覇気使いの日記   作:パンツハキハキマン

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日記⑤

 ×月×日

 

 大抗争2日目。

 

 こんな状況の中でも、オレたちは子どもっていう理由で眠る時間を与えられた。でも、正直ほとんど眠れていない。

 

 寝たには寝た。ただ目を閉じたときに、昨日の光景がチラつく。そのせいで自分の意志とは反して身体が覚醒する。飛び起きるみたいに反応してしまう。

 

 こんな感覚は久しぶりだ。

 転生して記憶が戻った数か月。ゴミ溜めでの生活が慣れていなかったころ周りに怯えて暮らしていた。

 

 あの頃に少し似ている。

 

 でも、決定的に違うモノがある。

 

 起きるたびに、身体にこびり付いた血の匂いに気分が悪くなる。着替えた。水も浴びた。なのに、臭いがまだ残ってる気がする。髪が、腕が、手が、全身が消えない臭いで染まってるみたいで気持ち悪かった。

 

 意識しないようにしても、手から人を斬った感触が抜けない。重い水袋を斬りつけるような鈍い感触。

 

 目を閉じると、瞼の裏に赤が散る。

 

 聴こえるはずのない奇声まで、まだ鼓膜に残っていた。

 

 日常とかけ離れた非現実に脳ミソが混乱する。

 気を抜いた瞬間に、誰かが、何かが襲ってくるんじゃないか。

 そんな気がして、身体から力が抜けなかった。

 

 朝、団長からの指示が飛んできた。

 

 対人戦特化装備へ変更。

 リヴェリア様や同期と一緒に中央広場(セントラルパーク)に入りきらなかった市民達の防衛を行う。

 

 今日はダンジョン用の装備じゃない。動きやすさ優先、防具は最低限、武器の取り回しを重視した装備。今まで違う。事前に「人と戦うため」の準備をした。

 

 装備を整えてから、リヴェリア様と合流。

 そのまま中央広場(セントラルパーク)を抜けて任務地点へ向かう。

 

 広場の中は、朝から地獄だった。

 

 怪我人のうめき声。

 子どもの泣き声。

 大人の怒鳴り声。

 眠れてない顔、虚ろな目、汚れた服、血の跡、簡易の寝床、毛布の奪い合い。

 ギルド職員たちも休まず動いてるけど、明らかに限界が近い。衛兵も冒険者も、誰も顔色が良くない。

 

 それを見聞色が全てを拾ってくる。

 

 怒り。

 恐怖。

 焦り。

 不信。

 恨み。

 諦め。

 

 声になる前の感情が、ノイズみたいに頭の奥へ流れ込んでくる。

 

 そう、見聞色が最悪のタイミングで覚醒した。

 便利とかじゃない。みんなの苦しみや悲しみが脳ミソに直接叩き込まれる。

 

 ……頭が痛い。

 

 広場の中を歩いてるだけで、頭の奥がずっとざわつく。

 

 それだけでも精神を削ってくるのに、最悪なことが頭を過る。

 

 泣いてる子どもを抱えてる母親。

 ただ震えてるだけに見える男。

 うずくまってる老人。

 

 その中の誰かが、急に狂った顔で火種を抱えるかもしれない。

 

 そう思ってしまった。

 

 避難してる市民のことを少し疑ってる自分がいる。

 それが堪らなく嫌だった。

 

 

 

 

 

 

 

 工業地区へ向かう途中、任務内容を聞いた。

 

 広場内に入らなかった人たちのキャンプ防衛。

 都市北東、工業地区。

 昨日の混乱で中央へ流れきれなかった人間がまだ残っていて、そこを守る必要があるらしい。

 

 最悪だな、と思った。

 

 広場の外にも守る人間がいる。

 しかも敵は、そういうところを狙う。

 

 そうして工業地区へ着いたタイミングで、闇派閥が動く。

 

 タイミングが良すぎて笑えるくらいだった。

 

 路地。工場跡。屋根の上。崩れた煙突の陰。

 黒ずくめが次々と姿を見せる。数は多い。けど、大半は格下。昨日みたいな大規模自爆じゃなく、局所的に人を削るつもりで来てる感じだった。

 

 正面から斬り合うだけなら何も問題はない。

 

 ―――斬れる。

 

 低レベル帯は一太刀。

 少し動けるやつも、踏み込みの先が読めれば止められる。

 自爆役も、火種を持つ手か腕を落とせば終わる。

 

 そこで気付いた。

 

 昨日より、人の止め方が上手くなってる。

 

 いや、違う。

 

 人の殺し方が、より上手くなってる。

 

 首。喉。手首。肘。膝。

 どこを壊せば一番早いか、身体が先に知ってる。考えるより先に、一番効率の良い場所へ刃が向く。

 

 モンスターは違った。

 個体ごとに癖があって、出す技も、特性も、倒し方も違った。だから強くなるのは面白かった。工夫した分だけ、鍛えた分だけ、自分が上に行ってる感じがあった。

 

 でも人間は、すべて同じ形をしている。

 

 顔や喉の位置、関節の数。

 多少、大きさや部位の形が違う程度。

 

 だから効率が出る。

 だから、ある程度の数でも捌ける。

 だから、昨日より上手く殺せる。

 

 こんな方向に手際が良くなりたかったわけじゃない。

 

 その事実が、本当に■■だった。

 

 斬る。

 倒れる。

 次を見る。

 

 動きが止まらない。

 むしろ昨日より滑らかだ。

 

 その様子を見ていたリヴェリア様が、前に出た。

 

 「……もうよせ」

 

 低い声だった。

 怒鳴っていない。なのに、空気が張る。

 

 それでも、オレの身体は止まらない。

 

 すぐ横で、別の黒ずくめがキャンプの方へ突っ込もうとしていたからだ。

 迷う前に首筋へ刃を入れる。

 そのまま振り向いて、次の腕を落とす。

 

 「聞こえなかったのか。下がれ」

 

 その一喝で、ようやく身体が止まった。

 

 

 リヴェリア様の顔を見て、少しだけ息が詰まる。

 

 怒っている。

 でも、それだけじゃない。

 

 「剣を振るうなとは言わん」

 「だが、その振り方は駄目だ」

 

 短く、はっきりと言い切られる。

 

 「その剣は守るためのものではない。今はただ、お前を壊しているだけだ」

 

 図星すぎて、何も言えなかった。

 

 剣とは人であり心である。

 

 師匠の教えを忘れたわけじゃない。

 

 守るためだ、とは思っていた。

 でも、斬ってる間だけ余計なことを考えなくて済んでいたのも事実だったからだ。

 

 「お前は一度下がれ」

 「これ以上前に出しても、碌なことにならん」

 

