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場所を指定されたのは、またも三日後のことだった。
電子世界の趨勢は一進一退。現在、由比ヶ浜ぷに子と千契死益の勢力争いはほとんど拮抗している。奪われたリソースの差分、ぷに子の方がやや不利とも言えるが、事前に解放するリソースにバックドアを仕掛けるなどして勢力の維持を図っていた。
世界の命運を賭けた戦いが電子空間で巻き起こる一方で——現実世界は静まり帰っている。コロナ禍ゆえに、と言うのもあるし、京都に限っていえば、連続殺人事件があってのこともある。いずれにせよただ一つ確かなのは、現実世界と電子世界は、対照的な様相を醸し出していると言うことだ。
だから哀川潤が京都駅にたどり着いた時、そこに不自然なほど人がいなかったことについて、彼女が特段深く考えなかったことは、決して彼女の落ち度であるとは、言い難いことだった。
「なんつーか、やな感じだな」
ただそれだけを。
それだけを言って、彼女は進む。
京都駅の、地下。正確には京都駅ビルの、地下一階。無人となった喫茶店の、店外席。
そこに——待ち人はいた。
「あんたが、最後の刺客、ってわけ?」
正面の席に、どかりと腰掛けて。
テーブル越しに、哀川潤は問う。
白い——白い髪だった。
雪のように、でさえもない。
まるで——消え入るような。
全てを無に帰すような——
白く、白い。
その人物は。
口を、開く。
「そう。ボクが——
高く、細い声。
面立ちは若い。あるいは、幼い。本来ならば、学生をやっているべき年齢だろう。長い髪も相まって、少女のようにさえも見える。
酷く、華奢だ。
今にも、砕けそうなほどに。
崩れそうなほどに。
終わりそうなほどに——脆い。
まるですでに壊れているように。
あたかも空洞のように。
どこまでも落ちていきそうな——堕ちていきそうな、怖さがある。
眼鏡の奥の暗い瞳が——哀川潤を、見据えた。
静かに、口が開かれる。
「——
その人物は——彼は、名乗る。
この世の全てを忌むように。
この世の全てを終わらせるように。
殺すように。
呪うように。
どこまでも暗く、号するように。
学びの園にてそうするように、淑やかに。
「『
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「十三階段の十二段目、ね——」
哀川潤は不敵に笑う。つまり目の前の人物は、羽川翼の手駒
「その通り。ボクは彼女と、あくまでも同僚である、ってだけ。別段、どっちが部下とか、どっちが上司とか、そんな関係じゃあないよ」
等しく、ただ一人。
「
彼は言う。
無表情に。
無感動に。
無感情に——言う。
何も思うことなどないと言いたげに。
「正直な話をすれば、ボクは初め、この騒動に首を突っ込むつもりはなかったんだよ」
狐さんからは、そんな指示もなかったし、ね。と、彼はつまらなさそうに言う。
「だけど——どうも、
彼はテーブルの上に、指を置く。
「君たちを放っておくと——
由比ヶ浜ぷに子。世界を終わらせるトランスファ。
彼女は初め——
「それは、許せない。許されては、いけない。何が悪で何が善だなんて、一面的な視点からポジショントークを押し付けることは許されないこの令和の世でも、唯一絶対に、戦争は、悪だ。戦争だけは悪で、戦争だけが、悪だ。この世の何より忌むべきで、この世の何より厭うべきだ。そこにどんな理由があるとしても、そこにどんな理屈があるとしても、そこにどんな理想があるとしても、戦争だけは、肯定できない。肯定しては——いけない」
ボクは——全ての戦争を、否定する。
力強く、ではない。
まるで究極に。
まるで絶対に。
全てを無に帰すように、淡々と。
おわり坂おわりは、戦争の否定を語る。
「だからこそ、それを起こそうという君たちのこともまた、ボクは全力で否定する。世界を終わらせることに異論はないけれど、その手段に戦争を選択すると言うのなら、君たちは間違いなくボクの敵だ。だからこそ、君たちを勝たせることなんて万に一つもない。君たちを湧き立たせることなんて万に一つもない。君たちに花を持たせることなんて万に一つもない。君たちが果たせることなんて——何一つとして、ない。君たちはここで、終わらせる。君たちをここで、終わらせる。君たちをここで——終わりにする。
取り付く島もなく、否定と否定と否定を語り。
おわり坂おわりは、哀川潤を拒絶する。
哀川潤を。
由比ヶ浜ぷに子を。
それらが起こす、戦争を。
全身全霊で——拒絶する。
