零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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世界の終わりに良い夢を 8

■■

 

 羽川翼からの接触があったのは三日後のことだった。

 

 この三日間で、電子空間上の勢力図は大きく変わった。

 元々由比ヶ浜ぷに子が所有していた電子的リソースの三分の一を手に入れた千契死益は、彼女と消極的な領域争奪戦を繰り返しつつ、電子空間に自らの存在を定着させた。

 

 これにより、由比ヶ浜ぷに子は以前ほど自由な活動ができなくなった。単純にリソースが減った、というだけではなく、その分がほとんどまるまる、妨害に回ったのだ。ある程度は取り戻せたが、あくまでもある程度、でしかない。事実上は、敗戦に近かった。

 

「『つまり、状況は危機的です、お姉様』」

 

 あくまでも平坦に、由比ヶ浜ぷに子はいう。それは悲観ではなく、彼女にとってはきっと、単なる事実の確認なのだろう。だからこそ、対する哀川潤はそれに笑顔を返すのだ。

 

「つまり、それは燃えるシチュエーション、ってわけだ」

 

 哀川潤は錦市場にいた。コロナ禍ゆえだろう。人通りは極端に少なく、閉じ切っている店も少なくはない。それでも残った店は懸命に営業を行なっていて、そのうちの一つに、彼女は訪れていた。

 

 錦市場の中程にある、魚の専門店。名物である、狐色に揚がった鱧カツ串(税込五百円也)を、店内にある簡易的なイートインスペースで食べる。京都の魚といえば、鱧だ。少し時期は早いが、美味かった。

 

「『府内で漁れる、というわけではないそうです』」

 

 ワイヤレスのイヤホン越しに、由比ヶ浜ぷに子は話しかけた。

 

「あ? 何の話?」

「『鱧です』」

 

 発想の飛躍が人間のようで、面白かった。

 彼女は食べ切って残った串をトレイに放る。

 

「しかしさ、舐められたもんだよな、あたしたちも」

「『残念ながら、前回の結果を踏まえれば妥当な演算かと』」

 

 鋭い指摘に、哀川潤は黙った。最強であっても、無敵ではない。特に、心は。

 

「前回の結果、か。あれは確かに——完敗だった」

 

 油断があった、とは思わない。()()()()()()()()()()()()()()()()()、真正面から挑まれた喧嘩に手を抜くほど、哀川潤は腑抜けていない。

 だからこそ——完敗、だ。それ以外に言えることはないし、導かれる評価もない。人類最強・哀川潤も、トランスファ・由比ヶ浜ぷに子も、その点においては完全に意見が一致している。

 

 ゆえに。

 次の戦いにまでも負けるつもりは、両者共に、一欠片もありはしなかった。

 

「それで、場所の指定は?」

 

 彼女は店を出て、尋ねる。春らしい、薄手のコーディネート。もちろん、その全てが赤を基調としたものではあるけれど。

 

「『ご案内いたします、お姉様』」

 

 ブーツサンダルの踵を鳴らし、彼女は商店街を西に進む。錦市場がこうも歩きやすいのは、ともすれば今が最後のことなのではないだろうか、なんて思いながら足を進める。

 三色の色ガラスが連なる煌びやかなアーケードを抜けて、商店街の外へ。そのままさらに進めば——

 

「——ここ?」

 

 彼女が見上げたのは、京都が誇る大型商業ビル——より平たい言葉で言えば、デパートの一つだった。

 案内を担当していた由比ヶ浜ぷに子は、それを肯定する。

 

「『このビルの屋上が指定されております』」

「ふうん」

 

 そっけなく返しながら、彼女は店内に入る。裏側からにはなるが、入ってすぐにエレベーターがあった。乗り込んで、屋上へ向かう。

 百貨店の待ち合わせで、屋上を指定されるのは少し意外だが、それ以上の感想は抱きようがない。

 八階まで上がると、まだ店内だった。どうやらそこから外へ出ると、屋上、ということになるらしい。彼女はガラス戸を押して、外へ出た。

 

