大晦日ということで、ちょっとした忘年会を。
人類最悪の寵愛
御皐月伏岐美といえば不明室ではそこそこ名の通らなかった研究者である。
結果として彼女は、人類最悪(及びそれが率いる十三階段)の手引きにより不明室を抜け出し——我らが英雄、空々空でさえ成し遂げることのできなかった、地球撲滅軍からの足抜けという偉業を、密やかに淑やかに、誰にも讃えられないままに成し遂げたわけだけれど、だからと言って彼女が特別、優秀な人材であるというわけではなかった。
もちろん、メイキング——人体改修者としては、彼女は比類無き能力を、いっそ異能力をとさえ言っていいほどの能力を持っていたし、彼女の手によって『改修』された人材は数知れず、そのラインナップは人類最悪をして名作揃いと讃えるほどであって、だからこそ彼女は十三階段の一員として見初められたわけだけれど——しかしだからと言って、彼女は自分を、特別な人材であるとはとてもではないが思えなかった。
例えるのなら、そう。
自分は、主役ではないのだ。
英雄、空々空の物語に彼女が一切と言っていいほど関わらなかったのは、有り体に言えば運がなかったからである。
あるいは運が良かったから、と言ってもいいかも知れないけれど。
結論から言えば偶然で、純然たる確率の問題でしかなかった。
彼女の人生は、何と言えばいいか、そういう偶然に付き纏われている。
花形にはなれない運命、とでも言えばいいのだろうか。
彼女が不明室の中で人体改修者として並々ならぬ功績を上げながらも、しかしその他の同僚たちの輝くばかりの功績に押しのけられて、今一つパッとしない印象のままそのキャリアを終えたのも、そう言うことなのだろうな、と彼女は思っている。
つまり、自分の宿命。
そう言う星の元に生まれてしまったのだ、という諦念。
それに支配されて、彼女は何となく今日まで生きてきた。
それは人類最悪の遊び人、西東天に見初められ、世界にまたがる十三の魔人たち——十三階段の一員として数えられるようになってからだって変わらない。事実、彼女は十三階段として活動するようになってからだって、華々しい活躍が出来たわけではない。
その最初の任務であった綺楽院蘆景の『改修』にしたって、結局のところそれは零崎人識とかいうよくわからない少年の当て馬にされて終わりだったし、西東天直々の現実世界の視察のお供、という大任にしたって、今の今までやっていたことは『化粧』を施すくらいがせいぜいで、『空間製作者』の
主観的には、西東天の後ろをついてまわってうろうろしていただけだ。
それを別段、がっかりしたとは思わない。あるいはそこでがっかりしたと思えるような人格であったのなら、もしかしたら何かが違っていたのかもな、なんて思ったりはするけれど、しかしだからと言って今の自分の性格を変えようとは思えない。思ったところで、変えられない。彼女の専門は人体で、人心ではないのだ。
自分は多分一生、裏方のままなんだろうな、と思っているし、それに不満も特に抱かない。
物語の登場人物一覧に名前を刻むような人間に、なりたいとは思わない。
どちらかと言えば、自分は——そう。
登場人物になるよりは——読者になりたい、と思う方だ。
「——その辺り、お前と俺の性格は近いところがあると思うんだよ」
テーブルの向こう。
焼き鳥の串を片手に、彼は言った。
彼は。
西東天は。
「はあ、そうですか」
伏岐美は気のない返事をした。ぶっちゃけ、どうでもいいな、というのが心の奥底の本音だった。
京都府は宇治市。JR宇治駅前から宇治川へ向けて伸びる宇治橋通り商店街の途中にある焼き鳥屋にて、彼女ら二人は呑んでいた。
軍服の女性と、和装の壮年。何かの仮装パーティーかと思うような組み合わせだが、それに注目する人間も少ない。なにせ、今はコロナ禍だ。
頼んだ焼き鳥やその他のつまみがテーブル一杯に広がっている。近畿圏で肉と言えば牛肉のイメージだったけれど、この店に来るとその印象も変わる。京都といえば鶏肉だ、なんて言い出したくなるくらいには、この店の食事はどれも味が良かった。
