~???~
side-"先生"
「――やぁ、"先生"。呼び掛けに応えてくれたこと、感謝するよ」
―――ぼやけた夜、何処かの――でも既視感があるテラス。テーブルにセイアの姿があり、私に顔を向けている。どうやらまた彼女の夢に呼ばれた様だ。
明日の三回目―――最後の特別学力試験に備えて早めに就寝したら、また誰かに呼ばれる様な感覚を感じた。それに身を任せたらここに―――セイアの夢と思われる空間に居た。彼女との邂逅から数えて三回目の対面だ。
「"...やっぱり、不思議な感覚だね。現実ではナギサやミカから君が襲撃されたことを知らされて初めて君について知ったというのに、こうして夢で相対するとはっきりと君とのやり取りを思い出せてしまう"」
「夢でのやり取りは現実に持ち越せないと言っただろう?――そもそも、過去に夢で邂逅した際の記憶を保持していることも驚くべきことだ」
「"生徒のことは名前から容姿、ある程度の性格まで把握して覚えおくことを心掛けているからね。...だからこそ、君とはこうして夢でしか会えていないのがもどかしいよ"」
セイアの言葉にそう返しながら彼女の向かい側の椅子に座る。
「...君の期待に応えられないのは申し訳ない。だが、ナギサやミカから私に起きたことを教えられた上でこうして相対しているなら――君の期待に応えられない理由は察せるのではないかな?」
セイアは目を開き、淡いグラデーションを帯びた黄色の瞳を光らせて私を試すかのように見据える。
―――ナギサ曰く、『エデン条約』締結推進の旗頭を務めていたセイアは活動の最中に何者かに襲われた。幸い一命は取り留めたものの重傷であり、面会謝絶で療養中の間に"救護騎士団"の下から突如失踪してしまい、今も行方は分かっていない。
一方、セイアとはこうして夢で相対する事が出来ている。仮に、最悪のケース―――セイアが亡くなっているとしたら、そもそも夢を見る事も出来ないだろう。つまり、セイアが今現在生きているのは確実だ。
―――ナギサの行動を見聞きしていると、彼女は最悪のケースをも考えてしまっていて、それ故に追い込まれている事もらしくない行動の要因になっているのだろう。それはきっとミカも同様で―――どんな行動を起こそうとしているかは分からないけど、セイアの生死不明が要因となっている事は推測出来る。そして、テンシは二人と違って行動や振る舞いから変化は見えないけど、それでもセイアの生死不明は不安だろう。
そんな三人の前にセイアが姿を現せば?生死不明であった彼女が姿を現せば―――
「"――不安。もしくは怖いんだね?自分が生死不明であるが故に、今追い込まれている親友三人の前に姿を現すことが"」
「...そうだね。理由の一つではある。更に付け加えるなら...締結間近の『エデン条約』のこともある。油断大敵と謂うように、何事も最後の詰めが肝心だ。そんな重要な局面で、『実は無事でした』などとノコノコ出てみたまえ。――混乱は必定だ。あと少しで、数個積めば完成する積み木の城を蹴り崩すようなことはしたくない」
私の問にセイアはそう答えて目を伏せる。付け加えた理由、『エデン条約』締結に水を差しくたくないという理由はもっともだと思う一方で―――私が挙げた予想が事実である事を隠す言い訳の様にも感じる。
「"――確かに、『エデン条約』締結は目前だ。そこで君が姿を見せれば混乱し、理由を問い詰めようとしたりで大騒ぎになるだろうね。――とは言え、その混乱を治める為に締結を少し待ってもらうこと位はできるんじゃないかな。ナギサ達が君の生死不明による不安を抱えたまま締結に臨むよりは、君が姿を見せることで不安を解消した方が尾を引かずに締結に臨めると思うんだ"」
「...ナギサ達の不安を、か。確かにその方がいいのだろうね。だが...私が姿を隠していても条約は締結目前まで進んだ。その後でも影響の大きさは変わらないだろう」
私の提案を聞いたセイアは肯定しながら、『エデン条約』締結後でもいいだろうと食い下がる様に言葉を返す。やはりセイアは―――
