傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
『渚って自分の音気づけてる?」
あの日の言葉を今でも覚えている、愛に言われたあの言葉は衝撃的なものだった。
今まで他の人に指摘されたことが無くって、自分がどう凄いのかまるで認識できてなくて辛い日々が続いていたから……。
『気づけてない……』
鍵盤から軽く手を弾いただけだというのに自分だけが知っているその認識に誰かから言われたと言う事実だけが重く伸し掛かっている。それのせいもあってか、あのときは宙に浮いていた腕にも力が入っていなかった。
『はぁ……』
はっきりとしたことだけを伝えると愛は溜め息をついている。
スタジオ内という二人だけしか居ないこの空間の中でその溜め息は重く冷たく反響していた。
『これだけは伝えておくよ、渚。今こうして凄いだとか褒められていても自分の音の良さに気づけていないようじゃ、いつまで経っても成長なんて出来ないね』
『そう……だね』
その言葉は自分でも苦しいほど呑み込んできたものだった。
自分の頭ではそれを理解していてもどうすればいいのかなんてのは何も考えられない。コップに水を入れても底がないからずっと水が垂れ流しになってしまうような異様な光景が続いているだけになっていたから。
『渚の音楽、私は嫌いじゃないんだけど……。まあ、自分で見つけてみればいいさ』
『愛は教えてくれないの?』
『そういうのは自分でも拾い上げるもんだからさ、それじゃあ私はこれにて失礼するよ渚……』
『ありがとう、愛』
何も言わずにただ軽く頷きながらも、愛はスタジオを去っていく。
低めな声でいつものように淡々とした口調で、凄く痛い所を突くことが多いけどそれでも私達同期に優しさを見せてくれるということは知っている。さっきだって、私の音楽のことを嫌いじゃないと言ってくれていた。
それに……。
こうして何も言わずに喉が渇いているということを察してくれて飲み物を置いて言ってくれているところが本当にいいなと私は心が温かくなりながらも私はその飲み物を飲んでいた。
「自分の音……」
自分の音を導き出すというのは難しいものだった。
イヤホンを通して自分の声や鍵盤から弾かれているものを聞こえていてもそこから浮かび上がる感情とかそういうものが浮かび上がらない。こう、なんというか無だけ生み出されている不思議な感覚になってしまう。
「……」
試しに周りを観察する。
今、私がいるのはドーナツ屋さん。レジの周りを眺めると、そこには美味しそうなドーナツがガラスの中に綺麗に並んでいる。私が一番好きなのは軽くて滑らかなホイップクリームがたっぷりと入った、ふわふわと食感のしたドーナッツのエンゼルクリーム。そのドーナツを視界に入れていると、綺麗なピンク髪の女性がトングで掴んでいるところが目に入る。姿勢があまりにも綺麗で視界が奪われてしまいそうになりながらも、私はお店の中へと目を移して行く……。
そこでは和気あいあいと楽しそうに話している人や一人でドーナツを美味しそうに食べている人がいた。
「こういうのだったら幾らでも思いつくのになぁ……」
自分のにとなると、いざ何も分からなくなる。
音が閉ざされた世界にいるようになってしまう。自分に自信がないのは事実だけど、それ以外に何か理由があるような気がしてならなかったと頭を抱えていると、隣にご年配の男性が座って来ていた。買ってきたのはどうやら私と同じドーナツだった。
「あれ……この人……?」
何処かで見覚えがある風貌……。
ご年配の方なのに凄い佇まいがしっかりとしていて、何処か気品があるようなこの感覚は間違いない……。
「あ、あの……!!」
「あの……真人さん、お願いがあります……。私に……自分の音の出し方を教えてください」
真人さんに頭を下げながらも私は教えを乞おうとしていた。
「あ、えっと……いきなりごめんなさい!!その……えっと……「理由を聞いてもよろしいですかな?」」
「え?は、はい……!私は自分が奏でる鍵盤に感動が無いとしかずっと思っていました。周りには凄く良いだとか言われていることがあっても、それが不安になるけど自分ではどうすればいいのか悩むだけでどうすればいいのかなんて決められなかったんです。でも、今なら確実に言えます……」
