蠍の火―――獲物を食らい続けた蠍が、獲物になるのを恐れて井戸に逃げ込み溺れるお話。今際の際に、かつて奪った命であてがわれた自分の命を他者に還元出来なかった悔いを想い、せめてと夜闇を照らす燃ゆる火の如き星になった物語。
―――貴方は違う。他を想い、魂を分けた姉妹を導く貴方は蠍の火では無く、水銀の燈(ともしび)になったのだから。

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父と子と燈(ともしび)と

 ―――電車。

 

 『人間』の使う、移動する箱。

 彼らの行くべき場所へと運ぶ鉄塊。

 

 私は今、電車に揺られている。

 情緒の欠片も無い、現代の鉄道。

 『人形』がひとりで椅子に座している光景など、普段からすれば異様だけれど、今日は誰もいないみたい。

 

 …いいえ、違う。私と、もうひとり。

 

 

 

“水銀燈”

 

 向かいの席から聴こえる懐かしい声に、私は答える。

 

「お久しぶり、お父様」

 

 お父様と私は電車に揺さぶられる。

 

「…惨めに敗北した私を慰めにでも来たの」

 

 意地の悪い皮肉にお父様は首を横に振った。

 

“君と……話をしたい”

「今更? 何百年と娘をほったらかしになさっておいて、どうして…今なのよ」

 

 足元に視線を逸らして、俯いたまま言葉をぶつける。

 答えなんて、分かっていた筈なのに。

 

“今…君が多くの出会いを経た今でなければ、きっと聞き入れて貰えないと思った”

 

 不機嫌に睨む私を、お父様はただ見つめていた。

 

「……まぁ、その通りね」

 

 私は、お父様の理想になれなかった不出来なドール。

 私が“ダメ”だったから姉妹が生まれ、アリスゲームが始まった。

 そんな私が、お父様に認められる訳が無い。そう思ったら目に映る全てが敵に見えた。

 

「ずっと、全てが憎かった。自分のつくられた意味が、自分をつくった人に否定された気がしたから。私に価値が無いから、他に価値のある薔薇乙女(ローゼンメイデン)を創る必要があったんだってね」

 

 卑下の言葉が次々と湧き出る。

 私はジャンク。価値を失い、お父様から戴いた『心』までも傷付けた、壊れた子。

 

「私を哀れな目で見るすべてがキライだった。幸せなんてひとつもくれなかったお父様もキライ、世間知らずで自分たちにまだ価値があると思い込んでいた痛々しい妹たちがキライ」

 

 でも、何よりもキライだったのは―――。

 

“自分が、嫌いなのかい”

「そうよ…! 私は…お父様の期待に応えられなかった、姉妹のことを妬ましく思っていた―――弱い癖に卑しいジャンクだから、何も好きになれない自分が一番好きじゃなかったのよ!」

“本当に全部を嫌っていたのかい?”

「……」

 

 恥ずかしい位に自分の気持ちを晒したとき、ある少女を思い出した。

 私が出会った中で一番歪んでいて、似ていた子―――。

 

「それでも―――あの子は…キライじゃなかったわ」

“…どうして?”

「放っておけなかったのよ。私みたいな人間がいるのが」

 

 父親からの愛を確かめて、周りからの憐憫に耐えかねて。

 否定と嘲笑が自分の支えになってしまった、あの姿。

 

「きっと私はあの子に自分を重ねていた…同じ様な境遇の相手がいるってのは心地が良かったのよ」

“水銀燈はあの子のことが好きだったんだね”

「好き? 知らないわよそんなの……本当に。そんな気持ち、知らなかったから」

 

 愛は知っていたけれど、あの子―――めぐに向けていた気持ちは愛じゃなかったと思う。

 それでも彼女に目を掛けていたのは事実……それが好きってこと?

 

“放っておけないとか、一緒にいると心地いい、そう感じるのが好きってことだと私は思う”

「何よ、口先ばかりで…私にその好きってモノを与えてくださらなかったのに」

 

 だから、と続ける。

 

「あの子には何かをあげたいと思ったの。お父様からの愛が伝わらないから…あの子には何も無くなってしまう。それがどれ程辛いことなのかは、身を以て知っていたし」

“しかし彼女も、水銀燈に大切なものをあげたいと願っていた”

「…そうよ、似た者同士だから…本当に……そんなものいらないってのに」

 

 あの子は、めぐは、私に命を差し出した。それを糧に闘うローゼンメイデンとしては願っても無い話だったのだろうけど、私は貴方の命なんか欲しくなかった。

 

 本当は、貴方に生きていて欲しかった。

 あの子にはあの子の生き方があるべきだと、そう思っていた。

 

 けれどあの子は拒絶した。

 その気持ちも分かる気がする。自分の命は自分で決める。例えそれが死を希求するのであっても、それが自分の選択なら、他人に左右なんてされたくないもの。

 

 だけど私はあの子に都合の良い生き方を求めしまっていた。

 あの子が生きるために闘ってしまっていた。

 

 ―――『そうあって欲しい』と思われること、他人からの期待が重かった。それが例え幸せを願ってくれていても、生を望んでいてくれていても。

 それなのに、私は…かつて自分が拒んだ愛の形を押し付けていた。

 

 

“水銀燈、大切な人に生きて欲しいと願うのは当然のことだよ”

「生きて欲しい……ねぇ。だからあの子は『絶望をプレゼントする』なんて…」

 

