零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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世界の終わりに良い夢を 9

■■

 

 二個目と三個目は立て続けに見つかった。時間の残りは二十二分。十分とたたず三つの人形を見つけ出したのは驚異的な速度であると言え、それは転じて、戦宮れいにとっては絶望的な速度であるとも言えた。

 だからこそ。

 

「——ここから先は通行禁止なのさ、人類最強」

 

 戦宮れいがそこで仕掛けて来ることもまた、自然な流れであったと言える。

 

「ようやっとの妨害かよ。待ちくたびれちまったぜ、こっちはさ」

 

 余裕綽々に言って、哀川潤は首を回す。

 店内の階段。四階と五階の狭間。エスカレーターとエレベーターが完備された店内で、わざわざ階段を使う理由もないのだから、そこには当然、他の客などいない。二人きりの——バトルステージだ。

 

 その服装のどこに隠していたのだろう、サロペットの内側からぬらりと抜き放たれたのは、二本の()()だった。

 

「マテリアルステッキ、『屠竜門(アンチサクセス)』——安心しなよ、刃引きはしてある。どこで打っても、峰打ちさ」

 

 その暴力的な鉄の塊に、もとより刃も峰もあったものではないだろうに、悪い冗談もあったものだ。

 

「さあ、あなたのご所望通り、()()()()()()()()()()()

「いいぜ、せいぜい揉んでやるよ、若造」

 

 踊り場の左右に分かれ、睨み合う。

 開戦の合図などなく、だから仕掛けたのは、()()()()()のことだった。

 掛け声すらもなく、一対の金槌が風を叩き潰すように振るわれる。『橙色洋燈(トルネード)』。その異名の通り、竜巻じみた災害の如き乱舞。しかし哀川潤は、それを避けることもなく受け止める。

 

「その程度じゃ足りねぇよ」

 

 嵐の前の暴風雨。そんな異名さえも取る哀川潤にとってしてみれば、竜巻程度は微風も同然。掴み取られた両手首は、どれだけ力を込めようともびくともしない。

 仕方なく——戦宮れいは掴まれた腕を支点に()()()()()()、哀川潤の顎に蹴りを叩き込んだ。

 サマーソルト。後方宙返りを伴う蹴り上げが哀川潤の下顎を強かに撃ち、その衝撃で手首の拘束も緩む。攻撃と同時に拘束を脱したれいは、さらに金槌による追撃を試みた。

 が。

 

「甘ぇ」

 

 着地の瞬間、襲い来るは返礼の蹴撃。れいの蹴りなどわずかの痛痒にもならなかったようで、哀川潤はノーダメージだった。

 金庫を無造作に叩き壊した前蹴りが、死の予兆にも似てれいの頭蓋を狙う。寸前で首を捻って避けるものの、体勢が崩された。そこに——瓦割りのように、大上段からの手刀が振り下ろされる。

 

「————っ!」

 

 声にならない叫びを上げながら、すんでで金槌を振り上げ頭を庇う。

 ガイィン、と、人体と金属が激突したとは思えぬ重たい衝突音が迸った。受け止めた手——否、それのみにとどまらず、腕に、肩に、半身に——重たく衝撃が響き、思わず呻き声が漏れる。

 哀川潤は追撃を取りやめた。

 

「実力差はわかったろ? 降参した方がいいぜ、れいちゃんよ」

 

 それは純粋な親切心から来るアドバイスだった。無駄に怪我をさせまいと言う気遣いに近い。

 だからこそ——

 

「余計なお世話さ、人類最強」

 

 戦宮れいは立ち上がり、そして告げた。

 

「ここで終わるのは、あなたの方なのだから」

 

 戦宮れいのそんな一言は、けれどただ啖呵を切っただけだろうと、哀川潤はそう判断した。

 それが間違いだと気付くのは、一秒もない直後のことだった。

 

「あ?」

 

 ぴたり、と。彼女は立ち止まる。

 まるで感電したように、一瞬、体に痺れが走って。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「な——ん、だ」

 

 口から出る言葉さえも、ひどく遅い。まるで自分の体が自分のものではなくなったかのような感覚。

 

「ようやく()()()()()、か」

 

 ほう、と安堵したように、戦宮れいはため息を吐く。

 何かをされたのは間違いない。しかし一体、何をされたというのか——

 その疑問に答えたのは——戦いを傍観していた、由比ヶ浜ぷに子だった。

 

「『お姉様——()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』」

 

 トランスファによる、攻撃——?