「"――不安、恐怖に苛まれている親友を想うなら、行動は早い方がいいと私は思うよ。前にも言ったと思うけど――『やらなかった後悔よりやった後悔の方がいい』...君が持っているらしい予知能力もあって、自らの行動が未来の結果にどう影響を与えるかが分からなくて不安で、怖いと思う気持ちは理解するし、否定はしない。予知能力なんて無い私達でも、自身の行動、選択の結果がどうなるか分からないからこそ行動を起こすことが怖いし、どうするべきか悩むからね"」
「だけど――」と一度言葉を切り、セイアを見つめる。淡くグラデーションがかかった黄色い瞳が私を見つめ返す。
「"――『あの時行動していれば』、『あの時別の選択をしていれば』...結果を目の当たりにしていくら後悔しても過去は変えられない。時には行動しないことで良い結果を齎すこともあるけど、どの行動が正解かなんて誰にも分からない。君の未来予知が示すのは未来の結果であって、過程までは見せてくれないようだしね。
――だからこそ、何もしない傍観ではなく、行動を起こすことが大事なんだ。怖くても、不安でも。行動した結果だからこそ、反省し、見直して次は間違わないように行動できる。それから...仮に間違いを犯したとして、それから生じた責任を代わって背負うのが教師――大人の役目だ。生徒、子供の内だからこそ、間違いは成長につながる大事な糧。間違うことを恐れる必要はない。大事なのは――間違いを間違いのままにしないこと"」
ギィィ...>
―――視界がぼやけ始め、背後で扉が開く音が聞こえる。どうやら時間が来た様だ。思っていたより早い。
「――時間のようだね。相変わらず夢での邂逅は不定形でいただけない。...兎に角、話せてよかったよ"先生"」
「"力になれたなら幸いだよ。――この先君がどんな選択を選んだとしても、私はそれを尊重する。他者の意思は他者には縛れないからね。だけど――"」
セイアの言葉に頷いて立ち上がり―――
「"――次は現実で直接会えることを祈るよ、セイア"」
―――そう言い残して踵を返して扉に向けて歩き出す。
―――起きれば朝。三回目の特別学力試験当日の朝だだろう。これを全員合格出来なければ全員退学。セイアがどんな選択を取るか気になるけど、今は試験に向けてヒフミ達を監督せねば。
~ミネのセーフハウス~
side-セイア
「...ん...」
―――目を覚まし、すっかり見慣れた天井が視界に入る。右に目を向ければカーテン越しに日の光...ではなく、曇り空の明るさがカーテン越しに見え、微かに聞こえるパラパラとした雨音が耳に入り、眠気が少しずつ醒めていく。
「雨か...喉が渇いたな。どれ...」
上体を起こし、左に置いてある冷蔵庫から水が満たされたピッチャーを取り出し、サイドテーブルに逆さまに置かれたグラスを手に取って水を注ぐ。寝る前は半分も残っていなかった筈だが、どうやら寝ている間にミネかメディスンのどちらかが補充してくれた様だ。
「...ん...んく...ふぅ...」
ピッチャーをサイドテーブルに置き、グラスの水を半分程流し込む。水の潤いと冷たさが喉を刺激し、眠気より醒めていき、息を吐いて残り半分を飲み干してグラスをサイドテーブルに置く。
「...っと...」
窓に目を向け、上体を伸ばしてカーテンを開けて露わになった窓越しの曇り空を見上げる。窓をよく見れば雨滴がパラパラと窓を打っていて、外はそこそこ雨足が強そうだと分かる。
「...やらなかった後悔よりやった後悔。間違うことを恐れるな、か...」
雨音を聞きながら夢で"先生"が語った言葉を反芻する。―――やはり、"先生"は不思議な人物だ。大人の貫禄、豊富な経験、知見とは別に、私達生徒に対してとことん真摯だ。私が内面に抱く不安を見抜き、私が今行っている生死不明を隠れ蓑にした傍観を否定せず、行動を起こす事、間違いを成長の糧にする事の大事さを説く。
―――こうして何も行動せず、私を看病してくれている者達を通して外の情勢を聞いて傍観しているばかりでは駄目だという事は分かり切っている。だが、何か動かなければと思う反面―――『私が行動した所で何になる?』と同時に思ってしまって動けなくなってしまう。