 それは命令だった。

 反論の余地もないくらい、冷たくて正しい声音だった。

 

 「……今日は、謹慎だ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが切れた。

 

 怒りとかじゃない。

 多分、張ってた糸だ。

 

 そのまま走った。

 工業地区を飛び出して、ただ離れた。

 

 放っておいてほしかった。

 走って、走って、気付いたら足が止まっていた。

 

 そこは、アーディさんが死んだ現場だった。

 

 爆薬と焦げた石の匂いがまだ残ってる。

 抉れた地面。崩れた壁。空気だけが妙に冷たい。見ただけで、ここで何かが終わったのが分かる場所だった。

 

 そこに、リューさんがいた。

 

 背中だけで分かった。

 立っているだけなのに、壊れかけているのが見える。

 剣を握っているわけでもない。何かをしているわけでもない。ただそこに立っているだけなのに、近づきがたいほど静かだった。

 

 リューさんもこっちに気付いた。

 

 しばらく、何も言わずに視線が合う。

 その沈黙が妙に重くて、先に口を開くことが出来なかった。

 

 やがて、リューさんが静かに口を開く。

 

 「……狂剣、ですか」

 

 少し間を置いて、視線がこちらから外れる。

 

 「あなたも、アーディを弔いにここへ?」

 

 その言葉で、足元が少しだけ揺れた気がした。

 

 弔う。

 

 そう言われて、初めてここがただの爆発現場じゃなく、アーディさんが死んだ場所なんだと改めて突きつけられた気がした。

 

 もう知ってる。

 聞いた。

 でも、この場所で、その言葉として聞かされると全然違う。

 

 喉の奥が少しだけ詰まる。

 

 「……いや、そんな立派なもんじゃないです」

 

 口をついて出たのは、そんな言葉だった。

 

 弔いに来たのかと聞かれれば、多分そうなんだろう。

 でも、自分でもよく分からないまま、ただ逃げるみたいにここまで来ただけだ。

 

 だから、その言葉を真正面から受け取るのが少し苦しかった。

 

 リューさんは何も言わなかった。

 ただ、その沈黙だけで、向こうも同じように言葉を失っているのが分かった。

 

 しばらく話した。

 

 いや、話したというより、リューさんの言葉を聞いていた。

 

 

 正義が、分からなくなったと。

 

 今までやってきたのは、無償の救済だった。

 報酬もなく、感謝も保証されず、それでも守るために戦ってきた。

 

 でも、昨日から今日にかけて、市民は冒険者たちを責める。

 守れなかったことを責める。

 助けに来るのが遅かったことを責める。

 死んだ誰かの分まで、ぶつけてくる。

 

 「こちら側も失っているのに……」

 

 その一言が、妙に刺さった。

 

 分かる。

 痛いほど分かる。

 

 でも、そこで何て返せばいいのか分からなかった。

 

 守る側だって傷ついてる。

 でも守られる側から見れば関係ない。

 だから責められる。

 その責めに腹が立つ。

 でも、その気持ちも理解出来てしまう。

 

 全部がぐちゃぐちゃだった。

 

 答えは出なかった。

 

 正義が何なのかも。

 何を信じればいいのかも。

 止まるべきか、動くべきかも。

 

 でも、一つだけ思った。

 

 「……止まったら、駄目な気がする」

 

 自分でも、かなり細い声だったと思う。

 

 「正しいかは分からない」

 「でも、今ここで止まったら、多分そのままになる」

 「だから……動くしかないんだと思う」

 

 リューさんは、目を見開いた。

 

 そして少しだけ俯いてから、力なく呟く。

 

 「それは……苦しいことだ」

 

 そのまま、ゆっくり現場を離れていった。

 

 正しいとも間違いとも言わなかった。

 ただ、本当に苦しそうだった。

 

 その少しあと、追ってきたリヴェリア様と同期が来た。

 

 リヴェリア様は、オレを見るなり何か言おうとして、少しだけ言葉に詰まった。

 同期は相変わらず無言だったけど、昨日から今日にかけてずっとこっちを見てる。

 

 身体は重い。

 気持ちも沈んでる。

 何も解決してない。

 

 それでも、口は動いた。

 

 「自分が間違ってるのは分かってる」

 

 そこまで言って、一回息を吐く。

 

 「でも、動かないことが正しいとも思えない」

 「殺さないようにする」

 「だから、任務に戻らせてほしい」

 

 リヴェリア様は、すぐには答えなかった。

 

 少しの沈黙のあと、低い声で言う。

 

 「駄目だ」

 

 短い一言だった。

 

 「今のお前を戻しても、碌なことにならん」

 「自分で分かっていないのか。お前はもう十分に傷ついている」

 

 その言葉は責めるようでいて、責めていなかった。

 事実を、静かに突きつけるみたいな声音だった。

 

 「お前は、まだ子どもだ」

 「今からでは遅いのかもしれん。だが、これ以上この歳で命を奪う重さを背負わせたくはない」

 「そのまま進めば、お前は取り返しのつかないところまで壊れる」

 

 そこでリヴェリア様は、少しだけ目を伏せた。

 

 「……アイズだけではない」

 「お前も、私にとっては守るべき子だ」

 

 その声は、いつものリヴェリア様より少しだけ低かった。

 

 「危うい子どもが、自分を削って前へ出ようとしている」

 「それを黙って見ていられるほど、私は薄情ではない」

 

 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 「……お前が誰かを救いたいと思っていることは分かっている」

 「だが、止まらずに傷つき続けることだけが正しいわけではない」

 

 それでも、口は止まらなかった。

 

 「それでも、止まれません」

 

 自分でも驚くくらい、声は掠れていた。

 

 「一人でも救えるなら、オレは止まりたくない」

 

 しばらくの沈黙。

 

 それからリヴェリア様は、苦いものを飲み込むみたいに息を吐いた。

 

 「……本当に、お前というやつは」

 

 呆れたみたいな、でも怒り切れない声だった。

 

 「自分を粗末にするな」

 「お前まで失えば、残る者はまた一つ背負うものを増やすだけだ」

 

 その言葉は、多分全部正しい。

 

 でも、心は揺れなかった。

 

 すでに、どこかが壊れてる。

 

 昨日より人を斬るのが上手くなってる時点で、まともとは言えない。

 善良そうな市民を少し疑って見てしまった時点で、もう綺麗じゃない。

 

 「……それでも、止まれません」

 

 同じ言葉をもう一度言った。

 

 格好つけたかったわけじゃない。

 ただ、それしか残ってなかった。

 

 リヴェリア様は何も言わなかった。

 ただ、すごく苦しそうな顔をしてた。

 

 それが一番きつかった。

 