「——待ってたのさ、哀川潤」

 

 場違いに優美な声だった。

 青空が広がる屋上の一角。設置されたベンチのそばに、その少女は立っていた。

 

「ボクが『橙色洋燈(トルネード)戦宮(いくさのみや)れい、なのさ」

 

 背丈は哀川潤とそう変わらない。つまり、女性としては比較的長身だった。これはもうすでに、差別的な表現であるかもしれないが。

 オレンジ色のバケットハット。幼くはないが、綺麗というよりは可愛らしい顔つき。なんの変哲もない白のTシャツに、ゆったりとしたベージュのサロペット。足元は履き古した運動靴。体格は細身だが、痩せているのではなく、引き締まっているように感じる。戦闘者だ、と直感した。

 

「ご招待どうも。んで、あたしはあんたとやり合えばいいのかい?」

「野蛮だね、人類最強。まずは会話を楽しむのが、淑女のマナーというやつなのさ」

 

 彼女は言って、ベンチに腰掛ける。

 

「は、あいにくと、淑女って柄じゃあないんでね」

 

 哀川潤は立ったままだ。座るにしても並んでというのは、敵同士には相応しくないポジショニングだろう。

 

「ふ、まあいいのさ。君が淑女ではないとしても、少なくともボクは淑女なのだから。まずは会話から入るのが——美しさというものさ」

 

 彼女は言って、両手を広げる。

 

「やり合う、というのは、ある意味では正解なのさ。ただしそれは、真正面から殴り合う、なんて美しさのかけらもない方法で、ではないのさ」

 

 半ば予想していたことだが、どうやら今回も、戦いはルールに則ったものになるらしい。

 

「もちろん、タダでこっちの土俵に乗ってもらおうとは思わない。こちらが賭けるのは、前回と同じく京大のスーパーコンピュータの占有権、及び、羽川翼の身柄。それに加えて今回は、前回の戦いでこちらが獲得した、電子空間におけるリソースの()()を掛ける」

 

 分かりやすい、勝てば総取りの構図。しかしそれは、相応のリスクをも孕んでいる。

 

「君たちが負けた場合には、前回と同じく、電子空間における、君たちが()占有しているリソースの三分の一を、こちらに明け渡してもらうのさ」

 

 前回と同じく、と彼女は言ったが、前回の三分の一と今回の三分の一では、その重みがまるで異なる。

 前回、すでにリソースの三分の一を奪われた由比ヶ浜ぷに子にとって、今占有しているリソースの三分の一は、つまり前回明け渡した三分の一よりも明確に少ない。

 

 少ないが、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なぜか。その答えは単純な数字の計算で導き出せる。

 前回、差し出したのはリソースの三分の一で、つまり逆に言えば、残ったリソースは三分の二なのだ。敗北したとは言え電子空間の占有域は過半数を超え、有利を揺るがされはしなかった。

 

 しかし、今回、もしも敗北を喫し、現在占有しているリソースの三分の一を差し出したならば——奪われるリソースの合計は、九分の五に達する。

 つまり、過半数を超えるのだ。

 こちらの絶対的な有利は失われる。逆転する、とまでは行かないだろうが——だからこそ、それはまたしても、絶妙なラインであると言えた。

 

「こちらが提案するルールは、()()()()()()()なのさ」

 

 彼女はそれを言い切った。

 

「ルールは簡単。ボクは今から五分間、隠れるための時間をもらう。その後、君たちは三十分以内に、ボクを探してもらう。時間内に見つかればボクの負け、時間内に見つからなければボクの勝ち」

 

 ここまではほとんど普通のかくれんぼだ。しかし——

 

「追加ルールが、一つだけ」

 

 れいは指を立てる。

 

「隠れるのはボク自身じゃなく、()()()()()()()()()()なのさ」

 

 そう言ってれいが取り出したのは、彼女自身を模した()()()()()だった。三十センチほどの、抱くにはちょうど良いサイズ。主人と同じくオレンジ色のバケットハットを被ったそれが——五体。

