傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
何故僕はあの人のことを許せるのかが意味がわからなかった。
僕たちは今まで母さんに復讐することを目標として生きてきたはずなのにそれを諦めるということは今までが無駄になるということ。
「待てよ僕……!!」
人格達が集う世界で僕は今の僕を呼び出す。
無機質な真っ白な世界へと変わり果てたこの世界は記憶を蘇らせるものはなかった。
「なんでだよ、なんで許すんだよ!?お前だってあの人のことを憎かったはずなのに!?」
胸倉を掴んで今にも殴り掛かりそうになる。
自分自身でなければとっくの前に殴っていたことだろう。
「ああ、俺も殺したいほど憎かった……」
その言葉は耳障りになる程に聞いてきた。
今の俺が放つこの言葉は最早使い物にならない玩具とほぼ変わらなかった。
「ならなんで!?」
訳が分からなかった。
あの人を許してこの先僕はどうしたらいい。存在理由自体も否定された気分になってしまい、頭痛も吐き気もしていた。それほどまでに酷く追いつめられている。もう俺の味方をしてくれる奴は誰一人としていない。高校時代の俺も誰も……。
「俺達は心の何処かで母さんのことを否定したかった。殺そうとしてきた母さんのことを……。それでも俺は母さんのことを殺さなかったのは……」
真っ白の空間のなか、今の僕は言葉を溜める。
その間にも何もなくなっていたこの空間でも時間だけが過ぎて行っている。
「母さんを愛していたからだ」
待っていた答えは知っている答えだった。
それもそのはずだ、僕はこの言葉を自分の中で聞いていた。僕はあのとき、あの言葉を聞いて「ふざけるな」と言いたかった。どれだけ父親だろうと母親だろうと憎まれるようなことをしたのなら当然の報いを受けるべきだと……怒りに満ち溢れていたのだ。
だけど……僕の中でその言葉を否定するだけのものがなかった。
「どれだけ否定しても復讐したいとしても俺の頭には愛情というものが残されていた。僅かに残されていたものだったからこそ俺は殺すことなんて出来なかったんだ。それは俺も分かってるんだろ?」
「もう分かっているんだろ、俺……。本当は母さんのことを愛していたって……。俺だって優しさを受けたことがあるはずだ」
「さっきから僕の分際でどうしてそうも歯向かう!!お前らは僕の言うことを聞く必要があるんだ!!僕がお前らを産んだんだぞ!!だから黙って僕の言うことを聞けばいいんだよ!!」
全部知っているつもりだ。
母さんが僕に対してクズなだけじゃなかったということを……。母さんなりに優しさを見せていたことを……。それでも僕は今更引き下がることなんて出来なかった。それでも復讐をしたいという感情を抑えれば僕は……。
「それじゃあ虐待してくる親となにも変わらないはずだ」
「っ……!!」
これも似たようなことを聞いた。
ボウリング場のときに香織さんという見るからにオタクみたいな女性だったけど、あの人が言っていたのはかなりの正論だった。僕がやろうとしていることは結局のところ、そいつと変わらないというのは紛れもなく事実であった為、僕はただ暴れて否定するしか出来なかった。
「じゃあ……じゃあ僕はどうすればいいんだよ!?復讐を忘れろって言うのかよ!?」
今もこうして大きな声を張り上げて否定することで虚勢を張っている。
自分を強く見せて大きく見せて相手に圧をかけようとしている。これじゃあ、まるで自分がなりたくない人間と何も変わらないというのに……。それでもやめることが出来なかった。
「首を絞められそうになったことはこれから先も忘れることはない、それでも俺達は母さんを許した。だからこれからは未来を見て生きて行きたい。それが俺の答えだ」
「心の傷を負った人間に未来なんかあるわけ……ないだろ」
やっと出た本音がこれだった。
僕はずっと隠していた……。心の内側の傷を負った人間から今から幸せになれる未来なんてない。なのに今の僕は必死に藻掻いている。それが無駄だと言うことも分からずに……。だけど、どうしてだろう。今の僕を見ていると期待してしまっている自分がいるんだ。何もかもから逃げないと決めた僕ならきっとこの先未来というものを掴み取ることが出来るんじゃないのかと……。