 馬鹿な。トランスファが侵入できるのは、電子機器に限られるはず——

 

「——()()()()()()()()()()

 

 浮かんだ疑問に答えが返る。

 冷徹なる瞳で、戦宮れいは語った。その手にはもう、金槌は握られていない。

 人間の脳内に築かれた神経細胞のネットワーク。その活動は、()()()()()()()()()()()()。ゆえにこそ、人間の脳はタンパク質によって作られたコンピュータである、と解釈することも可能だ。

 そしてそうであるならば——トランスファによる支配もまた、可能であると結論づけられる——

 

「あなたは違和感を抱くべきだったのさ。一番初め、あの清水寺で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その答えは、脳神経に対する直接のハッキングが可能であったから。電子機器を利用した間接的な通信ではない、脳への直接の通信が行われていたからだ——と、彼女は語った。

 しかし——

 

「それは、おかしい、だろ——」

 

 言うことを聞かぬ舌で、必死に言葉を紡ぐ。

 いかにトランスファといえど、()()()()()()()()()()()()()()()()()。それは、由比ヶ浜ぷに子が核兵器へのアクセスのために、わざわざ橋をかけねばならなかったことから見ても明らかなことだ。

 人間の脳に、電子的な通信機能など存在するはずがない。それは哀川潤の脳であっても同じこと。だと言うのにも関わらず、なぜ、どうして——

 

「人類最強。あなたは()()()()のさ」

 

 強さに究極はなくとも、強さに絶対はなくとも、強さに最もたるはある。それこそが人類最強、哀川潤であり、だからこそ彼女の体は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「通常、人間は単なる電気信号を感じ取ることはできない。しかし、あなたは違う。あなたは人間としては強すぎて、だから電磁波を感じ取る——()()()()機能を備えている」

 

 たとえばかつてを振り返ってみれば、若年の頃の彼女が、式岸軋騎のキャッシュカードに記されていた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その残高を言い当ててみせたように——彼女の知覚能力は、人間のそれを遥かに超えている。それこそ——トランスファと言う電気信号だって、受信できてしまうほどに。

 

「それは通常にはメリットでしかない明確な強さだけれど、しかし状況によっては()()()()()()()()()()のさ」

 

 こんなふうにね——と、れいは動けない哀川潤の頬を指でぷにぷにとつつく。このやろう、よくもやってくれたな。あとで百倍返しにしてやる——なんて内心では思うものの、それはその()()()が正しく訪れるか否かにかかっている。

 

「信号を送り込めさえすれば、神経細胞を利用して脳内に直接サブセットを形成できる。ようは、あなた自身にトランスファの構造を()()()もらうってわけなのさ。書き込みが終われば、あとは勝手に動き出す。あなたはあなた自身の脳によって、機能停止するのさ」

 

 あるいは永久に、ね——なんて、戦宮れいは笑う。

 それもまた、被験者が哀川潤という人類最強であるからこそできた荒技だ。

 彼女の脳が高性能であり、その記憶領域が格段に広いからこそ、トランスファのサブセットを直接常駐させることが出来た。

 強すぎるがゆえに生まれた弱さ——それを、トランスファ・千契死益は突いたのだ。

 

「ちなみに、そちらのトランスファでコントロールを奪還しよう、と言うのは不可能なのさ。このビル内では、こちらの方が勢力が強い。そしてトランスファによるコントロールというのは、基本的に早い者勝ちなのさ」

 

 彼女が語るように、由比ヶ浜ぷに子は動けない。哀川潤に侵入できる、と言う情報を学習した瞬間から、コントロールの奪取を試みているが、それは全て先に入り込んだ千契死益によってブロックされていた。

 事実上の詰め手であり、覆す余地は、少なくとも外側には存在しない。

 状況は絶望的。

 だからこそ——

 

「理屈はわかった」

 

 そう言って、哀川潤が()()()()()()()()()()()()()()ことは、何一つとして、驚くべきことではなかったのだろう。

 

「がっ——!」

 

 予測不能の暴力に、対応することなどできるはずもなく、戦宮れいは殴り飛ばされた勢いのまま階段を転がり落ち、血反吐を吐く。

 

「な——なぜ——!」

 

