傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
「え?あっ、恵梨。久しぶりだね」
「久しぶり、元気だった?」
「うん、私は元気だったよ」
楽器屋「月見里」の中に入って来ている恵梨。
「あれ?エリーって渚と知り合いだったの?」
「うん、イラストとかのお仕事とかで何度か会話したことあるんだ、それに一度会ったことあるよね」
そう、私はあの日恵梨とは水族館で出会った。音楽に対する創作性が欲しくて水族館に来ていた私はあの日、恵梨や千里に会ったのは本当に偶然でしかなかった。「え!?」となったし、あまりの衝撃に声が一瞬出なかったことなんてのもあった。
「へぇ……そうだったんだ。なるほどねぇ、あーそうそうこの前はキーボードご購入ありがとうねー」
「あっ、全然こちらこそ……!!」
服の袖をパタパタと音を立てながらも琉藍は「ありがとうねー」と言っているのが聞こえていると、奥に座っていたお爺さんがキーボードの前に置いてあった椅子から立ち上がっていた。
「あっ、真人さん。ありがとうございました……!!凄く良い演奏でした!!」
「いえ、お構いなく……。私も一曲奏でたかったところでしたので」
老紳士な柊真人さんは椅子から立ち上がっている佇まいはそれだけで年長の威厳というものを感じさせていた。こういう人って凄く画になるというか、立っているだけで歩いているだけで様になるから本当に凄いとしか言えなかった。
「では……私はこれにて」と言った後に、琉藍と恵梨の前を通る前、二人に一礼をしていてからお店を出ていって行った。
「渚、さっきの人は?」
「あーえっと、お店のキーボード弾いてて、とても上手だったからそれで話しかけたら楽器の話とか凄く出来て意気投合してたんだ」
「へぇ……。そうだったんだ、まあ音楽に年齢は関係ないからねぇ」
「うん、本当に凄かったんだ!」
視線を先ほどまで弾かれていた楽器に目を向けながらも、真人さんのことを思い出す。
『千里達居るかな……』
楽器屋の扉が開いたのと同時に、店内に静かに流れる音が耳に届いた。
『キーボードの音……』
キーボードを弾いてる音が聞こえていた。その音に派手さはなく、それでいて不思議と耳を惹きつける旋律だった。音のする方向へ惹きつけられると、店の奥でご老人の男性が鍵盤に指を這わせていた。私にはこれが長年弾き続けてきた者だけが持つ、無駄のない動きだと見破れた。終盤を押さえる度に、そこから深みのある音が生まれていた。
音は柔らかく、温かい。それでいて、まるで異国の景色を思い出せるような感覚。手のひらから零れ落ちるような旋律は、長い歳月を経たものだけが持つ、独特の響きを帯びている。楽譜に囚われることのない、指先が紡ぐままの旋律。真人さんの人生が、そのまま音になって流れ出しているかのようだった。
演奏が終わった頃、私は気づけば拍手をしていた。
その拍手は真人さんに対する盛大な賞賛を意味するもの。本当に心の中から凄いものだと感じさせてくれていたんだ。拍手が止めた後、僅かに残る空白を掴むようにして真人さんに声を掛けることにした。
『あの……どうやったらそんな音を出せるんですか!!?』
少し困り果てるようにして顎に手を置いていた。
いきなりそんなことを聞かれたこともあって、戸惑いもあったのかもしれないと感じ取った私は自分の言葉を謝罪しようとしたときだった。
『楽器というものは音を出す事で最大限までの魅力を引き出すことができるのです……』
最低限の言葉だったけど、言っていることは私も頷ける内容だった。
ただ音を出すだけを目的とするなら誰にでも簡単に弾きならすことが出来るけど、そこに感情や情景、意味を込めることが出来たとき、その楽器の最大限までの魅力を引き出すことが言えるって言いたかったんだと思う。音楽は、単なる音の羅列じゃなくて、人の心を動かすものだから。千里や風夏に備わっていて……私には……いや、この話は今いいかな……。技術的に上手く弾けるだけではなく、その楽器が持つ表現の可能性を何処まで弾き出せるかが……という話なんだとも言えると思う。
「……」
恵梨の前でキーボードの鍵盤に自分の指を触れさせながらも私は私自身の音を主張させようとさせる。透明で何もないグラスの中を眺めているのと一緒で、ただ空っぽの器のような音を奏でることしか出来ない。
自分の中では先ほどの真人さんのものが圧倒的に優れていると認識すらありながらも、恵梨に「聞かせて欲しい」と言われた弾いていた私だったが、その手は徐々に震えそうになっていると恵梨が声を掛けてくる。
「渚、バンド入らない?」
「え?私が……?」
不意に恵梨から言われた言葉に疑問を覚えてしまう。
「渚の実力はかなりのもの……。今の私達のバンドに足りないパズルのピースになると私は確信したの。あの……ピアノから奏でられる音は私自身に情景というものを浮かび上がらせてくれているほどだったから。……具体的なこと言わないと、ピンと来ないよね。指先が鍵盤に触れたたびに、淡く滲む光の粒が零れ落ちるようでさ、音が風景を描くみたいに広がって行くの。さっき弾いてた曲、ボカロだよね?」
無言のまま、首を縦に振ると恵梨は言葉を続ける。
「元ある曲って全部が全部こういう解釈ですって説明されている訳じゃないから、どういう風に捉えることは出来るけど……鍵盤から飛び出して来ていた音はその曲とちゃんと一致していたと私は言える。そうだね、その曲の寂しさとか悲しさとかそういうものをちゃんと出せてたよ」