 今日は昨日より静かだったぶん、逆にしんどかった。

 

 人を斬ることにも、

 人を疑うことにも、

 少しずつ慣れそうになってる。

 

 その変化が、たまらなく嫌だった。

 

 

 

 でも、まだ止まれない。

 

 

 

 

 ×月×日

 

 大抗争3日目。

 

 昨日からずっと、頭の奥がざわついている。

 

 寝れば少しはマシになると思っていた。

 でも、違った。

 

 眠りが浅かったせいなのか、そもそも見聞色が切れていないのかは分からない。ただ、目を覚ました瞬間から周囲の気配が近すぎた。

 

 全部が勝手に入ってくる。

 

 怪我人の呻き。

 市民の苛立ち。

 衛兵の焦り。

 冒険者の疲労。

 子どもの泣き声。

 誰かが押し殺している怒り。

 

 昨日から続いているものが、薄まるどころか、頭の中に沈殿していた。

 

 見聞色は強くなった。

 それは間違いない。

 

 でも、強くなったから楽になったわけじゃない。

 むしろ、今は前より戦いづらくなった。

 

 前は「来る」だけを拾えばよかった。

 攻撃の方向。

 踏み込みの気配。

 殺気の尖り。

 

 そういうものが分かるだけで十分だった。

 でも今は、余計なものまで流れ込んでくる。

 

 怖い。

 痛い。

 怒ってる。

 助けてほしい。

 逃げたい。

 殺したい。

 

 そういうものが、全部流れ込んでくる。

 

 強くなったはずなのに、扱えていない。

 何も進めてないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 隣で身じろぎする気配がした。

 同期が、こっちを見ていた。

 

 「……大丈夫?」

 

 小さい声だった。

 昨日よりも、少しだけ声が柔らかかった気がする。

 

 「大丈夫」

 

 そう答えたけど、多分顔には出てた。

 

 アイツはしばらく何も言わなかった。

 ただ、いつもより少しだけ近い場所にいた。

 

 何かを言いたそうにしているのは分かる。

 でも、言葉は出てこないらしい。

 

 その代わり、じっとオレの目を見ていた。

 まるで、今のオレがどこに立っているのか確かめるみたいに。

 

 

 

 朝の指示は、中央広場の外に残っている避難民の防衛だった。

 

 昨日の混乱で中央まで辿り着けなかった人たち。

 家や店を離れられなかった人たち。

 怪我人を抱えて動けなかった人たち。

 

 そういう小さな集まりが、都市のあちこちに残っているらしい。

 

 今日は、リヴェリア様と同期と一緒に、そうした場所を回ることになった。

 

 対人戦用の装備を整える。

 

 ダンジョン用じゃない。取り回し重視。最低限の防具。すぐに動ける軽さ。

 昨日よりも、さらに嫌な準備だった。

 

 装備を整えている途中、少しだけ膝が揺れた。

 

 自分では隠したつもりだったけど、リヴェリア様には見えていたらしい。

 

 「……顔色が悪いな」

 

 短い言葉だった。

 

 「歩けます」

 

 そう答えると、リヴェリア様はじっとこちらを見る。

 

 「歩けるかどうかを聞いているのではない」

 「何が起きている」

 

 その言い方に、誤魔化しても無駄だと思った。

 

 だから、少しだけ話した。

 

 見聞色のこと。

 前よりも気配を拾えるようになったこと。

 でも今は、人の声じゃないものまで拾ってしまうこと。

 恐怖や怒りや悪意みたいなものが、頭の中に流れ込んでくること。

 

 リヴェリア様は、黙って聞いていた。

 

 「気配察知の強化……いや、もっと厄介なものか」

 

 そう呟いてから、少しだけ目を細める。

 

 「だが、理屈は同じだ」

 「拾えるものを全て拾えばよいというわけではない」

 「魔法も、剣も、感覚も同じだ。扱えぬ力は力ではなく、ただの負荷になる」

 

 何も言い返せなかった。

 その通りだったからだ。

 

 

 一つ目の避難キャンプへ向かう途中から、もう集中が散り始めていた。

 

 前なら分かった。

 

 足音。

 呼吸。

 殺気。

 攻撃が来る方向。

 

 そういうものを拾えた時は、戦いやすくなったと感じた。

 

 でも今は、拾う量が多すぎる。

 

 右から泣き声。

 左から怒鳴り声。

 後ろから不安。

 前から焦り。

 遠くから、何か尖った気配。

 

 全部が一度に来る。

 

 敵の動きだけを見たいのに、市民の恐怖が割り込んでくる。

 殺意だけを拾いたいのに、誰かの絶望まで混ざってくる。

 攻撃の予兆を掴みたいのに、関係ない感情が邪魔をする。

 

 見聞色は前より強い。

 

 それは分かる。

 

 でも、今のオレには強すぎる。

 刃物を持った手が震えているのと同じだ。

 よく斬れるのに、握り方が分かっていない。

 

 そのもどかしさが、ずっと頭の奥に刺さっていた。

 

 一つ目の避難キャンプは、商店街の裏手にあった。

 

 中央広場(セントラルパーク)まで行けなかった人たちが、壊れかけの倉庫と路地の間に身を寄せ合っている。

 毛布も足りない。水も少ない。怪我人もいる。

 

 昨日の中央広場(セントラルパーク)より人数は少ない。

 でも、その分だけ一人一人の不安が大きい。

 

 見聞色が拾う。

 

 寒い。

 痛い。

 怖い。

 まだ来る。

 助けて。

 信用できない。

 誰が敵だ。

 

 頭の奥が、ずっと濁っていく。

 

 同期が横から小さく言った。

 

 「……見すぎ」

 

 それだけだった。

 

 でも、その声はいつもの無感情なものとは少し違った。

 責めているわけじゃない。

 多分、心配している。

 

 同期は、じっとオレの目を見ていた。

 何かを探すみたいに。

 

 その視線が、少しだけ痛かった。

 

 言われて初めて、自分がずっと周囲の顔を見ていたことに気付いた。

 

 誰が怯えているのか。

 誰が怒っているのか。

 誰が何を隠しているのか。

 

 そんなものまで見ようとしていた。

 

 気持ち悪い。

 

 見えるものが増えたせいで、疑うものまで増えてる。

 

 二つ目の避難キャンプに着いた直後、襲撃が来た。

 

 数は多くない。

 昨日までと比べれば、むしろ小規模だった。

 

 でも、オレの反応は遅れた。

 

 敵の気配は拾えていた。

 なのに、同時に背後の市民の恐怖も、横で泣く子どもの声も、誰かが吐いた「またか」という諦めも拾ってしまった。

 

 全部が混ざる。

 