 分かりきったお話だったけれど、いざ反芻すると胸が締め付けられる思いだった。

 私は、めぐを喪ったのがひどく哀しかった。

 

「…そうよ、そう、絶望よ。私達は絶望するために生まれてきた―――そうでしょ、お父様?」

“人は誰しも絶望を経験して生きるんだ。絶望するためだけに生まれてくるのでは無いよ。それはきっと、君を愛してくれた人だってそうさ”

「お父様のこと?」

“ううん、君と契りを交わした、水銀燈にそっくりな彼女のことだよ”

 

 不意に窓の外を見る。

 電車が走る海岸の向こうに病院が見える。過去が見える。

 あれはきっといつかの私とめぐの姿。

 

“彼女は水銀燈と言う希望に出会った。死ぬことに価値を与え、生きることに意味を与えてくれた。彼女が生きて闘えたのは、君のお陰なんだ”

「……! そんなこと、言われなかったって分かってるわよ!」

 

 めぐは、こんな私を好きでいてくれた。

 『死んでも一緒』と言ってくれた。

 だから、あの子ともう一緒にいられないことを、受け入れられない。

 

“……あの日の私と同じだ”

 

 電車がトンネルに入る。

 真っ暗な車内に、お父様の声が響く。

 

(アリス)を亡くした私も、現実を受け止め切れず、未練と妄執を残し薔薇乙女(アリス)を創ろうとした。今の娘達を見て後悔は無いが…過去に(すが)り律を逸する様な愚行はもうあってはならない”

「要は『過去ばかり見てないで』ってことでしょ? 回りくどい言い方しないで頂戴」

“……”

「でも、ありがとう。めぐのことは忘れない―――でも私には、闘うことしか無いから」

 

 身の丈に合わない、人間サイズの座席から飛び降りてお父様の隣に座る。

 こうしてお父様に寄り添うのはいつぶり? それとも初めて?

 でも、そんなことは些細なことだった。

 ずっとこうやって一緒にいたかった。

 

「ああ、幸せ…きっと今が私の中で最も満たされている時ね」

“そうか―――でも”

「分かっているわ」

“外の世界へ出て、君は生き(闘わ)なくてはいけない。生きることは闘うことと、真紅がそう言っていた”

「分かっているってば…真紅(あの子)の名前を出さなくったって、私は闘っ(生き)てきたじゃない」

 

 ローゼンメイデン第1ドール。その銘は私が一番最初に外の世界へ出て、闘いに望んだことを意味する。

 それはつまり、誰よりも先に生きること、闘うことを覚悟し飛び立ったこの上ない証明であった。

 

「でもこうも思うのよ…生きている、それだけで闘っているんだって。めぐだけじゃ無いわ。ローゼンメイデンは皆、(ローザミスティカ)を得たその瞬間から闘っていたってね―――だから言うわ。望まれなくったって、生き(闘っ)てやるわ!」

“そうだ、君は…ずっとそうしていた。その選択が出来る君の強さは、(わたし)の誇りだ”

 

 

 瞳を閉じると、暗く閉ざされた瞼の裏が眩く白けた。

 どうやらトンネルを抜けたらしい。

 人形がする必要の無い深呼吸をして、声を上げる。

 

「次の駅で降りるわ」

“生きて、闘うのかい?”

「ええ、私にはそれしか出来ない。過去に縋らず、闘って奪って、生きて捧げていくのよ……あのムカつく妹に貸しなんか作ってやらないわ」

 

 自分でも不思議だった。

 不意に笑みがこぼれる。

 電車を降りればお父様に会えなくなる気がするのに、現実であの騒がしい妹達に関わらなくちゃいけないだろうに。

 

 

“水銀燈、君に預けた『逆十字』の意味は知っているかい?”

「神の理に反する挑戦とその罪…だったかしら?」

“ああ、その意を以て7体のドールを創り、娘達に絶望を与えてしまった…それは紛れも無く、私の罪だ”

「その罪を押し付けられたのがこの私。まさか下車する前に謝罪なんて―――」

 

 お父様が首を横に振った。

 

“かつてはそうした傲慢な意味で捉えていた。だが、私もある少年に出会って考えを改められた。これから新たな生を迎える水銀燈に、新しい意味をあげたい”

「はぁ…どうせ可能性だとか運命に抗うだとかの典型的な文句なのかしら」

“……すまない、その通りだ”

 

 そう言ってお父様は笑った。

 こんなはにかんだ顔も、見るのは初めてだったかも知れない。

 

“『可能性』『運命に抗うしるし』。それらの意味と共に旅立ってほしい”

「いちばん始めに創ったドール、そこに悲哀の運命を覆す可能性を見た、って解釈で良いのよね? まぁ何にせよお父様から頂いた意味だもの、喜んで頂戴するわ」

 

 電車が停止する。もうお別れの時間らしい。

 席から降り立つと、逆十字があてがわれたスカートをお父様に見せる。

 

「さようなら、お父様。私は行くわ」

“さようなら、水銀燈。私はきっと、もう会えない”

「……いいえ、いつかまた会えるわ。私達はそのために闘ってきたもの」

 

“最後に一つ、君は私を、崇拝する存在として祀るのでは無く、家族として対等でいてくれていた。嬉しかったよ”

「―――だって貴方はお父様だから」

 

 

“行ってらっしゃい”

「行ってきます」

 

 


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