傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
風夏の言葉が胸に響いている。
そうだ、私は風夏が聞き飽きたぐらい千里の話をしてきたことがあった。それは今でも変わらない。風夏は知っているから、言ってくれている。でも、私には……私には隣に立つ資格なんてない。
千里の隣に立つ資格なんてない。
感動もない空白の音なんてただの雑音でしかないのだから……。
気づけば、私は風夏の手を振り払って走り始めていた。
竜弥君や紀帆の前から逃げて逃げて私は自分の行く宛もないこの感情を風と共に駆け抜けながらも思い出を振り返ろうとしていた。
初めて楽器というものに触れたときのことを覚えている。
お母さんに習い事としてピアノ教室に行ったとき、先生から才能があると言われたことがあった。困惑しながらも、その話を聞いてみると私が奏でるピアノからは「感動」の二文字があったらしい。先生は、是非ウチの教室で習わないか?と言われて私は微妙に反応に困りながらも、頷いていた。私にも誰かを感動させられるならとなっていたのかもしれないけど、その感情はすぐに打ち壊される。
いや、打ち壊されるというよりは……自分の音に感動という意味が分からなくてずっと不安になる日々送ることになっていた。自信がないからと思い続けてはいたけど、それでも怖くて仕方なかった。自分の音の何処が感動できるのか、何故情景できないのかという不安に駆られて仕方なかった。他の人の音や情景や感情を読み取ることは出来るのにという不安がじわじわとあふれ出していた。
そんな頃だった……。
偶々ピアノ教室の帰りが遅くなって家の人が迎えに来れないと言われて歩いて帰っていた。冷たい風が耳や肌に当たるなか、手袋をしていなかったらきっと手まで冷えていたかもしれないなんて少し笑いながらも私は歩いていると耳元に音楽が入って来ていた。
音楽が耳を掴んでくるなんてことは偶によくあることだから気にすることもなかったはずだった。何故なら、お店で流れている曲が時々外へと漏れ出していたり、外のスピーカーで音楽を流していることだってあったから……。
じゃあ、何故その音だけが私の耳に伝わって来たのか、と言われたら……。
響いたという言葉が相応しい。
耳を通して響く歌声が、まるで静かな湖に投げ込まれた小石のように、心の奥へと波紋を広げている。音の粒が鼓膜を撫でるたび、胸の奥がじんわりと熱を帯び、鼓動がゆっくりとそのリズムに溶ける。その歌声は、やがて血液にまで沁み込み始めてその旋律に合わせて自分の体が震え出していた。
その歌声の持ち主の正体を知るために私は少し早歩きで音が聞こえる方に向かって行った。自分の心がそれを欲している。誰が、どんな人が、どんなように歌っているのか気になって仕方なかった。止められない興奮を抑えつけられなくなりながらも私はその場所へと辿り着いた。
声の正体に辿り着いた……。
夜の街角、一人の少女が少し新しめなギターを抱え、そっと指を弦に這わせる。細くもしなやかな音が空気を震わせ、彼女の唇から零れる歌声が、薄闇に溶けていた。行き交う人々が彼女の歌声を気に留めることもなく、彼女の世界の中でギターと声だけが満たされているようだった。結ばれた風に揺れ、瞳は何処か遠くを見つめている。けれど、彼女の歌には確かな温もりがあったのは間違いなかった。
道端に堕ちる街灯の淡い光が、彼女の小さな舞台を優しく照らしている。彼女はただ、心の奥にあるものを音に乗せている。それが誰かに届ける為じゃなくて、自分を満たす為なように見えていたのはきっと正しかった。
「あ、あの……!!」
どうしてもその光の中にある女性のことを気になった私は声を掛けることにした。
ちょうどよく歌い終わったようで触れていた弦からも手も離して少し休憩しているようだった。
「……?」
彼女は少しきょとんとしながらも私の方に気づいていた。声を掛けれれるとは想像していなかったのかもしれない。少し踏み込み過ぎたかもしれないとなりながらも、私は言葉を続ける。
「歌声、とっても良かったでした!!そのなんていうか……聴いているだけで凄く情熱溢れる歌声だって分かって、耳に声と音が入った瞬間自分の体が震えていて凄い歌声だってなれたんです!!炎を燃え上がるような歌声が本当に凄くて……あっ、ごめんなさい急にこんなこと言い出して……」
こういうことを言うと大体引かれることが多いから、気を付けるようにしていたけどどうにも止まることが出来なかった。きっと、それは感情の昂りがそうさせていたに違いなかった。
「いいよ、気にしないでくれて。ありがとうね」
「え?は、はい……!!そ、その……本当に凄くてどうして通りすがる人達が足を止めないで歩いていられるのか不思議なぐらいの歌声でした。声が枯れようとも、指が痛もうとも、この瞬間にすべてを燃やし尽くすようにしているのが伝わって来たんです!!」