「例え無かったとしても俺は歩みを止めない……!!その先に必ず未来があると俺は信じてる……!!」
「どうしてそこまで言い切れる……?」
「背中を押されたからだ……静音、恭平……恵梨達に千里……。みんな、俺の背中を押してくれた。此処まで押されて優しさを見せてくれたのに俺も答えない訳には行かない……!!」
ああ、そうか、そうだよな……。
過去の僕と今の僕とじゃ根本的に違い過ぎる。結衣は傍にいてくれたけど、僕にとって守るべき対象でしかなかった。かつての僕には誰も背中を押してくれる人がいなかった。今の僕は違う、支えてくれ人がいっぱいいる、応援してくれる人達がいっぱいいる……。
「そうか、僕がいない間に色んな繋がりができていたもんな……。友達というものが、仲間というものが僕を強くしたんだろう。羨ましいよ、本当に……」
僕はずっと一人っきりだったんだと分かったとき、本当に悲しかった。
僕が作り出した自分達に見捨てられ、今の自分にも見捨てられるぐらいには……。
「お前だって優しさを受けたことがあるだろ?」
「僕が……?」
僕が優しさを受けたことがある……?
受けたことがあるならきっと僕はこの頭の中でしっかりと鮮明に覚えているはずだ。それを覚えていないというのは受けていないも同然なのに今の僕は受けていると言ってきていた。
「宮下風夏のことを覚えているか?彼女は優しくしてくれたはずだ、何の見返りもなく……」
ああ、そういうことか……。
確かにあの人は誰からも優しさを受けたことが無かった僕に唯一優しさを見せてくれた。何の見返りもなくに……。あの優しそうな笑顔を忘れるなんて僕も大概馬鹿だな……。
「それに彼女だけじゃない、何度も言うようかもしれないけど、母さんはあのときは本当にどうしようもないクズだった。それでも優しさは見せてくれているときもあったはずだ」
本当にしつこい奴だ……。
そんなことは分かっている。あの人はあの人なりに僕に優しさを見せてくれようとしていたことを……。ギャンブル狂いのクズであっても、例え血の繋がりのない母親だとしても僕にとっては母親でしかなかった。帰って来たら偶に見切り品だったとはいえあのとき好物だったカレーを買って来たり、うどんを買って来たりしてくれていた。
僕の話は聞いてくれなかったけど、僕達の食事をいつも優先してくれていた。家族みたいに食事をしながら会話っていうのも憧れがあったけど、僕にはそんな勇気がなくて出来なかった。勇気があればこうはならなかったのかもしれない。それでも僕はあの人が僕のを首を絞めようとしたのは今でも頭に落ちない汚れのようにこびれついている。それはきっとこれからも変わることはないけど……。僕にとってあの人は……。
母さんだったんだ……。
体が徐々に軽くなっていくような気がしていたのは気のせいじゃなかった。
僕の中で不思議ともう復讐心というものが無くなっていた。無くなっていくことに対して恐怖心はなく、かつて妹を守りたいだけだった頃の僕に戻りつつあった。今の僕は一人じゃない、誰かが支えてくれる。なによりも「逃げない」という強い意志を持っている。これが分かっただけもう十分だ。
「もういい、これからキミの未来がどんなになろうと僕は知ったことじゃない。好きにすればいいさ、じゃあね僕……」
母さんのことは彼に言われるまでもなく最初から分かっていたことだった。
あの頃、僕がちゃんと母さんと腹を割って話していればこんなことにはならなかったのかもしれない。いや……それじゃあきっと今の僕達は存在しなかっただろうし、あの千里という女の子に会うことも出来なかったのかもしれない。
嫌な話だが、必要な代償だったのかもしれない……。
でも、最後の最後で何度も言われてようやく分かった、本当に僕は母さんのことが憎かった訳じゃないんだと……。心の底から許せる訳ではない、それでも僕はもう……満足だった。
『例え無かったとしても俺は歩みを止めない……!!その先に必ず未来があると俺は信じてる……!!』
聞きたかった答えも聞けたのだから……。