と言われても私にはよく分からなかった。
「私がイラストレーターもやっているのも知ってるよね?」
「え?う、うん」
「関係ないことのように聞こえるけど、そういう音やイラストだけでこういう世界があるということを彷彿とさせてくれる人っていうのは凄く秀でた才能の持ち主だと私は信じている。だから、私は渚のことをバンドに誘いたい、私たちのバンドに」
恵梨は私のことを凄く丁寧に分析してくれていた。
此処までちゃんと自分のいいところを褒めてくれるのは少し照れ臭いものがあったけど、謂われても凄い良い気分だったのは間違いなかった。でも……私は……。
「ごめん、恵梨……!!私、恵梨達のバンドには入れない……!!」
「……理由聞いてもいい?」
頭を深く下げて恵梨と目線を合わせながらも、理由を説明し始めていた。
「……私にとって千里は目標であり憧れで尊敬している人物。その人と肩を並べてバンドをするっていうのは凄く喜ばしいことだけで私に千里の隣に立つのは分不相応だから……」
「推しだから隣に立ちたくないとは違う?」
「それもあるかもしれないけど……一番の理由はやっぱり自分が憧れの人と肩を並べるというのが不安なの。自分が足を引っ張ってしまうかもしれないと臆病になってしまうから。それのせいで千里に泥を塗ることになるなんてことになったら私は自分が許せないから……!!」
折角の機会を自らの手で消失させてしまうというのは愚かな行為なのかもしれないけど、それでも私は自分という人間がそこに入ることで千里の顔に泥を塗るということをしたくなかった。自分の実力不足のせいでそういうことになるのは凄く嫌だったから。
「渚、一つだけ聞いて欲しいことがあるの……。千里は渚と組むこと自体、了承してくれるだろうし喜ぶと思う。バンドと言う枠組みに入ることによって自分という人間のせいで顔を泥に塗るかもしれないと想像するのは間違ってない。でも……これだけは言える」
「渚の実力は今後のパッチワークに絶対に必要不可欠。渚だからこそ出せるその旋律はきっと多くの人を魅了することができる。それが何故かと言うと、私がさっき言ったこともそうだけど渚が奏でるものには……」
「感動があるから……」
感動……?私の奏でる音に感動がある……?
恵梨の口から伝えられた確かな言葉を疑うような反応になってしまっていたけど、それもそのはず。私は自分という人間が人を感動させられる才能を持つ音楽の持ち主だと言われても耳を疑ってしまうことが多かった。
そして、私は感動という言葉より「良い」「好き」だとかそういう言葉を聞いて安堵していることが圧倒的に多かった。それは歌に関してもそうだったけど、私の奏でるキーボードで感動という二文字を出してくれたことを今まで疑うことしか出来なかったからだ。ファンの皆も同期の皆もそう言ってくれていたのは良く知っている。けど、自分の音に自信がなかった。その「感動」という言葉が今更になって自分の胸の奥まで浸透するようにして響いているのは今目の前にいる人が私にとって……。
憧れの人の隣に常にいた人だったから……。
バンドという箱庭の中で常に恵梨は千里のことをサポートしていたのは私は知っていた。そんな彼女の口から出た真実の言葉が私からすれば自分を揺らがせるのに相応しい言葉だった。今まで自分のキーボードに自信がなかった私からすれば……楽になっていいかもしれない。もう此処で恵梨の手を取ってもいいかもしれない、眩い光に包まれたい。そんな彷徨う心すらある自分がいる私は……恵梨に「やりたい」と告げようとしていた口が動こうとしていたけど……。
「恵梨、ごめん……!!」
自分が選んだ選択は「逃げ」。
恵梨の目の前でこんな醜態を晒したくはなかったけど、私は自分が千里と肩を並べるなんていうことは精神的に無理としか言いようがなかった。確かに魅力的な提案。でも、それは私にとってきっとこれから先重圧になるのは間違いない。そうなれば、私は自分という人間に自信がなくなって千里を汚してしまうかもしれない。それが嫌だった私は逃げるという選択肢だった。
「待って」という言葉が聞こえていたけど、その言葉が切り裂くようにして私はその場から逃げていた。移り行く景色のなか、私は恵梨を完全に振り切る為に走り続けていた。冷たい風を一心に引き受けながらも歩き続けていると、公園を見つけた私はその中へと入る。
木々に囲まれながらも道を歩いていると、ベンチを見つけて私はそこに座り込む。
走って来たこともあり、額には汗がかいていた為、ハンカチで拭いながらもぐったりと座り直す。周囲を一応確認してみたけど、恵梨は追って来ている様子はなかったことに対してそっと肩を下ろしながらも目を瞑って瞑想をしようとも考えていたけど、気持ち的にそれを出来る余裕がなかった私は公園を眺めることにしていると、人影が見えて来ていた。
茶髪の背が高めの男性が歩いている姿が目に入って来ている。
この時間に散歩は凄く珍しい気もするけど……。でも、こういうお昼時に散歩をするというのも凄く風情があっていいのかもしれない。太陽の光に包まれて一歩ずつ踏みしめて歩き出すということは……。
現実逃避をしながらも私の方向へ歩いている男性の姿が徐々に近づいてくると、その男性に見覚えがあったような気がしていた。自分の中で思い出すのに必死になっていると、その男性の姿が鮮明になってきて初めて気づいた自分がいた。
「竜弥君……?」