 

「ボクはボク自身の分身としてこれを隠す。君はそれを見つける。簡単だろ?」

 

 彼女は片眉をあげて言うが——しかし。

 

「そのルールに乗ること自体は、やぶさかじゃあねぇよ」

 

 言いつつも——哀川潤は眼光鋭く。

 戦宮れいを、見据えている。

 

「ただし——条件を詰めさせてもらおうか」

 

 哀川潤は反省をした。

 ()()()()()()()()()()()()()()、反省した。

 だからこそ、今回は、抜かりなく。

 羽川翼の策を——事前に潰す。

 

「まず第一に、隠すというそのぬいぐるみを確認させてもらう。中に爆薬が詰まっていて、回収しようとしたらドカン、なんてことがあっちゃあ困るからな」

「どうぞ」

 

 れいは和やかにぬいぐるみを渡す。

 

「ただし、それに発信機をつけたり、なんて小細工はやめてほしいところなのさ。天下の哀川潤が、そんな狡い手を使わないと勝てませんというのなら、受け入れてあげてもいいんだけれどね」

「は、挑発が下手くそなんだよ小娘」

 

 実際——由比ヶ浜ぷに子からは近いことを提案されたけれど、哀川潤にそれをするつもりは毛頭なかった。

 あくまでも、真正面から。

 正々堂々、叩き潰す。

 そのつもりで——条件を、詰める。

 

「見てわかっただろうけれど、それはただ美しいだけのなんの変哲もないぬいぐるみなのさ。あなたが危惧していたみたいに爆薬が詰まっていたりもしないし、自分で勝手に動き出すような機構が仕込まれてもいない。もちろん生米と切った爪が入っていたりもしないのさ」

 

 これはあくまでも、二人でやるかくれんぼなんだから——と。

 その言葉に、哀川潤は反応する。

 

「っと、聞き忘れてたぜ。これがかくれんぼで、隠れる役はぬいぐるみに任せるってんなら——あんたは一体なんの役をやるんだい?」

 

 哀川潤が問えば、戦宮れいは答える。

 

「それはもちろん()()()なのさ。あなたが探す間、ボクはそれを全力で妨害する。あなたは応戦してもいいし、逃げ回ってもいい。対処の方法は、自由なのさ」

「いいぜ、認めてやるよ。そのくらいはないと、歯応えがねぇしな。ただし、条件を追加しよう」

 

 哀川潤はぬいぐるみを返しながら言った。これは、由比ヶ浜ぷに子からの提言だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。妨害役としてあたしにちょっかいをかける分には何をやってくれてもかまわねぇが、一度隠したぬいぐるみに再び触れるのはなしだ」

「オーケイ。ボクはぬいぐるみを動かさない。妨害はあくまでも、君に対して行うものとするのさ」

 

 ルールが認められ、合意が進む。

 

「『条件の確認です、戦宮れい様。ゲームのエリアはどのように決定されますか?』」

「そうだね、このビルの内部、ということでどうだろうか」

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と定義してよろしいでしょうか?』」

「ああ、問題ないのさ。ぬいぐるみを隠すのはビルの内部。敷地内ではあってもビルの外は禁止にしよう。屋上なんかはありだけれど」

 

 周囲を見渡して、れいは言う。

 

「屋上から投げ捨てて外に隠すなんてのは当然なし、なのさ」

「ゲームの範囲はあくまでもビル内のみ、だな。オーケイ」

 

 哀川潤の言葉に、れいはぬいぐるみをお手玉のように投げながら付け加える。

 

「範囲はそれでいいけど、()()()()()()()にしよう。たとえばボクが妨害を行った時に、それを返り討ちにされて、窓なんかからビル外に投げ捨てられたとしても、それは不可抗力として、ペナルティはつかない」

 

 つまり、意図的にではなく外に出てしまう分には、問題がないと言うルール。

 

「それは当然、逆も然り、だよな?」

「ああ、もちろんなのさ」

「よし、それならかまわねぇ」

 