「私は……自分の音がどれだけ素晴らしいのか知りたい。鍵盤から弾き語れる情景がどのような者か知りたいです……!!これから先、あの人と一緒にやり遂げて見せるなら……!!」
自分の覚悟なら決まっている。
あの子が言っていたように……。私もやってみせたい、推しと一緒になにかをするということを……。例え、どれだけ辛くても過酷な日々が待っていることになっても千里と一緒に居たいから……。秘めた思いを掲げながらも、私は真人さんに自分の意志をはっきりと伝えると一口紅茶を飲んでいる。
その一口は私の決意を頭の中で綺麗に整理する為のものだったのかもしれない。
「分かりました、いいでしょう」
「え?い、いいんですか……?」
急にこんなことを頼んでしまった為、断れるかもしれないというのを頭にあった私は自分が今少し間抜けな表情をしていると自覚している。忙しいかもしれないから、絶対に断れるかもしれないと予想してた……。
「構いません、貴方の熱意は充分に伝わりました。誰かと一緒に音楽を奏でたいという願いは決して悪いものではありません。それが自分が尊敬できる人というなら尚更のことです。では行きましょうか」
「え?行くって……何処にですか?」
「ええ、スタジオです。今日の予約がまだ空いてるかは分かりませんが、時間というのは有限です。急ぐ必要はあるでしょう」
「は、はい……!!」
本当に突然頼んだことなのに此処まで積極的に行動してくれるのは本当に有難かった。
今の自分に足りないものを知れるかもしれない絶好の機会なのは間違いなかったから……。
◆
「はぁ……そういうことだったんだねぇ……」
今はスタジオ……。
二人で合わせ練習をした後、端末で録画していたものを自分で確認する。ヒメとの合わせ練習をしてようやく判明したことがあった。
「え?え?どういうこと、琉藍……?」
「あーいや、今動画回してた奴確認したんだけどさー。音が全然合ってないんだよね」
お祖母ちゃんに言われたことがようやく頭の中で回転できている。
自分勝手にドラムを叩いているというのは本当のことだったけど、どう自分勝手に叩いているかはイマイチ掴めていなかったけど、こりゃあ言われるに決まってるねぇ……。
「音が全然合ってない?」
「そうそう、ドラムとベースの関係ってさ、リズムを作るための土台みたいなもんだけど、それが全く合ってないんだよねぇ」
「え?嘘!?」
今気づいたようにして口元を手で隠しながらも反応を示すヒメ。
動画の内容は香織に言った通りの内容でしかない。私が前にのめりで叩いているせいで、香織が後ろに溜めて弾いているような感覚になっている。要はリズムがちぐはぐしているということ。
「はっきり言ってこれでも42点は高すぎるって感じかなぁ、まあお情けってところかもしれないけどさー」
「うっ……確かにこれはやばい……」
タブレットで撮った動画をヒメも一緒に確認する。
まあ、あの人が……お世辞とかお情けとかそういうの絶対言わなさそうだからマジで42点って言う点数を付けたのは間違いないだろうけど……。とはいえ、こうまで致命的な問題を気づけなかったのは流石にやばいとしか言いようがないかなぁ……。本当よくあのときだけちゃんと演奏出来たよ……。
「よしっ……!!じゃあさ琉藍、こうしない?」
「お互いのリズムを修正できるまでお互いにぶっ倒れるまで練習を続けるってのは……!!」
結局、ヒメがいう特訓はエリーの頃とやっているのと全く何も変わらなかった。
まあ、この後エリーも来る予定だったしそうなるのだろうとはなっていたけど、まさかヒメまでそういうことを言い始めるなんて予想だにもしていなかったなー。
「ぷっ……なにそれ……でも……」
「いいよ、やろうよ」
◆
「やっと出来た……」
自宅で今度投稿する予定の歌ってみたの収録を終えて、私は床に置いてあった水が入ったペットボトルを飲み始める。少し喉が渇いてた私にとってその潤いはオアシスのような感覚があった。水を飲み終えた私は、一度その場を離れようとしたとき、スマホから着信音が鳴っていることに気づいてすぐに電話に出る。
「どうしたの千里?」
電話の相手は千里。
千里から電話が来るというのはそんなに珍しいことでもなく、私は普段通りに電話していると千里の息を吸い込むような音が聞こえてから吐くような音が聞こえていた。
「風夏、お願いがあるの……」
「アタシに……声を教えて欲しい……」