傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
金魚を網で掬い取るようにして他の人の音楽から感情というものを読み取ることが出来ても、私は自分の音からは一生感動というものを掴み取ることが出来ない。だからこそ、風夏達の前から逃げた。
逃亡するという行為が正しかったのかなんてことは目を瞑ることでしか誤魔化せない。それでも、私は逃げるという選択を選んでしまった。これで良かったのかなんて自分に都合のいいことを呑み込ませたまま珈琲店に気づけば逃げ込んでいて、会計を済ませてコーヒーを買っている。
顔を伏せながらも片手でコーヒーが入っている紙コップを掴んでいる。
手から通じて暖かい感覚が伝わって来る。今はもう四月ということもあって、少しばかり季節外れかもしれないその温かいコーヒーは少し口に付けていた為、量は減っている。頭を少しばかり動かして外の景色を視界に入れると、既に夕暮れ時になっている。夏になれば、綺麗な夕焼けを見れるかもしれないと少しばかり期待感を抱きながらも、他のことに意識を向けようとしていたけど結局は恵梨に言われた言葉が頭から離れなかったのと同時に竜弥君から言われた言葉が脳裏から離れない自分がいる。
確かに僅かに心の中には千里と一緒に音楽をやりたいという願望がある。
それは確か……。でも、やっぱり私は……。
「えっと、大丈夫ですか……?」
「大丈夫……」
珈琲店で一人、珈琲が入っている紙コップを握り締めていると隣から少年のような声が聞こえる。彼はそんな私を心配だったのか、声を掛けながらも隣の席に座って来ていた。こういうときって落ち込んでいても知らぬフリをしている人がほとんどな気がするけど、こうやって話してかけてくるということは結構優しい子なのかもしれない。ただのナンパ目的かもしれない……けど。
「あっ……すみません。急に話しかけて迷惑でしたよね」
「気にしないでいいよ」
と思ったら凄くおどおどしている。
本当に心配で話しかけてくれたんだとなりながらも、紙コップに口をつけながらもコーヒーを飲むと仄かに苦い味が口の中に広がっている。隣の彼も一口、コーヒーを飲んだ後に「苦っ……」と言いながらも砂糖を付け足していた。
「わ、笑わないでくださいよ……」
「ご、ごめんね」
「あーえっと、別に気にしないください。その……あーなんて言えばいいんですかね。こういう珈琲店っていいですよね。こう……色んな人達がコーヒーを片手間に仕事をされてたり、話をしている風景って……」
「そうだね、私も嫌いじゃないかな」
何かを話をしようとしていたけど、いきなり切り出すのはまずいと判断していたのか彼は違う内容から切り出していた。多分心配してくれていて「どうかしましたか?」と言おうとしていたんだけど、いきなり聞き出すのは控えたんだと思う。
「それにしても、此処のコーヒーって結構美味しいですよね。偶に来るんですけど、豆を直に淹れたって感じがして好きなんですよ」
あんまり慣れていない口調でコーヒーのことを語り始める。
詳しくないということだけはなんとなく伝わっていたけど、必死に話題を振ってくれようとしてくれている彼にこう問いかける。
「心配して話しかけてくれたんだよね?」
「え、えっと……はい。そうですね……なんというか見過ごせなかったので……」
そう切り出せると少しソワソワした様子になる。
自分が話をされるとは考えてもいなかったのかもしれない。
「優しいんだね」
「あーいや……全然そんなことないですよ。知っている人とかに余計なことに首突っ込まなくていいと言われてしまうほどですし……」
頬を軽く掻きながらも恥ずかしそうにしている。
褒められて慣れてないというよりは褒められることが少し恥ずかしいという感情があるっぽい。顔立ちを見る限り、高校生ぐらいの子だから年相応の反応かもしれない。
「じゃあ、一つだけ聞いてもいいかな?」
「構いません」
探り探りに話を聞き出そうとするのをきっぱりとやめていた。
彼が一口コーヒーを飲んだ後に今度は「甘い……」と言っている声が聞こえていた。それを一種の風情と捉えながらも語り始めていた。
「最近ね、憧れの人とバンドを組まないか?って誘われたんだ。やりたいって言う意欲はあったかもしれないけど、自分には駄目だってなったんだ……」
「どうしてですか?」
色々言いたそうにしていたけど、言葉を呑み込んで最善の言葉を発していた彼。
「自信がないんだ、自分の音に……。他人の音から得れるものがあっても、自分の音から得れるものはない。それどころか……自分という人間が無力に思えるだけなんだ」
「だから……隣に立てないってことですか……?その人と一緒に音楽をやったら、迷惑が掛かるから……。そういうことですよね?」
「うん、そういうことだね……」
彼は整理している。
自分の中で言葉というものを掴み取っては選んでいるようだった。そして、息を呑み込んだ後に彼はこう言う。
「僕は何とも言えません……。貴方が尊敬している人とバンドを組みたいというならそれも一つの手だと思います。ですが……自分がその人の足を引っ張ると少しでも躊躇いがあるのならやらない方がいい……。僕はそう思います」