「そんなふうに言われたのは流石に初めてかな、名前聞いてもいい?」
「はい、私は碧波渚です……!!」
「渚……良い名前だね」
これが……私と千里の出会いだった。
自分の心を突き動かすほどの音楽を持っている彼女と出会えたのは本当に偶然だった。神様が本当にいるのかは知らないけど、それでもこの巡り合わせに感謝していた。この運命的な出会いのおかげで私の日常が少しだけでも寂しくないものになったから……。
「ねぇねぇ千里……!!このレッサーパンダ可愛くない!?最近この動物園に入って来た子なんだって!!」
「へぇ……でも関西方面かぁ、流石にきついかもね」
「うっ……確かにそれはそうかも……」
ある日、千里が路上ライブを終えて一緒に帰りながらも話をしていた。
何度も何度も千里の路上ライブに通い詰めていたうちに私はこうして自然と千里のファンであるのと同時にお互い距離感が近い存在になっていた。普通だったら、こういうのって異端なのかもしれないけど楽しくて仕方なかった。
「関西方面かぁ……」
「どうしたの千里?」
「あーいや、アタシもこうやって音楽を続けて行けばいつかはそっちとかにも行くことがあるのかなって思ったんだ」
「確かにそうかも……でも私は何処でも行くよ」
千里が今後大きくなったときに色んな場所でライブをしたりするかも知れないと想像するだけで楽しみでしょうがなかった。心の内から込み上げてくるようなものがあった。
「相変わらずだね、渚は」
「そりゃあ、当然だよ。千里のライブだよ?」
「じゃあ、楽しみにしててね」
街灯の光に照らされながらも私達が楽しく語り合っているところが光り輝いている。
二人だけの時間というものは本当に楽しくてしょうがなかった。こんな日々が続けばいいと願っている内に私と千里は交流を深めることが多く増えていた。普通の人が見たら少しおかしい関係なのかもしれないけど、私は本当に心が踊っていた。こんなにも凄い歌声の人と話せるなんて、と……。
千里の歌を聴いていれば自分だけの音の感覚を掴めるかもしれない。
そう心から楽観的に思えれば良かったのかもしれない……。実際は違った。千里の音楽は確かに私にとって心地よくて憧れが強くなっていくばかりだった。ピアノから逃げて、歌手という道を選んでからも私の音が……感動と言えるモノなのか納得できる日々は来なかった。
例え、それが千里や周りの人に褒められようともそうだった。
そして、千里以外で初めて魅了される歌声に会えたときがあった。
それは風夏の歌声……。
風夏とは高校に入ってから出会った。偶々、音楽室の前を通っていると彼女の歌声が耳に入って来て気になって仕方なかった私は教室の扉を開けて話しかけていた。いきなり過ぎて風夏は凄く驚いていたけど、話していてお互い仲良くなれると分かるほどだった。
風夏の歌声は、まるでステージ上で燃えるように響き渡るようだった。澄んだ空気を切り裂くような明るさと、胸を揺さぶるほどの情熱を帯びた声に……。まるで朝焼けが一気に世界を照らすようで、風夏の歌は人の心を染めて上げて行くほどのものだった。
「風夏は凄いね!!風夏の歌声は言葉が旋律に載ってて、感情が鮮やかに映し出されているって感じがして!!」
「そうかな、私は渚の歌も好きだよ?心落ち着くようなあの歌声」
「そ、そんなことないよ!風夏の方が凄いよ!!」
ある日の高校の昼休みの時間、一緒にお弁当を食べながら話をしていた。
風夏は人の気持ちに寄り添ってくれて凄く優しい心の持ち主だった。周りから見たら凄くお人好しもいいところなんて思われていたかもしれないけど、本当に陽だまりのような友人だった。
「推しの音楽聞いてるの?」
「うん、千里の音楽って凄く良くってさぁ……。本当に歌声を聴いているだけで鼓動が凄く揺れ動いているような感覚になるんだよねー!最近はライブ会場とかでもやってるし、その内本当に大きくなりそうだよ!」
「本当に渚はその人の話をしているとき、凄く楽しそうだね!!ねぇ、今度ライブ連れて行ってよ」
「えぇ!?一緒に行ってくれの!?行こうよ風夏!!」
「じゃあ、日程分かったら教えてね?」
無言で頷き返しながらも、私は満面の笑みで風夏の言葉に了承していたと思う。風夏はいつも私が千里の話をしているのを聞いてくれていた。そんな風夏に救われている自分がいた。そして、千里自身、千里の音楽に救われている自分が居た。
ただ、一つだけ私の中でずっと渦を巻いているものがあった。それは……自分はやっぱり風夏や千里のようになりたくてもなれないんだと焦りしかなかった。あの二人の背中を追いかけたかったけど、私には無理だったんだ……。
自分の音に感動なんてなかったから……。