傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
アンナとマナの歌声がライブ会場を通して伝わって来る。
二人の歌声は調和されて聞こえてはいるが、ふと私の中に引っ掛かる。声が、ただ音として流れて来るのではなく、一つ一つの音が、私の胸を軽く震わせるようにして響いて来る。まだアンナの歌声は完全ではない、制御が掛かっている。だと言うのに音の立ち上がり、一つ一つのフレーズが、それぞれ違う表情を持っていることが分かる。長年、歌というものから離れていても付きまとうようにして蘇るあの頃の記憶は途切れていないようだった。
こういう場所に来たのは何も久しぶりではなかった。あの頃の自分を取り戻したかったのか、私は何度だってこういう場所に訪れることはあった。そして、今回初めてこの場所に来ようとなれていたのはこの二人がこの場所で歌うということを聞いていたからだ。
久龍アンナ、神代マナは私にとって記憶の中の一枚に刻み込まれている。
千里と出会ったときのことは今でも覚えている。
あの日、ある帰りだった。その道は正しく舗装されているはずなのに私にはそれが迷路のようになっていた。それほどまでの精神状態でありながらも、歩いている状況は危険だったのかもしれないが自分をなんとか保たせながらも歩いていると、歌声が耳に入って来ていた。
この場所で人が歌っているなんていうのはいつものことで特に気にする必要性もなかったはずなのに足を止めてしまう。止めたということはその歌声に何か惹かれるものがあった。そう判断していたが、誰も止まらずに歌い続けている少女が視界に入る。歌声は……はっきりと言って素人もいいとこだった。特段優れている部分もなく、これと言って魅了される部分もない。誰もが足を止めない聞こえないふりしているのは当然だろう。辛辣ではあるが、これが少女に対する歌声の評価。
だが……これが耳に入ったということは紛れもなく自分にとってその歌声が何か引っかかる部分があった。じゃあ、その部分というのを彼女の歌声を聴きながらも整理しようとしていて一つだけ気づいた。
「随分……独特だな」
彼女の歌声は確かにそれと言っていいと言えるものもないが、はっきりと言えたことがある。それは……この少女を全力なんだということだ。歌うことに全力なんてのは誰もがそうなのかもしれないが、この子の場合は違う。この子は自分がまるでステージに立って歌っている姿を想像しながらも歌い続けている。
他者の視点ではそれは絶対に気づけないことではあるが、彼女のを暫く聴くことによって捉えることが出来た。まさか、こんな出鱈目な方法で歌おうとする奴がいるなんてな……。
「お前……名前は?」
歌い終わった後に気づけば私は彼女に話しかけていた。
……本当に世の中分かったもんじゃなかった。今日という日にこんなにも酷いことや良いことを堪能させてくれるんだからな……。しかも、その少女に私は……歌という概念を教えてたと言っても過言ではないからな……。
そして、宮下風夏……。
お前と出会ったのも偶然でしかなかった。偶々、知り合いに頼まれてある女性の音楽を評価をして欲しいと頼まれたことがあった。こういうことはよくあって、オーディションとかそういうのをやるから何故か私もそこで参加して評価して欲しいと頼まれていたのだ。元々、そういう仕事に携わっていたからこそ言われていたのかもしれないが……。そして、その相手が宮下風夏だった。
「割とやれそうだな……」
風夏の印象はそうだった。
スタジオの中で聴く彼女の歌声はとても耳に心地よく信念がある歌声だった。誰かの背中を一押しできるそんな歌声。こういう歌声を聴いたことは何度もあったが、悪いものではなかった。綾川千里のときのようにどうして自分がそんな感情を抱いていたのか分析する。
そして、彼女の歌声が脳内に入る度に分析できたことがある。
宮下風夏の歌声は分析すればするほど興味深いものがあると知ることが出来ていた。彼女の歌声はただ背中を押すだけの役割ではない。感傷的にさせるだけでなく、未来へと向かわせるような意志を感じさせるような歌声、希望を秘めた明るく、前に進む決意が滲むような歌い方が聴く人間の「これから」を照らし出しているようだった。芯のある歌声の正体はこれなのだと気づかされた私は彼女の歌声に魅了されて共感している自分がいた。
結局、風夏はこのオーディションは落ちてしまうのだったが、私はそんな彼女に声を掛けた上でこう言ったのだ。
──音楽の道を究めてみないか?