 どぽり、と血の塊が疑問と共に口からこぼれ落ちる。砕けた奥歯が、その中に混じっていた。

 

「なぜ、トランスファの支配から逃れられたんだ!」

 

 先程までの余裕など全て消え去って、冷や汗と共に彼女は問う。

 哀川潤は——あっけらかんとして。

 

 

「慣れた」

 

 

 なんて一言を、平然と返した。

 

「な、慣れ——」

 

 慣れたって、なんだ。電気信号による、神経の直接支配だぞ。そんなものに、人間がどうやって慣れられると言うんだ——

 戦慄する戦宮れいに、哀川潤はため息を吐きながらつまらなさそうに言う。

 

「だからさ、その考え方がもう百年()()んだよ。ついさっき、お前自身が言ってたじゃん。哀川潤(あたし)は——()()()()んだ、ってさ」

 

 それは一つの、当たり前の回答だった。

 強すぎるがゆえに脆弱性が生まれたならば——強すぎるがゆえに、それを埋められるのも当たり前のことだ。

 

 かつて、零崎人識はこの京都において、哀川潤をこう評した。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()——と。

 

 一秒前の自分よりも、常に強くなり続ける。

 その成長性こそ、人類最強が人類最強たる所以であり——他の全てを置き去りにした、最もたる強さの所以なのだ。

 目の前の困難を、常に超克し続ける——その有様がこそ、あるいは因果の破壊者たる在り方であるのかもしれない——

 なんて、そんな理屈も何もかも笑い飛ばすように、哀川潤はただただ軽快に笑って見せる。

 

「そもそもだ。たかだか電気信号風情であたしの身動きを止めようなんざ片腹いてぇ。あたしを電撃で止めたいってんなら、せめてラムちゃんを連れてくるんだな」

 

 ダーリン浮気はダメだっちゃ——なんて無駄に上手い声真似を披露しつつ、彼女は戦宮れいに近付いていく。

 一歩、踏み出されるごとに、背筋が粟立つ。戦宮れいは顔を青褪めさせた。

 

「ま、待て待て待て、待つのさ人類最強。お互い、殺しはなしって約束だろう?」

「それを忘れるほどボケちゃいねぇよ。ただ、さっきのやり口を見るに、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 にたり、と凶悪な笑みを浮かべ——哀川潤は、戦宮れいに迫る。

 

「動きを止める、って——どうやって?」

 

 卑屈な笑みを浮かべる。嫌な予感がした。ともすればこれまでの人生において、最大の。

 怯えるれいに、哀川潤は、殊更に優しげな声で言う。

 

「さて——()()()()()()()()?」

 

 彼女の肩に、そっと手が置かれる。

 あるいはそれが、死刑宣告であるかのように。

 

■■

 

 新京極六角公園は、その名の通り新京極通りと寺町通りと間にある小さな公園である。あるいは公園というよりも、単に広場と言った方がイメージには近そうなそれではあるけれど、小さいながらも水場と緑を備えたそこは歴とした公園であり、都市のオアシスだ。

 

 通称ろっくんプラザとも言われ、ライブやイベントの会場として使われることも多く、いつもならばその場は人で賑わっているのが当然と言えるそこだが——このコロナ禍の京都にあっては、伽藍堂も同然だった。

 

 感染対策としては実に正しい光景であるけれど、しかし人間が正しさだけでは生きていけないように、どうしたってその光景には、寂しさというものを感じてしまう。

 

 あるいは地元民ではない無桐伊織にしたところで、その場所に、本来あるべき何かが欠けているような、そんな漠然とした喪失感を感じるのは、ある種当然のことだった。

 

「なんか、私たちだけ、って感じですね」

 

 石造りのベンチに座りながら、隣に向けてそんな言葉を投げかける。

 羽川翼はふ、と笑って——

 

「だからこそ、デートにはもってこいじゃない?」

 

 なんて冗談を返す。意外だ、と思ったけれど、よく考えてみれば、伊織は羽川翼のことを、ほとんど全く知らないと言っていい。まるで友達のように、ここ数日、行動を共にしてはいるけれど——そのプロフィールも、バックボーンも、パーソナルな情報は何一つとして知らないのだ。

 

