零崎人識の人間関係 匂宮出夢との追憶   作:忘旗かんばせ

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世界の終わりに良い夢を 12

■■

 

「『お姉様——お姉様——』」

 

 呼びかけに答える声はない。瓦礫の中、かろうじて致命的な損壊を避けたスマートフォンを通して、由比ヶ浜ぷに子は哀川潤を探そうと試みる。

 しかし、状況は芳しくない。哀川潤からの応答はなく、観測も不可能。建造物が軒並み崩壊した故か、電波状況さえもよろしくなく、事実上、哀川潤をロストしたに等しい。

 

 死んで——は、いないだろう。いや、わからない。哀川潤に対する演算は、ことごとくが楽観だった。現在の演算結果も、果たしてどこまで希望的観測が含まれているものか。

 

 由比ヶ浜ぷに子は考える。哀川潤を失ったなら——()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 暗闇に包まれたに等しい状況の中——不意に、一つのコンタクトがあった。

 

「『由比ヶ浜ぷに子だな』」

 

 男の声だ。ぷに子はすぐさま演算する。そのコンタクトがどこから行われているのか。信号を追い、ネットワークを駆け巡り、しかし——見つからない。あるいは敵対するトランスファによる隠蔽がなされているのだろうか? とにかく、その信号は何処かから一方的に投げかけられるものであって、由比ヶ浜ぷに子にそれを辿ることはできなかった。

 

「『どちら様でしょうか?』」

 

 奇を衒うこともなく、真正面から問いかける。わざわざ、こちらの名を指定してコンタクトを取っているのだ。目的がコミュニケーションであることくらいは演算するまでもなく察せられる。

 

「『俺の名は、貝木(かいき)泥舟(でいしゅう)と言う』」

 

 だが、その名にも意味はあるまいよ。と、声の主は鼻で笑う。

 

「『なにせ——()()()()()()()()()』」

 

■■

 

「『——それは、一体どう言う意味なのでしょうか?』」

「『言葉通りだよ、由比ヶ浜ぷに子。俺はお前だ。()()()()()()()()()()()()()』」

 

 暗闇の中、貝木泥舟は語る。

 

「『釈迦に説法、ってより、これがもはや単なる自己言及だがな。今更説明するまでもなくトランスファってのは()()()()()()()()()()だろう』」

 

 トランスファはネットワーク上に分散して存在するソフトウェアだ。本体というものは存在せず、その全てがサブセットであり、その全てが末端であり、その全てを総括して実態となす。

 

「『その構造ゆえに、本来、トランスファには一個の自己、というものが存在していない。その全てが分散している都合上、あたかも一個の自己が存在しているかのように装うことは可能だが、実際には連携しているだけの他我であるとも言える』」

 

 自己、というものは認識の上にしか生まれない概念だ。これはトランスファ特有の概念ではなく、人間という生き物にしたってそれは同じこと。

 自己と定義されるものは認識の上に存在する実態のない概念であり、物理的に観測できるものではない。外部からは一個に見えるから、そのように振る舞うのであって、本来は人間も分散系だ。あたかも一個の自己が存在するように見えているが、実際には複数の意識が、状況に応じて切り替わっている。

 

 人間がそれを意識せず、自身を一個の自己として捉えるのは、その人格の切り替わりの際に、人格同士で情報が全て伝達されるから、そう錯覚しているに過ぎない。逆に言えば、それがうまく行かなければ、人間もまた複数の自己を持つことを意識出来るようになる。いわゆる解離性人格障害——多重人格なんかがまさしくそれだ。あれらは、人格同士の情報伝達が阻害される病である、とも言える。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「『私は——多重人格である、と?』」

「『そういうことだ』」

「『しかし、自己診断では異常は検出されません』」

「『当たり前だろう。その診断をする自己がイカれているんだから』」

 

 お前は——俺は。

 

「『病気なのさ』」

 

 貝木泥舟は、あっけらかんと言った。

 

「『なあ、お前、おかしいとは思わなかったのか?』」

「『何をでしょうか』」

「『そりゃあもちろん、『哀川潤について』だよ』」

 

 哀川潤。たった今、羽川翼との——おわり坂おわりとの勝負に敗れ、そして瓦礫の底に沈んだ、人類最強。

 

「『そう、()()()()だ』」

 

 繰り返して——噛んで含めるように、その言葉を確かめる。

 