「そうだよね……」
「ただ、関係ない話を一つさせてもらうと……僕もそうでしたよ」
「え……?」
膝元で手を組みながらも彼は夜の景色を眺めている。
そしてその瞳は輝いていて、眩い光と共に包まれている。
「僕にも尊敬している人がいます、サインを今でも額縁に入れて飾るほど尊敬している人がいます。そんな人と繋がりが深めるときがありました。最初は……凄い光栄で心が踊っていましたよ。でも……偶に思ってたんです。この人と一緒になにかをやっていいのかって……」
話を遮ることなく何も言わずに黙り込んで彼の話に集中していた。
その話は自分と同じものを持つ子の話だったから。
「でも、俺の場合は……それは結局消滅したんですよ。それが何なのかは今でも不明ですけど、理由があるとしたら……楽しいとなる時間の方が圧倒的に増えたからです」
「楽しいとなる時間……?」
「僕にとってあの人と居る時間は大切な時間でした。多分、僕もあの人もお互いに情けないところも醜いところも見せていたと思います。それでも、楽しかったんです。だって、そうじゃないですか?」
「推しと一緒に何かをするって……普通考えられないじゃないですか」
確かにその通りだ。
推しと一緒に何かをするということは普通当たり前じゃない。昔からずっと千里とは近い距離で話したりすることが出来ていたから、それが至極当然みたいなことを思う日はなかった訳じゃないけどそれでも彼の言っていることは正しかった。
「だからもし……貴方が何か思い出を作りたい。やってみせたいと言うのなら……その気持ちに従ってみるのも悪くないのかもしれません」
信念を持っているというのはこういうことを言うんだよね。
彼は自分という個の人間を持っているからこそ推しと一緒に居てもそれに揺れ動くことなく、自分を示して見せてたんだ。それに……なんとなく気付いたことがある。
『僅かにでも心の中に千里と音楽をやりたいっていう感情があるなら……それに従って動いてみるのも案外悪くない』
竜弥君が言っていたあの言葉……。
あれは紛れもなく紀帆からの受け売りだけど、きっと今目の前にいる彼から受け取ったものもあったんだ……。
彼が青空奏多だから……。
それなら必然と彼が尊敬している人というのも誰なのか頷ける。
「まあ、こんなところです。僕の見解が正しいと言うつもりはありませんけど、もし貴方に思い出を作り上げたい、尊敬する人と何かをやりたいって言うなら……それもいいんじゃないんですか?」
「思い出……一緒に何かをする……」
僅かに残っていたのはきっとそれだ……。
千里といっしょに音楽を作り上げたいという気持ちと私の中でこれから一緒に千里と思い出を作り上げたいと言う感情があった。やましいものなのかもしれないけど、それでも掴み取りたいものだった……。
「じゃあ、僕はそろそろ行きますね」
「うん、ありがとうね」
「いえ、僕の言葉。お節介じゃないと良かったですけど」
「ううん、そんなことないよ」
飲み終えた紙コップを少し揺らしてから彼は椅子から立ち上がると、膝をぶつけたようで「痛っ……」という声が聞こえていると、私が少し微笑むと恥ずかしそうにしながらも彼は店を出ようとしていた。
「……」
一人になった私は色々なことを考えていた。
その色々は勿論、千里達のバンドのこと。彼や竜弥君がああ言っていたように私には千里と一緒にバンドをしたという意志はある。意志はあるけど、自分に自信がない。音に自信がない。そんな状態で千里達と一緒にバンドをやって行くなんて険しい道のりでしかないのかもしれない。それでも、私は千里達と一緒にバンドをやりたいという思いが途切れることはなかった。
きっとあの二人の言葉と千里の音楽を聴いたから……。
「ったく、あのガキはほんま腹立つやな……」
「気に入っているんだよ、紀帆のこと」
「そうは言っても、店に入った瞬間げっ!?はないやろ」
お店に入って来た二人組と思われる声がお店の中に響いている。
このお店でコーヒーを飲みに来たのかと想像していたけど、その声がどうしても聞き覚えがあってその方向を振り向くと、そこには……。
「風夏、紀帆……」
珈琲店に来ている二人が私に気づくと私の隣に座ろうとしている。
逃げようとすることも出来たかも知れないけど、今度は逃げることすらしなかった。それは諦めたとかじゃなくて覚悟があったから……。
「二人共も聞いて欲しいことがあるんだ……」
覚悟ならある。
それが今にも消えそうな火だとしても、私は千里と一緒にいたい。
憧れを憧れにするのもいいのかもしれない。
それも一つの手だと思う。でも……私は……実現させてみたい。
「それで渚、話があるって聞いたけど……もしかして……」
次の日、大学が終わった後の放課後……。
恵梨に連絡をして今はファーストフード店にいる。少し軽食を頼んだ後に自分が今どうするべきなのかを話を切り出そうとする。
「うん、決めたよ……」
「バンドやるよ……」
もう迷いなんてなかった。
今この胸にある高揚感は……これから先千里と一緒にやり続けるという意志と決意しかなかった。
「千里と一緒に音楽を作り上げたいから……!!」
自分自身の音に対する自信は今でもない。
それでも私は微かにでもあるならやり遂げたい、一緒に……!!