 敵がどこから来るのかは分かる。

 でも、分かっているのに身体が一瞬遅れる。

 

 その一瞬を、同期が埋めた。

 

 風が走り、黒ずくめの足を払う。

 

 遅れてオレも踏み込もうとした。

 

 その時、リヴェリア様の声が飛んだ。

 

 「待て。今のお前は見すぎている」

 

 足が止まる。

 

 「全てを聞くな」

 「全てを読むな」

 「必要なものを選べ」

 

 リヴェリア様は、黒ずくめを魔法で牽制しながら続けた。

 

 「お前のその感覚が何であれ、全てを抱え込めば先に潰れるのはお前だ」

 「戦場で見るべきものは、全てではない」

 「今、必要なものだけを拾え」

 

 今、必要なもの。

 

 敵意。

 距離。

 角度。

 背後の位置。

 爆発の気配。

 

 それ以外を、少しだけ遠ざける。

 

 完全には無理だった。

 頭の奥はまだうるさい。

 

 でも、一瞬だけ、ノイズが薄くなった。

 

 その一瞬で踏み込む。

 

 刃を返し、黒ずくめの腕を落とす。

 起爆具を蹴り飛ばし、同期の風がそれを人気のない方へ運ぶ。

 

 爆発。

 

 でも、誰も巻き込まれなかった。

 

 息が詰まる。

 

 リヴェリア様がこちらを見る。

 

 「それでいい」

 「全部を背負おうとするな。まずは、今のお前に拾えるものを選べ」

 

 褒められたわけじゃない。

 ただ、最低限の道筋を示された。

 

 それだけなのに、少しだけ呼吸がしやすくなった。

 

 その後も、オレたちは避難キャンプを回った。

 

 商店街の裏手。

 崩れた宿場の跡。

 工房街の端。

 神殿通りに近い空き地。

 

 場所ごとに空気が違った。

 

 泣き声が多い場所。

 怒鳴り声が多い場所。

 誰も喋らない場所。

 あまりにも静かすぎて、逆に気持ち悪い場所。

 

 闇派閥の襲撃は大規模じゃない。

 

 でも、消えない。

 

 忘れた頃に来る。

 気を抜いた場所に来る。

 人が少しだけ安心しかけたタイミングで来る。

 

 そのたびに、見聞色が跳ねる。

 

 頭の奥が痛む。

 拾う。

 拾いすぎる。

 リヴェリア様の声を思い出す。

 必要なものだけを選べ。

 

 敵意。

 距離。

 角度。

 背後の位置。

 

 それを何度も繰り返した。

 

 うまくいく時もあった。

 全然駄目な時もあった。

 

 途中、一度だけ完全に動きが止まりかけた。

 

 背後で子どもが泣いた。

 前から敵意が来た。

 横から怒りが刺さった。

 遠くで誰かが助けを求めた。

 

 全部が重なって、視界が一瞬白くなった。

 

 その時、同期の手が腕を掴んだ。

 

 強くはない。

 でも、そこにいると分かる強さだった。

 

 振り向くと、アイツがオレを見ていた。

 

 いつもの無表情。

 でも、その目だけは少し違った。

 

 心配、なのかもしれない。

 いや、多分それだけじゃない。

 

 あれは、知っている目を見る時の目だった。

 

 少し前の自分に似た、危ないものを見つけた時の目。

 

 「……前」

 

 それだけ言って、同期は視線を敵へ向ける。

 

 前。

 

 そうだ。

 今見るべきものは、前だ。

 

 その言葉で、どうにか戻ってこられた。

 

 リヴェリア様も何も言わなかった。

 ただ、少しだけこちらを見てから、すぐに前へ向き直った。

 

 あの人はずっと見てる。

 

 厳しい。

 でも、置いていかない。

 

 多分それが、一番ありがたかった。

 

 夕方になる頃には、身体より先に頭が限界に近かった。

 

 戦闘自体は、昨日より派手じゃない。

 敵も強くない。

 

 でも、ずっと世界がうるさかった。

 

 見聞色は強くなっている。

 それは多分、間違いない。

 

 でも、強くなったから楽になるわけじゃない。

 むしろ、扱えない力はただの重りだった。

 

 リヴェリア様は、全部を拾うなと言った。

 必要なものを選べと言った。

 

 正直、まだよく分からない。

 

 でも、一瞬だけノイズが薄くなった。

 その一瞬だけは、前よりちゃんと戦えた気がする。

 

 前に進んでいるのか。

 壊れ方が上手くなっているだけなのか。

 

 まだ分からない。

 

 ただ、今日は昨日より少しだけ、息の仕方を思い出した気がする。

 

 同期は最後まで、あまり喋らなかった。

 

 でも、何度か横にいた。

 何度か前を指した。

 何度かオレが余計なものを見そうになるたび、ほんの少しだけ現実へ戻してくれた。

 

 たぶん、同期は今のオレを放っておけなかったんだと思う。

 

 そういうことを口にするやつじゃない。

 心配してる、なんて分かりやすく言うやつでもない。

 

 ただ、少しだけ近くにいる。

 危ない方へ行きそうになると、短く呼び戻す。

 それだけだった。

 

 でも今日は、その「それだけ」に何度も助けられた。

 

 リヴェリア様は、最後に一言だけ言った。

 

 「今日はもう休め」

 「反論は聞かん」

 

 その言い方があまりにもいつも通りで、少しだけ笑いそうになった。

 

 笑えなかったけど。

 

 

 

 

 今日は、大きく壊れたわけじゃない。

 

 ずっと濁流の中にいた。

 明日になっても、静かになるとは思えない。

 

 それでも、少しだけ進んだ気がする。

 

 全部は拾えない。

 全部は背負えない。

 

 だからこそ、選ばないといけない。

 

 

 

 

 ×月×日

 

 大抗争4日目。

 

 朝の中央広場(セントラルパーク)は、昨日より静かだった。

 

 静か、と言っても平和なわけじゃない。

 怪我人はまだ呻いてるし、子どもは泣くし、物資の配給で揉める声もある。ギルド職員も衛兵も冒険者も、顔色はずっと悪い。

 

 ただ、昨日までみたいな煮詰まった怒鳴り声は少し減っていた。

 

 単純に疲れすぎたんだと思う。

 

 怒る体力も、泣く体力も、誰かを責める体力も、少しずつ削れている。

 それはそれで、見ていてきつかった。

 

 見聞色は、相変わらずうるさい。

 

 でも昨日よりは、選べるようになっていた。

 全部拾わない。

 全部抱えない。

 必要なものだけを見る。

 

 リヴェリア様に言われたことを、何度も頭の中で繰り返す。

 