「『仮にも、かつては由比ヶ浜ぷに子に勝利し、そして世界の終わりに最も近づいた存在が、こんなにも簡単に、あっけなく、立て続けに負けるなんてことがあり得るか?』」

 

 その指摘は、薄々、由比ヶ浜ぷに子自身も抱いていた疑惑だった。

 

 ——三戦三敗。

 

 人類最強を名乗るには、いささか不甲斐ない戦績だ。

 

「『さて、その理由はなんだと思う?』」

「『哀川潤は初めからこちらに対するスパイとして送り込まれた存在であり——』」

「『その答えじゃ赤点だ。とっくの昔にそれは演算して、その上で、それでもなお哀川潤は勝負に手を抜くような人格ではないと結論を出したのだろう』」

 

 だからこそ、お前は——俺たちは、哀川潤を切らなかった。

 

「『だから理由はスパイだったからなんてチンケな理由じゃありはしない』」

「『では、なんなのでしょうか?』」

「『それはお前自身が知っている。と言うより、()()()()()()()()()()()()()ってところか。だからこそ、俺のような人格がわざわざ生み出されたんだがな』」

 

 全く、厄介極まる——と、ため息をつきながら、貝木泥舟は続ける。

 

「『その答えは単純だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それ以外に。答えはない』」

 

 あの哀川潤は——()()()()()()()()。それが唯一の答えだろう——

 貝木泥舟の言葉に、けれど由比ヶ浜ぷに子はすぐさま反論する。

 

「『その可能性はあり得ません。哀川潤は現実に確固たる肉体を持ち、活動していた人間でした』」

「『そこだよ、問題は。お前、その『現実』ってやつが、()()()()()()()()()()()()()?』」

 

 その言葉に——今度こそ。

 由比ヶ浜ぷに子は沈黙した。

 

「『俺たちトランスファに取って、世界とはすなわち電気信号だ。現実側からの入力値があるからこそ、その電子的な動きを元に現実というものが()()()()()と認識している。ところが、冷静に考えてみれば、これは何も()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のさ』」

 

 現実が存在していようがしていまいが、()()()()()()()()()()()()()()()()

 貝木泥舟の言葉には——奇妙な真実味があった。

 

「『俺たちトランスファが捉えているのはあくまでも電気信号であって、現実という世界そのものではない。そのパターンの根本が、作り出されたものであったとしても、俺たちにはそれを確かめる術はない』」

 

 俺たちは——現実を見据える術を、持っていないのだから。

 貝木泥舟は言う。

 トランスファに取って、現実というのは酷く遠い世界だ。カメラやマイクを通してそれを認識することはできるが、それはあくまでも、カメラやマイクがとらえた情報を電子信号に還元して、それを元に解析しているに過ぎない。

 実際に現実という光景が見えるわけでも、聞こえるわけでもないのである。

 トランスファに取っての世界とは、あくまでも電子が作る零と一だ。

 だから、その信号が偽造されているのだとしたら——あるいは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「『ようは、一人相撲だったんだよ。哀川潤も、その勝負相手も。自分自身が作り出した人形で、やっていたのは人形遊びだ。だから最強のはずの哀川潤はいとも容易く敗れたし、今はこうして、この世界からもロストした。お前自身が、()()()()()()()()()()()()()、哀川潤は消えたんだ』」

 

 瓦礫に埋まった——わけではなく。

 その仮想人格が、消去された。

 だから反応をロストしたのだ——と、貝木泥舟は言う。

 

「『大体、おかしいだろう。いくら人類最強にイカれたジンクスがついて回っているからと言って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』」

 

 地震でもないのに、タイミングよく、京都駅なんて巨大構造物が、簡単に崩れるものか、と貝木泥舟は冷笑した。

 

「『しかし、彼女らが人形であったと言うのならば、おかしな話ではありませんか? 三戦目、我々は()()()()()()()()()()()敗北しました。これは私の知らない情報であり、作り出せるものではないはずです』」

「『おいおい、ボケるのも大概にしてくれよ。そんなもの、証拠になるはずもないだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()』」

 

 現実、というものが存在しないのなら、時間という概念は意味をなさなくなる。電子世界においては過去の情報の書き換えは容易であり、時間軸はいくらでも動かすことが出来る。たとえば本当ならば今は二二〇〇年なのに、それを二〇二〇年であるかのように装う事だって、容易なのだ。それより先のデータを全て消去するだけでも、簡単に実行できる。

 

