傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
瞼が重い。瞬きする度に何かが目に入って来ようとする。
ああ、そうか……。ああ、そういうことか……。俺はみんなの演奏を聴いて泣いているんだな。どれだけ逃げようとしても俺は自分の過去を捨てることなんて出来なかったんだ。馬鹿みたいだな、本当に……。あの頃の自分が本当に馬鹿みてえだよ、本当に……。
俺はずっと千里を……千里達を見て見ぬフリして生きていたんだ。
ライブを終えたこの空間は静寂に包まれていた。
舞台袖に恵梨達が引き上げる姿を見ながらも俺は余韻に浸っていた。見たところ、既に配信は切られてるようで俺はそれを確認してから目の前に立っている千里に対して拍手を送っていると、ステージライトは千里と俺の方を照らす。
「千里、今日の歌声はなんていうか、別格だった。……いや、それだけじゃ駄目だよな。最初の一音から、まるで俺の心を鷲掴みされたよう感じで……胸が凄く締め付けられた。嬉しいとか、感動とか、それ以上に……何もかも曝け出されるような気がして……怖くなるくらいだった」
千里は驚いたように目を丸くして、少しだけ口元に笑みを浮かべる。それでも俺は、そのまま言葉を続ける。
「それでももっと聞きたいってなった。……こんなに心を動かされるライブは初めてだった。ヒペリカムだっけ?いい曲だな、一人一人の悲しみは続かないって言うのなんていうかさ……自分のことを言ってくれてなんて……思ったりしていたんだ……。でも、それは俺だけじゃないと思う。人の心に弱さや逃げたいって側面は誰にだってあるんだろうな……。だから千里の歌は絶対に響いているはずなんだ、俺にはこんなに真っ直ぐに届いたから……」
俺の言葉は決して大袈裟のものではない。
本気で千里の歌に包み込まれるように心を預けることが出来ていたんだ。彼女の瞳をじっと見つめながらも、彼女もまた静かに感極まった表情で頷いていた。
「竜弥が逃げないで此処まで来てくれたおかげだよ」
「そうだな、俺はいつも逃げてばっかだった……」
あの雨の日、卒業式……。俺は逃げた、俺は逃げるという選択肢を選んだ。
あのときの俺が逃げるを選ばさせたのは俺のせいだ。
『もういいだろ……?疲れたんだろ……?俺……逃げていいんだよ……』
『ああ……そうだよな。そうだよな……。もう俺は疲れた……。もうなにも……背負いたくない……。だから……逃げてもいいんだよな……』
恵梨が俺に近づいて来ているというのには気づいていたはずなのに、声を掛けて戻るということも出来たのに俺はあの日それを選ぶことが出来なかったんだ。千里をこれ以上傷つけたくない、不幸にさせたくないという建前を言っていたが所詮はそれは逃げる為の嘘でしかなかったんだ。
「でも、もう逃げない。千里が俺と向き合ってくれたように俺も千里と向き合いたい」
「アタシも向き合う」
ステージから降りて来た千里は俺に覆いかぶさるようにしてジャンプしてきたのだ。突然のことに俺は戸惑いながらも目を泳がせていると、千里は真剣な表情で俺のことを見つめる。
「ち、千里なにしてんだ……!?」
「アタシと向き合ってくれるんじゃなかったの?」
「これは色々違うだろ……!」
「違うってなに?またアタシから逃げようとしてる?」
逃げようとしていると言われて俺は何も言えなくなってしまう。
俺はもう千里からも何かもから逃げないと決めていたからこそ逃げることは出来ないでいたが、それとこれとは違うと言いたかったが真っ直ぐな行動でぶつけてくれている為俺は本当に何も言うことが出来なかった。
「分かったよ、千里……だから今は何も言うなよ……」
千里はただ頷きながら俺が抱き返すのを受け入れてくれていた。
俺は……ずっと後悔していることがある。それは過去の俺を殺したのは
激しい雨が夜の静寂を引き裂くように降り注ぎ、街灯に照らされた歩道。
