原作最終話のデルウハ殿と単行本12巻の作者様の後書きを読んで衝動的に書きました。
7年と11ヶ月28日目の食事を腹に納め、男は山の頂きにて“最期”を迎える。
少し、風の強い日だった。
斧の柄を握りしめるその手に非合理な反応はなかった。
恐怖は実らず、信仰は存在せず、躊躇など微塵もありはしない。
何一つ、
何一つ、
男は──アンドレア・デ=ルーハは自らの
風の、強い日だった。
█
「私のこと……
少女が、涙と嗚咽を溢し半死半生の男に問いを投げる。
恩人の手を握りしめながら、もはや言の葉一つすら発することの出来ない口の代わりと言わんばかりに彼の
侵略者を討ち滅ぼすための防御装置、
デルウハの意識は混濁を極めていた。
40%の血液を失い脳はその殆どの活動を停止、先ほどから己の名を呼び語りかけるハントレスの存在、言葉を認識し理解しているかすら怪しい。
故に──
優しく己の手を包む少女への返答は、肉体が引き起こした感情という非合理な要素が介入するはずもない至極単純な現象。
しかし、少女たちはそんな事を知る由もない。
荒ぶる天災を神の怒りと嘯くように。
慈しみの雨を神からの恵みと錯覚するように。
そんな都合の良い
愛はあったのだと、慈しみを感じたのだと、その“反射”を弱い心を支える
世界を救う、その為に──少女たちは眩い星となる。
█
風の強い日だった。
風の強い日だった。
やがて、風が止む。
流れる血は固まり、不可逆の死を迎えた肉体は硬直し熱を失う。
悪魔の最期は呆気ない様で、しかし劇的な様なものであった。
彼の遺体はこれからどうなるだろうか?
腐敗の可能性は低いだろう
寒空の下聳える雪山では物体を分解するバクテリアは
悪魔の遺体は良好な保存状態でその姿を数十年は保つことができるだろう。
脂肪融解と乾燥の進行により白蝋化とある程度の欠損はあれど、先ほど翼を広げ飛び立ったハントレスが世界を救い終えて原形を保った彼の亡骸を前に悲願の成就を報告するまでには十分すぎる猶予がある。
彼の遺体はこの雪山の地表にて寒い冬と温かい冬を交互に迎え、自然の冷蔵庫で安らかな永劫の眠りを迎える──
のそり、と。地表を伝い何かが蠢いた。
悪魔の死体を俯瞰するように、“化け物”が其処に佇む。
人ならざる容貌、まるでイボのように肉体の彼方此方を点在する謎の器官。
人類の天敵。外宇宙からの侵略者──その名は、イペリット。
一つ。その個体の特徴について追記することがあるとすれば、そのイペリットは巨大な頭を持った半透明な肉体を持つ存在。すなわち”共食い”であったということだろう。
人間に一切の興味を持たず害をなさず、同族であるはずのイペリットを食らう特殊個体。生前のデルウハも命を救われた過去があり、彼に”奇跡”とまで嘯かれた
その空間には、無言の嘆きと絶望があった。
かのイペリットはかつて悪魔が討ち滅ぼした
しかし次元を跨ごうともその存在が“生物”であることは確かな事実であり、血濡れと同じくイペリットにおける異端である。
“共食い”の半透明な肉体を伝う電気信号は感情的なシグナルとして“孤独”の意味をなんとなしに理解していた。
同族を喰らい“合理”の生存適正を生きる
人間と決して相容れない
孤独な光、閉ざされた宇宙にて種を喰む唯一の存在──それが“共食いモルフ”。
本来なら“血濡れ”のような
共喰いに“知性”はない。
共喰いに“理性”はない。
共食いに“
されど共喰いは──その生物に対して“共感”に似た
自分と同じく生存適正の究極性を求めて同族を
そして共食いは、デルウハの死体に
半透明な透けた触手で、まるで陶器を扱うが如き触り様で“同類”の
胃を腸を脾臓を腎臓を肺を心臓を、内臓の全てを──206の骨を理解し、張り詰め硬直した筋肉を包み、地球を幾周も巡る張り巡らされた神経すらも、その透けた巨躯で愛でた。
それはまるで──“人付き”の如き権能。
人間の脳を吸収し人間を効率的に滅ぼす適者としての進化方法を取った同族の在り方を真似る様に、共食いは次元の向こう側より来訪した己の肉体組成を変貌させる。
しかしその行為に“人付き”と異なる決定的な要素があるとするならば──
もはやそれはイペリットの生存戦略にあらず。
己を
──時よ止まれ、汝は美しい。
麗しき悪魔よ、貪りし幾重もの魂の螺旋と共に在り続けよう。
初めに言葉ありき。
初めに思いありき。
初めに力ありき。
初めに行為ありき。
交わる肉体こそ、まさしく原初の
「これ……は、食えねー肉だ……」
失ったはずの血液は変わらぬ質量で肉体を循環し、活動を停止したはずの臓器と心臓は脈動を再開する。
「あー……なんで生きてる?」
朧げな視界は鮮明さを取り戻し、デルウハは開口一番に己がこうして命を取り留めた理由について思考する。
「っ!」
その瞬間、デルウハの脳内に溢れた──
「なんだ……これ?」
それは、明らかに自分のものではない記憶だった。
人のものとは思えない高い視点。白銀の世界にて
通常種を喰らい、トゲ付きを喰らい、幾多にも分裂する尻尾付きを喰らってきた狂気の記憶。
その記憶の中には、
因習に縛られた村の坊主を取り込んだ人付きを煽る自分の姿、血濡れの一撃により全滅しかけたすんでのところを奇跡により救われた自分の姿。
そして──死に絶え地に臥した己の遺体。
──お……お前かぁ────っ!?