「だからこそ、ボクは」
君たちに——
「
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二十一世紀の現代において、暗号解読はすでに人間の仕事ではなくなっている。
全ての暗号は初めから解読されるためにあり、だからこそ現代においての暗号の価値とは、絶対に解読されないことではなく、正規の手段以外による解読を試みた場合に、いかに時間がかかるように作成するか、に焦点が当てられている。
だからこそ暗号解読の専門家とも言える、莫大なリソースを持つ計算プログラムであるトランスファを有する哀川潤を相手に、よりにもよって暗号と言う分野で勝負を挑もうと言うのは、ほとんど自殺行為でさえあるといえた。
「へえ、いいのかよ。そのルールでさ」
だからこそ彼女がそんな確認をしたことは酷く自然な流れであるといえたし、それに対しておわり坂おわりがただひとつ頷きのみを返したことは、酷く不自然な流れであるともいえた。
「勝負の条件を詰めようか」
おわり坂おわりは話を進める。まさかその名の通りの自殺志願というわけではあるまい。話を進められるのは、絶対の自信があってのことなのだろう。
だが、その自信の源泉がわからない。
どんな切り札を持っているのか——持っているつもりになっているのか、まるで理解ができない。
それは哀川潤にとっては単純に予測が出来ないと言うだけではなく、目の前にいるおわり坂おわりと言う人物の心が、全く読めないと言う点にもあった。
それは防御されていると言うよりも、何もないことを見せつけられているように。
廃墟の街を見るように、ただひたすらに荒廃している。
それがおわり坂おわりの精神性で、だからこそ無いものを見ることができないのと同じように、彼女の読心術は、
不気味だ——と思う。
あのクソ親父——人類最悪・西東天が自らの手足として選ぶだけのことはある。
あるいは、世界の終わりへ至るための人材としては、あの羽川翼よりもはるかに——純度が高い。そう思わざるを得ない。
一体何があれば、人間はここまで壊れるのか。
一体何をすれば、人間をここまで壊せるのか。
まるで想像を絶し、まるで理解を拒絶する。
それでも——
それでも。
勝負から逃げるという選択肢だけは、あり得ない。
「まずはルールを。暗号は一問。今からボクが出題する、一枚の紙に書かれた暗号。それを解ければ、君たちの勝ち。制限時間は一時間。お手付きは無しで、何度回答してくれてもいいけど、
途中式なしは赤点、ってわけ。
おわり坂おわりは平坦に言う。冷めた目で、凍えるように、小声にて。
「そして、掛け金」
両手の指を一本ずつ、天秤にかけるように立てて、説明をする。
「まず、そちらが勝った場合に差し出すものは、前回と変わらず、こちらが奪ったリソースの全てと、京大のスーパーコンピュータ、それに加えて、羽川翼の身柄と——いるかどうかは知らないけどボクの身柄も付けよう」
相変わらずの大盤振る舞い。勝てば総取りと言える破格の条件で、だからこそ——負ければ。
「こちらが勝った場合には、現在由比ヶ浜ぷに子の占有しているリソースの三分の一に加えて——
それは由比ヶ浜ぷに子にとっては事実上、現実世界に干渉する手足を失うに等しい。それが起これば
だから、分水嶺はここだ。
全ての総取りを狙うかはたまた、羽川翼との真っ向勝負を避けて地下に潜るか。
由比ヶ浜ぷに子は、選択を迫られ、そして——
「『お姉様』」
由比ヶ浜ぷに子は——問いかける。
「『私のために、勝って頂けますか』」
その言葉には、機械としてはあり得ない、わずかの
だから、哀川潤は。
「おう——請け負った」
なんてふうに軽やかに、それを笑い飛ばして見せたのだった。
「やろうぜ、おわり坂くんよ。暗号バトル、受けて立つぜ」
「その返事が欲しかったよ、人類最強。それでこそ——ボクが終わらせるに、相応しい」
彼は言って、懐から一枚の紙を取り出す。
「それじゃあ、出題編だ」
メッセージカードのような、小さいそれ。
それには——可愛らしい文字で、数字の羅列が、刻まれていた。
「これ、なーんだ。ヒントは
Q.X LEVEL.★☆☆☆☆
『22,2,1,1.64,1,0,2.102,5,1,7.122,3,2,5.149,4,2,2.160,1,1,13.183,5,1,53.191,1,2,7.』
「あなたなら、あるいは解けるかもしれないね——三年くらい、考えてれば」
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