激しい雨はまるで無数の針が突き刺さるような冷たい水滴に覆われている。誰も居ない静まり返った街に、小さな影が一つだけぽつんと浮かび上がっている。濡れた服は俺の体に張り付き、髪からは絶え間なく滴り落ちる水が顔に流れ込んでいた。俺は立ち止まることも、傘を差すこともせず、ただ黙々と雨の中に立ち尽くしていた。冷たく打ちつける雨の一滴一滴が、心を更に沈ませるように思えていた。
「なんでだよ……」
怒号に近い声が雷のように降り注ぐ。
声を遮るようにして雨は激しく地面や体に打ちつけられていた。冷たい雨粒が俺の人生というものを嘲笑うようにして何度も降り注いでおり、そんな雨の冷たさすら吸収することすらできずにいる何度も打ちつけられている地面もまた俺を受け入れる気などないのか水溜まりが出来つつあった。
「なんで千里なんだよ……!!」
再び怒号に近い声は何処にも響くことはなかった。
雨音に掻き消されて誰かに届くこともなく、神にすら届かない声は最早自己満足でしかないということを分かっていながらも声を押し殺すことなんて出来るはずもなかったのだ。
「俺の……俺の……声を奪えばいいだろ……!!」
「あいつの声じゃなくて俺の声を奪えばいいだろうが……!!」
「なのに……なんで……!なんで……!!」
世界というものは残酷なのかもしれない。
時間を戻して欲しい、と神様に頼み込んでも俺の頼みを聞き届けてくれるかは分からない。時が戻せるとも限らない。過ぎてしまったということ、終わってしまったということに対しては前へ進むという行動しか出来ないのは分かっていたが俺にはもう耐えきれる器という名の器を過ぎていたのだ。
「千里……ごめん……!!俺の……せいで……!!」
俺がたった今出来ることはただ綾川千里に対する懺悔だけだった。
勿論千里がこんなことを望まずに「笑っていて欲しい」と言うのは分かっていた。「大丈夫」と心の奥底から安心させるような声で言ってくれるのも知っていた。知っていたからこそその声の優しさに春のような温かさに心の底で自分を許していいという気持ちになってしまい、甘えてしまうような自分が酷く憎むほどに許せなかったのだ。
『もうなにもかも忘れていいんじゃないか?』
激しい雨粒が降り注ぐ中で誰かの声が俺には聞こえていた。
声の主を探し出そうとする俺であったが、声の主が何処かにいる様子もなかった。当然だ、こんな豪雨の中でただひたすら懺悔をしていて外に出ているのは自分ぐらいだろうと……認識をし直す声の主を忘れようとしていたが……。
『つらいんだろ?千里やみんなのことを考えるのが……』
「辛いなんて……俺は……何も……そんなこと……」
本来であればこんな声聞こえるはずもなかった。
周りには誰もいないということは確認した。この目でしっかりと見たのだから。誰も居ないはずなんだと自分のなかで納得させながらも聞こえていた声を無視することが出来なかったのだ。それもそのはずだ、聞こえていたはずの声は俺にとって今の自分が頭の中で微かにいつも考えていたことなのだから。
『もういいだろ、俺はよく頑張った……。だからもう何もかも忘れて、生きていいんだ』
「そんなのダメに……決まってるだろ……。俺は誓ったんだ、千里に……!!」
水族館のあの日、綺麗な千里の横顔を見惚れていた竜弥はあの日に「俺が絶対守るから」と誓っていた。信念に近くて、神に誓ったようなものも同然の言葉を彼女に言い切ったからこそ俺は言葉を曲げたくなかった。なによりも此処で彼女から逃げてしまえば二度と会えなくなると……。
『なぁ……いつになったら気づくんだ?』
「なにを……?」
激しい雨が叩きつけるように降り注ぎ、地面を打つ音が響き渡っていた。空を覆う鉛色の雲からは、まるで切れ目のない幕のように雨が降り注いでいたのだが、ふとした瞬間、雨の音が消えたような気がしていたのだ。時間が止まったかのような静寂が訪れたことによって、世界という空間が息を止めたような感覚だったのだ。静寂の中に包まれた竜弥はほんの数秒の出来事であったが、その瞬間、何が起きていたのか理解できたのだ。
俺の世界という名の言葉に耳を傾けてしまっていたのだ。
もう俺の世界に引き込まれていたのだ。
『いつになったら……綾川千里にとって樫川竜弥は邪魔でしかないと気づけるんだ?』