 条件はさらに詰められていく。

 

「条件追加。協力者はなし、だ。お互い、一対一での勝負としよう。あるいは、自分が増える、というのもなし」

「構わないが、こちらも条件追加なのさ。双方共にトランスファの助力はありとしよう。そうでなくちゃ、そちらのぷに子ちゃんが納得できないだろう」

「願ったり叶ったりだが、いいのか?」

「構わないよ。公平を期するために言うけれど、この建物にはすでに、こちらのトランスファが入り込んでいるからね」

 

 つまり、対策手段があるからこそ、と言うわけか。

 

「オーケイ、その条件で構わない。次だ。()()()()()()姿()()()()()()()()()。あくまでも、今あたしがチェックしたぬいぐるみそのものの姿で隠さなければならない。解いて糸と綿に分解したり、幻術やらなんやらで()()()()()()()()()()()()()()()はなしだ」

「構わないよ。もとよりそんなことをするつもりもないしね。この美しい人形の姿形を変えるなんて無粋はしないし、その姿を透かすなんてこともしない」

 

 頷きに、哀川潤は鋭く続ける。

 

「さらに条件追加。()()()()()()、だ。あんたが隠すのはこの人形五つだけ。似た人形やあるいは同一の人形を五個以上隠したりして、()()()()()()()()()()()なんて後出しじゃんけんはNGだ」

「構わない。ボクが隠すのはこの五つの人形だけなのさ。それ以外のものをこのビル内に持ち込むようなこともしない」

 

 条件は——その全てが受け入れられていく。

 

「準備をする五分間の間はどうする?」

「あなたには目と耳を塞いでいてほしい。ぷに子ちゃんに関してはこちらのトランスファが対応するから、心配はご無用なのさ」

「オーケイ。そして条件追加だ。その五分間の間にあたしに対する攻撃を行うのはなし」

「構わない。逆に、その五分間の間にあなたが私に攻撃すると言うのもなしだ。目と耳を塞いだ上で、その場で動かずいてほしいのさ。待機場所はこの屋上にしよう」

「いいだろう。あたしはあんたに攻撃しない。あんたもあたしに攻撃しない」

「こちらからも条件を追加させてもらおうか。()()()()()()()()。妨害はさせてもらうけれど、あなたを殺すような妨害はしないのさ。だからあなたも、ボクを殺さないでほしい」

「言われなくたって殺しやしねーが、いいぜ。そして条件追加だ。同じ場所に留まり続けるのはなしにしてくれ。その先にぬいぐるみが隠れてるってドアの前で弁慶やられちゃゲームにならないしな」

「わかったよ。妨害は行うが、身を盾にするようなやり方でぬいぐるみを守ることはしないのさ」

 

 双方、追加された条件によりルールの穴は埋められていく。そして——

 

「さて、人類最強。まだ不安なことがあるだろうか?」

 

 戦宮れいのその言葉に、哀川潤は、首を振る。

 

「いいや、ねぇよ。始めようぜ——かくれんぼをさ」

 

 かくして——戦いが始まる。

 第二戦——変則かくれんぼ。

 姿を隠すは五体の人形。それを探すは人類最強。勝利を掴むのは果たしてどちらか。

 それを予測できていたのは、この世にただ一人だけだった。

 

■■

 

 京都の魚がなぜ鱧なのかといえば、その生命力に由来する。

 海から遠く離れた京の都で魚を食べようと思えば、長い距離を運んできたそれを頂く他になく、ゆえにその鮮度はどうしたって落ちてしまう。

 だからこそ、鮮度が落ちにくい、生命力の強い魚である鱧が、海魚の代表のようにして親しまれるようになったのだ。

 

 しかし、今まさに。()()()、と前置きをしたように——魚は海だけでなく、川でも取れる。

 だから京都では魚といえば海魚よりもまずは川魚が代表的で——その中でも鰻は、かつては宇治丸とも呼ばれて親しまれたほど、京都の人々にとっては馴染みの深い魚となるのである。

 