 敵意。

 距離。

 角度。

 背後の位置。

 爆発の気配。

 

 それだけを拾う。

 

 そう思っていても、勝手に入ってくるものは入ってくる。

 

 怖い。

 痛い。

 帰りたい。

 何で助けてくれなかった。

 まだ終わらないのか。

 誰か何とかしてくれ。

 

 そういう声にならないものが、頭の奥を爪で引っかいてくる。

 

 気持ち悪い。

 けど、昨日よりは少しだけ立っていられる。

 

 それが成長なのか、慣れなのかは分からない。

 

 朝の指示は、中央広場(セントラルパーク)の外周防衛。

 

 昨日と同じように避難民のいる場所を回る任務かと思っていたけど、空気が違った。

 

 団長からの指示は短く、けれど妙に硬い。

 

 大きな動きがある。

 中央広場(セントラルパーク)周辺の防衛線を崩すな。

 市民を動揺させるな。

 何があっても、背後を抜かせるな。

 

 そんな感じだった。

 

 オレと同期は、リヴェリア様の指揮下に入ることになった。

 

 昨日と同じ組み合わせ。

 だけど、昨日よりずっと嫌な予感がした。

 

 リヴェリア様はいつも通り落ち着いていた。

 でも、見聞色が拾う気配は少し違う。

 

 警戒。

 焦り。

 それから、覚悟。

 

 あの人がここまで張り詰めているのを見るのは、正直あまり見たくなかった。

 

 同期は無言だった。

 

 ただ、何度かこっちを見ていた。

 昨日からずっとそうだ。

 

 心配してる、とは言わない。

 多分、本人もそういう言葉の使い方がうまくない。

 

 でも、少しだけ近くにいる。

 オレが余計なものを見そうになると、視線だけで戻してくる。

 

 今日もそんな感じだった。

 

 しばらくして、街の空気が変わった。

 

 それは、遠くで起きた変化だった。

 

 オレたちがいる防衛線からは、その場所は見えない。

 声も届かない。

 誰が何を叫んだのかも、何が起きているのかも分からない。

 

 でも、見聞色だけが拾っていた。

 

 重いものがあった。

 

 誰かの迷い。

 誰かの絶望。

 誰かの心を押し潰そうとする問い。

 

 それに対して、細く震えながらも、まだ折れていない気配。

 

 多分、リューさんだ。

 見えない場所にいるはずなのに、その苦しさだけがやけに近い。

 

 正義とは何か。

 救うとは何か。

 選ぶとは何か。

 

 そんなもの、オレには分からない。

 

 けど、リューさんも今、そういうものの前に立たされているんだと思った。

 

 その時、別の熱が立った。

 

 弱い。

 傷ついている。

 でも、真っ直ぐだった。

 

 誰かが、誰かを信じている。

 

 絶望の底に沈みかけた誰かへ、まだ終わっていないと叫んでいる。

 迷っていることも、傷付いていることも、それでも正しくあろうとしていることも、全部まとめて肯定するような熱だった。

 

 言葉は聞こえない。

 でも、その意味だけは届いた気がした。

 

 その瞬間だった。

 

 目の前の空気が、白く塗り潰された。

 遠くの熱を拾っていた見聞色が、強制的に別のものへ向けられる。

 

 ――—圧。

 

 そうとしか言えないものが、防衛線の向こうから歩いてきた。

 

 白い髪。

 病人みたいに細い身体。

 それなのに、存在そのものが刃みたいだった。

 

 アルフィア。

 

 名前だけは知っていた。

 ヘラ・ファミリアにいた、レベル7の怪物。

 

 でも、知っているのと、目の前にいるのは全然違った。

 

 見た瞬間に分かった。

 これは無理だ。

 

 レベル差とか、技術差とか、そういう話じゃない。

 立っている場所が違う。

 

 見聞色が、何も拾えない。

 

 正確には、拾えるものが全部白く潰れる。

 動き出しも、殺気も、感情も、全部が遠すぎる。

 

 ただ一つだけ分かる。

 

 あの人が動けば、何かが終わる。

 

 「下がるな」

 

 リヴェリア様の声が飛んだ。

 

 その声で、どうにか足が地面に戻る。

 

 「背後を抜かせるな。あれを通せば、防衛線が崩れる」

 

 同期が風を纏った。

 

 オレも太刀を握る。

 

 手が震えていた。

 恐怖なのか、見聞色の反動なのかは分からない。

 

 でも、逃げるわけにはいかなかった。

 

 リヴェリア様が詠唱に入る。

 同期が前へ出る。

 オレは二人より半歩後ろで、アルフィアの動き出しだけを必死に見る。

 

 全部は拾えない。

 拾う必要もない。

 

 必要なものだけを拾え。

 

 昨日から何度も言われた言葉を思い出す。

 

 敵意。

 距離。

 角度。

 背後の位置。

 

 いや、違う。

 

 この相手に、普通の敵意を見ようとしても駄目だ。

 

 見聞色を、もっと絞る。

 

 動く前の空気。

 床を踏む前の重心。

 呼吸の切れ目。

 音にならない予兆。

 

 それだけを見る。

 

 アルフィアが動いた。

 

 「左!」

 

 気付けば叫んでいた。

 

 同期が反応する。

 風が跳ねる。

 リヴェリア様の魔法が防壁みたいに展開される。

 

 それでも、足りない。

 

 アルフィアの一撃は、まるで軽く払っただけみたいだった。

 なのに、空気ごと削られたように防衛線が軋む。

 

 手加減されている。

 

 そう分かった。

 

 本気なら、今ので終わっている。

 

 それが分かるから、余計に吐き気がした。

 

 遠くで、また熱が揺れた。

 

 リューさんの気配だ。

 

 沈みかけていたものの近くに、さっきの真っ直ぐな熱が寄り添う。

 折れかけたものを支えるみたいに。

 迷いの底に沈んだものを、もう一度呼び戻すみたいに。

 

 オレには言葉は聞こえない。

 

 でも、熱だけは届く。

 

 誰かが誰かを信じている熱。

 絶望の中で、それでも光を指し示すような熱。

 

 見聞色が、その揺らぎを拾う。

 

 その瞬間、目の前でアルフィアが動いた。

 

 同期が前へ出る。

 風を纏った一撃。

 速い。

 昨日までの敵なら、反応すらできない踏み込み。

 

 でも、届かない。

 

 アルフィアはほんの少し身体を傾けただけで、同期の剣を避けた。

 そのまま指先で、剣の腹を軽く弾く。

 

 それだけで同期の身体が吹き飛びかける。

 

 オレはそこへ割り込んだ。

 

 武装色。

 

