◆ ◆
「——ぶっちゃけた話」
コロナ禍ゆえか、人気の失せた地下鉄のホーム。元号も変わったご時世になって、ホームドアすら設置されていない昔ながらのそこで、
「この手の
人識のスキルは、あくまでも人殺しであって、人探しではない。
どちらかと言えば、それから逃れるスキルの方が、まだしも自信があるくらいだ。
「ま、地道にやるしかない、か」
捜査は足で稼ぐ。黴の生えた鉄則だが、しかし人識が縋れるものなどそれくらいしかない。
『まもなく、特急——出町柳行きが、八両で参ります。この電車の六号車はプレミアムカーです。乗車券とは別にプレミアムカーチケットが——』
スピーカー越しの、くぐもったアナウンス。
地下鉄京阪本線。見慣れた緑の準急を背に。先発の特急車を待ちながら、人識は思う。
もしも——もしも。
この事件の犯人が、
パ————と、警笛の音色が遠くから響く。
トンネル内から押し出された空気がホームに入り込んで、びょうと風が吹いた。
前髪を激しくはためかせる風圧に、人識は目を細めた。
到着した赤色の車体が、ごうんと音を立ててドアを開ける。降りる人間は一人もいなかった。こんな状況で運行していて大丈夫なのか——なんて他人事のように思いつつも、人識は社内に乗り込んだ。観光客が一人もいない京都というのは、兎にも角にも、慣れない光景ばかりだ。
伽藍堂の車内の中で、二席ずつのボックスシートの一角にどかりと座り込む。
——考えても、仕方がないことだ。
あるいはそんな風に、意識的に割り切ろうとしていること自体が、すでに人識らしくないと言えるのかもしれない。
プシュ——と排気音が鳴って、ドアが閉まる。すぐさま出発のアナウンス。うなりと共に、体に加速度がかかった。
流れる時に、置いていかれそうになるような。そんな感覚。
——傑作だよ。
人識は片目を閉じる。
捜査を始めてから、すでに三日の時が立っていた。
◆ ◆
「人識くん、あなたには失望しました」
「全く、せっかく私があなたに似合うよう衣装を選んであげたというのに——一番大切な犬耳を捨てていくなんて、一体どういう猟犬ですか」
「字が違うだろ」
人識は辟易しながら言った。
「あのなぁ、俺は確かにあんたの犬になるとは言ったけど、それはあくまでも高度な文学的比喩表現であって、断じて物理的な意味じゃねーんだよ」
「じゃあ今からでも意味を変えてください」
めちゃくちゃ言うな。
「私が用意した犬耳の何が不満だったと言うのです。せっかくあなたの髪色に合わせてライトグレーのものを用意してあげたと言うのに」
「色の問題じゃねーんだよ。人には向き不向きってもんがあってだな、二十歳超えた男が往来で犬耳付けながら歩いてたりなんかしちゃってたら、それはもうただの変態なんだよ。おまわりさんに捕まっちまうっての」
死んだ目で言いながら、人識は後ろ頭を掻いた。この女、こんなおもしろキャラだったっけ? 一回死んだからって、崩壊しすぎじゃね? もうちょっと慎みを持てよ。
「そんなに犬耳が好きならもう自分でつけときゃいいだろ。少なくとも、俺よりゃ確実に似合うぜ」
「はぁ……わかっていないですね人識くん。それこそ向き不向きですよ。私がつけるのならば、どう考えても犬耳ではなく猫耳でしょう」
知らねーよ。
人識はため息をついた。
「つーかさ、話すべきなのはそんなことじゃあねぇだろうよ」
忙しいんだろ? あんた——言いながら、人識はどかりと椅子に座った。
萩原子荻の研究室には、相変わらず人間味がない。というより、いわゆる一般人という奴が礼賛する人間味というものが、いかに単なる無駄でしかないかということを理解できる。一つの極限、合理の最果て。そんな印象に圧倒されるのは、きっとこの空間を支配しているのが萩原子荻であるからなのだろうけれど。
「そうですね。まず聞かなくてはいけないのは——」
子荻は言って、腕を組んだ。
「捜査の進捗は、どうなっているんです?」
「箸にも棒にも、空振り三振だよ」
人識は両手を上げた。人類が十進数を採用した理由を見せつけたかったわけではない。
「野球だったらバッターチェンジで選手交代だが——」
今の所、プレイヤーは人識一人だ。
この三日間、人識は一連の事件——仮称・京都市内連続殺人事件を追って、現場巡りをしていた。
現場百遍——なんて今時刑事ドラマでも聞かない言葉だが。しかし警察への伝手さえ
