傷だらけな多重人格の青年は泥臭くもVtuberとして呼吸をする 作:村上トオル
『俺のことを……僕のことを……殺してくれて構わない。だけど……』
『妹だけはちゃんと守るって約束して……』
あの日の竜弥の声が今でも頭から離れることが出来ない。
「はぁ……」
溜め息を吐きながらも私は目の前の床を丁寧に綺麗にしていると、反射越しに自分の顔が映っておりその表情は曇っているようにも見えていた。
「樫川さん、次は此処の部屋を綺麗にしてもらってもいいですか」
「あっ、はい……!」
上司から指示された場所の部屋を私はモップを使って掃除をしていた。この部屋はどうやら先ほどまで使われていたようだが退室されたようだ。また部屋に一つ静かさというものが訪れていたがその方がいいのは間違いない。
私が始めた仕事は病院内の清掃の仕事。
中でも私が担当することになったのは入院病棟の掃除。正直最初にこの仕事を始めたときは患者が吐いた嘔吐物の片づけや吐血なの処理とかで色々うっ……ってなったことはあったけど私はもうそういうものに慣れ始めていた。慣れなければ遅いと言われるからだ。
そして一つ困ったことに私は看護師ではないというのに入院病棟の患者から話しかけられたり、患者の手伝いをさせられることがあるということだ。患者にあれを買って来て欲しいとか手伝って欲しいとか言われることがある。例えば、看護師が見えていないところで外へ出て病室まで戻って来たのはいいものの車椅子からベッドに戻ることが出来ないから手伝って欲しいと言われるとかそんな簡単なことだが看護師からは私達を呼んでねと言われるばかりだ。まあその方がいいというのは確かなことだろうが「優しいね」と言われるときは私は「ん……?」となることが多い。
私はただ頼まれたからやっているだけというのに……。
そして今日も今日とて……。
「あら栞ちゃん、今日も来てくれたのかい?」
「どうも……」
入院棟の個室の病室に掃除をする為に入ると、中にはご高齢の女性がベッドの上にいた。
「今日は調子良さそうなんですか?」
「そうね……最近はお薬も効いてきたみたいで体もちゃんと動かせるようになってきたわ」
この患者さんは神経的な病気を持っているようで最近まで体をまともに動かすことが出来なかったようだが私も見ているように今では手も体も不自由なく動かせている。最近の薬というものは凄いものだ……。こういった病気でも治せてしまうのだから。
「本当は薬を飲むのは嫌だけど継続的に飲まないと治らないですよって言われてね……。それにね……栞ちゃん。私は貴方と約束したものね、ちゃんとこの病気を治したら……いつか二人でご飯を食べましょうって」
「……そうですね」
私はこのお婆さんに誓ったことがある。
このお婆さんと三ヶ月ぐらい前だろうか話したときにこう誓ったのだ。
『じゃあこうしないですか……?もしちゃんと薬をちゃんと飲めたらいつか二人っきりで食事をしませんか?こういう少しばかりの約束があった方が続けやすいかもしれませんよ?』
『あら……それは楽しそうわね』
掃除の仕事を少しサボりにお婆さんの部屋に入って休憩しているときのことだった。お婆さんは私の言葉を聞いて「楽しみが増えたわ」と言いながらも病室でご飯を食べ終えながらも今まで躊躇っていた薬を飲み始めているのを見て私は少し心が穏やかになっていた。
こんな私でも誰かの助けになっているのかと思うと自分の中の自己肯定感というものが上がるというものだった。
「栞ちゃんは確か子供が二人いるのよね?」
「そうですね、最近上の子にスマホを買ってあげたんです……」
「あら?そうなの?いいわねぇ」
自分の子供に母親らしいことをしてあげなくちゃという思いから私は一ヶ月前にスマホを買い与えていた。
『……いいの?母さん?』
竜弥と一緒に携帯ショップまで来ると、竜弥に私は竜弥のスマホを買いに来たと説明すると竜弥は首を傾げていた。
『最近の子はみんなスマホを持っているんだろう?』
『いいの?』
『……子供がそんなことを気にするな。もしもなにかあって困ったときにすぐに連絡を取れるように竜弥に買ってあげただけだからな……』
竜弥が一年生のときに私はスマホを買い与えた。
竜弥と一緒に携帯の販売店に行ったとき竜弥は「本当にいいの?」と困惑していたようだが、そんな私は竜弥に対して「変なことに使わなければ構わない」とだけ伝えると竜弥は初めてのスマホを嬉しそうに眺めててその日は夕食を食べるほどスマホに触っていたようだったのを覚えていた。記憶を取り出しながらもスマホをあげたときの記憶の中に戻ると、目の前の竜弥が笑っているように見えていた。
『ありがとう、母さん……』
私はこの子の母親として失格の人間なのは分かっている。