"先生"の来訪により、未来予知が示す『トリニティ』の未来は変わった。"先生"こそがこの先起きる未来を変え得る存在である一方で、私が行動を起こしていいものか?"先生"が指摘した通り、私の未来予知は結果だけを示し、過程を見せた事は一度として無かった。故に、私が行動を起こした事で"先生"の来訪で変わった未来をまた変えてしまわないか。その不安が心に渦巻き続けている。私は―――
トントン...>
「...!――どうぞ、起きてるよ」
ガチャ...>
「――失礼いたします、セイア様」
「――失礼いたします」
―――部屋のドアがノックされ、思考を止めて入室を促せばドアが開いてミネとメディスンが姿を現して頭を下げる。今までの彼女達の対応を考えれば、私が起きた事を察して診察に来たのだろう。しかし、二人揃ってとは珍しい。
「――おはよう、ミネ。メディスン。起床後の診察に来たのかな?」
「それもありますが...セイア様にお会いしたいという方をお連れしました」
「...誰とも会わないと、ここに匿われた時に要望した筈だが?」
ミネに尋ねると付け加える様に私に会いたいという者を連れて来たと明かされ、匿われた時の取り決めを破ったのかと眉を顰める。―――私の生死不明が明らかになる事による混乱を避ける為――"先生"に指摘された通り、今ナギサやミカ、テンシに姿を見せる事を恐れている事もあるが――ミネ、メディスンには、万が一私がこのセーフハウスに居る事を嗅ぎ付けた者が現れた時には、私の事を隠し通す様に要望し、二人はその要望によく応えてくれていた。それを今になって破るとは―――
「...この『トリニティ』において、政争や派閥争いとは無縁ではいられません。"正義実現委員会"は勿論、負傷者、罹患者の出自貴賤に関わらず救護の精神を全うすべき"救護騎士団"も例外ではない。――蒼森家の者として、"ヨハネ分派"首長の資格を有するこのミネ、お恥ずかしながら"ティーパーティー"程の政治力、政争、派閥争いを戦い抜けるだけの能力を持ち合わせておりません。それ故に――今回セイア様にお会いしたいと接触して来られた方が突き付けてきた証拠を前にしては誤魔化すことが叶いませんでした」
「...君らしくないな、ミネ。"救護騎士団"の理念、精神をいささか過激にではあるが体現している君ならば、キッパリと拒否できる筈だ」
目を伏せて理由を挙げたミネにそう返す。―――『救護が必要な場に救護を』。"救護騎士団"の理念であるが、ミネはこの理念を体現し―――否、体現し過ぎている所がある。不良同士の抗争、"正義実現委員会"の鎮圧現場...怪我人が出る所を嗅ぎ付け、真っ先に突っ込んでは二次被害を齎しながら場を制圧し、怪我人をより増やす事から『ミネが壊して騎士団が治す』とマッチポンプを皮肉られている程だ。
言葉を飾れば真っすぐで真摯、汚い表現を用いれば救護第一の脳筋。そんなミネが政争や派閥争いが苦手である事はよく知っている。しかし、その真面目さ故に約束はしっかり守る性格でもある。そんな彼女が約束を破って連れて来た私に会いたいという人物。私の生死を明らかにしてしまう不安が渦巻くと同時に―――私とミネによる隠匿を見破った者への興味が湧いてくる。
今はナギサに代行を任せているが、襲撃される前までは"ホストリーダー"を務めた身。政争や派閥争いを戦い抜ける政治力をそれなりに持っている自負はある。故に、私の隠匿を見破れるだけの能力を持つ面会の要望者が気になる。
「...連れて来てしまったならば仕方ない。対面して直接追い払うとしよう。入れてくれるかい?」
「――承知いたしました。メディスン」
「はい。――セイア様の許可が下りました。どうぞ――」
面会を許可して頷く。許可を確認したミネとメディスンに促され、左右に動いて道を開けた二人の間を通って部屋に入って来たのは―――
~"ティーパーティー"会館 テラス~
side-ナギサ
「――では、こちらにサインを頼む」
「――拝見いたします」