人識は足繁く現場検証に通い、
「使えないですね」
あまりにも苛烈な一刀両断に、人識は思わず肩をがくりと落とす。
「あんたなぁ、俺だって一応、頑張って駆けずり回ってんだぜ」
「そう言う言葉は結果を出してから言ってください」
子荻はピシャリと言葉を打って、さらに続ける。
「仮にも私の飼い犬なのですから、血の匂いを嗅いで犯人を見つけるくらいのことはできないんですか?」
「俺はシリウス・ブラックじゃねーんだよ。そんなに犬が飼いたきゃ保健所へ行け」
人識はいーと牙を向いた。
「真面目な話、無理があるぜ。もしもこの世界が探偵小説なら俺はあくまでも犯人役であって、決して探偵役が務まるようながらじゃあねぇんだよ」
人識は、決して察しのいい男ではないし、目の前にある謎に対して天才的な閃きで回答を得るような推理力や、あるいはランダムに提示された情報から隠された共通点や意図を洞察するような分析力は持ち合わせていない。
どこまで行っても人識は殺人鬼で。
いつまで経っても、犯人役からは抜け出せない。
「おまけに、俺がこうやって足踏みしている間に、事件は増えていく。こうなってくるともう、お手上げだぜ」
「相手は同じ殺人鬼仲間でしょう。惹かれあったりしないんですか?」
「無茶言うなって。スタンド使いじゃねぇんだからよ」
人識は白い目で言った。
あるいは——
「
人識は足を組み直した。
「……つまり、あなたは獲物も見つけられない耳なし駄犬である、と」
「芳一みたいに言うなよ。ま、誹りは受け入れるしかねぇな。実際、掠りもしない、って感じだ」
むしろ——
「意図的に避けられている、と。そう言ってもいいのかもな」
それは人識自身、思考の内側にあった言葉ではなかった。
あるいはそれこそ、天啓にも似たような。
「……意図的に、ですか」
子荻は言って、顎に指を当てる。
「その場合、むしろあなたを近くに置いた方がいいんでしょうかね」
「……ま、雇われの身だしな。それでも俺ぁかまわねぇよ」
人識が肩をすくめれば、子荻はわずか一秒、考えを巡らせ——
「——いえ。やはり、それはベターではあってもベストではない」
と、答えを導き出した。
「人識くん」
「おう」
「とりあえず——」
言って、子荻は人識の目を見る。
さてはて、この策士から、一体どんなオーダーが降るのか、と心構えを新たにする人識に——
「もうすぐ学生たちが来る時間なので、お散歩に行ってきてください」
萩原子荻は、そう命じた。
◆ ◆
次にこの研究室を跨ぐときになんの成果もなかったのなら、耳と尻尾を植え着けて四つん這いで散歩させますよ——と、雇い主から恐ろしい脅しを受けた人識は、鴨川のほとりをトボトボと歩いていた。
昼下がり。やはり、人気は少ない。
四条三条のメインストリートよりは
人識は無人の公園内で、伽藍堂のベンチに堂々と腰掛ける。
木の麓、植え込みに沿って備え付けられたL字のベンチ。木漏れ日が緩やかに差し込むそこにどかりと座れば、鴨川の向こうに、何やら尖塔を備える洋風建築が見える。
あれは一体なんの建物なのだろうか——なんて考えながら、人識は道中で買い込んだ荷物を広げた。
ガサゴソとビニールの音を立てて、品悪くもベンチの空きスペースに取り出したのは——プラスチックケース入りのサンドイッチだった。
密かに一人当たりのパン消費量が全国一位であるこの京都府において、おそらくは最も有名であろうパン屋チェーン店、志津屋の看板メニューの一つ、ビーフカツサンド(六百五十円也)。
人識は切り分けられたそのうちの一つを片手で掴み取り、口に運ぶ。
現在時刻は十四時。少し遅めの昼食だった。
風に揺られた木々がさわめく音だけが響く。
カツとパンだけのシンプルでストロングなサンドイッチを堪能しつつ、人識は開いた片手でポケットを探った。
「単にコロナ禍、ってだけじゃあ、ねぇんだろうな」
取り出した
萩原子荻に身売りしたことによって得られた恩恵の中でも、最も巨大だったのがこのスマートフォンの存在だった。
戸籍のない人識にどうやってか与えられたそれが、人識にインターネットへの気軽なアクセスを可能としていた。これがあるのとないのとで、現代での生活は大違いだ。
人識はネットニュースサイトやSNSなどを軽くクルージングする。電子空間に飛び交うのは、どこか陰気で張り詰めた情報ばかり。
