傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
「あの……もしかして……千里の彼氏ですか!?」
入店してきた彼女が俺の手を掴み目を輝かせながらも聞いて来ていた。
手を握る力は少しばかり強く、俺は「え?え?」となっていた。見た感じに千里の友人なんだろうけど、俺はいきなりのことでどう反応すればいいのか分からなかった。とりあえず、こういうときは肯定すればいいのか……?
「ああ、そうだけど……」
「や、やっぱりそうなんですね!!?」
彼女は一人で喜びを表しながらも俺の手を握ったまま、上下に揺らしている。更によく分からない状況に俺は無言のままどうすればいいのか分からなくなってしまっていた。
「ごめん竜弥、その子は大学の友達の渚なの。私のファンでもある子なの……」
「ああ、そういうことか……」
要は千里版の恭平みたいなもんか……。
俺は薄茶色の長い髪の女性をもう一度見るとなんとなくだけど俺は見たことがあった。もしかして、この子千里がライブ終わった後や始まる前によく千里に話しかけていた子か……?俺は邪魔しちゃいけないと思って話しかけたりしたことはなかったけど、渚を覚えているような気がしていた。
「ごめんなさい、自己紹介もしないで話しかけてしまって……。千里が紹介してくれたように私の名前は碧波渚です。よろしくお願いします!」
「ああ……よろしくな、俺のことは多分知ってるよな。樫川竜弥だ」
千里の友達ということもあってかなりしっかりしている子のようだ。謝罪をする際に俺に何度も何度も頭を下げながら謝っていた。
「あれ?渚、今日来たの?」
琉藍が休憩室から出て来て、楽器屋へと戻って来ていた。
欠伸をしようとしていたが、渚が来ていたのに気づいてやめていた。接客としてはそれが正しいぞ琉藍。というか、琉藍も渚のことを知っているんだな……。
「こんにちは琉藍、キーボード今日届くって聞いたんだけど届いている?」
「いや……明日だよ」
「え!?」
彼女は手を繋いでいた俺の手を解いて手を口元に当ててお手本のように驚いている。
「あーえっと……もしかして勘違いしちゃった?」
「あーやっちゃった……」
琉藍がもう一度今週の客注を確認していたが、それにもどうやら明日と書かれていたようだ。俺も後で確認したが、確かに明日と書かれていた。
「やばい、やばい今日だと思ってたのに明日だと思っちゃってた……」
腰を低くしながらも頭を両手で抑えながらも彼女は「やっちゃった!!」と言っている。
顔もりんごのように赤くなっていって自分が勘違いしたことに恥ずかしく感じていたようだ。
「なぁ、渚だっけ……。音楽やってるのか?」
「え?う、うん……。歌とキーボードはまあ……人並みには出来るし歌えるよ?」
頭を抱えている彼女に対して俺が話しかけると、彼女の真っ赤になっている顔が真正面から見えて来て俺は少し笑うのを堪えながらも彼女に話を続けていた。
「その、出来ればでいいんだけど試しに弾いてみてくれないか?俺実は今音楽についてもっと知りたいと思っているんだ」
「それぐらいなら全然構わないよ?」
俺が音楽ということに渚から聞こうとしていると、琉藍が溜め息をついた後にニヤついた笑みを浮かべていた後に千里の方を見ていた。……もしかしてこの行動駄目だったか。いや、ちゃんと頭の中で整理してみれば千里に音楽のことを教えてもらうとか言っておいて渚にも教えてもらおうとしているのって結構駄目じゃないのか……。いや、でも色んな音楽に触れることってそんなに悪くない事だろうし……。
「じゃあ弾くよ?」
「ああ、頼む」
彼女がキーボードを弾いた瞬間、思わず俺は「すげえ」と思ってしまっていた。
俺は音楽にそんなに触れているつもりではないし、出だしから惹かれるというのはおかしいのかもしれないが、俺は彼女の演奏を聴いてる内に唸らされるものが確かにあると確信していた。それがなんなのかははっきりとしたことは言えないが、彼女が弾いているキーボードからは安らぎや穏やかなものを感じさせるのだ。
そして、彼女が楽しそうに歌っている姿は森の中でただ一人の女性が楽器を弾きながらも歌っているのを鳥や動物たちが穏やかに聞いている。そういったものを読み取れていたような気がしていた。
「どう……だったかな?変じゃなかった?」