―――テーブルを挟んで向かい側に座っている、『カイザーコーポレーション』"理事"にして、今回は『通功の古聖堂』の修繕工事を主導した『カイザーコンストラクション』代表取締役社長として『トリニティ』に来訪されている『二ツ岩マミゾウ』さんが今日のテラス付きの側役の一人であるツカサさんに書類を―――『通功の古聖堂』修繕工事の全工程完了の報告書を渡し、彼女を通して受け取り、中身を確認して受領のサインを入れる。
「――確認致しました。この度は古聖堂の修繕を請け負っていただき、心より感謝申し上げます」
「こちらこそ、我が『カイザーコンストラクション』に史跡修繕に関する経験を与えてくれたことに感謝したい。これで更なる販路の拡大もできようぞ」
ツカサさんを介して報告書の控えをマミゾウ"理事"に返却しながら謝意を伝えると、彼女は微笑みながらそう答える。
―――キヴォトスでもトップクラスの規模を誇る『カイザーコーポレーション』そのものは黒い噂が多く、取引や営業に対しては裏の意図や狙いを探りながら対応するのが基本だ。しかし、目の前のマミゾウ"理事"はカイザーらしからぬ程に至極真っ当に経営を行っており、"ティーパーティー"内での『カイザー』傘下企業に修繕を主導させる事への懸念を払拭してくれた。修繕工事の工程も効率よく丁寧に進められ、契約締結時に示された期間より少し早く終わった。条約調印式典を万全に挙行する為にも、準備期間は多い方が良い。
「――しかし、学校間の対立で歴史を作ってきた『ゲヘナ』と、お主ら『トリニティ』が手を取り合うことになるとはのぉ。生きている内にまたしても歴史が変わる節目の一端に関われるとは思わなんだ」
「――我が『トリニティ』としても、『ゲヘナ』側も私達と同様に条約締結に前向きであったことは驚くべきことであり、僥倖でもありました。実務的には治安維持での協力体制程度ではありますが...」
「それでも歴史的な対立を乗り越えて協力できることを、『エデン条約』を締結できることをこそ喜ぶべきじゃろうて。"千里の道も一歩から"――小さな一歩が大業を成す一歩になるものじゃ」
鞄に報告書をしまったマミゾウ"理事"の感心した様な言葉にそう返せば、今回締結する『エデン条約』の具体的な内容以上に、そもそも条約を結べる事を喜ぶべきと指摘される。
「...そうですね。私達の世代ではこれ以上は無理でしょう。ですから、『エデン条約』を足掛かりに将来『ゲヘナ』との協調を深化させられれば...その一助になることを願うばかりです」
「その歴史的大業のお膳立ての一端を担えたこと、改めて感謝するぞい。――さて、そろそろお暇するとしよう。『カイザー』そのものは早々信用できぬじゃろうが、我が『カイザーコンストラクション』の仕事ぶりは信用してくれるとありがたい」
マミゾウ"理事"はそう言って立ち上がり、ツカサさんとは別の側役が預かっていたコートを受け取って羽織る。
「――では、さらばじゃ。今後も『カイザーコンストラクション』をご贔屓に。条約締結の成功も祈っておるぞ。式典は全キヴォトス中継じゃろう?楽しみにしておるぞ」
「――改めて、この度の『通功の古聖堂』修繕工事遂行、心より感謝申し上げます。"理事"と『カイザーコンストラクション』以下工事従事者の皆様の努力を無駄にしないよう、条約締結に向けて油断せず全力を尽くします」
お互い挨拶を交わし、帽子を被って側役の引率に導かれてテラスの出入口に向かうマミゾウ"理事"の後ろ姿に向けて頭を深々と下げる。
「...ふぅ...」
―――ドアが閉まった事を確認して椅子に座り、深く息を吐く。
「――一人で思索したいので、一時テラスを離れてください。私の合図があるまで入らないように」
人払いを指示し、ツカサさん達側役は異論を挟まずカーテシーで応えて側役用控室に繋がるドアへと歩いていく姿を見送る。
「...もう少し。もう少しです。式典を以て締結を衆人に知らしめることで『エデン条約』は成立する。...油断大敵。条約成立直前だからこそ、それを妨害しようとする者が出ない筈がない」