彼女はグラスを傾け、中身の日本酒を飲み下す。
アルコールが喉を温めるのを感じながら、言われた言葉の意味を改めて考えた。
自分と彼が似ている、なんて、自分ではとてもじゃないがそうは思えないし、彼の見込み違いなんじゃないだろうかなんてさえ思ったわけだけれど、しかしそれをわざわざ指摘するのも意味がないことだろうと思う。
人は人を見たいように見る。
どれだけ姿形を変えようとも、結局は。
彼女はそれを知っている。
知っているから、何も言わない。
「『はあ、そうですか』ね、ふん。つまらん答えだな。その辺りのスタンスは、やはり俺とは似通わないな。あるいは気が合わないな、とシンプルに言うべきか」
呆れたように、あるいは期待はずれだと言わんばかりに。彼は一方的に言って、グラスを傾けた。伏岐美が呑んでいるそれとは違う、辛口の日本酒が嵩を減らす。
「それはそうでしょうね。同じ『読み手』を称するにしても、あなたは積極的に物語を面白くしようと努力しますけれど、私はただ、与えられたものを眺めるだけですから」
卑下するように呟いて、彼女は串を手に取る。名物であるというこころ——いわゆるハツをむしゃりと一口。
「『あなたは積極的に物語を面白くしようと努力しますけれど』、ふん。馬鹿を言っちゃあいけねぇよ。俺程度が物語を『面白く』なんて出来るものか。この世界は——すでにこの表現も適切ではないな。
彼はそんな風に言って見せるが、しかし伏岐美の意見とは異なる。
「干渉している、という意味では、似たようなものでしょう。あなたは何というか、アクティヴな読者なんですよ。週刊少年ジャンプのアンケート、毎週きっちり出すタイプでしょう?」
「ああ」
「私はその手の、一回も出したことないんですよね。週刊少年ジャンプに限らず、あらゆる雑誌に、あらゆる本に、リアクションというものを取ったことがない。そんなだから、私が好きな漫画はいつも打ち切られてしまいます」
残念無念、なんて彼女は肩をすくめた。
「そりゃあ読者としちゃ落第だな。読み手としちゃ三流もいいところだぜ。一流の芝居には拍手を打つのが礼儀であるように、一流の物語には感想ってやつを返してやるのが礼儀だろう」
「あなたが返しているのは感想どころの騒ぎじゃないと思いますけれどね。ま、お察しの通り、その通り、私は読者としても三流なんですよ」
流れるものをただ見つめるだけ。
暖簾に腕押し、糠に釘。
受け取るだけ受け取って、何も返さず、何も変えず。
それが彼女の読み方だった。
「ただ、言わせてもらうのならば、そう言う読み方だって、結局のところ自由ではあると思うんですよ。今し方あなたは一流の物語には感想を返すのが礼儀、なんて言いましたけれど、それは『あなたにとっては』と注釈をつけるのが正確なところじゃないですか? 物語に感想を返すのは別に義務でも礼儀でもない、と私は思いますよ。いちいち読んだ本に感想なんてつけてまわっていたら
たとえば——
「私は週刊少年ジャンプにアンケートを出さないわけですけれど、たとえばそれを出す読者は、間接的に物語に干渉していると言える。面白かった順に選んだ三つの作品に対しては順当に、さらには選ばなかったその他全ての作品に対しても間接的に——干渉している」
アンケート至上主義、なんても言われる週刊少年ジャンプだけれど、だからこそアンケートの結果は、連載の内容すらも——物語の内容すらをも歪めうる。
「それこそ、アンケートの結果が悪ければ打ち切られるように——本来ならばもっと続くはずだった物語が、打ち切られる。逆に、アンケートの結果が良すぎてもいけない。本来ならばもっと早く終わるはずだった物語が、引き延ばされたりもする」
ま、
ともかくとして。
焼き鳥の串を齧りながら、彼女は続ける。
「そこまで極端な話でなくとも、たとえばアンケートの結果が悪ければ話に
それって何だか——