この子のことを殺そうとして今もこうして生きるのだから。あのときの竜弥を見ていたからこそ私はこの子を本当の意味で幸せにしてあげたいという気持ちがあったのだ。だから竜弥や結衣に何かを与えられるなら全てを与えたいという気持ちがあった。
「最近じゃ妹の結衣も竜弥のスマホを借りて何か遊んでいるみたいで……二人が楽しそうで私は嬉しいんです」
「ふふっ……栞ちゃんはいいお母さんね」
「そう……なんですかね……。私は自分が良い母親になれているのかどうか……分からないです」
「そんなことないわよ、栞ちゃんはちゃんとお母さん出来てるわ……」
「……そう、だといいですね」
他人にちゃんと母親が出来ていると言われて私は少しばかり安心している自分がいた。
あの子の首を絞めて殺そうとしたあの日から……その前からずっと自分が母親が出来ているのか分からないという気持ちになっていた。
それから何か月経った後だろうか、私の下にこんな電話が来ていたのだ。
「は、はい……そうですね。本当にすいませんでした……」
私の下にある電話が掛かってきていたのだ。
それは竜弥が中学一年生の生徒のことを何度も殴ったという内容だった。お互いの為にこのことは穏便に済ませましょうという話になっていたのだが、私はあの心優しい竜弥がどうしてもそんなことがする訳がない、何かあるのだろうとしか思えなかったのだ。
私は車に乗って急いで菓子折りを買って竜弥と一緒に謝りに行こうとするために一度、家に帰ろうとしたのだが……。
「お帰り竜弥……話があるんだが……どうして学年二つ下の生徒を殴ったんだ?」
「……その話かよ」
「竜弥……?」
「……いいよ、謝りに行くんでしょ?」
竜弥の様子は明らかにおかしかった。
いつもとは違いどうにも苛立っているようなのが伝わっていた。私は竜弥と一緒に車に乗ってその子の家に行って謝りに行った。竜弥に何度も頭を下げさせていたが竜弥は何処か不服そうにしていたのを私ははっきりと覚えていた。
「竜弥、なにか言いたいことがあるんじゃないのか?」
家に帰って来た後、テーブルに仕事の荷物を置きながらも竜弥は何か言いたそうにしている様子だった。
「……あ、あのさ……いや……やっぱりなんでもない……おやすみ」
「あ、ああ、おやすみ竜弥……」
竜弥は何も言わずに部屋の方へと向かって行ったが私は先ほどの竜弥の行動に違和感を感じながらも手にはペットボトルを持ちながらも部屋の方へと行くと、テーブルの上にはラップが掛けられたイチゴが乗っかったショートケーキが置かれていた。
「ケーキ……?」
テーブルの上にケーキが置かれている理由をすぐに探そうとする私。
ただ竜弥が私の為にケーキを置いてくれただけなのかもしれないがそれでも何か引っかかるものがあって冷蔵庫にマグネットのフックに掛けられているカレンダーを見るとそこには9月27日という今日の日にちを見て私は確信する。
「結衣の誕生日……」
やってしまった。
私は今日という大事の日を……何事もないように仕事とパートをこなしていただけだったんだ。
『あのさ……今月なんだけどさ……なにあるか覚えてる?』
あの日、竜弥が言っていたのはこういうことだったんだ。
私はあのときちゃんと「結衣の誕生日」と言っていたのに忘れてしまっていたんだ。
「おはよう竜弥、結衣……」
そして次の朝……。
私は謝ることすらしなかった。自分は忙しかったんだから仕方ない、そう言い聞かせるつもりだったんだろうが……。
「……おはようお母さん」
結衣の微妙に何か言いたげにしている表情を見て私はトイレの中に隠れるようにして逃げてしまい、そのまま扉を閉めて……こう言う。
「ごめん……」
誰に向かって謝っているかも分からないその謝罪……。そして、私は後から知ることになった。あの日、竜弥が学年が二つ下の生徒を殴ったのは結衣が虐められているのを助ける為だったということを……。
問いただすべきだったのだ。
竜弥に反論されようがちゃんと聞くべきだったのだ、あの子の本当の声を……。
ごめん、竜弥……。
その謝罪は誰にも聞こえない声となっていだろうが、私の中で今度こそ上手くやって見せようと言う決意のようなものを感じさせていたのだ。そして今回の件があったのもあってか私は次は上手くことが出来たのだ。
「竜弥……なにか食べたいものある?」
例の件から最早一ヶ月が経っており、竜弥や結衣はあれから私に対して距離感というものを感じさせることが多くなっていた。結衣の方は悟られないようにしていたがなんとなく私は気づいていた。
「え?食べたいもの……?」
「今日は給料日だったから少しぐらいなら外で食べに行こうと思ったんだけどどうする?」
偶々夜のパートがないというこで結衣と竜弥の迎えを車でした後、外に出ていた。
今日は給料日ということで自分の為に使うのもどうかと思った私はいつも常日頃結衣の兄としてちゃんとしてくれている竜弥の提案を聞いて外でご飯を食べに行こうとしていたのだ。
「外いいの!?お母さん!!?」