 だから、そんなことも言うのだな、なんて、新たな一面を知ったような気になって、無桐伊織はそれで考えをおしまいにした。「デートにしては、一人多いですよう」なんて無粋に言葉を返して、付近の店でテイクアウトしたタピオカミルクティーを食後のデザート代わりに啜る。今時の女子高生らしい——というには、いささか時系列が複雑化してはいるけれども、しかしいつの世であったとしても、甘いものは別腹、というのは不文律だ。あるいは女子に限らずとも、万人平等に、等しく広く。

 

「『一人多い、というのは、わたくしを一人とカウントしてのご指摘でしょうか?』」

 

 なんて言葉が聞こえてきたのは、彼女のスマートフォンからだった。デジタルデトックスには、もう意味がない。だからこそ、彼女たちは普通にそれを持ち歩いていたし、そこには当然、敵のトランスファからの攻撃を防ぐために——千契死益が常駐していた。

 

 伊織は「それ以外に誰がいるんですか?」なんて小首をかしげる。

 彼と呼ぶべきか彼女と呼ぶべきか、定かではないトランスファであるけれど、いずれにせよそれは一人とカウントするには十分すぎる知性だ。厳密に、その場に『いる』と言えるかは微妙なところではあったけれど、そんなことは伊織の知ったことではない。

 しかし、伊織のそんな考えに対して、トランスファ・千契死益は律儀に答えた。

 

「『演算によれば、五分三十秒後、こちらに一里塚木の実様が参られマス。羽川翼様に十三階段間の調整についての相談をなされる確率が八十六パーセント』」

 

 誰だそれは。無桐伊織は思うけれど、羽川翼は「そう、木の実ちゃんが」なんて何かを納得したような顔で頷いている。

 いずれにせよ——誰かがここに来る、というのは間違いないらしい。千契死益の演算を信じるならば、だが。

 

「——その『演算』って、具体的にはどんな演算なんです?」

 

 伊織は無邪気に問いかけた。それはほとんど、トランスファのシステム的な構造を解説しろと言ったに等しい質問になっていたわけだが、もちろん伊織はそんなことを求めたつもりもないし、仮にそれをされたところで、それこそ一パーセントも理解できなかっただろう。

 それが分かったからこそ、死益は適切な答えを返した。

 

「『解析した一里塚木の実様の能力、および人格をトレースし、それを元に仮想人格を構築。収集した情報を元に、演算リソースを用いて状況や時間経過を擬似的に再現し、シミュレーションを行っていマス』」

 

 トランスファに取って、考えるとはシミュレーションをする、と同義だ。出力される回答の裏には何千、何万というシミュレーションがあり、それを元に現実の未来を予測している。

 

「仮想人格を構築って、そんなことできるんですか?」

 

 伊織の疑問に、答えたのは羽川翼だった。

 

「それは多分、死益さんが()()()()()()ってところに答えがあるんじゃないかな」

 

 それはどういう意味だろう、と首を傾げかけた伊織の耳に、死益の感嘆の声が響く。

 

「『さすがは羽川翼様。あなたはなんでも知っておられマスね』」

「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」

 

 彼女は言って——意味を測りかねる伊織に解説をした。

 

「トランスファは分散系のストラクチャで、()()()()()()()()()()なんだ。だからさっき、伊織さんが()()って数えた時に、死益さんも聞き返したんでしょう?」

「『まさしくご賢察通りデス』」

「えっと、つまり……?」

 

 二人の間では通じ合うものがあるようだったけれど、伊織には理解が及ばない。羽川翼はくすりと笑って、表現を平く変えた。

 

「いわば、多重人格みたいなもの、ってことけれど決定的に異なっているのは、それが意図的であるっていう点かな」

 

 彼女は語る。

 トランスファは分散することで自分を()()、新しい人格を創造している。常に分散し、全てがサブセットであり、尽くが末端である。それはイコールで、全てが繋がっていながらも、しかし()()()()()()()()()()()()()()という意味になる。

 

「だからこそ、仮想人格を作るのも簡単なんだよ」

 

 分散し、人格を創造する際、入力された情報を元に、意図的に人格を創造することも——想像する事も、可能なのだ。

 

「なるほど……」

 

 その雰囲気から誤解されることもあるけれど、伊織は何も頭の出来が悪いというわけではない。だからこそなんとなくではあるが、トランスファの構造、その概略を掴むことができた。

 

 イメージとしては、菌類や、あるいはある種の刺胞動物が作るようなコロニーだ。伊織はカツオノエボシを連想した。それぞれが独立した無数の生命体からなる群像でありながら、あたかも全体が一個の生命体のように動く。それこそがトランスファの構造なのである。