「いや、そんなことないぞ。かなり凄かった。こうなんというかアルプス山脈でただ一人楽器を弾いてるって感じがしてなんか良かった。耳で入って来る音のおかげで安らぎとか心地よさを感じさせてくれて本当に良かった」
「流石に言い過ぎじゃないかな?でも、ありがとうね。ちゃんとそういうふうに表現してくれる人って中々ないから……。千里、ごめんね?」
「え?うん、全然気にしないでいいよ渚。また一段と歌もキーボードも上手くなったんだね」
「そ、そうかな?でも千里が言うならきっとそうだよね」
千里が褒めたことにより、渚は「えへへ」と言いながらも自分の頭を触っていた。
これだけでもうこの二人が充分にお互いのことを信頼し合っているというのがよく分かる構図だ。渚も千里に関してはかなり遠慮はしていたみたいだな……。後で千里には謝っておかないと駄目だな……。
「ねぇ渚―?そのキーボード触ったから購入っていうことでいいよねぇ?」
「え?あ、あーえっと……そ、そうだね……。触ったのならちゃんと買わな「はいはい、冗談だよ冗談。流石にそこまで間に受けられちゃ買わせる訳にはいかないよ」」
「買わせるつもりだったんだ琉藍……」
「まーね。あーそうだ、なんか買っていく?」
「ーん?じゃあ、五線ノート買っていくね」
「毎度アリ―!」
渚が五線ノートを買ってそのままレジへ行くと、琉藍がレジで会計を済ませていた。二人の姿を後ろから眺めながらも俺は千里にこう言う。
「なあ千里……俺が渚から音楽教わったこと怒ってるよな?」
「ーん?怒ってるって言ったらどうする?」
「わ、悪い……。でもほら、色んな音楽聴くことって悪くないことだろ?だから渚の音楽を聴いて……本当にごめん」
途中まで言い訳をしていたが潔くちゃんと謝った方がいいと思った俺は千里にちゃんと謝ることにした。これ以上言い訳しても見にくいだけだしな……。
「ふふっ、いいよ。あんまり気にしてないから」
「本当に悪い……」
「それで渚の音楽を聴いて何か得るものがあった?さっきは心が落ち着くとか穏やかになるとか言ってたけど」
「そうだな。さっき言ったこともそうなんだが……楽器を通して出る力っていうものなのかな。そういうのはちゃんと実感できた気がするんだ。ちゃんと実感できたのは多分琉藍のドラマを聞いたときだと思うけど、こうやって改めて意識して聴いてみたら分かった気がするんだ。歌だけじゃなくて楽器からもそういう力があるんだって」
琉藍の魂が宿っているドラムを初めて聴いたとき、あの音に俺は「おー」となっていた。彼女が心から楽しそうにドラムを叩いて自分の音を出すことによって俺は楽器から出る感情というものを初めて実感できたんだ。
「アタシのギターからは感じなかったんだ?」
「あーいや、そうじゃなくて明確に感じたのは……「分かってるよ竜弥」」
「竜弥はアタシのこともアタシの音楽も好きなのも全部知ってるから」
「千里……」
ああ、そうだ。全部その通りだ。
俺はどうしようもないほど千里のことが好きだ。
「はーい、そこ惚気てるなら今日のバイト代抜きにするねー」
「ごめん琉藍」
「悪い琉藍!!」
俺たちが謝罪していると渚と琉藍が顔を合わせてお互いに笑い合っていた。
「二人共、本当に仲がいいんだね」
「まああの二人は今や超が付くほどのバカップルだからねぇ。今日だってバイト中なのにイチャついてたしさー」
「本当に悪い琉藍……」
「まあ、いいんだけどねぇ。見ていて胸焼けするけど飽きないしさー」
ケラケラと笑いながらも琉藍はノートを渚に手渡していた。
「ありがとう、それじゃあ私はもう行くね。明日またキーボード取りに行くね、じゃあね琉藍」
「ん、じゃあまたのご来店をー」
「うん。じゃあね千里、それと竜弥も……」
渚が退店するのを見届けていた俺たち。
渚が去った後琉藍は一息つくようにして飲み物を飲んでいた。
「あっ、そういえば竜弥知ってた?」
「なにをだ?」
「渚って実は……」
「V-Next所属のVsingerなんだ」
「そうだったのか……」
紀帆や風夏と一緒のグループの人ということか……。
確かにあの歌声的にVsingerを名乗れるレベルだとは思っていたけど、こうも知っている者と繋がりがある人と繋がるというのはなんとも不思議な光景だ。ポケットにあるスマホに通知音が鳴り響いているのを確認しながらも俺はそう思っていた。
◆
「母さん、日用品とかは大丈夫?」