私が無言で頷くと竜弥の手を取って最近まで家で元気がなさそうにしていた結衣が何度もジャンプしながらも喜んでいた。こうして私がこういうことを言うのもあまり無いのもあって結衣は喜んでいたのもあったんだろうが、久々に家族らしいことを聞けて嬉しかったのかもしれない。
「じゃあさ……ラーメンがいい」
アパートの前から出てすぐにあるラーメン屋を竜弥が指す。
「ラーメン……?ラーメンで本当にいいのか?」
「うん、あそこの前通ったら偶々通ったら凄い美味しそうな匂いがしたから行ってみたかったんだ」
野暮なことを聞いてしまったのかもしれない。
私と一緒に竜弥が言うラーメン屋へと向かうことにしていたのだが道中、竜弥は母親が子供の手を握って歩いている姿を見かけて少し羨ましそうにしているのを見て私はこう尋ねていた。
「竜弥、手繋ぐ……?」
繋ぐ、と言った時点で私は竜弥の手を繋ぐと、竜弥の冷たい手の感触が伝わって来ていた。
竜弥は少し恥ずかしそうにしながらも私の手を握ったままだった。竜弥はもう中学生ということもあってこういう行為は恥ずかしいものだったかもしれないが……。
私にとっては……。
私にとっては決して悪いものではなかった。
家族、という感じがしていたからだ。
その後、私達はラーメン屋に行ってラーメンを食べていると、竜弥は初めてこんなにも美味しいものを食べて感動していたのか、麺を何度も何度も啜ったりスープを飲み干したりしていたりしていたのだ。そんな竜弥を見ながらも私はこう言った。
「美味しいね竜弥……」
「うん……」
あの日のことは決して忘れることはない。
私が母親らしいことをあの子達に初めてしてやれたかもしれないあの日のことを……。ただの私の自己満足でもいい。私はあの日の竜弥の笑顔を守れるならそれでいい。これ以上竜弥のことを悲しませたくないのだから……。結衣のことを悲しませたくないのだから……と決意を固めながらも麺を啜った後に唇を噛み締めていた。
「……今度も上手くやれるだろうか」
コンビニでの仕事をもうすぐ終えようとしていた私は11月16日は竜弥の誕生日だということをしっかりと覚えながらもお客さんが来るのを待ちながらも仕事の終わりの時間を迎えた。今度は失敗しない、私は……竜弥と結衣の何とも言えない表情を見たくないからだ。もうすぐ竜弥の誕生日がやって来る。竜弥が好きそうなものは既に購入済み。これで忘れるわけがない。
「電話来てるな……」
今日の深夜コンビニの仕事を終えた後、竜弥の携帯から何回か電話が来ていたことに気づいた。
連絡も来ていたことも確認して私はその内容を見てすぐに着替えて「お疲れ様です」とだけ言ってコンビニを後にする。その後、すぐに車の中に入って車にエンジンをかける。
「なにをやっているんだ私は……!」
スマホを仕事中弄る訳にはいかないが、それでも竜弥の連絡の多さに何か起きているのだとすぐに気づくべきだった。私は今更しても遅い後悔をしながらも車を走らせる。結衣……、ごめん。
「竜弥、結衣は……結衣は大丈夫?」
家にすぐに戻って来た私は玄関で乱雑に靴を脱ぎ棄てて部屋の中へと入る。
「……うん、今は落ち着いてる」
竜弥は結衣が眠っていた布団の前から立ち上がりながらも一瞬私のことを睨んだようように見ていた気がしていた。
「竜弥……私は……」
「もういいよ母さ……、……結衣も体調良くなったみたいだしさ……。だからもういいよ……」
竜弥の目はあのとき私に向けた可哀想な人という目ではなくなっていた。
竜弥の目は……私に完全に失望したという目をしていた。
「
どうした、どうして私は違うとも言わない、謝罪もしない。
誕生日のときだってそうだった。何故私は謝罪をしようとしない。
これじゃあまるで竜弥の言葉を肯定しているのと一緒じゃないか……。そんなにも私は逃げたいのか、自分が仕事だったから仕方ないと言い聞かせたいのか……。言えばいいだろ、一緒に居てあげられなくてごめんって……。結衣のことを看病してあげられなくてごめんって……。結衣の誕生日に間に合わなくてごめんって……。竜弥は自分のことより結衣のことを優先して欲しかったんだと分かっているのになんで言わない……。
言えば竜弥だって分かってくれるかもしれないだろ……。
ああ、そうか……。
私が竜弥に言い訳も謝罪をしないのは……目の前の現実から逃げたいと言う気持ちがギャンブル中毒者の頃から変わっていないんだ。私は……どうしようもないクズなのは変わっていなかったんだ。
ごめん……竜弥。
玄関を通って家を出て行く竜弥のことを見ながらも私は何も言うことはしなかった。
いや……私は今まで何度だって謝り続けて来た。
それは自己満足の為、己の中で謝罪をすればそれで罪悪感というものが晴れると思い続けていたからだ。謂わば私は……。
逃げ続けて来た人間だ。
誰もいないところでしか謝罪出来ない、馬鹿な人間なんだ……。