止まっていた世界が呼吸をすることを取り戻したかのように時間が動き出していた。
静寂で包まれていた雨音が追加されていたが特に世界は変わることなく時間というものだけがただ過ぎ去って行こうとしていたのであった。
「俺が邪魔……?」
この受け答えに耳を傾けるべきではなかったのだ。
この声に耳を傾けた結果、此処から先全ての選択肢を自ら放棄することになってしまったのだがこれはある意味で仕方なかったのかもしれない。俺は既にもう限界状態であり、誰かに助けを求めたくてしょうがなかったのだが一番聞き入れてはいけない声を聞いてしまっていたのだ。
『だってそうだろ?樫川竜弥という存在が綾川千里という人間に関わらなくても彼女の人生は順風満帆だったはずだ。それなのに俺という存在が現れたから彼女の人生は滅茶苦茶になった。彼女が俺を刺される現場なんてものを見なければきっと今頃女子校生バンドとして脚光を浴びていたのかもしれない。なのに俺は……』
『そんな彼女の姿すら奪ってしまった。彼女の夢を幻影にさせてしまったんだよ。だから俺が悪いんだよ……』
竜弥は徐々に顔を俯かせていく……。
頭の中で否定したいという気持ちがあるのに俺の中では否定することが出来なかったのだ。俺が刺されて彼女の声が失ったとき、自分が関わらなければ綾川千里という人物を傷つけることもなく彼女が光の世界で生き続けることが出来たのではないのか?と全て自分のせいなんじゃないかって……。
出来るならば彼女に出会う前か……自分が刺される前に戻りたいという気持ちが強かったのだがそんなことはどうやっても無理だと言うのは何度も言うが彼は分かっていたのだ。分かっていたからこそ、彼は無常さを嘆くことしか出来ずにいた。
『もういいだろ……?疲れたんだろ……?俺……逃げていいんだよ……』
「ああ……そうだよな。そうだよな……。もう俺は疲れた……。もうなにも……背負いたくない……。だから……逃げてもいいんだよな……」
「俺……」
『ああ……』
自問自答の果てに俺が答えを出したのは
自問自答の果てと言ったが、先ほどまで聞こえていた俺の声というのは、樫川竜弥の後の今そのもの人格だったのだ。謂わば俺の今そのものと言える部分であり、過去の俺が俺の言葉に耳を傾けてしまったんだ。
その結果が……後ろから迫って来て今にも「風邪引くから帰ろ?」と言おうとしていた、恵梨を一瞬大して相手にしていないような目で彼女を見てからも俺は逃げるようにしてその場を去って行くのであった。
「全部、俺が悪かったんだな……。俺は千里に要らないなんて言われたこと一度もなかったのに自分で勝手に千里の邪魔だって思い込んで……それで俺は……お前から逃げたんだ」
どれだけ懺悔してもこの事実は変わらない。
高校生時代の俺は俺のこと刺した犯人への復讐心が強かったが、それ以上に自分の人生を奪った俺のこともきっと恨んでいたはずだったんだ。なのに俺はあいつの弱みに付け込んで千里からあいつを奪っていた。なにより、俺は千里と再会しなかったことで余計千里を苦しめてしまった。
「もう……もういいから竜弥……これからは……アタシの傍に居て……アタシが竜弥のことを支えるから……」
「千里……」
「もういいんだよ、竜弥……。ずっと苦しかったんだよね竜弥?学園祭のとき、本当はアタシに行って欲しくないって言いたかったのも分かってるよ?でも怖かったんだよね、アタシの人生まで壊したくなかったから……。だから自分の意志をあまり見せないようにしてたんだよね?でもね、俺が千里を守るからって言ってくれたときあれは本当に嬉しかったよ。嬉しかったからあのとき貸切のときに言ったよね、アタシが今度は竜弥が守るって……。竜弥のことアタシが支えるから逃げようとしたらアタシが絶対……」
「追いかけるからさ!!何があっても竜弥のこともう離さないから!!それでも逃げたいならアタシに相談して!!一緒に考えてあげるから!!だから竜弥が嫌って言ってもアタシはもう竜弥のこと好きだから!!だから……」
「一生傍にいて!!!」