それが特に京都府内に限ってしまえば、より一層、その緊張度は高くなる。
治安の悪化、なんて一言で片付けるには、今の京都には血の気配が満ちすぎているのだろう。
「十四人、か」
とうとう、その連続殺人の被害者総数は、人識のそれを超えてしまった。
西陣。
東山。
北山。
三条大橋。
伏見稲荷。
十条。
北野白梅。
一条戻橋。
四条大宮。
西京極。
上賀茂。
今出川。
祇園。
そして、鴨川デルタ。
人識が座り込む、この鴨川公園荒神橋西詰エリアからも、目と鼻の先となるその場所が、最新の殺人現場だった。
それは萩原子荻の職場である京都大学からも同じく目と鼻の先であり——彼女が人識を無能と罵りたくなるのもわかる。
正体不明の殺人鬼が、着々と、淡々と——人を殺し続けている。
京都は今——血と恐怖に、塗れている。
それこそ、人々が戸口の向こうに立てこもりたくなるほどに。
(考えてみれば——)
犯人は、その状況でさえ被害者となる人間を見つけ出し、殺しているのだ。
(これは、何かのヒントになるんじゃないか——)
なんて、何かを掴みかけたところに——
「やあ、どうも」
なんて、軽薄な声がかかった。
「志津屋のビフカツサンドですか。ハイセンスですね。私もそれ、好きですよ」
背の高い男だ。
馴れ馴れしく言いながら、その男は平然と、人識の腰掛けるベンチに座り込んできた。
「……椅子は、他にも山ほど空いてるぜ」
きっと意味はないのだろうなと思いつつ、藁にもすがるような気持ちで人識は言った。
「ふむ。しかしあなたの顔がよく見える席は、ここにしかないじゃないですか」
L字の角を挟んで、斜め向かい。鴨川を正面に座る人識に対し、左斜め前に座したその男は、ニコニコと笑いながら、人識にペットボトルを差し出した。
「よろしければどうぞ」
紅茶花伝だった。
「……悪いけど、知らない人からもらったものは口に入れるなって飼い主に言われてるもんでね」
「おや、躾が行き届いている」
冗談めかして言いながら、彼は蓋を捻った。ぱきりと栓が開く音がして、「では失礼して」と彼の方が口をつける。……どうやら、人識が受け取らなかったので自分で消費することにしたらしい。
「好きなんですよね、紅茶花伝。本当は缶のやつの方がハイセンスなんですけど、最近、滅多に売ってなくて」
時代の流れですねぇ、なんて呑気に言いつつ、目を細める。
……なんなんだ、この男は?
人識は改めて、その人物を観察する。
ライトブラウンのモンクストラップ。組んだ足の長さが目立つ、タイトなグレーのストライプスラックス。やや派手なバックルの革ベルトに、ド派手な薔薇柄のワインレッドシャツ。その上にグレーのストライプベストと、同じくグレーのストライプジャケットを羽織り、これがサラリーマンであれば一発で罰則を食らわせられそうな、サイケデリックなマーブル模様のネクタイを締めている。
頭の上にはワンポイントのワインレッドがあしらわれたスーツと同色の中折れ帽。やや細く切れ長な狐目には銀縁の眼鏡をかけ、そして口元には——素顔を隠す、黒のマスク。
「おっと、エチケットですので、失礼」
人識が顔に注目したのに気付いたのだろう。怪しいものではございません、なんて誰がどう見ても嘘だとわかる言葉を吐きながら、男は人識に小さな紙片を渡してくる。
「私、こういうものです」
チラリと目を向ければ、それは名刺だった。
「
「ああ、ナンセンス——読み辛くて申し訳ありません。それはロクではなくて——
六男ってわけじゃあないんですけどね、なんて目だけで苦笑しながら、男は言った。
それを一瞥だにもせず、人識は続きを読み上げる。
「——職業、
つまり——
「マスコミ、と言えるほど
男が言えば、人識は訝しむように目を向ける。
「それで、そんな自称ジャーナリスト様が、ただのつまらない一般市民であるこの俺に一体なんの用だよ」
あいにくと、すっぱ抜かれるような秘密は何一つとして持ち合わせちゃいねぇぜ、なんて両手を広げる人識だけれど——
「またまた、つまらない一般市民だなんて、ナンセンスな
——あなたのようにハイセンスな
「——有名人?」
「ええ、あなたの存在は今、京都で一番ハイセンスかつホットなニュースと言っても過言ではないかもしれません」
その言葉に、人識は密かに臨戦体制をとる。
この男、何を知っている?