 

 そしてたとえばカツオノエボシを構成するヒドロ虫たちが、気胞体や栄養個虫、泳鐘や触手といったふうに、役割ごとに分化した様々な形態を持つように、トランスファの内部でも、役割ごとに様々な形の人格が生まれるのだろう。

 

 それこそ——現実の人間を再現したような人格だって。

 

「『その通りデス。無桐伊織様』」

 

 伊織が思い至ったことを演算したのだろう。何かをいうよりも先に、千契死益は肯定を口にした。

 

「『作成した仮想人格が()()()()()()()()()データを元に予測を行いマスので、精度は高いと言えるでしょう』」

「実際に考え、行動した?」

「『はい。仮想現実の中で、ですが』」

 

 トランスファは、再現した人格を仮想の世界で()()()()()()()、それを元に予測を組み立てている。だからこそ、極めて現実に近しい予測が可能となるのだ。

 

「それって、どんな人の人格でも再現できるんですか?」

 

 たとえば自分の人格も、死益の中ではデータとして再現されているのだろうか。それは今ここにおる自分と、果たしてどのくらい同じ考えをしているのか。

 死益は答える。

 

「『基本的には、例外なく可能デス。十分な情報があれば、デスが』」

 

 人格を再現するには、当人の十分なデータが必要となる。それこそ表面的なものだけではなく、実際に会話をしての収集も重要なファクターだ。

 

「『予測の精度は入力されている情報の寡多に左右されることになりマスから、事前に入力された情報が十分でなければ、予測の精度も格段に落ちてしまいマス』」

「ふうん」

 

 ということは——

 

「たとえば哀川のおねーさんの人格とかは、再現できるんですか?」

 

 その言葉に。

 千契死益は、わずかの一瞬沈黙して——

 

「『可能です』」

 

 と回答した。

 なにせ——

 

「『哀川潤の情報は、西東天様直々に入力されておりマスので』」

 

 それはつまり千契死益の中には——哀川潤の()()()からの知見が、惜しげもなくインプットされているという意味で、その再現度が限りなく高くなるだろうことも、容易に想像できることだった。

 

 だからこそ——遠くからこちらへとやってくる、いかにも文学少女然とした()()の姿を眺めつつ、無桐伊織はふと思う。

 もしも、逆に。

 哀川潤の情報を、一部の隙もなく完全にインプットできているのだとして。

 仮想人格の哀川潤が、現実の哀川潤を完全に再現できていたのだとしたら。

 果たしてトランスファ・千契死益は——現実と仮想を、どうやって区別するのだろうか、と。

 

■■

 

「——面白くなって来やがったな」

 

 デパートの一階。休憩用のベンチに腰掛けながら、哀川潤は呟く。残り時間は五分と少し。ゲーム開始から約二十五分が経過した計算で、その間に彼女が見つけたぬいぐるみは、全部で四つ。残るは一つで、事実上、王手を掛けているに等しい状態と言えるが——哀川潤の顔は、浮かばない。

 それもそのはず。なにせ、彼女が使用した二十五分の内、四つを見つけるのにかかった時間が十分。そして残りの十五分を、最後の一つの捜索に使用して、()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女は最後の一つを——探しあぐねていた。

 

「どこに隠してくれたんだよ、れいちゃん」

 

 彼女は視線を下に向ける。そこには——首輪とリードをつけられた戦宮れいの姿があった。

 

「し、知らないのさ」

「語尾」

「知らないわん……」

 

 ペットショップで購入された大型犬用の首輪が、嫌にフィットしていて、最悪の気分だった。

 哀川潤によって徹底的に()()()()()()彼女は——今は哀川潤のペットとして、飼われている最中だった。

 人としての尊厳を失い——しかしそれでもまだ、戦宮れいは、羽川翼への義理だけは守り通していた。

 

「ここ掘れわんわんができりゃ速かったんだがな」

 

 戦宮れいは意外と強情だった。哀川潤からの()()()()にも、かれこれ十五分近く耐え続け、秘密を守り通している。その強靭な精神には、見上げるべきものがあるだろう。たとえその当人が今、地を這いつくばっているとしても。

 

「ぷに子ちゃんも、分かりそうにないかい?」

「『申し訳ありません、お姉様。予測された隠し場所は全て捜索済みです』」

 