 刀が黒く染まる。

 全身の力を乗せる。

 踏み込みも、呼吸も、間合いも、今できる一番を使う。

 

 ―――一閃。

 

 それでも。

 アルフィアは、こちらを見たまま片手で受けた。

 

 受けた、というより触れただけだった。

 

 刃が止まる。

 びくともしない。

 

 次の瞬間、胸に衝撃。

 何をされたのか分からないまま、身体が地面を転がった。

 

 痛い。

 息ができない。

 でも、まだ意識はある。

 

 手加減されている。

 何度でも思い知らされる。

 

 オレたちは、倒されているんじゃない。

 退けられているだけだ。

 

 虫を殺さないように払うみたいに。

 

 リヴェリア様の魔法が再び展開される。

 同期が立ち上がる。

 オレも無理やり立つ。

 

 足止め。

 

 ただ、それだけ。

 

 倒すなんて考えるな。

 傷を負わせるなんて考えるな。

 あの人を、この場から動かさない。

 それだけを考えろ。

 

 遠くの熱が、また変わった。

 

 リューさんの気配が、深い水の底から顔を上げる。

 

 濁っていたものが晴れていく。

 迷いが消えたわけじゃない。

 痛みが消えたわけでもない。

 

 でも、その奥に一本だけ、折れないものが立った。

 

 正義は終わらない。

 

 そんな意味だけが、言葉ではなく熱として届いた。

 

 リューさんは、きっと答えを出したんだと思う。

 

 自分たちが倒れても、正義は誰かに受け継がれていく。

 だから今、自分は一人でも多くを救い、その光を次へ渡す。

 

 オレには、そこまではっきり聞こえたわけじゃない。

 でも、そういう熱だった。

 

 その熱が、街に広がった。

 

 最初に冒険者たちが変わった。

 握る武器に力が戻る。

 伏せかけていた顔が上がる。

 逃げ腰だった足が、もう一度前へ出る。

 

 次に、市民たちの気配が変わった。

 

 怒りや不信が消えたわけじゃない。

 失ったものが戻ったわけでもない。

 

 けど、それでも少しだけ、誰かを責めるための声が、誰かを応援するための声へ変わっていく。

 

 沈んでいた空気に、火が入る。

 正義の狼煙が上がったんだと思う。

 

 その熱を、アルフィアも感じたのかもしれない。

 彼女の視線が、遠くへ向いた。

 

 リューさんのいる方。

 正義の狼煙が上がった場所。

 

 その瞬間、リヴェリア様の気配が鋭くなる。

 同期も、言葉もなく前へ出る。

 

 オレも見聞色を絞る。

 

 動く。

 

 今、あの人は向こうへ行く。

 

 「行かせない!」

 

 声が出た。

 自分でも驚いた。

 

 アルフィアがこちらを見る。

 瞬間、身体の芯が冷えた。

 

 「退け」

 

 静かな声だった。

 

 命令じゃない。

 ただの事実みたいだった。

 

 退かなければ壊れる。

 そう言われている気がした。

 

 それでも、退けなかった。

 

 リヴェリア様の魔法。

 同期の風。

 オレの武装色を乗せた一閃。

 

 三つが重なって、ほんの一瞬だけアルフィアの進路を塞ぐ。

 

 たった一瞬。

 

 でも、止まった。

 

 アルフィアは、初めて少しだけ目を細めた。

 

 「……まだ、通すほど粗くはないか」

 

 それが褒め言葉なのか、呆れなのかは分からない。

 

 ただ、その後に向けられた視線が、オレの中だけを見てくるようで気持ち悪かった。

 

 「お前は、濁っている」

 

 息が止まる。

 

 「剣の音が歪だ。守るための音ではない」

 「壊れぬために、斬ることで自分を支えている」

 

 言い返せなかった。

 

 リヴェリア様に言われた時もきつかった。

 でも、アルフィアの言葉はもっと冷たかった。

 

 見抜いている。

 ただ見抜いて、切り捨てている。

 

 「下がれ」

 

 アルフィアは淡々と言った。

 

 「今のお前は、この場に相応しくない」

 

 その言葉が、胸の奥に深く刺さった。

 

 怒りは湧かなかった。

 悔しさも、少し遅れてしか来なかった。

 

 最初に来たのは、納得だった。

 

 ああ、やっぱりそう見えるのか。

 そう思ってしまった。

 

 遠くでは、正義の火が広がっている。

 

 目の前では、オレの中の濁りを白い怪物が見抜いている。

 

 同時に起きているはずなのに、その二つの間に、自分だけが落ち続けているような気がした。

 

 それでも足止めは続いた。

 どれくらい戦ったのか分からない。

 

 たぶん、時間にすれば長くはない。

 でも、ずっと肺の中に冷たい石を詰められているみたいだった。

 

 攻撃は通らない。

 届いたと思っても、流される。

 止めたと思っても、次の瞬間には崩される。

 

 それでも、完全には抜かせなかった。

 

 リヴェリア様の魔法が道を塞ぎ。

 同期の風が角度をずらし。

 オレの見聞色が、ほんの少しだけ動き出しを拾う。

 

 勝てない。

 届かない。

 でも、遅らせることだけはできた。

 

 その間も、遠くの熱は消えなかった。

 

 むしろ少しずつ、街に広がっていた。

 

 正義を応援する声。

 立ち上がろうとする声。

 もう一度信じようとする声。

 

 それは確かに、街に火を灯していた。

 

 そして、いつの間にかアルフィアは退いていた。

 

 去り際、こちらを一瞥することもなかった。

 

 ただ、残された言葉だけが耳にこびり付いている。

 

 

 この場に相応しくない。

 

 

 戦闘が終わったあと、リヴェリア様が何かを言った。

 同期も近くにいた。

 

 でも、正直あまり覚えてない。

 

 リューさんは立ち上がった。

 

 街の人たちも、少しだけ前を向いた。

 

 正義の狼煙が上がったんだと思う。

 

 沈みかけていた顔が上がり、折れかけていた声に力が戻っていく。

 その熱は、確かに街へ広がっていた。

 

 すごいと思った。

 

 あれだけ失って、あれだけ責められて、それでも立ち上がれるリューさんはすごい。

 それを見て、もう一度信じようとする街のみんなもすごい。

 

 でも、オレはそこに混ざれなかった。

 

 同じ場所にいるのに、同じ火を見ているはずなのに、どうしても輪の中に入れない。

 

 アルフィアに言われた言葉が、ずっと耳に残っていた。

 

 この場に相応しくない。

 

 多分、その通りだった。

 

 リューさんは正義を見つけた。

 街の人たちは、その正義にもう一度手を伸ばした。

 

 なのに、オレだけがずっと昨日と同じ場所にいる。

 