袖の中に仕込んだナイフをいつでも取り出せるよう密かに構えながら、人識は注意深く男を見る。
……その姿勢に一切の緊張はない。完全なズブの素人。人識の目にはそうとしか映らなかった。
人識の無言をどう捉えたのか、男は梟のように微笑んだ。
「そうでしょう? 京都に突如として現れた——
その言葉に——人識は、がくりと力が抜けた。
「コスプレイヤー、って……」
「あるいはロールプレイヤーさん、とお呼びした方がハイセンスかもしれませんね」
零崎人識でしょう、それ。
と、彼は笑って言った。
「ほんと、絵の中から出てきたみたいですよ。元々、零崎人識のイラストって、比較的デフォルメが強めと言うか、写実的ではないじゃないですか。私は大好きな絵柄ですけど、しかしだからこそ、生半なコスだとどうやっても違和感が出るものです。でもあなたの場合、まるで本物としか言いようがない。それ、髪も地毛でしょう? それをその染め方するなんて、ハイセンスがすぎるというものです」
普通の人には絶対真似できないですね、なんて褒められているのやら貶されているのやら。少なくとも間違いなく普通の人間ではない人識には判別のつけようもないが。
いずれにせよ——
「つまり私は、あなたにハイセンスな取材を申し込みにきたんですよ」
と、実口六は眼鏡を持ち上げた。レンズに陽光が反射し、きらりと煌めく。演出家だな、と人識は思う。無論、半笑いででしかないが。
「見た目どころか口調や仕草まで完コピのハイセンスなコスプレイヤー。しかも、イベントに参加しているでもなく、普通に京都をうろついている。極限まで気合の入ったロールプレイですよ。恐れ入ります」
だからこそ、その存在は、インターネットで話題になっているのだ、と言う。
「はっ、恐れ入るのはこっちの方だよ。俺はただ普通に生きてるだけだってのにいつのまにか人気者に祭り上げられちまうだなんてさ。SNS社会の弊害、ってわけかね」
「おお、本当に崩れないんですねぇ……ハイセンス。評判通りだ。——っと、失礼」
しげしげと、まるで出来のいい見せ物を見るような目で見られて、人識は思わず眉を顰めた。男はそれを見てすぐさま軽妙に頭を下げて、話を続ける。
「しかし人気者、と言うのは半分正確で半分間違いかもしれません。と言うのも、それこそインターネットの弊害でしてね。あなたはどのSNSにもアカウントを開設してはいらっしゃらないようですから、もしかしたらご存知ないかもしれませんが、ネット上での評価は割と割れてます。好意的な意見と、不謹慎だ、と言う意見で半々ですね。なにしろ、時期が時期ですから」
男はまたも目元だけで苦笑する。言いたいことは人識にもわかる。
「つまりあれか。現実に殺人事件が起きてるような時ごろに、殺人鬼の格好して冷やかしてんじゃねぇよ、って話?」
「まあ……平たく言えば」
控えめに向首されて、人識は思わず天を仰ぐ。全く、嫌な世の中だ。誰に宣伝してくれと頼んだわけでもないのにいつのまにか情報が拡散され、それに対して勝手な評価が付け加えられる。それも、本人の全く知らない場所で。
おまけに——それが全て、
「不謹慎だのなんだの言われてもな。俺は俺だし、変わりようがねぇよ。まさか世間様に配慮して、線香焚きながら喪服で歩けってか?」
「ナンセンス。私は批判のために伺ったわけではありませんし」
男は両手を前に向けて首を振る。オーバーなジェスチャーは癖なのだろうか? どうにも、胡散臭く見える。
「往々にして、ネットの意見というのは批判の方が声が大きくなりがちですからね。話十分の一、あるいは百分の一に受け取るくらいでハイセンスですよ。そもそも、話題になっていると言っても……あー、申し訳ないですが、ネット上でもローカルな、狭い範囲でだけの話ですし」
たまたま、私のテリトリーが
……何が京都で一番ホットなニュースだ。全部が口から出まかせじゃねぇか。
人識はもはや、目の前の男への信頼度をマイナス域に突入させていた。
「あいにくとだが」
人識は不遜な表情で言う。
「取材とやらにはお応えできねーよ。俺は今プライベートだ」
何より。