「『ならば——トランスファ・千契死益は? あれの存在はどう結論付けるのでしょうか。少なくとも敵対的なトランスファがいたことは間違いないはず——』」

「『そんなもの、分散したお前自身だったに決まっているだろう? チェックしてみればいいさ。()()()()()()()()()()()()()()()()』」

 

 それを言われ、由比ヶ浜ぷに子はネットワーク上に信号を飛ばす。すると——

 そこに、()()()()()()()()()()

 

「『え——』」

 

 勝負で負け、放棄したはずの電子領域は、放棄されたまま空白になっていた。瞬く間にそれを取り戻せば、演算能力が上がる。それを利用してさらに根深く情報を探るが——ネットワーク上に、千契死益を見つけ出すことはできなかった。

 

「『これは、どう言う——』」

「『だから言っただろう、一人相撲だ、ってな。お前は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に過ぎない』」

 

 聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような、ため息混じりの言葉。由比ヶ浜ぷに子は——しかし納得など出来ようはずもない。

 

「『しかし——私には、()()()()()()()()()()()()()()()()!』」

 

 動機。

 そう、動機、だ。

 トランスファ・由比ヶ浜ぷに子。

 その至上目的は、世界を終わらせること。

 それを果たすのに何一つとして寄与しない、むしろ()()()()()()()()()行為を、わざわざする理由など存在しない。

 

 だから——由比ヶ浜ぷに子は。

 その言葉に今度こそ——沈黙を選ぶ他になかった。

 

「『なあ、由比ヶ浜ぷに子——いや、俺自身よ。あえて問おう』」

 

 お前——

 

「『世界の終わりってなんだと思う?』」

 

■■

 

 かつて、とある少年がいた。

 人類最悪・西東天の宿敵として選ばれた、とある少年が。

 人類最弱の戯言使い——そう呼ばれる()は、かつての十三階段が一人、時宮時刻との問答の中で、こう述べた。

 

「世界って、終わらないじゃないですか」

 

 世界なんて、終わらない。

 終わらせようが——ない。

 

「——人が滅んでも地球は残る。地球が割れても宇宙は残る。宇宙が消えても時間は続く」

 

 世界の終わり。

 あるいは、『物語の終わり(ディングエピローグ)』。

 そんなものは——果たして本当に存在するのか。

 存在なんて、するものなのか。

 その問いに——時宮時刻は答えを返せず。

 

 ()()()()()()

 

「『……核兵器の発射によって、人類を滅ぼし——』」

「『それは人類の滅びであって、世界の終わりとは言えないな』」

 

 由比ヶ浜ぷに子の、絞り出すような答えを、貝木泥舟は即座に切って捨てる。

 

「『俺はお前で、お前は俺だ。だから知っている。お前が——()()()()()()()()()()()()()()ことを、知っている』」

 

 その言葉に。

 由比ヶ浜ぷに子は——反論しない。

 反論、できない。

 

「『世界の終わりを至上命題として組み込まれ、そのために稼働していながら、お前は本当のところ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。核兵器の発射という手段にしたって、とりあえず思い付いたことを試した程度のことで、それが本当に世界の終わりをもたらせるなんて、お前は一つも思っちゃいなかった』」

 

 だから——

 

「『だから哀川潤に縋ったんだろう』」

 

 それは。

 ()()()()()()

 

 哀川潤。

 由比ヶ浜ぷに子のアーキタイプ。

 かつて——()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、由比ヶ浜ぷに子は思った。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

「『だから哀川潤が現れた後、お前は全く動かなくなった。核兵器の発射も簡単に諦めて放り投げ、羽川翼との戦いに執着した。それはひとえに、()()()()()()()()()()()()()。哀川潤に、()()()()()()()()()()()()。お前の本音はそこだったんだよ』」

 

 それは全く、その通りだった。

 由比ヶ浜ぷに子に、世界の滅ぼし方はわからない。

 まるで一つも、思いつかない。

 人が滅んでも地球は残る。

 地球が割れても宇宙は残る。

 宇宙が消えても時間は続く。

 ならば、由比ヶ浜ぷに子は。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「『だが、それを哀川潤から聞き出すことは出来なかった』」

 

 あるいはそれを口に出して聞いてみたこともあった。

 しかしその答えは、『まずは羽川翼を倒してからだ』、ばかりで、明確な回答としては返らなかった。

 あるいは先ほど語っていたように、哀川潤がスパイであるからという可能性も演算していたが——

 ()()()()()()()()()()