それから程なくして風夏にも私は音楽を教えることになった。
二人は歌というものに対して熱心で非常に教え甲斐がある生徒だったのと同時に私の中であの過去を呼び起こすものにもなっていた。
『私には音楽が出来ない……』
あまりにも非力で弱く、脆弱性を抱えていた私自身のことを……。
今でもあの日のことを記憶から忘却したことはなかったが、今目の前に聞こえてくるアンナとマナの歌声に私は気づかされたことがあった。
「お前らは……あの頃から進めたんだな……」
◆
「はぁ……疲れた」
風夏がファミレスのソファーに寄りかかりながらも、汗を拭いてた後にグラスに入ったジンジャーエールを飲んでいる。喉を通して炭酸の味が広がると生き返るという感情がこういうものだと感じているようだった。
「風夏、ごめんね。路上ライブまで付き合ってくれて……」
「あーいいよ、全然気にしないで」
軽く笑顔になりながらも風夏は首を横に振っていた。
Vとしてのライブを終えた後、もう一ライブをしたくなってきていた私はなんとか路上ライブをできるように手配して貰ってその場で即興で路上ライブをしてみせた。お客さんはそこそこいた気がするけど、歌うのに夢中になり過ぎてて路上ライブはどれぐらい人が来ていたのかもあんまり覚えていない……。
「掴めた千里?」
「うん、掴めたよ。アタシだけの音楽……」
実際にお客さんを招いてライブというものを体に味わせるという劇薬に近い行動でアタシは自分の声の制御の先に辿り着くことが出来た。風夏の言う通り、空間に縛られ過ぎてしまっていた。
そして、その呪縛を解放する為にアタシはライブに出ることでそれをぶち壊そうとした。我ながら本当に無茶な作戦だったと思うけど、この作戦は成功できた。今でも体全体があのライブの感覚を思い出せてくれる。あの熱気が体から冷め止まない状態のままで飲み物を飲んだら今すぐにでもその心が冷たくなるような気がしていて飲めていない不思議な自分がいる。
解放できたのは正直、本当に奇跡的なものだとしか言いようがない。
逃げ道を断って、感情を爆発させるという行為。ライブは音楽の生の感情を晒しだせる場所。そこで制御をし続けるのは不可能に近いからこそ自分を極限状態に追い込むことができる。もう歌わざる状況に追い込まれているわけだし、お客さんの反応を体験できる。なにより、傍には風夏が居てくれた。安心しながらも歌い続けられることが出来たのは風夏が隣で歌い続けてくれていたから。そういう色んな要因も含めて、心の衝動のままに私は歌うことが出来た。空間もちゃんとした意味で制御が出来たけど……。いつもアタシの声帯の調子を観察してくれている先生がこの話を聞いたら卒倒するかも……
「問題は……これがライブでしか出来なかったら意味がないよね?」
「じゃあ……試してみる?」
「今からまたカラオケ行くの?」
「千里は行くでしょ?」
「まあ、行くけどさ……ほら行くよ風夏」
アタシと風夏は料金を払ってからファミレスを後にする。
少しばかりの軽食と飲み物を飲んだことにより体の調子が良くなっていてた。一日中、ほぼ歌っているという光景は人からすれば変な光景でしかないけど、アタシはこれが楽しくて仕方ない。
「そういえば、千里は知ってた?竜弥君や……京花さんがあの場所に来ていたこと」
「知ってたよ、あの二人が来てくれていたのは……」
あの場所に来ていたのは本当に驚きだったけど、あの二人が居てくれたからこそ歌えていた自分が居たのもまた事実だったんだ……。
◆
あいつらの歌を聴いて……思ったことがあった。
私は……私はまだあの頃のことを引き摺っている。
バンドをしていた頃の自分を……。