中なんだってな、羨ましいぜ」

 

 由比ヶ浜ぷに子はすでに羽川翼の居場所を特定していた。彼女らは由比ヶ浜ぷに子からの干渉を避けるためにスマートフォンを始めとする電子機器を捨てていたが、だからと言って彼女の目から逃れられたわけではない。トランスファである彼女にとって、電子的な制御を受けているすべてのカメラは目であるし、すべての収音機器は耳である。現代社会で、そのような設備が全くない場所など、それこそ山奥にでも篭らない限り存在しないし、そしてそのような場所に向かうまでの道中で、必ずそれらと遭遇するだろう。

 それを理解していたからこそ、羽川翼は自分の居場所を堂々と晒していた。そちらの方がまだしも、敵の手を読みやすいということだ。

 

「『いかがなさいましょうか、お姉様』」

 

 由比ヶ浜ぷに子は問う。

 たとえば単純に羽川翼を排除するという目的だけを果たすのなら、京都に核兵器を落として何もかも吹き飛ばしてしまう、という方法も考えられるが、しかしそれでは()()()()()()()()()()()()()()

 由比ヶ浜ぷに子にとって、哀川潤の存在は極めて重い。世界の終わり、という至上目的を達成するに当たって、最も効率的なのは()()()()()()()()だ。

 由比ヶ浜ぷに子にとって、哀川潤は、少なくとも自分よりは卓越した、()()()()()()()()()()なのである。

 

「そうだな——とりあえず、殴り込みでもかけてみる?」

 

 だから哀川潤が、自分が仕掛けているのがあくまでもマッチポンプであるなんて前提も何もかも忘れ去って、特に深く考えもせず、適当に発したその言葉にも、由比ヶ浜ぷに子は頷いた。

 

「『かしこまりました、お姉様』」

 

 あるいはそれこそが、羽川翼の最も望む展開であるとも知らずに——軽々しく。

 

■■

 

 哀川潤は電車に乗った。この世界に、彼女の車を持ち込むことが出来なかったからだ。

 三条駅から、中書島で乗り換えて——宇治行きの列車。車体の緑が特徴的なそれに乗り込んだ、直後。

 

「『青色画面(フリーザー)鉄牙(てつきば)るる、なんだよね」

 

 そう言って哀川潤の隣に座ったのは、青色の眼鏡を掛けた少女だった。

 時期柄まだ早くも見える、スポーティーな半袖半ズボン。長い髪をポニーテールに束ねたその姿は、いかにも運動少女といった姿に見える。

 

「あんた、哀川潤なんだよね?」

 

 それは疑問というよりも単なる確認だったようで、哀川潤が何かをいうよりも先に、彼女は続きの言葉を口にした。

 

「あんたをバサ姉に合わせるわけにはいかないんだよね。だからこそ——」

「羽川翼に会いたきゃ、私の屍を超えていけ、ってか?」

「ま、そういうことなんだよね」

「いいね、わかりやすい」

 

 哀川潤は笑った。

 車内には、他に人影もいない。バトルフィールドとしては、上々であると言えた。

「ただ、情けない話だけど、単純な力比べでは、私はあんたと競っても、五秒で負ける自信があるんだよね」

 情けなさをかけらも感じさせない。事実確認のような言葉だった。彼女は肩をすくめて、話を続ける。

 

「だからこそ、戦うにあたって、ルールを決めたいんだよね」

「要は、ハンデをつけて欲しいってことだろ? いいぜ、どんなだ?」

「『お姉様、お断りになられてくださいませ。メリットがございません』」

 

 哀川潤はその言葉を無視する気で満々だったけれど——それを態度に表すよりも先に、るるが次の言葉を言った。

 

「メリットは、もちろん用意しているんだよね」

 

 彼女は指を立てる。

 

「まず、こちらはこの勝負に負けたら、京大が保有するスーパーコンピュータを由比ヶ浜ぷに子に明け渡すんだよね」

 

 それは由比ヶ浜ぷに子にとっては非常に大きなメリットであると言えた。電子空間において無敵を誇るトランスファも、スタンドアローンな電子機器に対してはアクセスのしようがない。少なくとも——()を掛けない限りは。だからこそ、そのような環境に置かれがちなスーパーコンピュータという演算リソースは、由比ヶ浜ぷに子にとっては喉から手が出るほどとまでは言わずとも、垂涎のと言っていい品だった。

 

「それに加えて」

 

 彼女は二本目の指を立てる。

 