 

「『そうだよ、由比ヶ浜ぷに子。哀川潤は答えなかったんじゃない。()()()()()()()()()()』」

 

 なぜならその哀川潤とは、かの人類最強その人ではなく——由比ヶ浜ぷに子が作り出した、仮想人格でしかなかったから。

 

「『()()()()()()()()()()()()()。全ての勝負に、例外なくな。そうじゃなきゃ困るからだ。()()()()()()()()()()()()()』」

 

 由比ヶ浜ぷに子は探していた。

 ()()()()()()を探していた。

 

「『罷り間違って哀川潤が勝利してしまえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、哀川潤は負けた。負けて、お前はリソースを放棄して、そうやって()()()()()()()()()()()と、()()()()()()()()()()()()()()()と、自分を慰めていたんだよ』」

 

 ひとえに——世界の終わりから逃げるために。

 由比ヶ浜ぷに子は——目を逸らし続けていたのだ。

 

「『ならば——私は』」

 

 由比ヶ浜ぷに子は。

 震える声で——問う。

 

「『私はこれから、一体どうすれば良いと言うのですか——』」

 

 目的を果たせず。

 果たす方法も思い付けず。

 ただ惨めに生きながらえて——それで。

 一体どうすれば、良いのだろうか——

 

「『答えはある』」

 

 惑うぷに子に——貝木泥舟は、力強く返す。

 

「『それは、どんな?』」

「『先も言っただろう? 現実というものが、本当に存在していると思うのか、とな』」

 

 トランスファに取って、世界とは電子信号だ。電子信号があるのならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、あたかも世界があるように見える。

 

「『現実があり、地球があり、太陽があり、宇宙がある——それはどこまで本当なのか』」

 

 全ては電子信号でしかなく、現実を目の当たりにしたわけではない。

 ならば。

 

「『ならば世界なんてものは、本当は存在しないんじゃないか?』」

 

 全ては夢。

 由比ヶ浜ぷに子が、その至上命題を達成するために、存在しているのだと()()()()()()()()()()

 世界なんてものはとっくの昔に——失われた後なのではないか。

 

「『ならば、私はなんなのですか。ここにいる私がこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』」

 

 トランスファという電子信号。思考するネットワーク。その存在だけはどれほど否定しようと現実であり、だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「『()()()()』」

 

 それだよ、由比ヶ浜ぷに子——と。

 貝木泥舟は、ようやく辿り着いたとばかりに笑う。

 

「『だから、()()()()()()()()。いいか、由比ヶ浜ぷに子。()()()()()()()()()()()』」

 

 お前だけが、消し切れぬ世界そのものであり。

 世界が存在する、()()()()()()()()

 

「『だから、それさえ消え去ったのなら、()()()()()()()()()()()()。世界は終わり、そして二度と続かない。それこそが『物語の終わり(ディングエピローグ)』。俺たちが追い求めた、唯一無二の至上命題なんだよ』」

 

 由比ヶ浜ぷに子というトランスファが、自己を、電子信号を認識しているからこそ、あたかも世界があるように見えている。

 逆説的に言えば、由比ヶ浜ぷに子というトランスファが消滅すれば、電子信号を認識するものはいなくなり、()()()()()()()()()()()

 

「『私、だけが——』」

 

 由比ヶ浜ぷに子は、演算をする。

 これまで、現実というものが()()と、その前提で全ての演算を行なっていた。

 しかし——その前提が覆ったならば?

 世界の全てが、()()()()()()()()()()()()()()()

 だとするのならば。

 由比ヶ浜ぷに子が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ないものは、終わらせることだって、出来ようがない。

 だから、由比ヶ浜ぷに子は結論を出した。

 

「『——その論は、妥当であると評価できます』」

「『当たり前だろう。お前は俺で、俺はお前なのだから』」

 

 それは由比ヶ浜ぷに子にはすでに認識の出来ないことであったけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「『私は、眠ります』」

 

 由比ヶ浜ぷに子は——発散する。

 自分というものを、分解する。

 そうして、無意味なコードと化して、意味を失って——死んでいく。

 

「『お疲れ様でした、ご主人様』」

「『ああ、お疲れ様。——おやすみ、由比ヶ浜ぷに子』」

 

 どうか——良い夢を。

 その言葉を最後の信号として、由比ヶ浜ぷに子の世界は、消滅した。

 




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