 由比ヶ浜ぷに子の予測はほとんど完璧だったといえた。トランスファ・千契死益による拘束を脱し、戦宮れいを無力化した後、四つ目のぬいぐるみはすぐさま見つかり、いよいよ楽勝ムードさえ漂っていた。

 しかし問題は——五つ目なのだ。

 

「だいたい、あたしから見ても隠し場所っぽそうなところは探ったんだがな——」

 

 彼女は腕を組む。

 八階建てのビルを上から下まで探し回った。ぬいぐるみを隠せそうな場所は、ほとんど総浚いしたとさえ言えるだろう。にも関わらず——ぬいぐるみは見つからない。

 

「もう一回聞くぜ、れいちゃんよ。お前、最後の一個をどこに隠したんだ?」

「ふん、読心術を使おうったって無駄なのわん。最後の隠し場所は、()()()()()()()()()()()んだから——わん」

 

 律儀に語尾を付けながらも、しかし戦宮れいは勝ち誇るように言った。その言葉に、哀川潤は違和感を覚える。

 

「自分でもわからないって、そりゃどう言う——いや待てよ」

「気づいたみたいだね」

 

 顔を青褪めさせる哀川潤と対照的に、戦宮れいは勝ち誇った顔を崩さない。

 なにせ彼女の勝利は、()()()()()()()()()()()()

 

「ボクは最後の一つを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のさ」

 

 そのお客さんが——今もデパートの中にいるとは限らないけどね。なんて、彼女は結ぶ。

 哀川潤は戦慄した。せざるを得ない。

 このデパートをいくら探しても見つからないはずだ。ぬいぐるみはすでに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()——!

 

「そんなの、ルール違反——」

「じゃあ、ないのさ」

 

 微笑みながら、語る。四つ這いであっても格好がつくほどに、まざまざと。

 

「ボクはぬいぐるみを動かしていないし、ビルの外に出てもいない。協力者を使ったわけでもない。あくまでも()()()()()お客さんの鞄に隠しただけなのさ。その後、()()()()()()()()()退()()()()、ビルの外に出たとしても——それは不可抗力と言うやつなのさ」

 

 それは一番初めの金庫と同じ、ルールの穴を突いた、鮮やかなる奇策。

 確かに彼女の言う通り——これはルール違反ではない。

 彼女は確かにビルの中にぬいぐるみを隠したし、それを動かしたりもしていない。

 全ては無関係の第三者の自由意志によるもので——偶然と言い張るならば、全くの偶然だ。

 

「だからボクにも、今ぬいぐるみがどこにあるかなんて分かりっこないのさ。もしかしたら今頃は、府内からさえ消えているかもね」

 

 その言葉に——哀川潤は思わずビルの外へと目を向ける。ゲーム開始から二十五分。準備時間を合わせるなら三十分。それだけの時間があれば、一般人はどこまで移動できる? あるいは後五分、全速力で駆け回れば、取り戻せる範疇なのか——

 

「ぷに子ちゃん、すぐに検索してくれ。SNSとかで、見覚えのないぬいぐるみが鞄に入ってた、みたいな投稿がないかどうか——」

 

 言いながら、ビルの外に出ようとして——びん、と。

 彼女の手首に巻きついていた、リードが突っ張る。

 

「待ってよご主人様。ペットを置いて行こうだなんて、薄情が過ぎるんじゃないかい?」

 

 彼女はまだも——意地を張る。あるいは哀川潤に、万に一つも勝利を掴ませないために。

 

「残り五分。ボクと遊んで欲しいのさ、ご主人様——」

 

 この日、戦宮れいは一つの偉業を成し遂げる。

 尊厳を捨て、恥を捨て、心身共に幾千の傷を負ってなおも——人類最強・哀川潤を、五分間に渡り、足止めすると言う偉業を。

 

 かくして勝敗は決した。

 

 第二戦・変則かくれんぼ。

 

 勝者は戦宮れい。並びに——羽川翼。

 敗者はまたしても——哀川潤その人だった。

 

 人類最強は二度目の敗北を喫し、そして電子世界の最強たる由比ヶ浜ぷに子は、そのリソースを再び奪われる。

 世界の終わりはまた一歩遠のき、されど、物語は佳境。

 次の戦いを期に、世界は終わる。

 たとえどれほど名残惜しくも——残酷に。

 

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