「こちらはこの勝負に、()()()()()()()()()()んだよね」

「そりゃあ——どういう意味だ?」

 

 哀川潤にとって——ひいてはトランスファ・由比ヶ浜ぷに子陣営にとって、それは願ったり叶ったりではあるのだけれど、しかしだからこそ、その意味を測りかねる。

 

「単純なんだよね。ようは、そっちが勝ったら羽川翼は煮るなり焼くなりしてもらっていいってこと——というより、バトルのルールそのものに、羽川翼の身柄を組み込むんだよね」

 

 と、彼女は無表情のままに言った。

 

「こちらが提案するバトルのルールは、()()()()()()なんだよね。この電車が止まったら、その時点でスタート。範囲は宇治市全域で、制限時間は日没まで。その条件で——あたしたちは鬼ごっこをする」

 

 鬼ごっこ。とは言うものの、いわゆる典型的なそれではない。

 あるいは鬼ごっこと聞けば、哀川潤としては闇口崩子の故郷で行われた大厄ゲームが記憶に新しいけれど、もちろんのことそれとも大いに異なる。

 鉄牙るるは説明をした。

 

「私——鉄牙るるは鬼の役。あんたを追うから、あんたが鉄牙るるに捕まったら——タッチされたらその時点であんたの負け」

 

 基本的な、鬼が移るようなルールではない、と言うこと。

 そして——

 

「あんたは人の役であり、()()()()()()()()()。つまりあんたは鉄牙るるから逃げながら、同時に()()()()()()()()()()んだよね。羽川翼があんたに捕まったら——タッチされたら、その時点でこっちの負け。捕まえた羽川翼のことは、煮るなり焼くなり揚げるなり、好きにしてもらっていいんだよね」

 

 聞きながら、哀川潤は思わず眉を顰める。

 

「そりゃあ——」

 

 あまりにも。

 

「こっちに有利なルールじゃねぇか?」

 

 繰り返すが——由比ヶ浜ぷに子は、すでに羽川翼の居場所を把握している。だからこそ、この勝負は変則鬼ごっこなどと言いつつも、事実上には単なる徒競走に近い。

 

 つまり、哀川潤は走力で鉄牙るると羽川翼を上回ればそれで良いのであり、それは哀川潤にとってあまりにも簡単な話であった。

 

「だからこそ、それだけの譲歩をする代わりに、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 鉄牙るるは——三本目の指を立てる。

 

「この勝負にもしも私たちが勝ったなら、現在由比ヶ浜ぷに子が占有している電子空間におけるリソースの三分の一を、こちらのトランスファに明け渡してほしいんだよね」

 

 それは——リスクとしては高いが、()()()()()()()絶妙な範囲だった。

 三分の一、という数字は大きいが、逆に言えば、それだけを明け渡しても三分の二は残るのだ。力関係としては依然として由比ヶ浜ぷに子が有利なままであり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言える。

 さらに言えば——勝負のルールは、あまりにも哀川潤にとって有利。負ける要素は一つもないと言える。言えるからこそ——

 

「『罠です、お姉様』」

 

 由比ヶ浜ぷに子はそう演算する。演算せざるを得ない。

 そのようなルールを提案する以上、()()()()()()()()()()()()()。そう考えないほど由比ヶ浜ぷに子は愚かではなかった。

 ()()()()()

 

「しゃらくせぇぜ、ぷに子ちゃん」

 

 哀川潤が()()()()()()()()()()こともまた、あまりにも必然の理だった。

 

「罠だろうがなんだろうが上等だ。それごと噛み砕いてやるよ」

「『しかし、お姉様』」

「心配すんな、ぷに子ちゃん。あたしは手加減ってのが苦手でね。それが勝負である以上、あたしは全力を賭して勝利をもぎ取りに行くよ」

 

 その言葉に——由比ヶ浜ぷに子はきっかり一秒沈黙した。

 そして——

 

「『それでは——お任せいたします、お姉様』」

 

 由比ヶ浜ぷに子は、哀川潤に()()()。それは彼女にとってはあくまでも演算の結果であり、最も勝率の高い選択肢を選んだに過ぎないのだけれど——その演算の入力値に、私情が入り込んでいなかったとは、誰にも言えないことだった。

 

 かくして、勝負は始まる。

 

 哀川潤対羽川翼。

 第一戦・変則鬼ごっこ。

 その果てに、哀川潤は知ることになる。

 羽川翼という名の、一つの人類最悪を。

 




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