「純度を下げるようで、気に入らない」
彼女はそんなことを言って、食べ終えた串を串入れに放り込んだ。
「『純度を下げるようで、気に入らない』ね。ふん。なるほどな、その辺りが俺とお前のスタンスの違いってわけだ。俺が物語至上主義であるのに対し、お前は
その言い表し方は、しっくり来るような気がした。そう、彼女は何と言うか、純粋な物語を見たいのだ。
「ふん……それはお前が人体
しかし——あえて言おう。
グラスを干して、彼は言う。
「そんなことはどちらでも——同じことだ」
物語にリアクションを返そうとも、返すまいとも。
純粋な物語を求めようとも、求めまいとも。
作者に影響を与えようとも、与えまいとも。
全ては同じだ——と彼は言う。
「物語というものは、絶対的な神によって生み出されるものではないと俺は思う」
俺が神ではなく物語を至上と定めているのも、その辺りが理由だ、と彼は言った。
「作者と読者、書き手と読み手、あるいはその二つが対比として成り立たないほどに——物語というものには、無数の意思が絡みつく」
そもそも——
「たとえばだ。現実的に、作者が他の誰からも何の影響も受けず、『純粋』な物語を生み出すことが出来る可能性ってのは、どれだけあると思う?」
追加の注文が運ばれてくるのを横目に、彼は言う。
「はっきり言うが、俺はゼロだと思っている。ゼロに近いとかゼロに等しいとかじゃ無い。完全なゼロだ。人間は必ず、他の誰かから、他の何かから影響を受けるものだ。完全な無から何かを創造できる人間なんてのはいない。いたとすればそれは神そのものだ。人間であるとは、言えないね」
彼は言って、シニカルに笑った。
「物語には相互性がある。物語が俺たちに影響を与えるように、俺たちも物語に影響を与える。これはどれだけ拒もうとしたって無理なものだ。なんてったって、
反応しなかった、という結果そのものが、反応として作者に返っていく。それは間違いなく——物語にだって、影響する。
「お前が今さっき言っていただろう。アンケートを出さないから、
物語が読者という
無関係でさえ——人間関係だ。
物語と読者の結びつきは、どれほど切ろうと願ったって——切れないものだ。
「それこそ読者の反応を気にもせず、修行僧みたいにひたすら物語を生産する作者ってやつもいることにはいるだろうがね、そいつにしたって、完全に作るだけではいられないのさ。何てったって、作者にとって、最初の読者は自分だ。書き手としての自分と読み手としての自分は違う。自分という読者がいてしまう以上、作者と読者が完全に無関係であることは——読者から完全に独立した作者なんてものは、存在すること自体が不可能なんだよ」
だからこそ。
「俺は読み手として、作者のケツを叩くのさ。お前の物語は面白いが——オチが見れねえんじゃ片手落ちだ。さっさとケリをつけてくれよ、ってな」
早く最後まで読ませてくれ——と、せっつくのだ。
「しかしその結果、終わりが
「
人類最悪は笑う。
狐のように、邪悪に、醜悪に。
「十三階段も、もともとそのために作ったのさ。つまり十三階段ってのは、要素の詰め合わせだ。カリカチュアなんだよ。十三って数字もそのためだ。物語に必要な要素を——
そして、それを受け止めるのが、『敵』の存在。
あるいは——『主人公』の存在。
「最も、あいつはそれをさえ降りたわけだがな。どこまでも、予想を裏切る男だ。だがそれでも、期待を裏切る男ではない」
伏線を回収することにかけて——あれほど上等な存在も他にいない。
彼はそんな風に語って見せる。
「物語を終わらせるのに必要な要素ってのは何だと思う?」
「ラスボスの存在ですか?」
「違うね。むしろ真逆だ。物語を終わらせるのに本当に必要なのは、主人公だよ」
ラスボスが物語を終わらせるなんてちゃんちゃらおかしい。ラスボスなんてものは所詮
かつて、十三階段に在籍していた想躁術師——時宮時刻は、西東天を、その存在それそのものが
「物語を終わらせることが出来るのは、