 人を斬った感触がまだ抜けない。

 人を疑う癖がまだ消えない。

 この手は、守るためより殺すための動きを覚え始めている。

 

 そんなやつが、あの狼煙のそばに立っていいのか。

 

 分からない。

 

 分からないけど、胸の奥ではもう答えが出ている気がした。

 

 オレは、場違いだ。

 

 あの火の中にいるべき人間じゃない。

 正義の火が灯った場所で、オレだけが煤にまみれている気がした。

 

 そう思ってしまったことが、一番きつかった。

 

 今日は、リューさんが立ち上がった日だ。

 街の人たちが、もう一度前を向いた日だ。

 

 すごく大事な日なんだと思う。

 

 でもオレにとっては、自分がキライになる日になった。

 

 

 この場に相応しくない。

 

 

 

 

 

 

 その言葉を、オレは、否定できなかった。

 

 

 

 

 

 ×月×日

 

 大抗争5日目。

 

 今日は、昨日までと少し違った。

 

 爆発音がしない。

 

 もちろん平和になったわけじゃない。

 怪我人はまだいるし、壊れた建物もそのままだし、衛兵や冒険者は相変わらず忙しく動いている。

 

 それでも、中央広場(セントラルパーク)には人の声が戻り始めていた。

 

 水を回す声。

 怪我人を運ぶ声。

 瓦礫をどかすために人を呼ぶ声。

 小さな子どもをあやす声。

 

 怒鳴り声でも、悲鳴でもない。

 前に進もうとする声だった。

 

 見聞色が、それを拾ってくる。

 

 怖い。

 苦しい。

 もう嫌だ。

 

 それでも、立たないと。

 今度は自分も何かしないと。

 守ってもらうだけじゃ駄目だ。

 

 そういう感情が、少しずつ混じっていた。

 

 眩しかった。

 

 暗い感情を拾っている方が、まだ楽だったのかもしれない。

 希望は、もっと痛い。

 

 気付けば、広場を離れていた。

 

 人の少ない方へ。

 声の少ない方へ。

 光の届かない方へ。

 

 歩いて、歩いて、気付けば路地裏にいた。

 

 薄暗い石壁。

 湿った地面。

 割れた木箱。

 誰かが捨てた布切れ。

 鼻の奥に残る、古い腐臭。

 

 そこに座り込んだ瞬間、少しだけ昔を思い出した。

 

 ゴミ溜めで暮らしていた頃。

 

 転生して記憶が戻って、それでも何も出来なくて、ただ腹を空かせて、寒さに丸まって、誰にも見つからないように息を殺していた頃。

 

 あの頃の世界は、ずっと灰色だった。

 

 死にたい、とすら思わなかった。

 そんな元気もなかった。

 生きたいとも思わない。

 死にたいとも思わない。

 ただ、今日も終わらないなと思っていた。

 

 あの頃の自分は、多分もう心が死んでいた。

 

 今、少しだけ似ている。

 

 強くなったはずなのに。

 レベルも上がって、刀も握れて、覇気だって使えるようになって。

 昔みたいに、ただ震えているだけのガキじゃないはずなのに。

 

 それでも、ここに座り込んでいる自分は、あの頃と同じに見えた。

 

 場違い。

 

 アルフィアの声がまた蘇る。

 

 この場に相応しくない。

 

 正義の火の中にいられない。

 だから路地裏に逃げてきた。

 

 結局、オレはゴミ溜めに戻ってきただけなんじゃないか。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

 「おーい、そこの少年。なに腐った魚みたいな顔してんねん」

 

 声がした。

 

 顔を上げる。

 

 そこに、ロキがいた。

 

 いつも通りの細い目。

 いつも通りの軽い声。

 こんな状況なのに、まるで散歩の途中で知り合いを見つけたみたいな顔をしている。

 

 昔、初めて会った時もこんな感じだった気がする。

 

 ゴミ溜めにいたオレに、当たり前みたいに声をかけてきた。

 まるで、そこにいるのが当然だと言うみたいに。

 

 「……何してんの」

 

 「それ、こっちの台詞や。ウチの団員が路地裏で干からびかけとったら、主神としては声くらいかけるやろ」

 

 「別に、干からびてない」

 

 「ほーん。せやけど顔は死んどるで。目ぇなんか魚市場の売れ残りや」

 

 「うるさい」

 

 そう言うと、ロキはけらけら笑った。

 

 軽い。

 相変わらず軽い。

 

 でも、その軽さが少しだけありがたかった。

 

 ロキは隣にしゃがみ込んだ。

 神様なのに、汚れた路地裏の地面に平気で座った。

 

 「で、何があったん?」

 

 「……何も」

 

 「嘘下手やなぁ」

 

 「本当に、何もない」

 

 「何もないやつは、そんな顔で路地裏に逃げ込まへん」

 

 何も言えなかった。

 

 ロキはしばらく黙っていた。

 急かすわけでもなく、茶化すわけでもなく、ただ隣にいた。

 

 その沈黙が、変に痛かった。

 

 だから、ぽつりと口が動いた。

 

 「……場違いだって言われた」

 

 ロキの目が少しだけ開いた。

 

 「誰に?」

 

 「アルフィア」

 

 「またえげつないのに刺されたなぁ」

 

 「……でも、多分その通りなんだと思う」

 

 言葉にしたら、胸の奥が少しだけ冷えた。

 

 「リューさんは立ち上がった。街の人たちも前を向いた。みんな、正義を信じようとしてた」

 

 なのに。

 

 「オレだけが、そこに入れなかった」

 

 ロキは何も言わない。

 

 だから続けた。

 

 「オレ、人を斬るのが上手くなってる」

 「守るためって言いながら、止まるのが怖くて斬ってる」

 「善良そうな市民を疑った」

 「見聞色で、人の悪い感情ばっか拾ってる」

 「正義の狼煙が上がった場所で、オレだけ煤まみれみたいだった」

 

 言えば言うほど、喉の奥が苦くなる。

 

 「そんなやつが、あの場所にいていいのか分からない」

 

 ロキは、少しだけ空を見上げた。

 

 路地裏の隙間から、細い空が見える。

 灰色の空だった。

 

 「なぁ」

 

 「……なに」

 

 「綺麗な心で助けた命だけが、本物なんか?」

 

 返せなかった。

 

 ロキは続ける。

 

 「汚れた手で差し出した水は、人を救わへんのか?」

 「泣きながら運んだ怪我人は、助けたことにならへんのか?」

 「怖くて、苦しくて、ほんまは逃げたくて、それでも前に出たやつの行動は偽物なんか?」

 

 声は軽くなかった。

 でも、重すぎもしなかった。

 