独り言の様に言葉を紡ぎ、思考を整理していく。セイアさんを襲撃した犯人、セイアさんの行方の捜索も条約締結に向けた活動の傍ら進めているものの、手掛かりや情報は殆ど得られていない。どうにか得られたものも進展に繋がる様なものは無く、ずっと不安が胸中に渦巻いている。
ミカさん、テンシさん―――かけがえのない大切な幼馴染の親友二人が狙われている可能性だってある。二人共私より遥かに荒事が得意な実力の持ち主であり、自衛は充分可能だろうけど、そもそも幼馴染の親友二人が襲われる事そのものがあってはならない事だ。故に―――
「...今日が"補習授業部"三回目の試験。これを全員合格できなければ連帯責任で全員退学。...非情な手段を取ることは心苦しいですが、裏切りの理由になり得る容疑を持っているならば全員纏めて排除するのが最善。...最善である筈なんです」
そう自分に言い聞かせる様にこれからやろうとしている謀略を確認し、首に下げたペンダントを握る。―――セイアさんを襲ったであろう、トリニティの裏切り者。その可能性を持った生徒を封じ込め、容疑を確定させる為に利用した"補習授業部"。しかし、部長就任の裏で捜索を任せたヒフミさんは重責に耐え切れず"先生"に打ち明け、"先生"共々捜索に協力しないと明言されてしまった。―――容疑者を絞り込めないならば、纏めて排除するしか無い。
「――『エデン条約』を、ミカさん、テンシさんを脅かす存在は排除しなければならない。例え...無実の者を巻き込んだとしても。今は止まる訳にはいかないのです」
心の整理を付け、スマートフォンを取り出す―――
「――直前での試験範囲、合格基準の変更に加えて会場の変更...露骨過ぎて間違いなく作為に気付かれるでしょうが――告知のタイミングに加え、ティーパーティーの決定である以上、こちらが応えず無視すれば『シャーレ』と言えどこれを覆すことは不可能。後は...」
―――チラ...
「...ナギサ様、最近は特に思い詰めてる感があったけど、まさか補習授業部そのものが、ねぇ...本当、ナギサ様らしくない。これは流石にふざけないで真面目に報告しないと――」
...ササッ―――
~???~
side-サオリ
コンコン...
『どうぞ。開いてるわ』>
「――失礼する」
ドアをノックすると"母さん"から入室を促され、ドアを開けて"母さん"の自室に入る。所々壊れた本棚に並ぶ本、決して状態が良いとは言えない家具や調度品。そして、崩落して夜空が見えてしまっている天井の隅。―――長く続いた内戦のせいで崩落していない場所など無い『アリウス』だが、私達の頼みもあって本校校舎内でも比較的状態が良いここに"母さん"の自室が構えられている。私の前方、机に何冊も本を広げて私に背を向けた姿―――
「――いらっしゃい、サオリ。何かあった?」
―――左側頭部に短いサイドテールを結い上げた長い銀髪が揺れてこちらに振り向き、"母さん"の青い瞳が私を見つめて微笑む。
「――先程、約二十分前。『カタコンベ』でトリニティからの侵入者を"アナテマスクワッド"が察知して迎撃、制圧した。数は四名――内二人が"ティーパーティー"、一人が"シスターフッド"、残る一人が一般生徒の制服だった」
「...やっぱり、ティーパーティーだけの策謀でもなさそうね。私達には見えない別勢力か、それとも...トリニティそのものか」
"母さん"は私の報告を受けて頷き、残念そうに、申し訳無さそうに目を伏せる。―――計画を私達に打ち明けた時と比べると、明らかにこの表情を浮かべる頻度が上がっている様に思う。"母さん"は隠しているつもりみたいだが、"母さん"を慕うからこそ"母さん"に起きている変化には気付けてしまう。
「――報告ありがとう、サオリ。いつも通り、侵入した子達は気絶させて上層に帰したわね?」
「あぁ、いつも通りに後始末した。..."母さん"。気絶させて帰すだけでは効果がなくなってきてるんじゃないだろうか。侵入の頻度が殆ど変わっていないのが何よりの証左だし、カタコンベへの侵入深度も深まりつつある。