「どっちにしろ、長細いお魚なんですねぇ」

 

 香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。炭火で炙られたタレと魚の脂の匂いが混じり合い、得も言われぬ甘美な香りが漂っていた。

 羽川翼と無桐伊織は鰻屋に来ていた。

 奇しくも哀川潤が居た場所にほど近い、錦市場の中腹。二階に食事処を設ける鰻の専門店にて、二人は鰻重に舌鼓を打っていた。

 

「そうだね。どっちも同じウナギ目の魚だし、共通点は多いかも」

 

 鱧と同じく、鰻もまた生命力の強い魚で、滋養強壮にも良いとされた。事実、鰻は水から上げられても数時間は生き残れるほど強靭だし、頭だけにされてもまだ動き回るほどに強壮だ。その様に肖ってか、かつては食材というよりも、薬のようにさえ扱われていたと言う。

 

「そんなに強い魚なのに、今じゃ絶滅危惧種なんですねぇ」

 

 はむり、とタレを纏った鰻を齧りながら、伊織は言う。彼女の時代にはまだ馴染みのない概念だが、この令和の世では、鰻はもはや絶滅危惧種の代表格だ。あるいは絶滅が危惧されてなお、消費が止まらない種の、と言ってもいい。

 

「強さ、って言うのは、結局、生き残る理由にはならないんじゃないかな」

 

 なんて言いながら、彼女もまた鰻を口に運ぶ。伊織とは違って、箸で切り分け、上品に。

 

「生存競争、なんて言葉があるように、生きるっていうのは言うなれば、席の奪い合いみたいなものなんだと思う。俗っぽく言えば椅子取りゲームかな。地球っていう限られた土俵にしがみつくための勝負、みたいなもの」

 

 今席に着いている者たちは、つまり()()()()()()()()その座にいる、と言うこと。

 

「そして勝負って言うのは、強いから勝てるものでもないし、弱いから負けるものでもない」

 

 その言葉に、伊織は首を傾げて問うた。

 

「それじゃあ、勝ち残るには何が必要なんです?」

 

 その答えは、だから一つしかあり得ない。羽川翼は、それを知る。

 

(したた)かさ」

 

■■

 

「ごー、よーん、さーん、にー、いーち——」

 

 五分間、律儀に三百秒を数え続けた哀川潤は、ついにその待機時間を終えた。

 

「ぜろっ!」

 

 最後の一秒を数え切った瞬間、目耳を塞いでいた手をぱ、と放し、彼女は周囲を見渡した。

 

「さあて、どこに隠したのかね——」

 

 その言葉に呼応するように、由比ヶ浜ぷに子の声が響く。

 

「『敵方のトランスファによる妨害により、隠し場所を把握することはできませんでした。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()』」

「でかしたぜぷに子ちゃん」

 

 哀川潤は意気揚々と歩き出し。ビル内部へと通じる扉を潜る。

 

「さて、最初は?」

「『三階に向かってください、お姉様。エレベーターが当階に到着しております』」

 

 言われた通り、彼女はエレベーターに乗り込む。ちょうど八階で停止していたのは、偶然かはたまた由比ヶ浜ぷに子の差金か。いずれにせよ哀川潤は三階に降りる。

 

「『フロアの一番端に向かってください』」

 

 並み居るアパレルショップを通り過ぎながら、フロア最奥へ。

 辿り着いたのは——

 

「……喫茶店?」

 

 色とりどりのケーキたちが並んだショーウィンドウが美しい、一件の喫茶店だった。

 

「一名様でしょうか?」

 

 眩しい笑顔を浮かべた店員が哀川潤に問いかける。さすがは百貨店、笑顔のクォリティも一流だ。

 

「いや、あたしは——」

 

 普段ならば入店したっていいのだが、今はそれどころではない。彼女は思わず断ろうとして——

 

「『待ち合わせです』」

 

 由比ヶ浜ぷに子の声がそれを遮る。哀川潤の声を模して、スマホのスピーカーから飛び出した声に、店員は少しの違和感を抱きつつも、案内を再開した。

 