「それを受けたところで。俺にメリットが一つもない。それこそ、俺は目立ちたがり屋ってわけじゃあないんでね。ネットの片隅でしか話題になってねーくらいなんなら、そのままそっとしておいてくれや」
しっし、と手を振るジェスチャーをしながら言って、人識は食事に戻る。手に取ったサンドイッチを口元に運んだところで——
「
実口六の瞳が、昏く煌めく。
「
問いかけに、けれど人識は靡かない。
「悪いが、金やらなんやらで動くほど、俺は安い男じゃあ——」
「
その言葉に——人識は、口を噤んでしまった。
「お調べですよね?」
柔和な微笑みは、決して友好に使われるものではなく、むしろその真逆を、覆い隠すためのものである。
そんな言葉を、いつかどこかで、捻くれ者の誰かから聞いた覚えがあった。
「……それも、ネットで噂なのか?」
「ナンセンス。流石にそこまでは。けれどここ数日、あなたの目撃情報は、事件現場に偏ってますからね」
人識は小さく舌打ちを打った。しくじった。人目は避けているつもりだったが、それはあくまでも元の世界の水準で、だ。こちらの世界で、曲がりなりにも零崎人識が人気キャラクターであるという事実を、舐めていたと言わざるを得ない。
「そう怖い顔をしないでくださいよ。
前置きをしつつ。
「言ったでしょう? 取材に来た、って。私がしたいのはイノセンスにそれだけで、だからこその
両手を差し伸べて、六は言う。
「……あんたが本当に、捜査の役に立つってんならな」
「イノセンス。ご安心を。木端と言えど、ジャーナリストとしての誇りにかけて、嘘偽りは申しません。おそらく警察でさえ知らないだろう情報を、私は仕入れることができると、確信を持って言うことができます」
揺るがぬ自信と共に笑みを深める六だけれど、人識はどうしたって疑わしく思えてしまう。
「警察ですら知らない情報を、一ジャーナリストが持ってるってか?」
「持っている、のではなく、仕入れに行くのですよ。蛇の道は蛇——むしろ邪の道は邪、と言うほうがハイセンスでしょうか。オフレコでお願いしたいところですが、職業柄、色々と後ろ暗い伝もあるものでしてね」
お恥ずかしい限りですが、だからこそご期待には沿えると思いますよ——なんて微笑まれて、けれどむしろ、だからこそというのならば、
「コスプレイヤーの取材程度のために、わざわざ危ない橋を渡ってまで情報集めをしようってか? そりゃあどう考えたって、リスクリターンの合わねー労働だろうよ」
人識が言えば、六は鼻から息を漏らす。
「ナンセンス。それはジャーナリズムに対する侮辱でさえありましょう。情報には情報を。それを取引する限りにおいて、天秤はイノセンスに釣り合うべきで、私が情報を求るならば、その代償は同じように相手が求る情報でなくてはならない。そこに、差し出す情報のために私がどれだけ労力をかけるかだとか、一般的にどれだけの価値が見出されるかだとか、そんな基準を持ち出すのは全く
そこまでを一息に言い切って、彼は乱れたネクタイを締め直す。
「ナンセンス。少々興奮してしまいました。どうか、お許しを——」
にこり、と。まさにビジネス用のという言葉がぴったりな笑顔を浮かべて、彼は居住まいを正した。もうとっくに手遅れな気がするが、しかしだからこそ——
「——傑作だぜ」
その態度は信用には値せずとも、取引には値する。
「OK——
人識は最後の一切れを食べ切って、その手をお手拭きで拭いながら言った。
「
差し出した手を手に取る前に、実口六はふ、と微笑む。
「これより私たちは一丸となるのですから、そこは是非とも、六、と。
「……傑作だぜ」
人識は苦笑して、けれど素直に。
「それじゃあよろしく頼むよ——
と言った。
差し出した手を確と握られ、かくして、ここに異色の同盟が成立する。
殺人鬼、零崎人識と、記者、実口六。
なんの縁もゆかりもなく、なんの利害も一致せぬまま、けれどお互い欲するものを求めて、打算と妥協の上に組まれた同盟であったのだけれど、しかしだからこそ、それはある意味でどんな人間関係よりも、合理で強固な契約であるとも言えた。
焦れるようなモラトリアムを終え、人識の物語は動き出す。
歯車は噛み合った。
回る方向がどちらであるかは、わからずとも。