 変な言い方だけど、ちゃんとロキだった。

 

 「……でも、オレは」

 

 「人を斬った?」

 

 息が止まる。

 

 「人を疑った?」

 「止まるのが怖かった?」

 「正義の輪に混ざれへんかった?」

 

 全部、言われた。

 

 「せやな。お前は綺麗なやつやない」

 

 胸の奥が沈む。

 

 でも、ロキはそこで笑った。

 

 「でもな、綺麗やないから救った命まで汚れるわけちゃうで」

 

 顔を上げた。

 

 ロキは、こっちを見ていた。

 

 「お前が助けたやつは、助かったんや」

 「お前が前に出たから、死なんで済んだやつがおる」

 「お前が斬ったから、爆発に巻き込まれんかった子どもがおる」

 「それは、相応しいとか相応しくないとか、そんな言葉で消えるもんちゃう」

 

 胸の奥に、何かが落ちた。

 

 重いものだった。

 でも、冷たいだけじゃなかった。

 

 「でも、アルフィアは……」

 

 「アルフィアが何を見たんかは知らん。あいつ、妙に目ぇええしな。嫌なとこ刺すタイプやし」

 

 ロキは肩をすくめる。

 

 「せやけどな。相応しいかどうかなんて、誰が決めるん?」

 「神様か?」

 「英雄か?」

 「正義の味方か?」

 

 「それとも、昨日今日で人を救おうとして壊れかけたガキを見て、外から偉そうに線引きする誰かか?」

 

 ロキの声が、少しだけ低くなった。

 

 「ウチは嫌いやな。そういうの」

 

 ロキは、オレの額を指で軽く弾いた。

 

 「お前は場違いかもしれへん」

 「煤まみれかもしれへん」

 「綺麗な正義の輪っかの中で、浮いとるかもしれへん」

 

 そこで、ロキはにやっと笑った。

 

 「でも、場違いなやつが助けたらあかん決まりなんか、オラリオにはないで」

 

 喉の奥が詰まった。

 

 「……オレは、正義じゃない」

 

 「別にええやん」

 

 即答だった。

 

 「え?」

 

 「正義かどうかなんて、今のお前が決めんでええ」

 「疾風は疾風の正義を見つけた」

 「それはすごいことや」

 「せやけど、みんなが同じ日に同じ答え出せるわけないやろ」

 

 ロキは路地裏の壁にもたれかかる。

 

 「お前はまだ途中や」

 「間違って、迷って、汚れて、それでも何か掴もうとしてる途中や」

 「途中のやつが、完成した顔して立てるわけない」

 

 何かが、胸の奥で揺れた。

 

 「でも、途中でも助けられる命はある」

 「途中でも、前に出た事実は消えへん」

 「お前が救った命は、お前が正義かどうかなんか知らん」

 「ただ、そこにお前がおったから助かったんや」

 

 目の奥が熱くなった。

 

 泣きそうになった。

 でも、泣きたくなかった。

 

 ロキはこっちを見ないふりをした。

 

 「それにな」

 

 「……なに」

 

 「お前、自分のこと場違いや思っとるんやろ?」

 

 頷けなかった。

 でも、否定もできなかった。

 

 「なら、覚えとき」

 

 ロキは、初めて会った時みたいに、当たり前の顔で言った。

 

 「ウチのファミリアはな、場違いなやつの居場所も作る場所や」

 

 息が止まった。

 

 「浮浪児やったガキも」

 「モンスターを斬ることしか知らん金髪の問題児も」

 「口うるさいくせに、誰より心配しとるハイエルフも」

 「全部背負った顔して、誰にも弱音吐かん小人族も」

 「酒飲んで笑っとるだけに見えて、誰より背中を支えとるドワーフも」

 

 「全部ひっくるめて、ウチの子や」

 

 ロキは笑った。

 それは、反則だと思った。

 

 そんなことを言われたら、何も言えなくなる。

 

 「相応しいから置いとるんちゃう」

 「強いから拾ったんでもない」

 「ウチが、お前をウチの子やと思っとるから置いとる」

 

 胸の奥に、何かがじわっと広がった。

 

 正義じゃない。

 答えでもない。

 アルフィアの言葉を消してくれるものでもない。

 

 でも、少しだけ息ができた。

 

 「……オレ、まだあそこに戻っていいのかな」

 

 声が情けないくらい小さかった。

 

 ロキは、少しだけ黙ってから言った。

 

 「戻りたいんやろ」

 

 「……分からない」

 

 「なら、戻りたいと思えるまで、ここで腐っとくか?」

 

 「それは……嫌だ」

 

 「ほな、答え出とるやん」

 

 ……雑だけど。

 

 でも、その雑さに少し救われた。

 

 ロキは立ち上がると、服についた埃をぱんぱん払った。

 

 「さ、行こか」

 

 「どこに」

 

 「戻るんやろ。正義の輪っかの中か、その外側かは知らんけどな」

 

 ロキは振り返る。

 

 「お前が救いたいやつがいる場所に戻ればええ」

 

 立ち上がろうとして、足に力が入らなかった。

 

 ロキが手を差し出す。

 

 小さい手だった。

 

 神様のくせに、妙に人間くさい手。

 

 その手を取る。

 

 昔も、こんな感じだった気がする。

 

 ゴミ溜めにいたオレに、ロキは当たり前みたいに手を差し出した。

 相応しいかどうかなんて聞かなかった。

 綺麗かどうかなんて見なかった。

 

 ただ、拾った。

 

 あの時と同じだった。

 

 立ち上がる。

 

 まだ胸の奥に、アルフィアの言葉は残っている。

 

 この場に相応しくない。

 

 多分、すぐには消えない。

 

 でも、その横に別の言葉が置かれた。

 

 場違いなやつが助けたらあかん決まりなんか、オラリオにはない。

 

 それだけで、少しだけ歩ける気がした。

 

 今日は、戦闘なんて無かった。

 でも、多分この数日の中で一番苦しかった。

 

 正義の輪に入れなかった。

 でも、ロキに言われた。

 

 途中でもいい。

 煤まみれでもいい。

 それでも、助けた命は本物だと。

 

 まだ誰かを救えたとは思えない。

 

 でも、それだけで、今日は十分だった。

 

 

 

  Lv.3    

 力:A899  →S923

 耐久:B722 →A803

 器用:B781 →A835

 敏捷:A881 →S911

 魔力:I0 →I0

 覇気:H → G

 耐異常:I

《魔法》

《スキル》

【覇気】

・任意発動

・習熟度によって効果上昇

 

 

 

 





「……うわぁ」
「いや、上がるとは思っとったけど、これはちょっと笑えへんな」
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