「お待ち合わせのお客様ですね、こちらへどうぞ」

 

 そう言って案内された先には——

 

「あんた、ふざけてんのか?」

「そんなわけがないのさ、人類最強」

 

 空いているからか、四人がけのテーブル席を一人で占領しつつ、優雅にティータイムを楽しむ戦宮れいがいた。

 

「それより君もどうだい? ここのケーキは、どうやら当たりのようだよ」

 

 白い皿の上に乗せられたミルクレープを、ナイフとフォークで上品に切り分けながら、彼女は優雅に言った。差し出された一口分のケーキを口で受け取りつつ、哀川潤は言葉を返す。

 

「あんたの役割は妨害役じゃねーのかよ。あたしにケーキなんかご馳走してくれちゃってさ。これじゃあやる気が出ちまうぜ」

「構わないのさ、人類最強。今だって君がケーキを咀嚼する十数秒、私は君を妨害できたのさ」

 

 慎ましやかな妨害もあったものだ。彼女は呆れの顔を作るものの——ふと、十字に並べられた四つの椅子の一つを見る。

 そこには——一つの金庫があった。

 

「なんだ、これ——」

 

 なんて、口では言いつつも、哀川潤はほとんど答えを確信していた。

 

「まさかお前、()()()()()()()()()?」

「そうなのさ、人類最強」

 

 なんの気負いもなく、戦宮れいは肯首する。何を当たり前のことを、とでも言いたげに。

 

「……ぬいぐるみ以外のものは持ち込まない、ってルールじゃなかったっけ?」

「その通りだよ。だからこれはボクが持ち込んだものじゃなく、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ほら、なんてレシートを差し出されて、哀川潤は絶句する。

 

「お前——そんなのありか?」

「ありに決まってるのさ、人類最強」

 

 頬を引き攣らせる哀川潤に、れいはさらりと答える。

 

「ルールではこのデパートの中に隠す、としか指定されていないのさ。このデパートの中であるのなら、当然、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのも——ありなのさ」

 

 そう言われてしまえば、哀川潤には反論する術もない。それはルールを詰めきれなかったこちらの落ち度だ。

 哀川潤は金庫を見る。単純明快なダイヤルロック式。つまり——

 

()()()()()()()()()()()

 

 トランスファの助力は期待できない。

 

「総当たりか、辞書攻撃か、はたまたボクのパーソナリティから数字を予測してみるかい? どんな手段を選んでもらっても構わないのさ。どれを選んだとしても、相応に()()()()()()()()()()()

 

 さあ、哀川潤、この一つに何秒かける——?

 挑発的な問いかけに、対する哀川潤は——

 

「ゼロ秒」

 

 即答し、その金庫のダイヤルに向けて、()()()()()()()()()()()()

 

「な——」

 

 金庫の表面がひしゃげる勢いでサンダルブーツの底が叩き込まれ、そして——ガチャリ、と。

 音を立てて、まるで降参でもするかのように——金庫の扉が開く。

 

「『お見事です、お姉様』」

 

 突然の凶行にしんと静まり返った店内に、由比ヶ浜ぷに子の賞賛がこだまする。

 

「そ、そんなのありか——!?」

 

 一拍の思考停止ののち、現実を正しく認識した戦宮れいは思わず椅子から立ち上がって叫ぶ。

 総当たりでも、辞書攻撃でも、予測解析でもなく——物理攻撃。

 ただのひと蹴りで、哀川潤は金庫を()()()()()

 

「ありに決まってんだろ、小娘」

 

 開いた金庫の中からぬいぐるみを取り出し、哀川潤は笑う。

 

「まずは一人、みーっけ」

 

 むにり、とぬいぐるみの頬を揉みしだきながら、勝ち誇るように彼女は言った。

 ここまでの消費時間は、わずか三分。

 残るぬいぐるみは四つ。しかしそれが見つけ出されるのも、時間の問題であるといえた。

 

 少なくとも、今この時には、まだ。

 




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