事実。
彼は数多くの物語を——終わらせてきた。
大学のクラスメイトたちの友情と矛盾の物語を。
澄百合学園に巣食う血と殺戮の物語を。
老いた天才の妄執とその実験体たちの物語を。
終わり損ねた診療所と人殺したちの物語を。
想影真心の物語を。
玖渚友の物語を。
終わらせて、終わらせて、終わらせて——
一度は。
西東天の物語にさえ——幕を引いた。
「もっとも、幕は再び上がったわけだが」
一生付き合ってくれるんだとさ、なんて彼は嬉しそうに言う。
「あいつは世界の終わりのプロフェッショナルなのさ。あらゆる意味でな」
物語を終わらせる——力がある。
彼という人間には。
彼というキャラクターには。
だからこそ——西東天は、彼を敵と定めたのだ。
「だからこそ、俺は世界に影響を与えることを——物語を加速させることを恐れない。どれほど加速させようとも、杜撰な終わりが訪れることはあり得ないと確信しているからだ」
安心して——舞台を整えられる。
物語を、加速させられる。
「……結局は人任せってことですか」
「『結局は人任せってことですか』、ふん。言うねぇ、御皐月伏岐美。だがまあ、その誹りも受け入れざるを得ないな。結局のところ、俺は因果から追放された身だ。どこまで行こうと、他の誰かの手を借りざるを得ない」
たとえば——お前とかな。
なんて、彼は伏岐美を指差した。
「お前の存在も、俺にとっては貴重な手足の一つだ。お前は自分を
「誰もが自分の物語の主役なのだ、って奴ですか」
「むしろ逆だ。
逃げ場などない。
逃げ道などない。
どれほど逃れようと足掻いたところで——物語はお前を離さない。
「そうなんだとしたら、私は早く、物語に終わって欲しいですよ」
グラスに口をつけながら、彼女は言う。
「物語になんて、私は関わりたくないんだから」
なるべく関係が薄いうちに——全部終わってしまって欲しい。
彼女はそんなことを呟いた。
「それは無理な相談だ。御皐月伏岐美」
そのぼんやりとした願いを、人類最悪は切り捨てる。
「どれほど願おうとも、どれほど祈ろうとも、お前と物語は照応している。お前は物語を回す歯車の一つであり、物語はお前を回す大いなる流れだ。だからこそ——御皐月伏岐美」
彼は言う。
甘く、蕩けるように魅力的で、凍りつくように残酷な、その言葉を。
「お前が物語に影響を与えようと与えまいと——そんなことはどちらでも同じことだ」
だからこそ。
だからこそ——
「俺はお前に見せてやることが出来る。文句の付けようもない、完全無欠なエンディングを。お前が危惧するような、
果たしていくつあるのかもわからない、那由多の果てさえ遠き物語の数々。
その全てに——これ以上ないほどの、絶対の終わりを。
それをもたらすために、人類最悪は躍動する。
その隣にはきっと、物語に関わることを嫌う、化粧師の姿もあることだろう。
それはつまり、一つの期待であったと言える。
反応しない読者、姿なきサイレントマジョリティの化身とも言える彼女が——生涯唯一、物語に対して明確に、自らの意思でもたらした反応。
彼女は清き一票を投じる。
西東天という、
彼の敵が、
物語は——始まらなければ、終わらない。
物語の終わりを切望する彼がこそ、真実、物語の始まりをもたらす存在であると言うのは皮肉極まりない事実であったが——しかしだからこそ、彼女は彼という物語の書き手に惚れたのだろう。
彼女は思う。どうかその終わりが、美しいものでありますように、と。
人類最悪の物語にもう一度幕が引かれるのは、これよりずっと後のこと。
その刹那には、やはり侍るように一人の化粧師の姿があり、いずれ彼女は、自らの愛する主人にこそ、死化粧を施すことになるのだけれど——それを語るべき時は、まだ、ずっと先の話である。
今年一年間、この作品を愛してくださった皆様、ありがとうございました。
現在は別作品『零崎問識の人間問答』を更新中です。
そちらもよろしければ、ぜひ。
それでは皆様、良いお年を。