俺は今母さんと一緒にショッピングモールのスーパーに来ていた。楽器屋でバイトしているときに鳴っていたのは母さんからの連絡で「今日帰ってくるなら買い物に行かないか?」と誘われていたんだ。
母さんとの関係はこれまで深めなかったこともあって、もっともっと深めたいと考えていた俺は早速今日は家に戻って母さんの買い出しの手伝いをしていた。今日は俺も帰って来たということで鍋だそうだ。家族三人で食べる鍋とても美味しそうだな。
「日用品か、そうだな……。確か洗剤がもう残り僅かだったな」
「じゃあ、俺が取って来るよ……。普段使ってるのってなんだったっけ?」
「あーそれなら……」
俺は母さんからいつも使っている洗剤の名前を聞いてから洗剤売り場の方へと目指して歩き始めていた。こうして母さんと一緒に買い物をするというのは初めてかもしれない。俺は母さんと溝がかなり出来てしまっていたから、母さんと一緒に買い物ということは全くしてこなかった。結衣と一緒に買い物に行くときに結衣から「お兄ちゃんも一緒に行く?」と誘われたことはあったけど、俺は行かなかった。
今に思えば、行ってたりしたらもっと前に母さんのことを知れていたかもしれない。母さんがコーヒー以外にもケーキが好きだということを知れたかもしれない。カゴの中に入っていたチョコケーキを俺は少しばかり覚えていた。三個ほど入れていたのできっと俺達の分もあるのだろうけど、考えてみたら俺の高校時代にチョコケーキを買っていたことが多かった気がする。
俺は手に洗剤を取って、歩き始める。
まさか今でもこの洗剤を使っているとは思わなかった。母さんはよくこの洗剤を使っているところを見かけていた気がする。特段安いわけでもなく高い訳でもないが、それでも俺はこの香りが好きだった。微かに香るような自然のようなに匂いが……。
「母さんってチョコケーキ好きなの?」
「チョコケーキか?特に意識して買っていた訳ではないが、働いた後の糖分補給としては最高だと思う」
「でもこうしていつも買っているということは好きっていうことなんだよね?」
「そうだな……きっとチョコケーキが好きなんだろうな。今日は竜弥も食べような」
母さんが表情を緩ませながらも俺の隣を一緒に歩いている。
俺は母さんの言葉に無言のまま頷きながらも了承していた。こうして見ると母さんのことは本当は俺は少なからず知っていたのかもしれない。今まで知ろうとしていなかっただけで……。
買い物を終えた俺達は母さんと一緒にレジに並んでいると、見覚えのある黒髪の三つ編みの女子が俺へと声を掛けて来ていた。
「おや、貴方は樫川竜弥ではありませんか?」
「楓……?」
俺に話しかけて来ていたのは楓。
彼女の手には激苦を売りにしているお茶を手に持っている。
「久しぶりだな……。それ自分で飲むのか?」
「まさか、私が飲んだりはしませんよ。明日学校でこのお茶を試しに飲んでもらうのですよ」
「そ、そうか……。あんまりやり過ぎるなよ」
「はい、分かっておりますよ」
彼女が彼女らしいというのはどうやらVの姿じゃなくても同じなようだ。
今更それに驚いたりはしないが、それでも彼女の愉悦に浸るという行動は少々引かざる負えないでいると、楓が後ろにいる母さんの方を見て「なるほど」と言いながらも頷いていた。
「竜弥、その子は?」
「まあ、ちょっと知り合いかな。ちょっと話して来るんだけど構わないか母さん?」
「ああ……」
俺は母さんの了承を得て少し離れた位置まで歩いて楓と一緒に歩きながらも、楓はもう一度母さんの方を見てから俺の方を見る。
「楔は解けたということですか、樫川竜弥」
「まあ、そういうことになるな……」
俺の表情にもう苦しみはないと判断したのか楓は少しばかり嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「では貴方に一つ問いたいのです、樫川竜弥……」
「俺に……?」
「はい、そうです」
楓は俺の母さんの方をチラッと見てから、再度俺の方をしっかりと見る。
その瞳は真剣そのものな目で俺は今から試されるということがなんとなく分かっていた。
「貴方は前を進むという選択を選んだことは貴方が母親と一緒にいるのを見て分かりました。きっと貴方の中ではもう答えが出ているかもしれません。ですが……貴方の口から聞いてみたいものです」
「貴方はこれから先何を為して……何を望むのですか?」