このままでは自治区への進入路が見つかるのも時間の問題だ。もっと過激な手段で『トリニティ』の奴らに――」
「――それはダメよ。気絶させて帰す以上の事後対応は断固として認めない。それに手を染めてしまえば、アレと同じやり口に成り下がってしまうし――あの惨劇は繰り返したくないから」
―――トリニティからの侵入者撃退報告を挙げる度に聞かれる"母さん"の確認に頷き、対応の強化を提案すると"母さん"の眼差しがキッと細く鋭くなり、静かながら強くなった語気で提案が否定される。
「っ...すまない、"母さん"。失言だった」
「こちらこそ言葉を強くしてしまってごめんなさいね、サオリ。――でも、言いたいことは分かるわ。侵入してる子達はあの時からずっとこちらへの侵入を試み続けている。あなたの報告を鑑みれば、トリニティもマッピングしながら侵入しているのでしょう。私達でも把握し切れていない構造変化を前によく努力してるわね」
謝罪すると、非があるのは私だと言うのに"母さん"も謝罪を返し、私の意見を肯定して「でも――」と続ける。
「――"ミカエル"。ミカがクーデターを成功させれば侵入解消の可能性がある。彼女は侵入に関わっていない偶然でここに来た。ミカはトップに――"ホストリーダー"に就いたら侵入について調査して真相を明かすとも約束してくれた。これが実現すれば荒事を避けて解決できる筈よ」
「――"ミカエル"、聖園ミカを随分信じてるんだな。...彼女の下には私達程ではなくとも粒入りを送り込んだ。聖園ミカの足を引っ張ることはしないだろう。だが、油断大敵――失敗したらどうするんだ?」
"母さん"に聖園ミカのクーデターが失敗した場合はどうするか尋ねる。
「ちゃんと次善のプランは考えているわ。まだ細部を詰めてるからここでは明かせないけど――サオリ達に頑張ってもらうことになるのは確実よ」
「そうか。――私達『アリウス』の為、"母さん"の願いの為なら私達は何だってやろう。"母さん"から注がれっぱなしの愛情に報いるチャンスだからな」
「...いい子に育ったわね、良くも悪くも。"お母さん"嬉しいわ」
"母さん"は次善の策を考えていると答え、私達の力が必要になると明かす。"母さん"の期待には全身全霊で応えると改めて宣言すると、何処か陰が差した様に見える微笑みを浮かべる。
―――内戦を無理矢理終わらせ、疲弊し切った私達に恐怖と暴虐を敷いて搾取して来たアレから私達を解放し、アレとは正反対に優しく親身に、時には厳しく様々な事を教えてくれた"母さん"に報いる為なら命も惜しまない。これは私達の総意も同然で、度々こうして決意を示している。
だが―――"母さん"は何故か、今も浮かべている様な何処か陰が差した表情を浮かべる。私達の成長を喜びながらも、その裏で何かを気に病んでいる。時々その裏の何かについて尋ねてみてもはぐらかされていて、"母さん"個人の、明かしたくない何かがあるのだろうとは私も何となく気付いている。
"母さん"の力になりたいからこそ、その悩みも打ち明けて欲しいが...無理強いは良くないと"母さん"から教わった身では深入りする気は起きない。だから―――
「――"母さん"がどんな考えを持っているにせよ、私達は"母さん"に尽くす。"母さん"が導いてくれるなら、私達の未来も明るいだろうからな」
「――ありがとう、サオリ」
「どういたしまして、"母さん"。――では、これで失礼する。今日の夕食の当番は私達だ。...ヒヨリがつまみ食いをしでかす前に行かなければ」
「えぇ。夕食、楽しみに待ってるわ」
"母さん"にどこまでも尽くすと重ねて宣言し、夕食の当番に向かうべく頭を下げて踵を返し、部屋を出る―――
「...本当に、良くも悪くもいい子達ね。私なんかに尽くすより、あの子みたいに別の場所で自立することを決めたように、自分の人生を好きに歩んでほしいけど――他者の意思を他者が縛ることはできない。...ミカのクーデターが成功すればいいけど、それが駄目なら――」
―――To be Continued―――