自分を黄泉より引き戻した存在が戦いの最中においてハントレスの乙女心と同じくまったく動向が読めない共食いであると認識したデルウハは思わず心中にて特大のツッコミを放った。
「いや、そもそも何故俺を……と言ったところで答えなど返ってくるはずもないか」
イペリット相手に何故と問いかけたところで血濡れのように自我を確立した存在ではない、さらに言えばもう既に
「──よっと」
ぴょんと、デルウハは
ほんの数十センチ、地面から脚を離すとともに懸念は杞憂に終わり疑惑は確信へと変わった。
「
もしも自分が人付きと同じ手法で吸収されたというのならば、ここにいる自分はデルウハの意思を持ったイペリットであり
しかし唯一の接地面である足場を離れても己の存在は消えない。
この時点でデルウハは自分がほかの人付きと同様の存在ではなく、そして紛れもなくここにいるのはアンドレア・デ=ルーハとして唯一無二の存在であると確信を抱いた。
「
されど、純粋な
首を刎ねられてから蘇生に成功した経験はあれども、完全な脳死と心停止から甦った時点でその点についてはデルウハも推し量っていた。
人付きの行う吸収とは異なる現象。言うなればアンドレア・デ=ルーハを
人としての進化と呼ぶべきか、それとも本物の悪魔へと至る堕天と呼ぶべきだろうか。
確信を持って言えることはただ一つ──悪魔は、ここに再誕した。
──それにしても何故、腹が減る?
そしてまた、脳裏を過ぎる理解不能の現象。かつて己の
──はっ、まあ良いか。
しかしその不合理な思考を一瞬で切り上げた。
そもそも外宇宙からの侵略者などと言った出鱈目、更に言えばその中でも異端とも呼べる“共喰い”と同化したのだ──あり得ない事などあり得ない、不可解な真実こそ世界の真理であるのが今のこの地獄のような世界なのだから。
もしかしたら普通のイペリットと違い“共喰い”は空腹感を感じるのかもしれない。
妙な同族感情を抱いた“共喰い”が己の思考を読んで些細な
そんな幾つもの“もしかしたら”を脳裏に過らせ、しかしながらデルウハは再び
「悪いな。余計なお世話ってやつだ」
イカれた合理の思考は全て、食事を摂ると言う人間にとっての原初の欲求を満たすため。
もはやパンもなければサラミもない、
頸に食い込む斧、人間だった頃ならば既に意識を手放せた筈の境界線ですら未だ鮮明に視界は保ったまま。
ならばこの首が地に落ちるまで力を込めるだけだと柄を握るデルウハは──その瞬間、ガスの向こうに蠢く
「──あ?」
単なる通常種、ハントレスならば一蹴できる存在ではあるが人間にとっては依然脅威の天敵。
雪山の頂きから見えるほんの少し下の麓、既にガスで覆われた部分にて微かに捉えたその存在に──デルウハの胸は高鳴った。
「……おい、待て」
しかし、目の前の存在に対しての高鳴りはまるで──食事を前にした時のような
──まさか今の俺は……
一応、理に叶ってはいる。
共食いとの融合は、人付きが吸収によってその人間の脳に人への敵意を齎すようにデルウハにイペリットへの
「──はっ、悪いな所長。地獄への礼参りは当分先になりそうだ」
7年と11ヶ月28日前に殺した食い扶持と住処を守るための契約を結んだ元上司に一言詫びを入れ、デルウハは首に半ばめり込んだ手斧を抜き構える。
「1日3食」
柔らかなパンに、味の濃い塩漬け肉のサラミを味わえる日はまだ遠い先の未来だとしても。
「この空腹を満たせるのなら──」
“棘付き”など比較にならぬ神速で肉薄し。
“殻付き”よりも強固な肉体は傷一つ負わず。
“血濡れ”を凌駕する程に洗練された手斧の一撃はイペリットを数十の肉片に裁断した。
「
嗚呼、それでこそアンドレア・デ=ルーハ。
斯くも美的な悪の華道。歩み進むは冥府魔道。
策謀の悪魔、化け物を喰らう化け物──新たなる合理の共食いが誕生した。
「──嗚呼、それと」
ぐるん、と。悪魔が首をこちらに回し向ける。
そして彼は視線を外さない。まるで
「よう、
悪魔は、見惚れる程の笑みと共に私たちを見つめていた。
※デルウハ殿は最期にハントレスたちと会ったことを覚えてません。